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「乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です 9」著者書き下ろしのショート・ストーリーをプレゼントします。
炎の中で一人の少女が泣きながら笑っている。
「燃えろ。全て燃えてしまえ――全て燃やし尽くして、何もかも消えてしまえばいい!」
身にまとっていた服は燃えて消えたが、アンジェリカの皮膚に火傷はない。
むしろ、炎がアンジェリカに衣服のようにまとわりついていた。
魔力で生み出された炎のドレスを身につけ、目は充血して涙が血涙に変わった。
暴走するアンジェリカは、巨大な炎の渦を出現させ周囲を焼き払っていた。
何人も近付けないその場所で、天に向かって叫ぶ。
「どうして――殿下――守ってくれると約束したではありませんか!」
幼き日にユリウスと交わした約束を反故にされ、悲しみと怒りに我を忘れて魔力を暴走させる。
軟禁されていた建物は、アンジェリカの作りだした炎の嵐で跡形もなく吹き飛ばされ焼き尽くされている。
もう、誰も近付けない。
誰もアンジェリカを止められない――はずだった。
炎をまとった嵐。炎の風がアンジェリカを守る壁になっていたのだが、その壁を突き破って一機の黒い鎧が出現した。
普通の鎧ならば、アンジェリカのいる場所にたどり着く前に動けなくなっていたはずだ。
鎧が無事でも、中にいるパイロットの方が持たないだろう。
だが、その鎧は普通ではなかった。
血の涙を流しながら、アンジェリカが黒い鎧を睨み付ける。
「アロガンツ――バルトファルト、この痴れ者が!!」
左腕を右から左に振り抜くと、アンジェリカの前に赤い魔法陣が六つ出現する。
そこから生み出されるのは、炎を凝縮して作られた槍――ファイアランスだった。
赤く光るファイアランスが、一つの魔法陣に十数本も出現している。
それが残り六つ。
作り出されたファイアランスがアロガンツに放たれて命中すると、爆発を起こした。
アロガンツが地面を踏みしめて耐えるが、爆風で徐々に押し戻されていく。
一本一本が高威力であるのだが、アロガンツのあり得ない装甲は耐えていた。
まだ動いている様子から、中のパイロットも無事だろうとアンジェリカは予想する。
それが余計に腹立たしい。
「それだけの力がありながら、殿下をお救いせず魔女に利する行為を平気でする。お前は本当に度し難い愚か者だ」
力を持つリオンが、ユリウスたちとの決闘で手を抜いていた。
それがアンジェリカには許せなかった。
魔法陣が新しいファイアランスを補充し、また放たれる。
弾切れなど起こさない。
「いつまで耐えられるか見物だな。――簡単に死ねると思うなよ」
なぶり殺そうとするアンジェリカに、アロガンツに乗り込むリオンが語りかける。
『じゃじゃ馬娘だな。気が強すぎて、殿下に捨てられたんじゃないのか?』
アンジェリカのファイアランスを前に、耐えるだけのリオンは軽い口調で煽ってきた。
周囲の炎が、アンジェリカの憎悪で勢いを増していく。
炎の嵐がより大きくなった。
「この期に及んでもその軽口が叩ける度胸は認めてやる」
静かに激怒するアンジェリカの苦々しい声を聞いて、自分の煽りに効果があると知ったリオンが勢いづく。
『意外と冷静みたいだな。もっと怒鳴り散らすと思ったぜ』
「すぐにでも貴様を灰にしてやりたい気分だよ」
魔法陣が作り出すファイアランスは、アロガンツのしぶとさを見たアンジェリカにより更に大きく――そして、魔力の圧縮率も上がっていく。
威力を高めたファイアランスの一撃は、着弾するとアロガンツを覆い尽くすほどの爆発を起こす。
「お前の苦しむ姿を見せてくれ」
憎悪で歪んだアンジェリカの笑みは、容姿の美しさもあって余計に禍々しく恐ろしいものになっていた。
それを見たリオンが本気で嘆く。
『学園祭で話した時は、意外と可愛いと思っていたのに残念だよ』
「――黙れ」
アンジェリカの肩がピクリと反応する。
思い出すのは学園祭で食べたドーナツだ。
忙しくて昼食時間も作れずにいた際に、失敗作のドーナツを食べているリオンと出会った。
普段食べる機会のないドーナツに、珍しくアンジェリカは興味を示した。
その後にはしたなかったと反省したアンジェリカだったが、今になってその思い出が蘇ってくる。
胸元で右手を握りしめるアンジェリカの顔が、苦痛で歪んだ。
『お嬢様でもお腹は鳴るんだな! あの時のあんたは、年相応――いや、もっと幼く見えて可愛かったのにさ』
「言うな!」
幼い、可愛い。
二つとも普段のアンジェリカには言われない台詞だ。
自分に厳しい面があるアンジェリカは、幼い頃から周囲から年上のような扱いを受けていた。
それが当たり前であったが、本音を言えば寂しくもあった。
周囲と同じように甘えたいという気持ちが、アンジェリカにもあった。
戸惑ったアンジェリカのファイアランスが、その威力を急激に弱めていく。
『何だ? 褒められ慣れていないのか?』
からかうリオンを前に、アンジェリカが怒気を強めた。
「調子に乗るな! お前程度に何を言われようとも――」
『その割に威力が落ちているじゃないか。素直じゃないな。ツンデレか?』
「くっ」
アンジェリカの内心を投影するように、周囲の炎の勢いが衰えていた。
ただ、それでも炎の嵐は未だに猛威を振るっている。
胸が苦しくなるアンジェリカは、呼吸が乱れ始めた。
「言うな。――お前が――お前なんかが――大事な思い出を汚すな」
『思い出とか知らねーよ』
膝をついて泣き始めるアンジェリカを見て、リオンの態度も変化する。
冷静に、諭すように。
『俺が決闘で勝ったとして、全てがうまくいったと思うのか? 勝ったところで――もう何もかも手遅れだったんだよ』
手遅れだった、という部分にリオンの苦々しさがにじみ出ていた。
アンジェリカが泣きながら笑う。
リオンに言われるまでもなく、手遅れであるのは気付いていた。
「正論だな。確かに、あの時にお前が勝っていてもこの流れは止められない。むしろ、面倒なことになっていただろうさ」
『だったらもう――』
もう止めにしないか? そんなリオンの台詞をアンジェリカが遮る。
立ち上がったアンジェリカの濁った瞳が、怪しい赤い光を放っていた。
「それがどうした?」
『あん?』
「私は殿下をあの魔女から取り戻す。そのためだったら何でもしてやる」
自分の意志を言葉にしたアンジェリカの炎が、また勢いを増していく。
「全てを灰にして、一からやり直す。もう、何もかも燃やし尽くしてやる」
炎の嵐が姿を変えていく。
炎が巨大な人型を形作っていた。
『分からず屋が!』
リオンの焦る声が聞こえ、そして別人の声がする。
――女の声だ。
『その気持ちは理解するが、全てを燃やされるわけにはいかないな』
◇
アロガンツのコックピット内。
俺のそばで揺らめいている思念体のアンが、アンジェリカに同情していた。
『情の深い娘だ』
「元婚約者のために世界を滅ぼすとか、情が深すぎるにも程があるだろうが」
アンも愛しのリーアのために、ホルファート王国を滅ぼそうと考えていたからな。
そのために、聖なる――なんて呼ばれていた呪いの道具に、自らの意志や力を封じ込めていたのだから恐れ入る。
アンジェリカさんに、自分と通じるものがあるのだろう。
『リオン、あの娘の精神世界に入り込むぞ。お前も来い』
「え、俺も? そこまでするのか?」
『説得は無理だ。可能ならば、こんなことになってはいない。それに、このまま放置すれば本当に国一つが焼け野原になりそうだ』
炎が形作る巨大な人型は、上半身のみだがとんでもない魔力の塊だ。
人が操れる規模を超えている。
アンジェリカさんは、もう人外の領域に足を踏み入れていた。
「やるしかないのか」
『覚悟を決めろ』
アロガンツの操縦桿を握りしめ、降り注ぐファイアランスの中を進ませる。
「少しばかり我慢しろよ、アロガンツ!」
『アロガンツ、耐える!』
片言の言葉で元気よく返事をするアロガンツが、地面を踏みしめ一歩一歩前に進む。
そして、アンジェリカさんに手を伸ばした。
だが、地面から噴き出した炎によって壁が作られる。
コックピット内に警報が鳴り響く。
『装甲の一部に溶解を確認』
アロガンツの報告を聞いて、俺は背筋がゾッとした。
「人間業じゃないな」
『だが、この距離なら』
アンが揺らめく黒い体を震わせると、アンジェリカさんの精神に繋がる。
『次はお前だ、リオン』
「あ、待って。心の準備がまだ出来てない!?」
『――お前は本当にリーアにそっくりだよ』
やや呆れるアンが俺に絡みついて、揺らめく黒い体に飲み込まれた。
◇
「――あれ?」
気が付くと暗い場所に立っていた。
夜なのか辺りは何も見えないが、どこかにいるのは間違いない。
それよりも自分の格好が気になる。
パイロットスーツの感触ではなく、普段着のような着心地に包まれている。
ただ、自分の姿さえ見えない暗闇の中で、確認することが出来ない。
『これが今のアンジェリカの心の中だ』
何も見えない場所だが、体を動かすと何かに手が触れる。
それは家具らしき物だった。
手探りで辺りを慎重に確認しながら、声が下方向に体を向ける。
「暗くてお前の姿が見えないぞ」
『――私からはお前の姿がよく見えているよ。本当によく見える』
暗闇の中でも俺が見えているらしい。
「それで、これからどうすればいいんだ? アンジェリカさんを説得できるんだろうな?」
『惑わすために今まで心の隙を突いては来たが、心を救うのははじめてだな』
「頼りない返答をありがとう」
軽口を叩きつつ、暗闇の中でどうするかと悩む。
手探りを続けていると、壁らしき物に触れることが出来た。
「どこかの部屋の中か?」
『本人が一番落ち着く場所を心象風景として再現している場合が多い。ここは――物置みたいな場所だな』
「物置? 落ち着く場所が物置!?」
俺だったら前世の自室が心象風景になりそうだが、お金持ちのお嬢様が心を落ち着ける場所がまさかの物置だとは思わなかった。
『アンジェリカもここにいるぞ』
「嘘!?」
何も見えず、何も聞こえない暗い場所にアンジェリカさんいると聞いて身構える。
現実世界ではなくても、先程の光景を思い出すと心穏やかではいられない。
アロガンツすら押し返す魔法を見せた彼女だから、心の中だろうととんでもない力を発揮する可能性がある。
アンが俺にアンジェリカさんの居場所を教えてくれる。
『左を向け。そのままゆっくり進め』
指示された通りに進む。
『そこで止まれ。――今、お前の前にいるぞ。壁を背に座り込んでいる』
アンジェリカさんの目の前までたどり着くことは出来たが、問題はここからだ。
「おい、これからどうすればいい?」
『話しかけろ。もっとも、心を閉ざしているからな。説得も簡単ではないが』
「やるしかないだろ」
ここまで来て無理でした、など許されない。
早く暴走を止めないと被害は増すばかりだ。
最初に話しかけたのは、アンだった。
『アンジェリカ、聞こえているなら返事をしろ』
アンの問い掛けにアンジェリカさんは答えなかった。
だが、そこにいるのは見えているアンが、アンジェリカさんに話しかけ続ける。
『辛かったのだろう? その気持ちを我らにも教えてくれ。お前は何が辛かった?』
「おい、そんなことで簡単に話してくれるのか?」
普通なら説得とも言えないような語りかけだったが、アンはこれでいいと考えているようだ。
『問題ない。ここは心の中だぞ。嘘など言えず、自分の気持ちを正直に語る場所だ。問題なのは、アンジェリカが心を閉ざしていることくらいだが――』
アンジェリカさんは何も答えない。
アンが語りかけても駄目そうだったので、俺は頭をかいた。
「駄目か? どうしたら――ん? 甘い匂いがするな」
どこかで嗅いだことのある匂いだと思っていると、先程の会話を思い出す。
「ドーナツ?」
アンジェリカさんとの会話に出てきたドーナツを思い出し、口に出すと目の前に明りがともる。
壁掛けの証明が暗闇の中で頼りない光を放っているのだが、その下に壁を背にして膝を抱えている少女の姿があった。
少女が顔を上げる。
「――ドーナツの人」
「アンジェリカ――さん?」
俺のことをドーナツの人と呼ぶアンジェリカさんにも驚いたが、一番衝撃的だったのはその姿だ。
年齢よりも大人に見える凜々しい彼女が、何故か実年齢よりも幼い少女の姿でそこにいた。フリルの沢山ついたドレスを着て、光沢のある赤い靴が印象的だ。
俺を見上げるアンジェリカさんは、普段と違って儚げというか弱々しい。
今にも泣き出してしまいそうな顔をしている。
「ドーナツ――食べたい」
「え!? いや、ごめん。今は」
持っていないと答えようとすると、俺の横から伸びた黒い影がドーナツを手渡してくる。
アンが俺に耳打ちしてきた。
『お前の存在に気付いて、心の中に菓子を出現させたのだ。これを与えればいい』
アドバイスに従ってドーナツを受け取り、そのままアンジェリカさんに手渡した。
嬉しそうに両手で受け取るアンジェリカさんが、ドーナツにかぶりついた。
「えへへ、ドーナツだ。――殿下と一緒に食べたいなぁ」
嬉しそうな顔も、すぐに雲って寂しそうになる。
「殿下のことが好きなの?」
アンジェリカさんが殿下に執着する理由が気になっていた。
政略結婚に愛などないと思っていたが、少なくともアンジェリカさんはユリウス殿下を愛していた。
「うん! あのね、あのね! 殿下は凄く優しいんだよ。私を守ってくれるって約束したんだよ」
「守る?」
二人の間にあった約束について尋ねると、不思議なことに部屋の中央がスポットライトの光に照らされた。
そこにいたのは、もう一人の幼いアンジェリカさんだ。
慌てて前を見れば、そこにもアンジェリカさんがいる。
この場に二人のアンジェリカさんが出現し、心の中って凄いとありきたりな感想を抱いていると部屋の中から幾人もの声が聞こえてくる。
だが、人の気配はどこにもない。
「アンジェリカはとても強い子よね。だから我慢できるわよね?」
「男の子より強くてしっかりしているわ。アンジェリカは凄いわね」
「本当に頼りになるわね。これからもお願いね、アンジェリカ」
周囲から聞こえる声は、アンジェリカさんを褒める言葉が多い。
ただ、その言葉を受ける度に幼いアンジェリカさんがポロポロと涙を流す。
「強くない。私は強くないのに! 誰でもいいから――私を助けてよ! 私だって誰かに甘えたい。守って欲しいのに」
幼子の泣いている姿。
壁際にいるアンジェリカさんを見れば、俯いていた。
そして、本音をこぼし始める。
「私は我慢しないといけないの」
「え?」
「みんな私は強い子だって言うから。だから、私は頑張らないといけないの」
周囲の期待に応えていたのだろうか?
本当は甘えたかったのに、誰にも甘えられなかったと?
気が強いお嬢様だと思っていたが、心の奥底に隠れていたのは甘えたがりの幼子だったのか?
そして、スポットライトを浴びたアンジェリカさんに誰かが近付いてくる。
高級そうな子供服に身を包んだ、幼い頃のユリウス殿下が現れた。
アンジェリカさんは笑顔でユリウス殿下に駆け寄り、その両手を握る。
「殿下!」
「アンジェリカ。辛かったね。これからは俺が君を守るよ」
「はい、殿下!」
――俺は一体、何を見せられているのだろうか?
アンジェリカさんとユリウス殿下の馴れ初めだろうか?
二人の馴れ初めなど興味もないのだが、これで心を開いてくれるのならしっかり見ておこうと二人を眺める。
仲のいい子供同士に見える。
ただ、スポットライトが消えた。
振り返って壁際に座るアンジェリカさんを見れば、ドーナツを両手に持って悲しそうに俯いている。
「殿下は守るって言ってくれたのに」
泣き出してしまうアンジェリカさんに戸惑っていると、アンが要点をまとめてくれる。
『周囲の期待に押し潰されそうな頃に、ホルファートの子孫の甘い言葉に騙されたのだろうさ』
「ユリウス殿下に対して辛辣だな」
『私はあいつも嫌いだ』
「そ、そうか」
憎い奴らの子孫だから嫌い、と。
だが、ユリウス殿下には本当に責任を取って欲しい。
守ると言いながら、どうして突き放してしまうのか?
泣いているアンジェリカさんは、今もユリウス殿下を待っている。
「お前が困っていたら駆けつけるって言ってくれたの。たとえ全てが敵になっても――俺一人はお前の味方だって」
子供の頃にその台詞が言えるとか凄いな。
アンが子供時代のユリウス殿下に呆れかえっていた。
『大方、物語でも読んで気に入った台詞を口にしたのだろう。それをアンジェリカの心がずっと覚えていたわけだ』
「――そっか」
俺はどうすればいいのか考えて――結局答えが出ないから、アンジェリカさんの隣に腰を下ろした。
並んで座ると、アンジェリカさんが戸惑っている。
「王子様の代役としては力不足だが、俺が代わりに守ってやるからもう泣き止め」
「――ヤだ。殿下がいい」
「そこは譲らないのか」
ムッとするアンジェリカさんの素直な返事に、俺は心が折れそうになった。
俺ではユリウス殿下の代わりは務まらないか。
落ち込むと、アンが慰めてくる。
『気にするな。私はお前の方がいいと思う』
「お前の場合は贔屓目が入っているだけだろ? そんなお前に言われても、俺の心は癒やされないからな」
『お前も見た目で判断しているだろ?』
俺はお化けが苦手だ。
怨霊、思念体――とにかく幽霊のようなアンに好かれても困る。
「外見というか、存在がさ。お前、幽霊じゃん? 幽霊に好かれるとか、逆に怖いよね?」
『私の真の姿を見てもそんなことが言えるか?』
何を張り合っているのか、アンが黒い靄の姿から生前の姿へと変わる。
神職の白い服装に身を包んだ金髪の女性が現れると、どこかアンジェリカさんに似ていた。
気の強そうな顔をしたアンは、立派な胸に右手を当てる。
『どうだ?』
「生きていれば最高だったのにね」
大きなため息を吐くと、アンがムキになった。
『嫌なところまでリーアに似ているのが、余計に腹立たしい』
「ご先祖様だって幽霊に好かれたら困惑するわ」
馬鹿な話を続けていると、小さな笑い声が聞こえてきた。
声の方へ視線を向けると、アンジェリカさんが笑っていた。
俺たちの会話が面白かったのか、少しだけ心を開いてくれたらしい。
部屋の明りが一つ、また一つと灯っていく。
物置らしき部屋の姿がボンヤリと見えてくる。
家具が置かれてはいるが、物が多すぎて生活感がない部屋だ。
物置とアンが言ったのも納得だ。
「どうしてこの部屋にいるんだ?」
アンジェリカさんに問えば、膝を抱えながら答えてくれる。
「――泣きたい時はここに来るの。ここは誰も来ないから」
普段は周囲の期待に応えるために我慢して、泣きたくなったら物置部屋に来て一人泣いていたわけだ。
お嬢様にとって、物置小屋が心安らぐ場所だった理由を知れた。
何とも寂しい理由だな。
ただ――前世で俺が暮らしていた部屋よりも広いし、物が多くてもスペースもそれなりに余っている。
どこか大きな屋敷の使われていない部屋に、使わない物を置いたような場所だ。
ただ、男の子の俺からすれば秘密基地みたいで好みだ。
「秘密基地みたいで俺は好きだな」
「基地じゃないよ」
「秘密の場所って意味だよ」
とりとめのない話を続けていると、部屋の明りが次々に灯っていく。
その様子を見ていたアンが、俺たちを見て目を細めて微笑む。
『随分と心を開かせたな。女誑しになれるぞ』
「冗談じゃない。俺は恋愛に奥手な純朴な青年だぞ」
『勝手に言っていろ。それよりも、もう大丈夫そうだな』
アンから視線をアンジェリカさんに戻すと、いつの間にかその姿は現実世界と同じ年頃になっていた。
学園の制服姿で俺の隣に座り、食べかけのドーナツを持っている。
俺を見て微笑むと、礼を言ってくる。
「ドーナツの礼がまだだったな。ここは怒りを抑えよう」
「いいのか? 釣り合いが取れているとは思わないけど?」
ドーナツの礼で暴走が止むとは思っていなかった。
聞き返すと、アンジェリカさんが恥ずかしそうにしていた。
「私にとっては大きな借りだったからな」
そう言って、寂しそうに微笑む。
「――もうどうにもならないと理解していたのに、私はどこまでも愚かだな」
自嘲するアンジェリカさんに声をかけようとすると、俺たちを睨み付けてくる。
「最後に頼みがある。殿下を助けて欲しい」
「それは」
今更ユリウス殿下を助けるのは不可能だ。
身代わりを用意して、処刑したことにするべきかと思案しているとアンジェリカさんの助けて欲しいという意味が違った。
「せめて、あの女の傀儡から解放して欲しい。操られたままでは、あまりにも憐れすぎる」
切実なアンジェリカさんの願いを聞いて、俺は視線だけをアンに向けた。
ユリウス殿下を操った本人――というか、分身みたいな存在だからな。
アンが小さく頷く。
『可能な限り善処しよう』
アンジェリカさんが気を抜いたように微笑む。
「――そうか」
◇
炎の嵐が消え去った。
辺りには熱気と焼け焦げた臭いが名残が消えずにいる。
そんな中、タオルで裸を隠したアンジェリカを抱きかかえるリオンが、マリエの方に向かって歩いてくる。
アロガンツは蓄積したダメージにより、ぎこちない動きでリオンの後ろを歩いていた。
それだけ説得に苦労したのだろう。
「リオン!」
マリエが駆け寄ると、疲れた顔で笑うリオンが普段の口調で軽口を叩く。
「苦労したぞ。二度とごめんだ」
「本当に大丈夫だった?」
心配するマリエに、リオンは視線を気絶しているアンジェリカへと向ける。
「ユリウス殿下も罪作りな野郎だよな」
「何が?」
「何でもないよ。それより、片付けが大変だな」
周囲の被害を見たリオンが、ため息を吐くとルクシオンが近付いてきた。
『この程度の被害ならばすぐに復興可能です。幸いにも人的資源に損失はありません』
人的資源という言葉に、マリエは冷たさを感じる。
「あんた、もっと言い方があるでしょう?」
『――今後は注意しましょう』
反省しているようには見えないルクシオンが、マリエには不満で仕方がない。
だが、今はリオンだ。
「リオン、あんた少し休んだ方がいいわよ。疲れた顔をしているわ」
短期間の間に状況が変化し続け、マリエもリオンも疲れていた。
無理をするリオンは、体力的にも、そして精神的にも随分と疲弊しているようにマリエには見た。
「色々と片付いたら、しばらく休ませてもらうよ。もう人生を何回も繰り返したような気分だよ」
濃密な時間を過ごし、劇的な出来事ばかり続いている。
マリエも同意見だ。
「人生は楽しい方がいいと思っていたけど、何事も適度がいいわよね。――でも、本当に休んだ方がいいわよ」
「休めたらいいんだけどな」
うっすらと笑みを浮かべるリオンは、今後を悲観的な未来を予想していたのだろう。
マリエにはとても悲しんでいるように見えた。
リオンに声をかけようとすると、駆けつけてくる二人に遮られる。
「アンジェ!」
「お嬢様!」
ギルバートとコーデリアが、アンジェリカを抱きかかえるリオンに近付いた。
二人はアンジェリカを心配し、生きていることを確認すると安堵する。
そして、ギルバートがリオンに謝罪をする。
「妹の命を助けて頂いて感謝する。それに、随分と領地を荒らしてしまったことのお詫びも言わせて欲しい」
感謝と謝罪の言葉を述べるギルバートに、リオンの方は苦笑いをしていた。
「怪我人は出ましたけど、死人が出ていません。不幸中の幸いでしたよ」
「この礼は必ずすると約束しよう」
二人の会話の邪魔は出来ないと思い、マリエは口を閉じる。
そんなマリエに、アンが密かに近付いていた。
『――マリエ、話がある』
◇
茂みに隠れるような場所に来たマリエは、アンから話を聞いていた。
アンジェリカの精神世界で何を見てしまったのか、をだ。
『お前は気付いていたな? どうして黙っていた?』
「――止めてよ。そんな話は聞きたくないのよ」
『何を怯えている? 私はお前を責めてなどいない。ただ、お前が――』
心配するアンに対して、マリエは声を荒げる。
聞きたくないと、アンの話を遮るために。
「知らないって言っているでしょうが! それよりも、どうしてリオンにアンジェリカを守るなんて言わせたのよ? あいつが、どれだけ無理をしているか知っているでしょう?」
マリエからすれば、これ以上リオンに負担を増やしたくはなかった。
リオンがアンジェリカを守ると約束したと知り、また無茶をすると考えている。
実際に無茶をするのだろう。
「どいつもこいつもリオンを頼ってさ。あいつはそんなに凄い奴じゃないのよ。それなのに、重い話を次々に持ち込んで」
リオンを心配するマリエを見て、アンは問い詰める気が失せていたようだ。
『お前は優しいな。――だが、ここまで来たら逃げることは出来ないぞ』
「本当に最悪だわ」
◇
バルトファルト家の屋敷に戻ってきた俺は、マリエと今後について相談していた。
自室にマリエを招き、俺は自分のベッドに腰を下ろす。
マリエは椅子に座って俺と向かい合っている。
「アンジェリカが暴走するとは思わなかったわね。しかも、あんなに凄いとか反則よ」
脚をブラブラさせながら文句を言うマリエのそばには、アンがいた。
『だから言っただろう。私と似ていると。あの娘も放置していたら国一つくらい文字通り焼き尽くしただろうよ』
主人公ばかりか、悪役令嬢までもがチートだとは思わなかった。
俺は自分の行動を誇らしげに語る。
「それなら、俺は国を救った英雄だな」
わざと調子に乗った発言をすれば、それを俺の近くに浮いていたルクシオンが皮肉る。
『それでしたら、ホルファート王国が末期を迎える前に救うべきでしたね』
「――そうだな」
『おや? 言い返さないのですか? 今回は随分と弱っていますね。仕方がありませんね』
痛いところを突かれて、冗談も言えなくなるとルクシオンが僅かに面倒そうに提案してくる。
『私の方で王国の詳細を調べておきますよ』
いきなり手伝うと言い出すルクシオンに、俺もマリエも懐疑的な視線を向ける。
これまで、何を言っても手伝ってこなかった。
そんなルクシオンが、自ら手伝うと言うのが信じられない。
「何が目的だ?」
『マスターとマリエの生存が私の望みです。現状は危機的であると判断しました。新人類の遺物調査は一端保留とし、この問題の解決に当たりますよ』
何とも心強い言葉だな。――ちょっと信じられないけど。
これまでのルクシオンの行動もあって、マリエの方は感情的になっている。
「あんたがもっと早く手伝ってくれれば、こんなことにはならなかったのよ!」
『それはどうでしょうか?』
「何? 言い訳でもあるの?」
一応話は聞いてやるという態度のマリエだが、どんな言い訳を聞いても納得しないだろうな。
何を言っても反論するつもりなのだろう。
ただ、ルクシオンはアンに赤い一つ目を向ける。
『聖女のアイテムが呪われているなどと、マスターもマリエも知りませんでした。ゲームのシナリオを守るために行動したとすれば、オリヴィアは結局聖女のアイテムを手に入れました。僅かな可能性として、体を奪われていないとすれば――今の姿が本人そのものということです。私がいようといまいと、結果は変わりませんでしたね』
「そ、それは! ――そうかもしれないけどさ」
結果だけを見れば、確かにルクシオンがいても同じだったかもしれない。
だが、本当にそうだろうか?
俺はマリエの立場に近い意見であるため、ルクシオンの話に全て同意できない。
「お前がそばにいれば、もっと早く対処できただろう? こうなる前に解決できたよな?」
『肯定しましょう』
否定しないルクシオンに、マリエが憤慨する。
「お前!」
マリエが飛びかかりそうになると、アンが俺たちの会話に割り込む。
『先回りをして動いたとしても、オリヴィアも対処して動いたはずだ。結局、この国は滅ぶべくして滅ぶのだよ』
ホルファート王国など滅んでしまえ! という立場のアンは、ルクシオンを責めるつもりはないらしい。
むしろ、そのおかげでアンが望んだ方向に進んでいるのだから。
「お前自身はどう考えているんだよ?」
俺が問うと、アンからは出会った当初の苛烈さが消えていた。
『ホルファート王国さえ滅べばどうでもいい。あちら側は民も滅ぼすつもりだろうが、今の私はそこまで考えていない』
「安心したよ」
――問題はそこだ。
ここまで来たら、俺たちに戦争を止めることはできない。
ルクシオンの力を使えば、強引に戦争を止められるだろう。
圧倒的な力を見せつければ黙ってくれるかもしれないが――それまでに、ルクシオンにどれだけ殺させればいいのだろうか?
大量虐殺という罪を背負う覚悟が、俺にはない。
「迷惑なのは、何の関係もない民だろうな。――被害が最低限になるようにしたい。ルクシオン、王都の情報を可能な限り集めてくれ」
せめて民に被害が出ないように、とルクシオンの力を借りることにした。
だが、俺の優柔不断さをルクシオンは気付いている。
『滅ぼせと命令すれば、それで全てが終わります。貴族連合はマスターの下に支配され、新たな国が誕生するでしょう。その方が効率的です』
「そういうの嫌いなんだよね」
拒否を示すが、ルクシオンは俺を責める。
『戦争によって死ぬか、私に殺されるかの二択です。私が滅ぼせば、味方の被害は驚くほど軽微になるでしょうね。マスターは、味方の命を軽んじていますよ』
ルクシオンの手を借りれば、味方は大勢生き残るだろう。
そんなのは知っているが、俺は選べなかった。
「お前は命そのものを軽んじているけどな。敵も生きた人間だぞ」
『――新人類は、“我々”の中で人類のカテゴリーには入りませんね』
だから、何をしても許される――そんなことを言うルクシオンが恐ろしく、同時に悲しい奴に見える。
「そんなんだから、お前らは負けたんだよ」
『敗因は色々とあるでしょうが、敵に情けをかけないために負けたと? 面白い冗談ですね』
場の空気が悪くなると、マリエが大声を出す。
「いい加減にしてよ! ルクシオンはさっさと情報を調べなさい。それで被害が減るならいいじゃない」
強引なマリエに、ルクシオンは反論せず従う。
『――いいでしょう。それでは、私はこれで』
開けた窓から飛んでいくルクシオンは、すぐに見えなくなってしまった。
◇
ホルファート王国王都。
王宮に用意された自室で、オリヴィアは報告書を読んでいた。
閉め切った部屋にはろうそくの明りが一つだけ。
薄暗い部屋の中で、オリヴィアはほくそ笑んでいた。
「貴族たちに見限られて、予定通り王国は孤立したか。すぐにアレを使用せよと命令が出るだろうな」
過去に自分たちが見つけたロストアイテムの飛行船。
今は王家の船などと呼ばれているが、オリヴィアの中にいるアンは苦々しい気持ちになった。
「リーアもいない今、あの船は動かせまいよ」
報告書を投げ捨てて、近くになった椅子に腰を下ろして脚を組む。
「さて、ホルファートたちの子孫が、どう動くか楽しみだ。盛大に散ってくれるか、それとも情けなく死ぬのか――今から楽しみだよ」
これで復讐は次の段階へと移行する――そう考えたオリヴィアだったが、気配を感じると席を立って近くにあった本を手に取る。
周囲に視線を巡らせると、持っていた本を投げつけた。
「何者だ?」
誰かが部屋にいると気付いたオリヴィアは、服の下に隠していたナイフを抜いた。
投げつけた本は壁に当たって落ちるが、その近くに不思議な球体が出現する。
浮かび上がった金属色の球体は、赤いガラスのような目を持っている。
「使い魔か?」
人ではない存在を前に呟くと、意外なことに目の前の存在が人後を話す。
『驚きましたね。私の存在によく気付きました。おっと、失礼しました。私はルクシオン――魔に関わるものではありません。人類の英知である科学の結晶ですよ』
「――科学ねぇ。いくつかの遺跡でそれらしい書物を見つけたことがある。そうか、お前はロストアイテムか」
オリヴィアの中のアンは、生前に探検したダンジョンを思い出す。
その中から手に入れた書物の中に、科学に関する物があった。
(あの根暗が興味を示していたな)
根暗――それはアンの妹だ。
血を分けた存在ではあるが、他人と変わらない存在だった。
お宝好きのアンに対して、妹の【メアリー】は古代の知識に興味を抱いていた。
金銀よりも知識を求めるメアリーが、アンには理解できなかった。
科学を多少なりとも理解するアンに、ルクシオンは興味を持ったようだ。
『あなたは本当に興味深い。ですが、存在を知られたからには処分しなければなりませんね』
どこか、最初から消すつもりで姿を見せた――ような雰囲気がある。
わざと自分を消すために、姿を現したようにしか見えない。
「誰の差し金だ?」
ゆっくりと部屋の中を歩くアンを、ルクシオンの赤い目が追いかける。
『答えませんよ』
ただ、アンはルクシオンが自分に興味を示していることを察した。
殺す前に、使い道がないか思案しているような態度があった。
「目的は何だ? 私を殺したいというならば、姿を見せる前に殺せたはずだ。わざわざ姿を見せたのは、何か気になったのだろう?」
『随分と度胸がある方だ』
「この程度で驚いていたら、冒険者など出来ないさ」
周囲は屈強な男たちばかりの中で、女性でありながら冒険者を目指したアンは精神的に強くならねば生き残れなかった。
むしろ、この状況を楽しんでいた。
「お前の雇い主を当ててやろうか?」
『当たるとは思えませんが?』
「いや、私には分かるよ。――バルトファルト。リオンだろう?」
ルクシオンが数秒黙した後に、アンの考察を褒める。
『驚きました。正解ですよ。だが、これで余計にあなたを生かしてはおけなくなりましたね。もう少し鈍ければ、扱いやすい存在として生き残れたのに残念です』
聡すぎるから殺すと言われ、アンはクツクツと笑う。
「もう少し余裕を持つべきだな。互いに腹を割って話そうじゃないか。お前の望みは何だ?」
自分をいつでも殺せたルクシオンが、わざわざ姿を見せた。
それは、何かあると語っているのと同じである。
しかも、暗殺者の癖に雇い主を言い当てられて正解と答えている。
ルクシオンは、最初からアンに接触するつもりだったのだろう。
『――私と取引をしませんか?』
◇
ルクシオンが王都の調査を行っている頃。
俺はレッドグレイブ公爵家の領地に呼び出されていた。
王国に反旗を翻す貴族たちを集めて、決起会を開くらしい。
簡単に説明すれば「みんなで一緒に王国を倒そうぜ!」という飲み会だ。
のんきに見えるだろうが、意外と重要である。
何しろ、その決起会を開いたのはレッドグレイブ公爵だ。
広間に用意されたパーティー会場で、俺は壁際に立って様子を眺めていた。
顔の傷を眼帯代わりの布で隠して、周囲を不快にさせないよう気を使っている。
「兄貴は引っ張りだこだな」
同じく参加しているバルトファルト伯爵――ニックスの方は、ローズブレイド伯爵と縁戚関係とあって、周囲から声をかけられていた。
俺の方は誰も近付いてこない。
「マリエでもいれば、話し相手になったのに」
この場にマリエは連れてきていない。
正式に結婚していないし、何よりも不穏な空気が漂っている。
これから王国を裏切ろうとする集まりだ。
集まった貴族たちを裏切り王国に媚びを売る奴が、出てこないとも限らない。
だからマリエは実家に残してきた。
不満そうにしていたが、どうせ政治の話になると言うと大人しく引き下がった。
正直に言えば、俺も兄貴に任せて帰りたい。
しかし、黒騎士を倒した功績というのは馬鹿にならないらしい。
有力な戦力として数えられているのか、レッドグレイブ家から直々の招待を受けているため不参加はまずい。
壁際にいると、挨拶回りを終えた新公王【ヘルトラウダ・セラ・ファンオース】が俺の方へやって来る。
途中で護衛の騎士たちを待機させ、一人で俺のそばに来ると話しかけてくる。
「あら? 仮面をしていないのね」
いつの間にか仮面の騎士扱いを受けているため、普段から俺が仮面を着けていると思っているらしい。
「前に会った時も仮面をしていなかっただろ」
素っ気なく答えると、ヘルトラウダさんが俺の横に来て並ぶ。壁を背にして、俺が見ている光景を一緒に眺めた。
「レッドグレイブ家は次の王座に就くみたいね」
「そうだな」
レッドグレイブ家が、ファンオース公国を呼び出した。
それはつまり、自分が貴族たちを束ねる立場だと見せつけている。
とんでもない馬鹿でない限り、次の王はレッドグレイブ公爵と気付くだろう。
俺は視線だけをヘルトラウダさんに向ける。
「名乗り出ないのか? 公国なら王様にだってなれるだろうに」
レッドグレイブ公爵家以外では、ファンオース公国くらいしか貴族たちをまとめられない。
だが、ヘルトラウダさんは頭を振って無駄だと言う。
「今の公国では影響力がないわ。バンデルが生きていれば、多少は揉めたかもしれないけれどね」
俺を責めるような目で見てくるヘルトラウダさんから、視線を逸らすと笑われた。
「冗談よ。恨みはするけど、戦争だと割り切っているわ」
俺よりも年下なのに、随分と大人びている。
姉の死を乗り越えて強くなったのだろうか?
――俺だったら無理だな。
「結局恨むのか」
「当たり前でしょう。バンデルには言いたいこともあったけど、彼なりに私たちを守ってくれたのよ」
主戦派で、前公王の暗殺に関わっていたんだったか?
よく許せたな。
そう思ったが、ヘルトラウダさんの複雑な表情を見ると完全に許してはいないらしい。
俺よりも幼いのに、難しい立場にいるよな。
「――お姉様が生きていれば、私よりうまく国をまとめられたわ。そしたら、レッドグレイブ家に従うこともなかった」
悔しそうにするヘルトラウダさんを見て、俺は小さなため息を吐く。
俺には理解できない考えだ。
「王様になりたかったのか?」
「お姉様なら、女王にも成れたかもね」
姉に対する信頼が厚いな。
言葉にはしないが、自分よりも姉が生きるべきだったと考えているのだろうか?
「その姉ちゃんは、あんたが生きることを望んだけどな」
脈絡のない話を振ると、ヘルトラウダさんも最初はいぶかしむ。
だが、俺の意図に気付いたのか自嘲気味に微笑んでいた。
「そうね」
パーティー会場では、貴族たちが公爵の周囲を囲んで褒め称えている。
王国に勝った後を考えてのごますりだろう。
壁際にいる俺たちの方に、一人のメイドが近付いてくる。
眼鏡をかけたその人は、コーネリアさんだったか?
「バルトファルト男爵、お嬢様がお呼びです」
「アンジェリカさんが?」
◇
「呼び出してすまなかった」
「いえ」
アンジェリカさんは、俺の浮島で暴走後に実家に連れ戻されていた。
レッドグレイブ家からしてみれば、これ以上迷惑はかけられないという判断だったのだろう。
また、本人が冷静さを取り戻したのも、連れ戻した理由の一つだ。
今のアンジェリカさんは、少しやつれてはいるが落ち着いている。
「父上も兄上も、諸侯の相手で忙しい。お前の相手は私がすることになった」
呼び出されたのは応接間。
アンジェリカさんは婚約破棄の一件もあり、パーティーには参加していなかった。
そんな彼女が俺の相手をすると言うが、何の話だろうか?
「田舎貴族に何の話ですか?」
砕けた口調で話をすると、アンジェリカさんは真剣な眼差しを向けてくる。
「――父上は短期決戦を望んでいる」
「短期決戦?」
「王都から詳細な情報が届けられた。あちらは王都に戦力を集めている。防衛戦に徹するらしい」
「王都近辺ではなく、王都で? いや、それはちょっと」
「何故か父上も焦っておられる。長期戦は悪手だが、あまりにも急ぎすぎている」
両陣営が揃って短期決戦狙い?
この時に俺は、王都の地下に眠る王家の船の存在を思い出した。
もしかして、公爵は王家の船の存在を知っているのか?
アゴに手を当てて考え込んでいると、アンジェリカさんがレッドグレイブ公爵家が俺に何を望んでいるのか伝えてくる。
「バルトファルトにも参加してもらうそうだ。お前のパルトナーは、見栄えがいいからな」
ここは当然参加だ。
天下分け目の大戦で、不参加を決め込み次の王様に不興を買うのはまずい。
「そのつもりですよ」
「――個人的な依頼がある」
「個人的な?」
俺が参加を受け入れると、アンジェリカさんは瞳を濁らせて俺に頼む。
「父上も聖女の身柄、もしくは首を求めている。私も同じだ」
「え!?」
驚く俺を無視して、アンジェリカさんが顔を近付けてくる。
「私も戦場に向かいたい。パルトナーに乗せろ」
「それは」
「父上たちは絶対に認めないだろうな。だが、この目で全てを見届けたい」
ここで拒否すれば、他の手段で戦場に向かいそうだな。
その方が面倒になると考え、俺はアンジェリカさんの乗艦を許可する。
◇
ルクシオンが戻ってきたのは二週間後だった。
王都は貴族たちの寝返りを知り、ユリウス殿下を総司令官に任命して戦う準備を進めているらしい。
いつの間にか貴族たちの集まりを、貴族連合などと呼ばれているが――俺たちを相手にするために、王都で演説を行ったそうだ。
ルクシオンがその時の映像を俺たちに見せる。
『卑怯者の仮面の騎士であるリオン・フォウ・バルトファルトが、野心家のレッドグレイブ家と手を結び王家に反旗を翻した! 奴は公国と繋がった裏切り者だ!』
イケメンの王子様の演説に、王都の民は大興奮だ。
黄色い声援の他に、男たちの歓声や罵声が聞こえてくる。
罵声は俺に対して「裏切り者の仮面の騎士!」「黒騎士を倒したのも嘘だったんだ!」「何が英雄だ、仮面野郎!」などと言っている。
何故か俺を名指しで責めるユリウス殿下には、苦笑いしか出来ない。
「俺が好き好んで仮面をしたとでも? どこもかしこも、勝手に人を仮面の騎士扱いかよ」
マリエが俺の隣で頭を振る。
見ていられないと思ったのか、演説を無視して俺に話しかけてくる。
「あっちも戦うみたいだけど、本当に大丈夫なの? リオンの話が本当なら、オリヴィアが王家の船を持ち出すかもしれないわよ」
あの乙女ゲー究極の兵器とも言うべき王家の船は、今も王宮の地下に眠っているはずだ。
その存在を王家が知らないはずがない。
切り札として使用されると厄介だ。
――公爵も警戒していたからな。
「パルトナーで撃墜できるといいんだけどな。それよりもさ」
壁に映像を投影するルクシオンの姿を見た。
最近は随分と大人しく俺たちに従っているが、それが妙に不気味だ。
「この前、レッドグレイブ家で決起会が開かれたんだよ」
『私は参加しませんでしたが、結果は知っていますよ。ほとんどの領主貴族たちが、ホルファート王国を見限っていますね』
この話を聞いて、不満そうにするのはマリエだ。
「私はまだ何も聞いていないのよね。リオンも教えてくれないし」
拗ねるマリエをなだめつつ、俺は今後について話す。
「教えることがないんだよ。レッドグレイブ公爵家は戦後を考えているくらいか? 次はレッドグレイブ王国の誕生が決定したよ」
「公国の方が強いのよね?」
どうして公爵家が主導するのか、マリエは理解できないのか首をかしげていた。
ルクシオンが、そんなマリエにも理解できるように解説する。
『ファンオース公国の軍事力は大きく低下しています。現状の影響力を考えると、レッドグレイブ公爵家に劣るでしょう』
俺は深いため息を吐く。
「聖女――オリヴィアさんも捕まれば処刑だ。乗っ取られているだけに、可哀想だよな」
オリヴィアさんに同情すると、マリエがルクシオンに再確認する。
「本当にオリヴィアは乗っ取られているのよね? あんたの間違いって可能性は?」
『はい。間違いありません』
聖女のアイテムに宿った怨念たちに乗っ取られている。
それを知ってしまうと、これからを考えるときが重い。
本人が悪女であれば同情などしないですんだのに。
「それから――アンジェリカさんがパルトナーに同乗することになった」
マリエが目をむいて俺を見る。
「は? 何でよ?」
「全てを見届けたいってさ。他の飛行船に乗せるより、パルトナーの方が安全だろう?」
「そ、それはそうかもしれないけど」
何故かマリエが嫌がっている。
それはともかく――
「――俺も頑張ってみるか」
◇
バルトファルト領の港。
出港するパルトナーを見送るため、家族が来ていた。
港から手を振っている。
甲板からその様子を見ている俺は、顔を隣に向ける。
「――どうしてお前まで乗り込むんだよ? 危ないぞ」
何故か強引にパルトナーに乗り込んできたマリエは、俺を睨み付けるように見上げてくる。
とても柄が悪く見えてしまった。
「私がいたら迷惑とでもいいたいの?」
「そういうわけじゃないけどさ」
チラリと甲板を見れば、忙しそうに動き回っている船員たちがいた。
他には鎧のパイロットである騎士の姿がある。
その中には、共和国で救出したオリバーさんたちの姿もある。
ラウルト家の騎士たちが、俺への協力を申し出てくれた。
マリエはそんな彼らを見て、複雑な表情をしている。
「あの人たちも理解できないわよね。リオンが知り合いに似ているからって、どうして命がけで助けてくれるの?」
まだ怪我も治りきらない人もいるが、俺が戦争に参加すると聞いて志願してきた。
あまり気持ちは理解できないが、何となく察してしまった。
「――死に場所を求めているんだろ。もうラウルト家も、その血を受け継ぐ人もいない。死にたがっているのさ」
「そんなの!」
命を捨てるなど駄目だと言いたいのだろう。
だが、それを言っても仕方がない。
「安心しろ。死なせるつもりはないからさ」
「――あんた、また無理をするつもり?」
死なせないと言えば、今度は俺が無理をするだろうと予想して怒っている。
こいつは何を言えば安心してくれるのだろうか?
「アロガンツで全て終わらせればいい。――これで本当に終わりだ」
ホルファート王国の終焉で、本当に全てが終わる。
あの乙女ゲーの終わりとは大きく違うけどね。
俺はマリエに本音をこぼす。
「国が滅びるってバッドエンドだよな」
「――どうしたらハッピーエンドを迎えられたのかな?」
あの乙女ゲーを知っている俺たち二人からすれば、この状況はバッドエンドだ。
バッドエンドに国が滅びる結末はなかったが、幸せとはほど遠い結果だ。
攻略対象たちは、騙され、破滅の道を進んでいる。
主人公のオリヴィアさんは、呪いのアイテムによって乗っ取られて責任を取らされる。
どこで俺たちは間違えたのか?
マリエが俯く。
「私たちの責任かな? 余計なことをしたせいで――」
「それはない。聖女の道具を手に入れるのは、あの乙女ゲーのシナリオ通りだ。俺たちが何をしたところで、オリヴィアさんは――」
何をしても結果は変わらなかった。
そもそもスタートが間違っていたのだから。
あの乙女ゲーをプレイして、聖女様が王国を恨んでいるとは思わないだろう。
建国前に裏切りがあったとか、バルトファルト家が関わっていたとか――やり込んでいた俺でも知らなかった。
何が間違っていたのかと問われれば、最初から全て勘違いしていたとしか言えない。
あんなふわふわした設定の乙女ゲーに、こんな裏事情があるとか思わないだろ。
「――ゲームみたいにやり直せたらよかったのにな」
人生に電源ボタンはあっても、リセットボタンはない――だったか?
やり直しを望む俺に、マリエは呆れた顔をする。
「やり直しとかゲーム脳すぎ。――あんた、やり直したら私じゃなくて、胸の大きなアンジェリカやオリヴィアを狙いそうよね」
こいつは二人の胸に嫉妬しているのだろうか?
「お前はそういう目で俺を見ていたの? 悪役令嬢や主人公様たちは恐れ多くて、俺にはとても手が出せないよ」
「それは私を軽く見ているって意味?」
何を言ってもマリエの神経を逆なでしてしまう。
「――まぁ、人生にやり直しなんてないからな。考えるだけ無駄だ。とりあえず、何とか丸く収まるように努めるさ」
「本当に無理だけはしないでよ。あんた――あ、兄貴みたいに無茶をして失敗するタイプに見えるわ」
「お前の兄貴って、ぶっ飛んだ性格の奴だろ? 同じにするなよ。俺はもっと計画的で温厚な性格をしているからな」
気が付けばパルトナーは出航し、港が見えなくなっていた。
◇
ホルファート王国王都上空。
そこには飛行戦艦が何隻も浮かんでいた。
見栄えのいい陣形で浮かんでいる飛行戦艦を、王都の民が地面から見上げていた。
歓声に包まれる王都。
その様子を王宮にある高い塔から眺めているオリヴィアは、無表情で腕を組んでいた。
窓を開けているため風が入り込む。
「憐れなものね」
冷たい声で言い捨てると、部屋のドアがノックされる。
オリヴィアが振り返って返事をすると、入室してくるのはユリウスだった。
「ここにいたのか」
「えぇ、ここからは王都がよく見えるから」
金銀で飾り付けられた軍服姿。
胸元には勲章を幾つも飾り付けている。
自分を飾り付け、権威で大きく見せようとするその姿がオリヴィアには滑稽に見えた。
(情けない男――ありもしない功績で胸元を飾り付けて)
滑稽な理由は、ユリウスが何も成し遂げていないからだ。
本当は二つか三つ程度の勲章しかないはずなのに、見栄を張って六つも飾り付けている。
加えて、今のユリウスの姿は――過去に自分自身が嫌っていた権威にすがる姿そのものである。
派閥を嫌っていた清廉潔白な貴公子が、女によって自分を見失い過去に自分が嫌った存在に成り下がった。
オリヴィアにはそれがたまらなく面白い。
「それよりもどうしたの?」
用件を尋ねると、ユリウスは沈痛な面持ちになる。
「――す、すまない。俺とお前が王家の船を動かせれば、こんな状況にならなかったのに」
オリヴィアは、自分を責めるユリウスに近づき優しく抱きしめる。
「いいのよ。ユリウスは悪くないわ」
ユリウスはオリヴィアの背中に腕を回し、強く抱きしめる。
「本当にすまない。俺がもっとお前を――」
「もういいのよ」
涙を流すユリウスからは、オリヴィアの顔が見えない。
酷く冷めた顔をするオリヴィアは、今後のことを考えていた。
(さて、この戦争はどのような結末を迎えるかな? 私を楽しませる喜劇を見せてくれよ、ホルファートの子孫たち)
◇
王都上空。
飛行戦艦の一隻に、小型艇が近付いてきた。
軍人たちが敬礼して出迎えるのは、軍服姿のユリウスだ。
甲板に降り立ったユリウスを出迎えたのは、先に乗艦していたジルクだった。
「お待ちしていましたよ、殿下。いえ、総司令官殿」
「準備は出来ているか?」
ジルクはユリウスの真剣な眼差しを向けられて、顔を周囲に浮かぶ飛行戦艦へと向ける。
描かれた家紋は王家とは異なっており、貴族たちの飛行戦艦であると一目で理解できた。
「多くの貴族たちが裏切りましたが、建国から王家を支えてきた四家は健在です」
セバーグ家、フィールド家、アークライト家――そしてマーモリア家。
他にも王国と領地を隣接する貴族たちが、王国側として参加していた。
だが、全体で言えば三割にも届かないだろう。
ユリウスが眉間に皺を作る。
「たったのこれだけか? 裏切り者が多すぎるな」
「有象無象が消えたと考えれば問題ありません。ただ、国境の貴族たちを動かせなかったのは痛いですね」
「この隙を突いて他国が干渉してくるからな。さっさと終わらせて、王国は新しい体制に移行させるぞ」
「はい、殿下」
二人がブリッジを目指して歩き始め、艦内へと入った。
ジルクが周囲に人がいないことを確認すると、人に聞かれたくない話をし始める。
「本来であれば、陛下が総司令官として指揮を執られるべきだったのですけどね。理由をつけて拒否されてしまいました」
「父上のわがままにも困ったものだな」
国の一大事に国王が動かない。
代わりにユリウスが名実共に総司令官となった。
二人とも光栄に思ってはいるが、地位が重すぎて好き勝手に動けない悩みがある。
「もう少し身軽であれば、バルトファルトをこの手で討ち取れたのに残念だ」
悔しそうに呟くユリウスに、ジルクが肩をすくめる。
「総司令官でなくても、殿下に直接対決はさせられませんよ。残念ですが、手柄はあの三名に譲りましょう」
リオンの首を狙って、グレッグ、クリス、そしてブラッドが鎧で出撃する予定だ。
ユリウスはジルクにも聞こえない声で呟く。
「――俺とオリヴィアの邪魔をする全てを排除してやる」
前を歩くユリウスの顔は、ジルクには見えない。
醜い笑みを浮かべたその顔は、ジルクに気付かれることはなかった。
◇
王都近く。
そこに集結する貴族連合の艦隊は、王都を視認できる距離まで接近していた。
甲板に出て様子を見る俺とマリエは、王都上空から動かない敵艦隊に苛立つ。
「あいつら、王都の真上で戦争をするつもりか?」
「住んでいる人たちも巻き込むの? こっちは攻め込まないわよね?」
マリエが心配しているのは、貴族連合の艦隊が王都に攻め込み戦争を開始することだ。
それはないと、俺たちの間に浮かぶルクシオンが言う。
『レッドグレイブ公爵家は王都を手に入れるつもりです。あそこの地下にはダンジョンと呼ばれる魔石の鉱山が存在していますからね。被害は出来るだけ少なくしたいはずですよ』
今後を考えても王都の真上で戦争などしたくないらしい。
俺たちにとっては都合がいいが、問題は敵が王家の船を出してきた場合だ。
パルトナーで撃墜できればいいのだが。
ルクシオンに視線だけを向ける。
「もしもの時は、お前の本体を使う。準備しておけ」
『最初から私の本体を使えば、さっさと終わるのですけどね』
「それだと王都が火の海になるだろうが。まだ師匠が王都を出たとは聞いていないのに」
大きすぎる力というのも考え物だ。
マリエが首をかしげる。
「あの教師、まだ脱出していないの? 何で?」
「何度か手紙は出しているんだが、仕事が残っていると返事が来るだけだ。内容は教えてくれないし、本当に心配だよ」
「――心配するのが男ってどうなの?」
マリエは呆れているが、俺にとっては大事なお茶の師匠だ。
――無事でいてくれればいいのだが。
◇
男たちが出払った王宮は静かだった。
文官たちは王都の住人たちを避難させるために駆り出され、王宮に残っているのは最低限の人数だ。
そんな王宮の廊下を駆けるのは、オリヴィアだった。
「抜かった!」
悔しそうに呟くオリヴィアは、手に持った杖を後ろに向ける。
立ち止まると、杖の前に魔法陣が出現した。
「風の刃よ、私の敵を斬り裂け!」
緑色に淡く光る魔法陣から放たれる風の刃。
それらは廊下の床や柱を傷つけながら、オリヴィアを追いかけてくる二人の男へと向かっていく。
一人は剣を振るって魔法を斬り裂いて打ち破り、もう一人はレイピアと呼ばれる細く突きに特化した剣を持っていた。
しなる刀身で魔法を撃ち落とし、二人はオリヴィアの前に歩み寄ってくる。
剣を持ったのはふざけた仮面を着けた男だ。
マントを着用しており、随分と気取っていた。
「随分と口調が荒いじゃないか。そっちが本性のようだね。荒々しい女性も好みだが、君には少しも魅力を感じないな」
もう一人の男は、スーツ姿の紳士である。
自分を走って追いかけてきたにしては、服装に乱れがない。
レイピアを右手に持って、オリヴィアの姿を悲しそうな目で見ている。
「私の落ち度なのでしょうね。あなたを救えなかった。いえ、彼らに任せていれば共に成長してくれると信じてしまった」
その男はリオンがお茶の師匠と呼んで慕う者。
学園のマナー講師だ。
オリヴィアの中のアンは、マナー講師がこれほどの実力を持っているとは知らなかった。
仮面の男は、マナー講師をよく知っているらしい。
「そうやって信じすぎるから間違い続ける。俺の時に何も学ばなかった証拠だな」
「――私が信じた若者の中には、ご子息もいるのだが?」
「私は自分の息子を――いや、愚息をよく理解している。知っていれば、何としてでも止めていた。この女は、お前が思っているような聖女ではないとね。おかげでこのような事態を招いてしまったのは、流石に予想外だったよ」
言いたい放題の二人組に、オリヴィアは乱れた呼吸を整える。
(この肉体は魔法に対して高い適性を持つが、鍛え足りないな。近接戦闘は行えば、こちらが不利か?)
冷静に二人の実力を測りつつ、この状況を打開する方法を考える。
そんな時だ。
マナー講師が数歩前に出て、レイピアの構えを説いた。
仮面の男がその姿に舌打ちをする。
「何を考えている? 打ち合わせでは、この女をここで仕留めると決めたはずだが?」
二人が自分を殺しに来ていると知り、オリヴィアは厄介だと感じた。
(この娘の“力”を意志力ではね除ける二人は厄介だな)
実力者二人が自分の目の前にいる。
どうやって乗り切ろうか考えているオリヴィアに、マナー講師が語りかけてくる。
「あなたを学園に招いたのは私です。本来であれば、もっと私があなたをフォローするべきでしたね」
貴族の通う学園に、平民の女子が通えたのはマナー講師の推薦があったから。
オリヴィアの中にいるアンは、それを知って笑みを浮かべる。
「貴様には感謝してやる。おかげで、この肉体を手に入れることが出来たからな」
「――やはり、乗っ取られているのですね」
「気付いていたか? 残念だが、手遅れだよ」
手遅れと言うと、マナー講師がアンに取り込まれたオリヴィアに語りかける。
「あなたはそれでいいのですか? 幼い頃に魔法を学びたいと言った、あなたはもっと真剣でした。いつまでも乗っ取られたままでいいのですか?」
「何を――っ!」
オリヴィアが苦しむ姿を見て、仮面の男がマナー講師の横を通り過ぎる。
剣を突き刺すべく切っ先を向けると、マナー講師が叫んだ。
「ローランド!」
「あんたは甘すぎる!」
仮面の男の刃がオリヴィアに届こうとする瞬間に、魔法陣が出現した。
二人の間に出現した魔法陣が、仮面の男の刃を止める。
そして、苦しんでいたオリヴィアの表情が別人へと変わる。
「も、戻った。体が動く!」
聖女の怨霊から解放されたオリヴィアが喜んでいると、その無邪気な姿に仮面の男は剣を引いてしまった。
「呼びかけに応えた?」
仮面の男が、人が変わったオリヴィアを前にしてためらいが生まれた。
オリヴィアは誤解を解こうと両手を上げる。
「わ、私はあの人じゃなくて、その――」
「このタイミングで体を取り戻したのか? だが、それならば――」
先程までとは別人の気配に、仮面の男が殺気を抑えると――マナー講師が叫んだ。
「下がりなさい!」
駆け寄ってきたマナー講師が、仮面の騎士を突き飛ばすとオリヴィアは右手に持った杖から氷の刃が出現していた。
突き飛ばされた仮面の男は、自分の身代わりになったマナー講師を見る。
そして、何が起きたか理解できないオリヴィアを睨み付けた。
「貴様ぁぁぁ!!」
仮面の男の怒鳴り声に、オリヴィアは自分の右手を見た。
「な、何で!? わ、私は――」
体を取り戻したと思っていたオリヴィアの手には、しっかりと杖が握られていた。
杖から出現した氷の刃に貫かれたマナー講師が、オリヴィアの中の聖女を睨んだ。
「何と卑劣な手を」
レイピアを突きだそうとするマナー講師に、オリヴィアの右手は容赦なく反応して氷の刃を大きくする。
腹を貫かれたマナー講師の手から、レイピアが落ちた。
「――無念」
息絶えるマナー講師。
オリヴィアは理解できないという顔をして、頭を振る。
「違う。私じゃない。私はやってない!」
涙が出てくる。
そんな姿を見た仮面の騎士は、オリヴィアの中にいるアンに向かって軽口を叩く。
「貴様さえ倒せれば、被害は最小限に出来たのだけどね。おかげで、ヴィンスには余計な面倒まで押しつけることになったよ」
混乱するオリヴィアの表情が、徐々に無表情へと変わっていく。
「王宮内の裏切り者はお前たちか? まさか、これほどの実力者だとは思わなかったよ。だが、一対一なら確実に私が勝つ」
杖を向けると、仮面の男は剣を構える。
「残念だったな――ローランド・ラファ・ホルファート。もう少し早くに、私の存在に気付くべきだった」
オリヴィアの冷たい言葉に、仮面の男は不敵に笑う。
「何事も遅すぎるということはない。ここで私がお前を倒せば、この最悪の展開も少しは楽しめる悲劇になるだろうさ。ホルファート最後の王が、最悪の聖女を打ち倒した――とね。勝負は最後まで分からないものさ!」
仮面の男がオリヴィアに斬りかかってくる。
「――いつまでも偽物が、この国の王を名乗るな」
オリヴィアの感情を込めない言葉と共に、仮面の男に魔法が放たれ――血が飛び散った。