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「乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です 8」著者書き下ろしのショート・ストーリーをプレゼントします。
空の上では発砲音が絶え間なく鳴り響いていた。
銃や大砲が火を噴く度に煙が発生し、それが周囲に広がり景色を煙たくしていく。
通信機からはノイズ混じりの叫ぶような声や、怒鳴りあっている声が聞こえている。
目の前の出来事に周囲が混乱しているのが、嫌でも理解できる状況だった。
「ただの調査目的が、何でこんなことになるんだよ!!」
アロガンツのコックピットで悪態を吐く俺【リオン・フォウ・バルトファルト】は、操縦桿のトリガーから指を離せずにいた。
アロガンツが持っていたガトリングガンの銃身が回転し、弾丸をばらまいていく。
弾丸が撃ち抜くのは、何千を超えるモンスターの群れだった。
とにかく撃てば当たる。
弾丸が貫いたモンスターは、弾け飛ぶと黒い煙になって消えていった。
その煙が広がり、周囲の視界を悪くしていく。
後方を確認すれば、パルトナーを含めた四隻の飛行船が大砲を絶え間なく撃ち続けている。
群がるモンスターは出撃した鎧が相手をしていた。
アロガンツに搭載された人工知能が警告してくる。
『マスター、敵の増援を確認』
モニターの隅で拡大された映像には、パルトナー率いる王国籍の飛行船三隻が守っている一隻の飛行船があった。
アルゼル共和国の旗を掲げた飛行船は、身動きが取れずにただ浮いていた。
船体の損傷も酷く、このままモンスターから逃げるのは不可能に思える状態だ。
乗員をパルトナーに収容しているが、時間がかかっていた。
「厄介な拾い物をしたみたいだな」
どうしてこんなことになってしまったのか――全ては数日前にさかのぼる。
◇
春休みも始まったばかりの頃。
その日、俺は婚約者の【マリエ・フォウ・ラーファン】と一緒に王都に来ていた。
「何で家に戻ったばかりなのに、また王都に来ないといけないのよ」
口では不満をもらすマリエだったが、その表情は不安と緊張が見られる。
王都近くの上空にある飛行船の港に降り立った俺たちは、すぐに歩き出して小型艇に乗り込む列に並んだ。
「仕方ないだろ。詳しい情報が欲しいなら、どうしても王都の方が都合はいいからな。それに、うちが討伐対象になるなんて放っておけるかよ」
俺たちが王都に戻ってきた理由は二つだ。
一つは――隣国のアルゼル共和国が滅んだという情報の確認である。
実家で匿っているクラリス先輩の下に届いた手紙の中に、あの乙女ゲー二作目の舞台となったアルゼル共和国が滅んでしまったらしいとの記述があったそうだ。
ただ、滅んだという話は聞いているが、それ以上の詳しい内容は手紙に書かれていなかったらしい。
手紙を出した相手も、その時点では詳しい情報を得られていなかったのだろう。
わざわざ王都に来たのは、新しい情報が届いていると可能性が高いと踏んだからだ。
残念なことに、田舎にいても情報は遅れて届いてしまう。
「ルクシオンがいれば楽だったんだけどな」
この場にいないルクシオンのことを呟くと、マリエが俺の手首を掴む。
その表情は先程よりも不安そうにしていた。
「本当にあいつ大丈夫なの？ 好き勝手に動いているし、何だか怪しいわよ。ほら、映画とかで人工知能が裏切るって展開は多いじゃない？」
ルクシオンが勝手に動き回るのを、マリエは不安に思っているようだ。
確かに最近のルクシオンは勝手が過ぎる。
俺の命令だろうと無視するし、隠れてこそこそ動いているのが気にかかる。
一体何をしているのだろうか？
「マスターである俺には逆らえないよ」
「どこにそんな保証があるのよ！」
「安心しろよ。裏切るつもりなら、もうとっくに裏切っているからさ」
ルクシオンが本気で裏切っているのなら、俺たちは生きていない。
そう言われて、マリエは渋々と納得する。
「そ、それもそうよね。でも、勝手に動きすぎよ。もっときつく命令すればいいのに」
「戻ってきたらな。――それよりも、先に目の前の面倒事を片付けるぞ」
俺たちが王都に戻ってきた二つ目の理由だが、それはバルトファルト家が王宮から敵視されているというものだった。
マリエが周囲の様子を怯えたようにうかがう。
「勢いで王都に来たけどさ。本当に大丈夫なのよね？ いきなり捕まったりしないわよね？」
怖がるマリエを見ていると、何故か前世の妹を思い出してからかいたくなった。
ヘラヘラと笑って、マリエに軽い冗談を言う。
「どうかな？ 決闘後にユリウス殿下をボコボコにしたから、恨まれている可能性は高いんじゃないか？ 最悪は処刑かな？」
「何で笑っていられるのよ！」
マリエがポカポカと叩いてくるが、それがちょっと痛い。
「痛いから止めろよ！ お前の拳は重いんだよ。骨に響くんだよ」
見た目華奢なマリエだが、拳は重かった。
ルクシオンが以前言っていたが、マリエの骨や筋肉は密度が高く見た目よりも重いそうだ。
外見に騙されてはいけない。
心も体も強い女――それがマリエだ。
立ち止まって振り返った俺は、巨大な飛行船パルトナーに視線を向ける。
「いざとなれば、アロガンツ達が何とかしてくれるって」
アロガンツの存在を出すと、マリエも不安が和らいだようだ。
「親のルクシオンは身勝手なのに、アロガンツは良い子よね」
アロガンツに積み込まれた人工知能は、ルクシオンの劣化品だ。
能力的には劣るが、それでも学習意欲が高く命令も素直に聞くためマリエの評価は「いい子」になっている。
色々と頼りないところもあるが、アロガンツの強さはこの世界では圧倒的と言っていい。
少し前に黒騎士の爺さんには苦戦を強いられたが、あんな敵がまだ沢山いるとは思えないし、思いたくない。
実際にホルファート王国には、アロガンツやパルトナーに対抗しうる戦力がない。
例外は王家の船だろうか？ それも、おいそれと出せない王国の切り札だ。
俺たちを捕らえるために出すとは思えない。
危険な王都に俺たちが乗り込めたのも、無事に帰れる保証があるからだ。
「ただの悪い噂だといいんだけどな」
バルトファルト家がホルファート王国の敵認定を受けた――その噂を調べるために、俺たちは王都に乗り込んだ。
◇
王都にある屋敷を訪ねた。
その屋敷の持ち主だが、少し前まで大臣を務めていたアトリー家の当主【バーナード・フィア・アトリー】だ。
クラリス先輩が起こした事件で失脚し、その後は屋敷で静かに暮らしているそうだ。
小柄で温厚そうな男性は、俺たちの来訪を嫌な顔せず受け入れてくれた。
バーナード元大臣に案内され、俺たちは応接室で話をする。
「屋敷の使用人達が大勢辞めてしまいましてね。今では生活するのも大変ですが、暇になったおかげでそれなりに楽しく暮らしていますよ」
笑いながらそんなことを言うバーナード大臣だが、他人が聞けば負け惜しみに聞こえるだろう。
実際に大臣職を離れたアトリー家は、落ちぶれているからな。
俺とマリエは屋敷に残った執事が用意したお茶を飲みながら、バーナード元大臣に詳しい話を聞く。
「色々と大変そうですね」
「王宮の中も外も慌ただしいですからね。今にして思えば、解任されて幸いでした。――聞きたいのは王宮の動きですかな？」
俺とマリエが頷けば、バーナード元大臣は何を聞かれるのか察していたようだ。
執事を退出させてから、詳しい話を始める。
「王太子殿下とその周囲が、バルトファルト家が謀反を企てているという噂を広めています。血の気の多い若者数人が、先走って討伐軍を結成すると口走ったのが噂の原因ですよ」
それを聞いてマリエが安堵して肩の力を抜いた。
「良かった。それなら、私たちは討伐されないんですね？」
「王太子殿下が俺たちを恨んでいる事実は変わらないけどな」
俺は小さく溜息を吐くと、隣に座るマリエに視線を向けて気の抜けない状態に変わりないことを伝える。
「うっ！ そ、それはそうだけどさ」
今は悪い冗談みたいに聞こえるが、王太子であるユリウス殿下が悪い噂を流しているとなれば最悪だ。
「王国軍が動くのは、時間の問題かもな」
「結局駄目じゃない！」
将来の最高権力者に俺や実家が嫌われたようなものだからな。
――やっぱり、エキシビションマッチはやり過ぎたな。
だが、そんな俺の最悪の予想を否定するのは、バーナード元大臣だ。
「その件についてですが、聖女様が噂を否定していますよ」
「聖女様が？」
俺が思い浮かべた聖女様は、面会時に助けを求める印象深い姿だった。
今思い出しても、胸が締め付けられる。
何故か大事なことを忘れているような、取りこぼしたような焦りが常に心のどこかにある。
「はい。王太子殿下とその周囲をお諫めしたそうです。王太子殿下も聖女様には逆らえず、噂の火消しを行っているそうです」
マリエが不安そうに俺の横顔を見てくるが、ここで聖女様の話は出来ない。
実家がとりあえず安全だと知り、話題を変える。
「それなら安心ですね。もう一つ、アルゼル共和国について何か新しい情報はありませんか？ 滅んだと聞いていますが？」
バーナード元大臣はかぶりを振る。
「残念ながら、王宮が掴んでいる情報は多くありません。そもそも、共和国から逃げ延びてきた王国の商人からの情報ですからね。すぐに調査団を派遣するそうですが、数が揃えられていないそうですし、公国の動きも気になります」
「そうですか。それにしても、随分と詳しいですね」
もう大臣ではないはずなのに、どうして詳細を得ているのか？
バーナード元大臣は、俺たちに笑みを向けてくる。
「長年王宮に勤めていれば、伝手の一つや二つは出来てしまう物なのですよ。娘の命の恩人の手助けになれましたかな？」
娘の責任を取らされて大臣職から退き、今は王宮の沙汰を待っているバーナード元大臣だが、その態度からは余裕が見える。
それとも、色々と諦めてしまっているのだろうか？
「本当に助かりましたよ」
「それは良かった。それで、これからどうするおつもりですかな？」
「家族も心配していますからね。すぐに実家に戻ってこの話を知らせますよ」
早く安心させてやりたいから戻ると言えば、バーナード元大臣は先程までとは違って神妙そうな顔をする。
「その話は少し待っていただけますかな？ ご実家には私の方から手紙を出しておきましょう。どうしてもあの方と面会していただきたいのです」
「あの方？」
◇
バーナード元大臣に言われるままに馬車に乗り、向かった先は随分と大きな屋敷だった。
あの方というのは、学園の先生で俺のお茶の師匠である、あの人であった。
マリエは師匠と親しくないため、面会を断ってこの場には来ていない。
どうやら、マナー講師という肩書きがある師匠に苦手意識があるらしい。
屋敷は、年期を感じさせる佇まいだが、手入れは行き届いていた。
風情のある屋敷だと眺めていると、バーナード元大臣が馬車から降りて庭師に声をかける。
その庭師の男性は背筋がしっかり伸びた初老の男性だ。
「相変わらずですね」
庭師の人と親しそうに。いや――まるで目上の人を相手にするような態度をバーナード元大臣が取っている。
俺は慌てて馬車から降りると、庭師に駆けよって声をかける。
「師匠！」
「ミスタリオン、王都に戻っていたのですね」
「ど、どうして師匠が庭仕事をしているんですか!?」
「古い屋敷の管理を任されていましてね。たまには自分で庭仕事もいいものです。自ら手入れをした庭で茶を楽しめますからね」
明るく笑っている師匠は、気取った様子がないのに気品にあふれているように見えた。
「俺も手伝います！」
師匠にばかり庭仕事をさせるわけにもいかず、俺も手を貸そうとするとやんわりと断られてしまう。
「手伝わせるのは申し訳ない。それに、ミスタリオンには別件で動いて欲しいのです」
「別件ですか？」
師匠がバーナード元大臣の方を見て、互いに頷くと俺を呼び出した理由を話す。
「アルゼル共和国の件をご存知でしょう？ 王宮は滅んだ事実すら確認できていない状況なのですよ」
公国との戦争で忙しい王国は、調査団の派遣も出来ていない。
師匠の口ぶりからするに、個人的に俺に調査を依頼したいようだ。
「王国の戦力はまだ残っていますよね？」
「公国本土への侵攻を希望する者は多いのですけどね。調査団ともなれば、勝ち戦に参加できないと軍も嫌がっています」
「軍が？」
軍人達が手柄欲しさに調査団の派遣を渋っているのかと思えば、バーナード元大臣がその辺りの事情を教えてくれる。
「公国への侵攻を前に、戦力を各地から集めている。国境の供えが薄くなっているから、軍は余計な戦力を回したくないのだろうね」
ホルファート王国は周囲に敵が多いため、戦争ともなれば隙をついて動き出す国が出てくる。
国境に配置された王国軍や、領主貴族たちは少しでも戦力を集めたがっていた。
そんな中、調査団を派遣する余裕はないそうだ。
「ミスタリオンが王国の命で調査団を率いれば、いらぬ誤解をする者たちも黙るでしょう。ミスタリオンのご実家にとっても悪くはない話です」
師匠が俺に調査団を率いて欲しいと提案してきた。
「王国とうまくやっていると示すためですか？」
悪い噂が出回っている俺が、王宮からの命令で調査団を率いれば、周囲も「ただの噂か」と考えてくれるという話だ。
俺としてはすぐに実家に戻りたいが、ここで点数稼ぎをするのも悪くない。
「俺は構いませんよ。実家には手紙を出しておきますから」
師匠は俺の手を両手で握って感謝を示す。
「ありがとう。ミスタリオンが向かってくれるなら、私としても安心できます」
師匠の役に立てて、俺も嬉しい。
だが、師匠は沈痛な面持ちで俺に現状を説明する。
「正直に言えば、現状は良くはありません」
「え？」
「もしも決断を迫られたならば、ミスタリオンはどうしますか？ いえ、どうしたいのかが重要でしょうね」
決断という話になり、俺は浮ついた気分が霧散するのを感じる。
真剣な師匠を見れば、いくら俺でも冗談が言える雰囲気ではないと気付く。
「そんなに危険な状況ですか？」
「火のついた火薬庫と言えば伝わりますかね？ いつ火薬に引火するとも分からない状況です」
一瞬だけマリエがこの場にいれば癒やしになったか？ などと考えたが、むしろこの場にいなくて良かったと思う自分もいる。
さて、俺はどうするべきだろうか？
少し考えて、すぐに結論が出てしまう。
悲しいことに、今の俺は選択肢などなかった。
バーナード元大臣に視線を向けると、笑っているようで目だけは真剣そのものだ。
師匠が俺の決断を尊重すると言う。
「――そうですね。と言っても、俺には選択肢なんかほとんどありませんけどね」
◇
――そんなわけで、俺は調査団を率いてアルゼル共和国を目指すことになった。
用意されたのはパルトナーの他に、王国籍の飛行船が二隻だけ。
これでも無理をしてかき集めてくれたらしい。
調査目的であるため、最初は戦力などあまり気にもしていなかった。
危なくなれば逃げるだけ――そう思っていたところに、アルゼル共和国から逃げてきた飛行船を見つけて救助したのが、ことのはじまりだった。
モンスターたちが飛行船に群がっていたので、救助するためにアロガンツに乗り込んで出撃する。
「何で次から次に出てくるんだよ！」
バックパックのコンテナが解放され、そこからミサイルが何十と発射されて周囲のモンスターを何体も巻き込んで爆発する。
爆発に飲み込まれたモンスターが消えていくが、抜けた穴を埋めるように次のモンスターが押し寄せてきた。
救助が終わるまでは、この場に留まりモンスターたちを相手にするしかない。
そんな状況だったのだが、アロガンツから嬉しい知らせが届く。
『収容完了。パルトナーは離脱を開始』
「よし！ このまま逃げるぞ」
『ミサイル発射』
パルトナーからミサイルが何発も発射されると、それがモンスターの群れに向かって飛来し大爆発を起こした。
アロガンツのミサイルよりも爆発の規模が大きく、多くのモンスターが焼かれて黒い煙になっていく。
「敵の増援が来る前に逃げるぞ。いつまでも相手なんてしていられるかよ」
捨て台詞を吐いて逃げ出す俺たち。
結局、アルゼル共和国の詳しい情報は得られなかった。
◇
「もう戦いたくない！」
パルトナーの甲板に降り立ったアロガンツから降りた俺は、自分が汗だくになっていることに気が付いた。
甲板に自分の汗がポタポタと落ちる。
アロガンツの周囲には作業用のロボットたちが集まり、整備を始めている。
各部の装甲が開くと、内部にこもった熱が蒸気となり噴き出した。
アロガンツでなければ、途中でモンスターの群れに飲み込まれて破壊されていただろう。
それを思うと一瞬怖くなる。
フラフラと歩いて手すりに掴まり、後方を見れば遠くでモンスターたちの群れがこちらに向かってくる姿が見えた。
ただ、逃げに徹した俺たちに追いつくのは無理なようだ。
深い溜息を吐いて安堵する俺は、そのまま崩れ落ちるようにその場に座り込む。
「ようやく終わったな」
疲れてヘトヘトの俺の所には、船内から出て来たマリエがやって来る。
「リオン！ 大変よ！」
「敵か？」
手すりに掴まりながら立ち上がると、マリエは首を大きく横に何度も振った。
「違うの。いいからとにかく来て！」
マリエに腕を掴まれて船内へと連れて行かれる。
◇
医務室にやって来ると、金髪の女性がベッドに横になっていた。
うつろな目をして、何か呟いている。
すぐにマリエに視線を向け、彼女の状態を尋ねる。
「治療は？」
マリエは俯き、かぶりを振った。
「無理。もう手遅れよ」
「まだ生きているだろうが！ 呼吸もしているし、何か呟いているじゃないか！」
「普通ならもうとっくに死んでいるわよ！」
女性は何か呟いていた。
とても死んでいるようには見えないが、マリエは女性の右手を握る。
右手の甲にある紋章が淡く輝いていた。
だが、紋章は薄く消えかかっている。
「これが原因よ。多分だけど、聖樹の紋章だと思う。これが彼女の命をギリギリつなぎ止めていると思うわ」
「聖樹の紋章？ 二作目のやつか？」
二作目と声が出てしまったのは、マリエに聞かされた紋章の話を思い出したからだ。
あの乙女ゲー二作目の舞台は、アルゼル共和国だった。
そして聖樹の紋章は、ストーリーに関わってくる重要な要素だと聞かされている。
マリエは俺と女性を引き合わせると、後を任せるように退いた。
「とにかく話を聞いてあげて。この人なら詳しい事情を知っているはずよ。私は――他の人を治療してこないといけないから」
それはつまり、マリエではこの人を救えないという意味だ。
まだ怪我人も多く、マリエはそちらを優先するらしい。
部屋から出て行く際に、マリエが申し訳なさそうな顔をしていたのが見えた。
俺は女性に近付き手を握ると、顔を近づけ声をかける。
「話は出来ますか？ 共和国で何が起きたんですか？」
普段より大きな、それでいて女性を刺激しないように気をつけた声量だ。
女性は目を開けると、光の消えた瞳で俺を見た。
「わ、私は――ルイーゼ・サラ・ラウルトです。六大貴族の議長代理を務めているラウルト家の娘で――す」
時々苦しそうにしながらも、女性――ルイーゼさんは何か俺に伝えようとしてくる。
ラウルト家と言えば、マリエ曰く「ラスボス」の大貴族だったと思う。
その関係者がルイーゼさんなのだろうか？
「す、少し前に――空に随分と大きな飛行船が現れたんです。今までに見たこともない不思議な飛行船でした。その後すぐに、聖樹がおかしくなって」
「不思議な飛行船？」
一瞬だが、ルクシオンの船体が思い出された。
この世界の人間から見れば、金属の塊のように見えるだろう。
「とても大きくて――それで、共和国の軍隊は手も足も出ませんでした。圧倒的な敵に対して、為す術がなくて」
アルゼル共和国は防衛戦に限っては無敗を誇る大国だ。
そんな国が簡単に滅んだとか、冗談であって欲しい。
「あんたらの国は防衛戦無敗だったよな？」
「あの飛行船の前では無力でした。飛行船が光を放ち、それに貫かれて味方は次々に沈められたんです。お父様達は、聖樹の力で何とかしようとして――ごほっ」
苦しそうに咳き込むルイーゼさんは、血を吐いていた。
見れば、右手の紋章の輝きが弱々しくなっている。
「あまり時間がありませんね」
ルイーゼさんは自分の右手を見ながら、悲しそうに呟く。
俺は続きを急かす。安静にして欲しくもあったが、今は少しでも情報が欲しい。
「――聖樹の力でどうなったんだ？」
ルイーゼさんは俺の気持ちを察したのか、苦しそうにしながらも話を再開する。
祖国の現状を伝えようと、ルイーゼさんも必死だ。
「融合できずに失敗しました。私の両親は――その時に亡くなりました。私は、このことを知らせるようにと言われて――あいつさえいなければ」
ルイーゼさんの表情が険しくなると、悔しいのか涙を流す。
「レスピナス家の生き残りが邪魔さえしなければ――本当に嫌な奴」
「レスピナス家が邪魔をした？」
「あいつが邪魔さえしなければ、こんなことにはならなかった」
滅んだ大貴族レスピナス家の生き残り――二作目では、生き残ったのが主人公である女の子だったはずだ。
どうして主人公が邪魔をする？ それに、ラウルト家は敵対している家ではないのか？
むしろ、国を滅ぼそうとする側ではなかったのか？
次々に思い浮かぶ疑問に答えは出ずに混乱していると、ルイーゼさんが悔し涙を拭って話を続ける。
「暴走した聖樹は巫女が鎮めました。でも、禍々しい姿になって取り込まれて、今も故郷で苦しんでいるんです。お願いです。どこの誰か存じませんが、ノエルを――救ってください」
巫女ってことは、あの乙女ゲー二作目の主人公のことだろうか。
たしかマリエがレスピナス家の女性が巫女になれるとか言っていたっけ。
そうなると、先ほどの話と食い違いが出てくるな。
「巫女はレスピナス家の人間だろ？ 裏切ったんじゃないのか？」
説明が支離滅裂だ。
ルイーゼさんもまともに説明できる状態ではなく、情報の正確さが疑わしくなってきた。
ルイーゼさんはこちらの声など既に聞こえていないのか、後悔しているように呟く。
「ノエル――あんたとは、もっとちゃんと話しておけば良かった」
意識が朦朧としているであろうルイーゼさんは、俺の質問にも答えなくなってしまった。
だが、最後に呟いた。
「リオン、ごめんね。お姉ちゃん、何も守れなかったわ」
「え？」
どうして俺の名前が出てくるのだろうか？
いや、同名の誰かだろう。
だが、妙に気になってしまう。
すると、ルイーゼさんが俺を見て手を伸ばしてくる。
震えながら伸ばす手を俺が握ると、ルイーゼさんが微笑んだ。
「迎えに来てくれたのね、リオン」
「いや、あの」
「ごめんね。本当にごめんね。お姉ちゃんは、本当に駄目なお姉ちゃんでごめんね。守りたかったのに――私は何も守れなかったよ。みんな頑張って聖樹を止めようとしたけど、間に合わなかった。ごめんね、リオン」
泣きながら意識を失うルイーゼさんの手は、俺の手を力強く握りしめていた。
◇
怪我人の治療をするマリエは、その中に酷く怯えた同じ年頃の女の子を見つけた。
鮮やかなピンク色の髪を持つその女の子は、頭を抱えて涙を流している。
マリエは近付いて声をかけた。
「もう大丈夫よ。あんたの怪我もすぐに治るわ」
「――私なんて死ねば良かったんだ」
「せっかく助かったのに、何を言っているのよ！」
女の子の言葉にマリエが怒りをあらわにするが、本人は独り言を呟き続けている。
「私はあそこで死ぬべきだったんだ。いえ、違うわ。生まれてこなければ良かった。みんな死んだ。私のせいでみんな――エミールもセルジュも、私を庇って死んだ。私が余計なことをしたから、大勢死んだ。姉貴に全部押しつけて、私――私が全部悪いんだ」
震える女の子は、大声を出して自分の責任だと泣き叫ぶ。
すると、話を聞いていた怪我人の一人が起き上がってきた。
「お前はレスピナス家の生き残りか？」
男性は大怪我をしており、剣を杖の代わりにして立ち上がっていた。
憎悪をむき出しにした表情を向ける先には、マリエが治療しているピンク髪の女の子がいる。
「ちょっと待って、ここは医務室よ！ 武器を下ろしなさい！」
マリエが二人の間に立って仲裁する。
（レスピナス家？ もしかして、この子が二作目の主人公なの？ エミールやセルジュって、そう言えば二作目の攻略対象じゃない。もしかして、失敗してバッドエンドを迎えたの？）
マリエもアルゼル共和国が、バッドエンドを迎えるとは思わなかった。
医務室にいた怪我をした騎士や軍人達が、次々に無理をして立ち上がろうとする。
メイド服を着た女性までもが、怪我をした体で立ち上がって近くにあった武器を手に取っていた。
場が剣呑とし始める。他の怪我人たちは何事かと狼狽するばかりだ。
立ち上がった者たちは、どうやらラウルト家の関係者らしい。
「アルベルク様の仇だ」
最初に立ち上がった男は、四十代の男だった。
体格も良く、騎士として上の立場にいただろうことが窺える。
その立派な髭を生やした強そうな男が、女の子に剣を向ける。
「止めなさいって言ったでしょ！」
マリエが両手を広げて女の子を守るが、騎士たちは引き下がらない。
「退け！ その女が祖国を滅ぼしたのだ！ アルベルク様や奥方の仇でもある！ それに姫様まで」
「こ、ここは私たちの船よ！ 従わないなら追い出すわよ！」
「そいつを殺したら、この船からすぐに飛び降りてやる。だから、そこを退け！」
武器を持つ騎士や軍人達を、他の怪我人たちが止めようとするが無理だった。
「何の騒ぎだよ？」
マリエはそこにやって来たリオンの姿を見て安堵する。と、女の子を抱きかかえて入り口まで移動した。
リオンの背中に隠れつつ、状況を説明する。
「ラウルト家の人たちが怒っているのよ。この子を殺すって聞かないの。この子、レスピナス家の生き残りみたいなの。それで、ラウルト家の人たちが怒っていて」
リオンは立ち上がった怪我人たちがラウルト家の関係者だと知ると、すぐに別室へ移動させる。
「あんたらの姫様について話がある」
すると、この場で最も位の高い騎士が、武器を下ろしてリオンに歩み寄る。
足を引きずる痛々しい姿だが、その騎士はリオンに近づくと目を見開いた。
「――リオン様？」
マリエは騎士の反応に困惑するが、リオンの方は頭をかいてなんとも言えない顔をしていた。
◇
ほとんど意識のないルイーゼさんのベッドを、ラウルト家の関係者たちが囲んで涙を流していた。
「姫様、目を開けてください！」
「どうして姫様が」
「姫様までお亡くなりになれば、もうラウルト家は」
ルイーゼさんの右手が淡く緑色に光っている。
聖樹の紋章が持ち主をこの世に繋ぎ止めているようだが、その光も次第に弱まっている。
このままでは死ぬのも時間の問題だろう。
ラウルト家の騎士――オリバーと名乗った四十代くらいの男性は、床に崩れ落ちて滂沱の涙を流していた。
「主君を守れず、姫様まで」
怪我をしたメイドさんたちが、ルイーゼさんの手を握って声をかけ続けている。
その様子を見て一瞬躊躇するが、背に腹は代えられず俺はオリバーさんに尋ねる。
「詳細が知りたい。アルゼル共和国で何があったか教えてくれませんか？」
「――いいでしょう。全てお話しします」
オリバーさんが肩を落としたまま話すのは、ルイーゼさんが教えてくれた内容とほとんど同じだった。
突然現れた大型の飛行船により、共和国は壊滅。
その後に聖樹が暴走したそうだ。
モンスターに落とされた飛行船は、ラウルト家が用意した避難船らしい。
どうりで、ラウルト家の関係者が多いはずだ。
港で避難民を回収して出港したらしいが、その後にモンスターに追われて逃げ回っていたそうだ。
そこに現れたのが俺たち、ということになる。
話を聞いた俺は、ルイーゼさんの話を聞く。
「一つ聞きたいんですけどね。ルイーゼさんが俺を見てリオンって呼んだんですよ。俺自身の名前もリオンでね。何か心当たりはありますか？」
集まった関係者たちが、俺の名前を聞いて驚いた顔をする。
オリバーさんが顔を上げて俺を見上げると、ラウルト家のリオンについて語る。
「お亡くなりになられた若君の名です。今から十年以上も前の話になります。当時は五歳でした。あなたと雰囲気が似ておられる」
「ラウルト家の若君が俺と似ている？」
「生きておられれば、きっとあなたのような立派な若者になっていたはずです。私も最初に見たときは驚きました」
オリバーさんがまだ若い頃、ラウルト家のリオンは亡くなったそうだ。
五歳の子供と、今の俺を見て似ているというのも不思議な話だ。
「それで俺を弟と間違えたのか」
「姫様は何と？」
「――守れなくてごめん、と。聖樹を止めようとしたらしいが、失敗したと聞いたよ」
オリバーさんや、この場にいるラウルト家の関係者たちがルイーゼさんの言葉を聞いて涙を流していた。
「やはりアルベルク様でも無理でしたか。――レスピナス家の娘が邪魔さえしなければ」
「そのレスピナス家の娘がさっきの子か？」
かなり恨んでいるようだが、パルトナーの中で殺傷沙汰は勘弁して欲しい。
「あ～、それよりノエルって誰？」
気を紛らわせようと、ルイーゼさんが出した名前を尋ねるとオリバーさんが複雑な表情をして俺から視線をそらした。
「あの娘は双子で、姉の方がノエルという名前です。聖樹の暴走を止める際に協力してくれたのですが、失敗に終わりました」
「双子？」
「アルベルク様たちが命を賭けて聖樹の暴走を止めようとした際に、彼奴らは邪魔をして共和国を滅ぼしたのです！」
レスピナス家の双子の一人が協力し、もう一人が邪魔をしたってことか。複雑なことになっているな。
ため息を吐き部屋を見渡すと、ラウルト家の関係者が、主君とその家族が無駄死に終わったことを悲しんでいた。
随分と慕われていたようだ。これは下手に恨むなと言っても無駄だろう。
俺は部屋を出る。
外で待っていたのは、治療を一通り終えたマリエだった。
エプロンや手袋を着けているが、どれも血まみれだ。
「どうだったの？」
「話は聞けたけど、アルゼル共和国がどうなっているのかまでは分からなかったよ。聖樹が今も暴走しているのは知れたけどな」
「そうなんだ。――これからどうするの？」
「戻ってこの情報を伝えれば、仕事は終わりだ」
無理してアルゼル共和国まで行く必要もない。
というよりも、手持ちの戦力では心許ない。
アロガンツやパルトナーは確かに強いが、モンスターの万を超える軍勢を相手にするにはちょっと厳しい。
やれなくはないが、そこまでする必要もない。
部屋の中を見ると、意識を失ったルイーゼさんが見えた。
「このまま戻って終わりにしたいんだけどな」
廊下でマリエと今後について話していると、船内作業用のロボットがふわふわと浮きながらやって来る。
俺たちを見つけると、身振り手振りを加えて必死に何かを訴えていた。
「何だ？」
作業用のロボットが指し示す方向は、格納庫へと向かう通路だった。
◇
アロガンツが整備されている格納庫。
マリエと二人でやって来ると、整備中のアロガンツの装甲が剥がされていた。
内部構造がむき出しで、基本フレームが露出している。
わざわざ俺たちを呼んだのは、アロガンツだったようだ。
『ルクシオン見つけた。近くにいる』
「あいつがいるのか!? どこだ、すぐに呼び出せ！」
ルクシオンがいれば詳しい情報も手に入る。
すぐに呼び出そうとするが、アロガンツが無理だと言って俺たちに選択を迫る。
『魔素の多い地域にいる。連絡取れない。でも、多分そこにいる』
「それならすぐに向かうぞ。ルクシオンがいれば、ルイーゼさんも治療できるはずだ」
『でも難しい。ルクシオンがいるのは、アルゼル共和国上空』
「は？」
『モンスターの大群が生息する場所。ルクシオンに会うには、モンスターの大群に突撃する必要あり。マスターどうする？』
どうする？ とは、無理してルクシオンに会うか、それともこのままホルファート王国に帰還するのか、だ。
戻れば被害も少ないだろうが、ルイーゼさんは死ぬ。
無理をすればルイーゼさんが助かる可能性があり、詳しい状況も判明する。
ただ、それらよりも気になるのはルクシオンだ。
マリエがルクシオンへの疑念を強めるのは、仕方がなかった。
「待ってよ。空に不思議な飛行船が現れたって話は、もしかしてルクシオンじゃない？ あいつ、アルゼル共和国を滅ぼしたの!?」
どうしてルクシオンがアルゼル共和国にいるのか？
俺たちがそれを知るには、どうしてもルクシオンに会う必要があった。
「アロガンツ、やれるか？」
俺の言葉にアロガンツが答える。
『――重武装突撃仕様への換装を提案』
「許可する」
俺が許可を出すと、格納庫にいた作業用ロボットたちが集まってくる。
アロガンツの新たな装甲や武装をコンテナから取り出すと、換装作業へと入った。
物々しい雰囲気にマリエが俺の服を掴む。
「ちょっと！ 何をするつもりなのよ!? 無茶しない方がいいわよ。ルクシオンは後から呼び出せばいいじゃない！」
「今すぐにあいつを問い詰める」
アロガンツに大型のバックパックが取り付けられた。
それは大型のブースターで、武器をこれでもかと積載している。
アロガンツに、人工知能である球体が各所に取り付けられた。
機体制御以外を他の人工知能に任せるつもりらしい。
分厚い装甲板が用意され、普段使用しない大型の武装がアロガンツの両手に持たされた。
全身武器という言葉がふさわしい姿になる。
重武装突撃仕様とは、読んで字のごとく敵地に突撃して重火器をぶっ放すという力任せの究極系を実現する姿だ。
レベルを上げて物理で殴れ、ということである。
この世界にレベル上げの概念があるのか不明だけどな。
◇
その頃。
ホルファート王国では、聖女オリヴィアが王宮の執務室にいた。
オリヴィアのために用意された部屋は、調度品など全てにおいて豪華である。
黙っていてもユリウスたちが次々に豪華な品を持ってくるため、随分と煌びやかな部屋になっていた。
しかし、どんな高価な贈り物を受け取っても、オリヴィアは心動かされることはない。
募るのはユリウスたちへの憎しみと、王国を離れたリオンへの執着だ。
「誰がリオンを調査団として派遣したのかしらね」
読み終えた報告書を投げ捨てると、部屋で待機しているカイルがすぐに拾って片付ける。
最近のオリヴィアはずっと苛立っていた。
持てる全ての権力を使用して、リオンを王宮へ招く予定だった。
自分の騎士として側に置くつもりで、肩書きなど親衛隊でも近衛隊でも何でもいい。
とにかく自分の側に置きたかった。
それなのに、本人が調査団としてアルゼル共和国に向かっているというではないか。
これではいくらオリヴィアでも、リオンをすぐに呼び出すことは出来ない。
機嫌の悪いオリヴィアに、恐る恐るカイルが尋ねる。
「ほ、本当にあの人を聖女の騎士に任命するんですか？ 王太子殿下は認めないと思いますけど」
実際にユリウスは、オリヴィアがリオンを自分だけの騎士にすると言い出した際には必死に抵抗した。
だが、今のオリヴィアには、その程度は障害にもならない。
「認めるのはユリウスではなく、この私なの。私の決定が全てよ」
「で、でも」
「カイル、あなたは誰の使用人なのかしら？」
「――オリヴィア様です」
カイルは怯えて震えると、すぐに口を閉じて仕事に戻る。
オリヴィアは窓の外へと視線を向けた。
「そろそろかしらね」
何が、とは言わないし、カイルも問わない。
だが、オリヴィアの中の計画は次の段階へと進んでいく。
◇
「こんなことはあってはならない!!」
王宮の自室で物に当たり散らしていたユリウスは、一枚の紙を見て頭を乱暴にかき乱す。
それはリオンを聖女の騎士に任命する勅命だった。
オリヴィアが進言し、国王であるローランドが認めた正式な命令である。
リオンを葬り去りたかったユリウスからすれば、許せない展開だ。
しかし、進言したのがオリヴィアとあっては、ユリウスも拒否することが出来ない。
王宮内では、ユリウスよりもオリヴィアの方が影響力を強めている。
レッドグレイブ公爵が失脚し、力をつけてきたフランプトン侯爵がオリヴィアを強く支持しているのも大きい。
ユリウスは権力を奪われたことよりも、オリヴィアがリオンに夢中になっていることが許せなかった。
部屋にはジルクもいるが、ユリウスの振る舞いを咎めはしなかった。
「殿下のお怒りもごもっともです。ですが、オリヴィアさんが彼を受け入れてしまいました。ここで下手な動きを見せれば、我々はオリヴィアさんからの信用を失います」
「そんなことは理解している！」
ユリウスも頭では理解しているが、心が納得していなかった。
「――ジルク、暗殺は可能か？」
そして、誰にも知られずに葬る術をユリウスは乳兄弟に求めた。
乳兄弟とは幼い頃に兄弟のように育った家臣である。
将来的にはジルクはユリウスの補佐をする立場になる。
そのため、表には出せないような手段についても教えられていた。
「可能ではありますが、このタイミングで彼が死ねば疑う者が出てきますね。有象無象が疑うのは構いませんが、オリヴィアさんが我々を疑う可能性があります」
「そ、それは駄目だ。それだけは駄目だ」
ユリウスはオリヴィアに嫌われることを恐れていた。
オリヴィアだけが、今のユリウスにとって存在意義である。
「どうしてあいつなんだ、オリヴィア。どうして俺を見てくれない」
◇
パルトナーの甲板に、換装したアロガンツの姿はあった。
出撃のために格納庫の外に出されたのだが、その姿は普段とあまりに違いすぎている。
カタパルトが用意された甲板には、何事かと大勢の怪我人が集まっていた。
野次馬のようにこちらを見ていたが、気にしている暇もない。
マリエが風で乱れる自分の髪を押さえながら、コックピットに乗り込もうとする俺に大声で確認してくる。
「本当にやるのね！」
普通に喋ると風で声が聞き取れないため、互いに大声を出していた。
「当たり前だ！ この目で何が起きたのか見てきてやるよ！ ついでにルクシオンも一発ぶん殴ってやる！」
マリエは複雑そうな表情で、俺とアロガンツに視線を向けていた。
「というか、何でゴテゴテ色々取り付けたのよ？ 背中にロケットまで乗せているし」
「かっこいいだろ」
「どこがよ!? なんか着膨れしたみたいで変よ！」
女子には男の子のロマンが理解できないようだ。
ゴテゴテに装甲と武装を積み込むのは、男の子は大好きだ。
今のアロガンツの姿が、まさに男の子の理想型である。
背中に大きなロケットブースターを背負い、装甲と武装で一回り以上も大きく見えていた。
この武装の運用は非常にシンプルだ。
目標地点の高速で移動し、到着後にありったけの武装で殲滅する。
途中で遭遇予定のモンスターたちの群れを突っ切る。
聖樹に近付くにはこれが一番である。
残念なことに目的地に到着したらロケットブースターは切り離すため、帰りは大変だ。
下手をしたら敵地に残されるわけだが、何とかなると踏んでいた。
コックピットに乗り込みハッチを閉じると、アロガンツの電子音声が俺に語りかけてくる。
『準備完了』
アロガンツが巨体を動かし発進準備に入る。
ワイヤーで固定していたアロガンツが浮かび上がった。
『イグニッション』
アロガンツの点火の合図で、ロケットブースターのノズルが火を噴いた。
その勢いでワイヤーが外れると、後部に用意された鉄板がロケットの炎を遮る。
爆発したかのような轟音がコックピットにまで伝わり、耳や体が痛かった。
「ロマンを実践するのも大変だな」
『マスター、喋ると舌を噛む』
アロガンツに注意されると、モニターの景色がものすごい勢いで流れていく。
体がシートに押さえつけられて、操縦桿を握るだけでも大変だった。
どうして俺がこんなことをしているのだろうか？
これも全てルクシオンが悪い。
見つけたら本当に一発ぶん殴ってやる。
◇
アロガンツが飛び去った後の甲板には、ロケット雲の先にいるリオンを心配するマリエの姿があった。
「あいつ、本当に無茶ばかりして」
どうしてリオンがここまでするのか？ マリエには理解できない――と言いたかったが、何となく察していた。
杖を持って甲板にやって来たオリバーが、飛び去ったリオンについて尋ねてくる。
「リオン様。いえ、リオン殿は一体何をするつもりなのですか？ それにあの鎧は、あまりにも異質すぎる」
アロガンツの性能に驚愕しているオリバーに、マリエは答えを濁した。
「私も詳しくないから、リオンが戻ってきたら聞いてみれば？」
「そ、そうですか。それで、リオン殿は何をしに向かったのですか？」
食い下がるオリバーに、マリエはため息を吐きながら答える。
別にオリバーに不快感を覚えたわけではなく、面倒事をリオンに押しつけられたような気がしたからだ。
「共和国に向かって聖樹を倒すとか言っていたわね」
「たったお一人で!?」
「あいつなら十分よ。言っておくけど、凄く強いんだからね」
ルクシオンのことは伏せて説明すると、オリバーはアロガンツが飛び去った方角を見る。
方角から共和国で間違いないと思ったのか、驚いたような顔をした後に涙を流した。
その姿にマリエが慌てて駆け寄り、甲板に座り込もうとするオリバーを支える。
「ちょっと、急にどうしたのよ!? 痛むなら戻って休みなさいよね」
「違うのです。若様と同名の彼が、聖樹を止めに向かわれた事に運命的なものを感じたのです」
「運命？ 悪いけど、リオンには何の関係もないわよ」
「そうでしょうね。ですが、我々にはあるのです。幼くして亡くなった若様の夢は、聖樹を守る守護者になることでしたから」
守護者と聞いて、マリエはあの乙女ゲーの二作目を思い出した。
古い記憶が鮮明によみがえり、忘れていた設定まで思い出す。
「守護者？ それって、共和国で一番偉い人よね？」
聖樹の守護者。それは本来ならば、あの乙女ゲー二作目の主人公に選ばれた攻略対象の男性たちが手に入れる役割だった
「アルベルク様、奥様、そして姫様――若君が向かいます」
オリバーが主君やその家族を呼びながら、むせび泣いている。
リオンは彼らの若君ではない。
だか、オリバーたちにはリオンが若君と重なって見えているようだ。
「――みんなあいつに期待しすぎなのよ」
リオンの責任が日増しに重くなるように感じて、マリエは不快感を口にしてしまう。
そして、あの乙女ゲーのシナリオ通りに進まないこの世界に、疑問を抱くようになっていた。
（本当に何が起きているのよ。そもそも、バッドエンドを迎えるなんて思わなかった。レリアって子が、詳しく話をしてくれるといいんだけど）
◇
共和国の中央にアロガンツが到着すると、異様な光景が広がっていた。
「気持ち悪っ！」
巨大で禍々しい姿の植物は、白く染まってうねうねと動いていた。
周囲を飛び回るのは昆虫型のモンスターたちで、黒い粒が集まって渦を巻き、かつて聖樹だったものを守っている。
聖樹とは呼べない禍々しい姿の化け物は、赤く大きな瞳をその体にいくつも出現させていている。
その目がアロガンツの接近に気が付いた。
「気付くのが遅かったな！」
『ブースターをパージします』
アロガンツの背中にあったブースターが切り離され、ミサイルのように化け物に飛んでいく。
モンスターたちがミサイルから化け物を守ろうと体当たりをすると、大爆発を起こして大量のモンスターたちが黒い煙になって消えた。
「簡単には終わってくれないか。アロガンツ、やれるな？」
『イエス、マスター』
アロガンツに取り付けられた武装が動き出す。
近付いてくるモンスターたちだが、各部に取り付けた迎撃用のガトリング砲により撃ち抜かれて消えていく。
「簡単に近づけると思うなよ。今のアロガンツは無敵だ！」
アロガンツが化け物に突撃すると、途中でぶつかるモンスターたちが吹き飛ばされる。
そのまま化け物にとりついたのだが、聖樹は予想していたよりも大きかった。
「本当に山みたいだな」
化け物の枝に着地するが、あまりの大きさに驚いてしまう。
枝ですら、アロガンツが立っても十分なスペースがある。
アロガンツは鎧の中で大きい部類だが、周囲の景色を見ていると、小人にでもなったような気分にさせられた。
「さて、これからどうする？」
『ミサイル発射』
アロガンツが告げると、装甲の一部が吹き飛んでミサイルが姿を見せた。
それらは先端にドリルが取り付けられており、周囲に飛び散ると化け物に突き刺さると、そのまま回転して内部に侵入していく。
しばらくすると内部から爆破して、周囲に亀裂が入った。
ひび割れた箇所から赤い液体が噴き出す。それはまるで化け物の血液のように見えた。
「こいつは本当に植物なのか？」
『調査の必要あり』
「お前は生真面目だな。別に真面目に答えなくてもいいのに」
変に真面目なところはルクシオンとよく似ている。
アロガンツが両腕に持った大型ライフルを構えると、化け物の脆そうな箇所を狙って攻撃を開始した。
光学兵器が化け物の枝を切断し、実弾兵器が直撃すると爆発を起こして被害を広げていく。
あまりにも巨体過ぎて、小さなアロガンツへの対処が出来ていなかった。
「とりつけばこの程度でどうにでもなるな」
『昆虫型モンスターの接近を確認』
昆虫型のモンスターたちが、アロガンツを倒すために集まってくる。
ガトリングガンが火を噴き、モンスターたちを近づけさせない。
ただ、このままではすぐに弾薬が底をついてしまうだろう。
「解析は？」
『残り二割』
「なら、時間稼ぎで逃げ回るとするか」
『解析中で、アロガンツはサポートできない』
敵の弱点を探っているため、アロガンツは機体の制御が出来ない。
ルクシオンがいれば、全て任せられたのに残念である。
ただ、焦りはない。
「問題ない。俺は逃げ回るのは得意だ」
『マスターは逃げるのが得意。マスターは凄い。アロガンツ覚えた』
「――別に褒めなくていいし、覚えなくてもいいからな」
素直に褒められると調子が狂うな。
ここは「逃げるのが得意でいいの？ 他に特技はないの？」とか言って欲しかった。
ルクシオンなら間違いなく言いそうだな。
操縦桿とペダルを操作して、アロガンツを動かす。
枝の間を通り抜けて敵から逃げ回ると、そんな俺たちをモンスターたちが追いかけてくる。
枝の合間を縫うように飛び回り、近付いてきたモンスターだけを撃ち抜いていった。
人工知能たちに制御されたガトリング砲やミサイルが、アロガンツの動きに合わせて敵を屠っていく。
逃げ回っているだけで、敵を次々に倒していくアロガンツは無双状態だ。
だが、悲しいことに敵の数が多すぎる。
敵の増援が途切れる気配がない。
ガトリング砲からは絶え間なく火が噴き、弾丸は熱で発光して発射された方向に線を作る。
その線はモンスターたちを数体貫き、黒い煙に変えていた。
敵がいない場所を見つけて飛び、時には敵の群れを突き破って逃げ回っていると、アロガンツが嬉しい知らせをくれた。
『敵のコアを発見。破壊すれば機能停止、あるいは弱体化が可能と判断』
「でかした！」
『最短ルートを表示。接触して敵内部への攻撃が有効手段と予想』
確実に敵を仕留められるという保証はないが、そもそも想定内だ。
それに、これで倒せなかったらルクシオンも姿を見せるだろう。
「使えない武装といらない装甲をパージだ」
『了解。パージします』
アロガンツがパージと告げれば、不要と判断された武装と装甲が次々に切り離されていく。
端から見れば、まるで空中分解しているように見えるかもしれない？
徐々に機体が軽くなっていく。
アロガンツは普段よりも装甲板が少ない姿で、更にバックパックは小型の物を背負っていた。
普段のコンテナは持ってきていない。
いつもより頼りないバックパックのエンジンが火を噴けば、軽くなったアロガンツを加速させて敵のコアへと近付いていく。
押し寄せてくる敵のほとんどを無視し、時にはぶつかりながらもコアを目指した。
モンスターとぶつかる際に機体は揺れるが、歯をかみしめて前を見る。
『敵のコアを視認』
「全弾ぶち込め！」
俺の命令に従い、アロガンツは両腕にライフを構えた。
銃身が熱で駄目になるまで光学兵器を放ち、実弾兵器は全て撃ち尽くす。
バックパックに用意された最後のミサイルパックも発射して、ミサイルを撃ち尽くす。
両方が使えなくなると、アロガンツは武器を放り投げた。
そして化け物の表面が抉れると、コアらしき物体がついに姿を現した。
まるで心臓のように鼓動する赤黒いコアの近くにアロガンツが降り立つ。すると、周囲から白い触手がうねうねと出現して、コアを守るためにまとわりつき始めた。
「こいつ、再生能力まであるのか」
さっさと倒してしまおうとアロガンツが一歩踏み出せば、何故か触手の動きが止まる。
ピクピクと痙攣する触手たちは、動きたいが動けないように見えた。
怪しい動きに距離を取ろうとすると、声が聞こえた。
『待って。お願い。もう時間がないの』
「誰だ!?」
コックピット内に女性の声が聞こえた俺は、顔を左右に動かし姿を探す。
だが誰の姿もみえない。しかし側に誰かいる感覚が、確かにあった。
驚きはしたが、不思議と怖くなかった。
そして、俺の左横から女性の腕が伸びて前を指し示す。
『早く倒して。そうしないと、この子は本当に止められなくなるから』
苦しそうな女性の声に従い、操縦桿を握りしめてペダルを踏み込んだ。
「アロガンツ！」
『シールドパイルバンカー準備』
駆け出すアロガンツが化け物のコアに飛び付くと、両腕のシールドの先端を向ける。
仕込まれたのは両方で六本の杭だ。
俺は化け物に向かって言う。
「くたばれ！」
シールドに仕込まれているのは杭打ち機だ。
鋭い杭が激しい音を立てて発射されると、化け物のコアに深く突き刺さる。
だが、これで終わりではない。
『インパクト！』
アロガンツが電子音声で叫ぶと、発射された杭六本が一斉に化け物のコア内部で衝撃波を発生させる。
化け物のコアが激しく震えると、耐えきれずに亀裂が入って液体が噴き出た。
空気に触れ結晶化していくその景色を見て呟く。
「どうだ？」
敵が動くのか動かないのか？ 判断をしようとしていると、俺の左横から女性の優しい声がする。
そちらに振り向けば、緑色に光る半透明の女性らしいシルエットが見えた。
『ありがとう。これでこの子もゆっくり眠れるわ』
「あんた誰なんだよ？」
もしかして幽霊か？ と思って身構えていると、女性は微笑んだように見えた。
『ノエルよ。それから、もし妹に出会えたら伝えて欲しいことがあるの。妹の名前はレリア。レリア・ジル・レスピナス。私の双子の妹よ』
◇
夕方。
共和国上空にやって来たパルトナーは、倒れた聖樹だった化け物の真上に位置していた。
甲板には武装を外して普段よりもスリムになったアロガンツが、機体内部の熱で蒸気を漂わせている。
作業用のロボットたちが、冷却するために白い煙のような何かを吹きかけていた。
甲板には大勢の人々が、故郷の変わり果てた姿に涙を流している。
マリエは手すりに掴まり眼下に広がる光景を見て、思わず背筋が凍り付く。
「酷い」
聖樹を中心に焼け野原が広がっていた。
建物は吹き飛ばされて瓦礫に変わり、動いている人の姿が見えない。
生きている人がいるかも怪しい。
マリエの近くにいたオリバーは、倒れ伏した聖樹だった化け物を見て胸を押さえていた。
「アルベルク様、全て終わりました。ですが、共和国はもう」
来る途中の景色も見てきたが、大陸全土が焼け野原にされている。
あまりの光景に、マリエは自分たちがとんでもない世界にいる事を再確認させられた。
そんな甲板に船内から一人の女性が姿を現す。
ルイーゼの看病をしていたメイドだった。
「姫様が！」
涙を流しているメイドの姿を見て、オリバーが急いで船内へと戻っていく。
マリエはおぼつかない足取りのオリバーを支えて、自分も船内へと向かった。
（バッドエンドが本当に笑えない。こんなの、あんまりじゃない）
◇
パルトナーの船内。
俺がルイーゼさんの病室にやって来ると、彼女は目を覚ましていた。
その右手からは聖樹の紋章が消えている。
ルイーゼさんをこの世に繋ぎ止める力は、既に消え去っていた。
そんな彼女が俺を見ている。
とても穏やかな顔をしているのは、鎮痛剤などが効果を発揮したか――もしくは、痛みすら感じていないのか。
俺はルイーゼさんに伝える情報を選びつつ、顛末を教える。
「聖樹は動きを止めました。もう動き出すこともないでしょうね」
「そうですか。本当にありがとうございました。最後に名前を聞かせていただけますか？ 我が国を救ってくださった英雄の名前を覚えておきたいのです。もう目も見えませんから、せめて名前だけでも」
弱々しいその姿に一瞬ためらっていると、オリバーさんを支えたマリエが部屋に現れる。
オリバーさんがルイーゼさんの近くに駆け寄り、崩れるように床に膝をついた。
「姫様！」
「オリバー、申し訳ないけど後のことは任せるわ。私はもう無理みたい」
微笑むルイーゼさんを見て、周囲に集まったラウルト家の関係者たちが嗚咽を漏らしている。
周囲の目もあるため、俺は自分の名を告げることにした。
「リオンだよ」
ルイーゼさんが驚いて上半身を起こそうとするので、近付いて手を握る。
「リオン？ まさか、本当に？ あ、あの」
混乱するルイーゼさんにこれ以上は何も言えなかった。
彼女は弟が助けに来たと思っていればいい。
ルイーゼさんの手が、俺の頬をなでる。
「あぁ、リオン。約束を守ってくれたのね。お姉ちゃん、最後に会えて」
意識が朦朧としているのか、俺のことを弟だと思っているようだ。
否定せずに手を握っていると、ルイーゼさんの片方の手が俺の頬から離れた。
嬉しそうに涙を流しているルイーゼさんは、そのまま息を引き取った。
◇
俺は約束を守るために個室にやって来ている。
そこにいたのは、ピンク色の髪をした女の子だ。
「レスピナス家のレリアだな？」
壁を背にして座るレリアは、俯いて口も開かない。
側に置かれた水や食料にも手をつけておらず、本人は無表情だった。
一緒にレリアを訪ねたマリエは、小さなため息を吐くとレリアに言う。
「あんたのお姉さんから伝言よ」
「え？」
顔を上げたレリアは、酷くやつれていた。
目の下に隈はできているし、何よりも生気を感じない。
よほど、今回の件が堪えたのだろう。
「聖樹と接触した際にノエルって人の声を聞いた。巫女だっけ？ あんたのことを心配していたんだよ」
「――嘘」
レリアの瞳が潤んで涙がこぼれた。
ノエルの言葉を俺が伝える。
「馬鹿な妹へ伝えて欲しいってさ。色々と不満もあるけど、あんたには生きて欲しいそうだ。それから――もう助けてやれないから、後は一人で何とかしろ。だってさ」
ラウルト家の関係者の怒りは本物だった。
話を聞く限り、レリアが関わっているのは間違いない。
空に巨大な飛行船が現れ、共和国を火の海にした。
その後に聖樹に異変が起きて、モンスターたちをばらまきだしたそうだ。
聖樹を止めようとしたのは、まさかのラウルト家だった。
だが、邪魔をしたのがレリアたちらしい。
邪魔さえなければ、もう少し何とかなったとルイーゼさんたちは言っていた。
マリエがレリアに全てを話すように求める。
「全部話してくれない？ 私たちは調査するために王国から派遣されてきたの。別に片方に肩入れはしないわよ」
マリエとしては公平な立場を強調したのだろうが、レリアは涙をぽろぽろとこぼす。
「違うの。全て私が間違っていたの。最初からラウルト家が悪い奴らだと思い込んで、この騒ぎもあいつらの仕業だと思った。だから、セルジュやエミールに頼んで阻止しようとしたの。それなのに、空にはチート戦艦が出てくるし」
チートという言葉に俺とマリエは顔を見合わせた。
レリアから見た今回の一件も気になるが、どうして彼女の口からチートという言葉が出てきたのか？
答えはすぐに出る。
マリエがレリアの肩を掴んだ。
「あんた、もしかして転生者なの!?」
「え？ ど、どうしてそれを」
疲れきったレリアの思考力は落ちているようで、今の状況をまるで理解していない。
「俺たちも同じだ。それより、空に見えたのはルクシオンか？」
あの乙女ゲーを知っているならば、きっとルクシオンのことも――そう思っていたが、レリアは首を横に振る。
「名前は知らない。でも、普通の飛行船じゃなかった。多分、二作目で課金するタイプの飛行船だと思う。そいつが出てきたら、いきなり攻撃を仕掛けてきたのよ。もう、何が何だか分からなくなって、ただ逃げ回って――そしたら、セルジュもエミールも私を守るために。クレマンも私を逃がすために犠牲になった」
課金要素は二作目にもあったようだ。
ルクシオン並の性能を持つ宇宙船が、この世界にはまだ存在する可能性が出てきた。
色々とやっかいな情報ばかり増えてくる。
レリアは俺たちに少しだけ心を開いたのか、ぽつぽつ話し始めた。
「私は馬鹿だから、姉貴のノエルに迷惑をかけていたわ。主人公の双子の妹として転生して、調子に乗っていたから。それで苦しめて、結局失敗ばかりだった。良かれと思って行動したことが、全部裏目に出るとは思わなくて」
涙をぽろぽろとこぼしながら、レリアは自分の過ちを語っていた。
マリエが出来るだけ落ち着いた口調で、レリアが何をしてきたのか聞き出す。
「ゲームの知識でうまく立ち回れなかったの？ あんたもあの乙女ゲーを知っていたのよね？」
レリアは涙を袖で拭いつつ、何度か頷く。
ゲーム知識を持っていたのに、失敗したというのが信じられなかった。
「最初はうまく立ち回っていたと思う。いえ、違うわね。そう思い込んでいたのよ。先の展開を知っているから、こうした方がいいと思って勝手なことばかりしていたから。未来を知っているつもりで、馬鹿なことばかりしてた。だから、全部駄目にしたのよ。だって気付かないわよ！ どうしてラスボスが命がけで国を守ろうとするのよ？ 敵だったのに！ それなのに――」
責任転嫁をするような口振りだったが、敵だと思っていた存在が実は正しかったとなれば混乱もするだろう。
ただ、レリアは自分の間違いを認めていた。
「――結局、悪いのは全部私だった。決めつけたおかげで、全部駄目にしたのよ。生きている価値なんてないのに。それなのに、姉貴は私に生きろって言うのよ。おかしいわよ。――生き残るべきだったのは姉貴だったのに」
レリアが涙を流しながら、過去の自分の行動を悔いていた。
レリアのおかげで共和国が滅んだと知ったが、俺たちは責められなかった。
マリエが俺を見上げてくる。
「リオン、これって」
「――最悪だな」
レリアの姿が将来の俺たちに見えてしまった。
◇
ホルファート王国の王宮では、オリヴィアとフランプトン侯爵が面会していた。
豪華な貴賓室で酒を飲みながら話す二人だが、二人とも相手の顔を見もしない。
フランプトン侯爵は窓の側に立ち、外の景色を見ていた。
オリヴィアはソファーに深く腰を下ろして、脚を組んでいる。
だが、フランプトン侯爵の話を聞いて、酒の入ったグラスを投げつけた。
フランプトン侯爵の近くでグラスが割れて酒と破片が飛び散るが、本人は気にした様子もなかった。
オリヴィアがわざとらしく尋ねる。
「聞こえなかったわ。もう一度言ってくれるかしら？」
怒りをあらわにするオリヴィアに、フランプトン侯爵は背を向けたまま再度説明をする。
「ファンオース公国と停戦協定を結ぶことにした。奴らは今後、我々の支配下に入ってもらう」
「公国は滅ぼすはずでしょう？ そのために軍も編成しているのよ。今更取りやめるなんて、軍が納得するとでも思っているの？」
フランプトン侯爵の決定に不満なオリヴィアは、正論で意見を変えさせようとした。
だが、フランプトン侯爵はオリヴィアの知らないところで交渉を続けていたようだ。
「王国も随分と疲弊した。公国から賠償金を得て、しばく軍を休ませるべきだ。幸いにもヘルトルーデ王女は我々の手の内にある。立派な王妃になられるよう、教育して差し上げればいい」
フランプトン侯爵は、ヘルトルーデに自分たちにとって都合のいい男性を婿に取らせて、公国を支配する考えだった。
オリヴィアは細めた目でフランプトン侯爵の背中を見ていた。
「私に逆らうのね」
振り返るフランプトン侯爵は、口角を上げて笑っている。
今後の話をするが、それはオリヴィアを小娘と侮った口振りとなる。
「今や私は最大派閥の長である。聖女様だろうと、何でも言いなりになると思われるのは心外ですね」
既に王国を手に入れたつもりでいるフランプトン侯爵は、野心を隠そうともしていなかった。
立場的にオリヴィアよりも強者であるという態度が見える。
「これからは私の機嫌を損ねないことです。あなたは聖女として素晴らしい才能を持っているが、言ってしまえばそれだけのこと。代わりなど用意できるのだからね」
王宮を支配下に納めたフランプトン侯爵は、オリヴィアを捨ててお飾りの聖女を用意することも容易いと考えていた。
能力など必要とせず、自分の言いなりになる聖女を用意するつもりらしい。
フランプトン侯爵がオリヴィアに釘を刺す。
「これからは勝手な振る舞いは慎んでいただきますよ。それに――これまでの悪事が表沙汰になるのは困るでしょう？ 王妃として王宮で暮らしたいのならば、私には逆らわない方が賢明ですよ」
高笑いをしながらフランプトン侯爵は貴賓室を出て行く。
オリヴィアは一人になると体を震わせて――しばらくすると大声で笑い始めた。悔しさに震えていたのではない。
フランプトン侯爵の無能ぶりに、笑いを我慢していただけだ。
「本当に愚かよね。私が脅し程度で命令に従うと考えていたのかしら？ 私を切り捨てることも考えているようだけど、残念だったわね。――私は最初から切り捨てるつもりだったのよ」
フランプトン侯爵と手を組んだ時から、オリヴィアは裏切るつもりでいた。
そのための準備も整っている。
ただ、早いか遅いかの違いしかない。
「素直に従っていれば、もう少し長生きできたのに残念だったわね」
立ち上がったオリヴィアは行動を開始する。
◇
「放せ！ 私を誰だと思っている!!」
刑場に連れてこられたフランプトン侯爵は、必死に抵抗を見せていた。
だが、抵抗むなしく断頭台に固定される。
フランプトン侯爵を刑場まで連れてきたのは、彼の家臣たちだった。
家臣たちを率いるのはユリウスだった。
フランプトン侯爵の前に立ったユリウスは、険しい目で見下ろしてくる。
腰に提げた剣を抜き、切っ先をフランプトン侯爵に向ける。
「貴様の悪事は全て家臣たちが王宮に知らせてくれた。戦友たちが命がけで勝利を手に入れたというのに、貴様は裏で公国と手を結んでいたとは思わなかったぞ。しかも、停戦協定だと？ この裏切り者が」
切っ先がフランプトン侯爵の鷲鼻に突き刺さる。
痛みに眉間にしわを寄せるフランプトン侯爵は、ユリウスに対して立場を忘れて叫ぶ。
「何が勝利だ、若造が！ どれだけの被害が出ていると思っている？ このまま戦争を続けても、王国は得る物がどれだけある？ それも理解せずに、ただ勝利に喜んでいる間抜けが！ この停戦で王国は利益を――」
「――やれ」
話を続けるフランプトン侯爵だったが、ユリウスは冷たく刑の執行を告げた。
断頭が降りると、ドサリと音がする。
剣を鞘にしまうユリウスは、空を見上げて両手を広げた。
「オリヴィア、俺はお前の言う通りにしたぞ。今度こそ俺を見てくれるよな？」
ユリウスにフランプトン侯爵の処刑を命令したのは、オリヴィアであった。
◇
刑場でフランプトン侯爵の最期を見ていたリオンの師匠は、空を見上げて笑っているユリウスの姿を見て頭を振る。
「もうこの流れは止められないのでしょうね」
何かを諦めた表情を見せるが、覚悟を決めた表情へと変わる。
そして悪が去ったと喜ぶ騎士や兵士たちの喧騒を背に、刑場を去る。
「聖女オリヴィア、あなたの好き勝手にはさせません」
◇
その頃のオリヴィアが足を運んでいたのは、ヘルトルーデが監禁されている屋敷だった。
牢屋には王族である彼女のために、快適な部屋が用意されていた。
部屋を見てオリヴィアは目を細める。
「罪人なのに好待遇ね。どんな気分か聞かせて欲しいわ」
嫌悪の視線を向けられたヘルトルーデは、気丈に振る舞う。
「聖女様にしてはずいぶんな態度ね。それから、この部屋は私が求めたわけではないわ。それよりも、私の処遇は決まったのかしら？ フランプトン侯爵は、すぐにでもここを出られるようにすると言っていたけれど？」
オリヴィアが扉を開けて中に入ると、持っていた酒瓶とグラスを部屋にある丸テーブルの上に置いた。
そして優しい笑みを浮かべる。
「あなたに生きていられると困るのよ。公国には最後まで戦ってもらわないとね。だから、悲劇の王女様になってくれるかしら？ あなたが死ねば、公国は無意味な戦争に大量の血を流してくれると思うの」
ヘルトルーデは冷や汗をかくが、想定していたのか動揺はない。
「公国を滅ぼすまで戦うつもりなのね」
「惜しいわね」
「え？」
「ただの戦争で終わらせるつもりはないの。公国には文字通り消えてもらうわ。国も、そして民も必要ない」
ヘルトルーデはオリヴィアの言葉に驚き、信じられないという顔をしている。
「そこまでするのですか？ そこまで公国が憎いのですか！ あなたは慈愛に満ちた聖女だと――」
「――勘違いをするなよ、小娘」
瞬間、オリヴィアの怒気が膨れ上がって、ヘルトルーデは言葉を詰まらせる。
オリヴィアはヘルトルーデの間違いを正す。
これから死ぬ彼女に対して、本音を吐露したい気分だった。
「私は全てが憎い。この国も、お前の国も、そしてのうのうと暮らす貴族も民も嫌悪する。私は公国も王国も滅ぼすわ。ホルファートに連なる全て滅ぼして、私はリーアとここに新しい国を作るの。それが正しいこの国の姿だもの」
リーアの名を呟いた瞬間だけ、オリヴィアの怒気は霧散した。
ヘルトルーデがようやく声を出す。
「何を言っているの？ あなたは聖女でしょうに」
ヘルトルーデはオリヴィアの目的に動揺を隠せずにいた。
まさか、聖女が自国を滅ぼしたいなどと言うとは思わなかったのだろう。
オリヴィアは暗い笑みを浮かべて、公国の役目が終わったことを伝える。
「お前も、そしてお前の国も役目は終わったわ。今までご苦労様」
「何があなたをそうさせるのですか？」
「知る必要はないわ」
これ以上は教えてやる必要がないと、オリヴィアが口を閉じる。
ヘルトルーデはオリヴィアを押しのけて牢から逃げだそうと思案するが、すぐに諦めたように首を振る。
オリヴィアに勝てると思えなかったようだ。
そう悟ったヘルトルーデが、毒手をグラスに注いだ。
オリヴィアは諦めのいいヘルトルーデを褒める。
「良い子ね」
だが、ヘルトルーデは答えずに毒手をあおる。
一気に飲み干すと、俯いて妹の名を呟いた。
「ラウダ、あなたは生きて」
それがヘルトラウダの名前だと知っていたオリヴィアは、これから死に行くヘルトルーデに残酷なことを口にする。
「安心すると良いわ。すぐに後を追うことになるわよ。今頃、公国内部は責任の押し付け合いで内乱でもしているはずよ」
手で口元を隠し、オリヴィアは牢屋を出て行く。
「最後に良い夢を見られるといいわね」
◇
オリヴィアが去った牢屋。
ヘルトルーデは、立っているのが辛くなりベッドに腰を下ろした。
「趣味が悪いわね。もっと楽な毒薬を用意できなかったのかしら？」
呼吸が乱れ、胸が苦しくなってくる。
ベッドに倒れるように横になると、ヘルトルーデは妹の顔が思い浮かんだ。
「伝えるべき事は伝えてある。だから、ラウダならきっと大丈夫。私よりもしっかりしているあの子がいれば、国だってきっと――」
ヘルトルーデは唇を噛みしめ、シーツを涙で濡らした。
「ラウダ、ごめんね。お姉ちゃん、あなたを守ってあげられない」
一人残す妹の安否が気がかりだった。
そして、最期に一目で良いから顔を見たいと願う。
出発前、ヘルトルーデは監視の目もあってラウダを冷たく突き放すしかなかった。
「ラウダだけは幸せになって――」
苦しむヘルトルーデだったが、激しい衝撃に部屋が揺れると目を見開く。
「きゃっ！ な、何!?」
気付けば部屋の中は砂や埃が舞って視界が悪かった。
だが、外から光が差し込むのが見えている。
風が吹いて砂や埃が流されると、視線の先には灰色の鎧がいた。
『――間に合わなかったな』
悔しそうに呟く若い男の声が聞こえた。
鎧が手を差し伸べてくる。
『あんたをここから連れ出してやる』
ヘルトルーデは何とか上半身を起こすが、首を横に振る。
「もう無理よ。私は長くない」
『あんたを国に送り届けるのが俺の役目だ。国に会いたい人はいないのか？』
一体誰に頼まれたのだろうか？ ヘルトルーデはそう思ったが、余裕もないため会いたい人についてだけ答える。
「妹に――会いたい。ラウダに会いたいよぉ」
涙があふれてきた。
叶うならば、最期にラウダだけには会って思いを伝えたい。
ヘルトルーデが毒に犯される体で必死に伝えると、若い男が約束する。
『必ず会わせてやる』
大きな鎧がヘルトルーデを部屋から出すと、空へと舞い上がっていく。
◇
「何なのよ！ 本当になんなのよ!? いきなり敵国の王女様を救い出して欲しいとか、勘弁してよ！」
マリエが半泣きで抗議してくるが、その手はベッドに横になるヘルトルーデさんを治療し続けている。
治療魔法の優しい温かな光が、彼女を包み込み毒の進行を遅らせていた。
出来れば治療したいが、それはマリエにも俺にも不可能だった。
俺は少し離れて様子をうかがっているルクシオンに顔を向ける。
「何とかならないのか？」
『既に手遅れです。魔法により命を繋ぎ止めている状態ですが、いつ死んでもおかしくありません。まったく――新人類はしぶといですね』
忌々しいという感情が、ルクシオンの言葉から伝わってくる。
ルクシオンにしてみれば、ヘルトルーデさんは新人類の子孫であって守るべき対象ではなかった。
「本当に助けられないんだな？」
念のために確認すれば、ルクシオンは赤いレンズを俺からそらして答える。
まるで後ろめたさを感じているように見えるのは、俺の気のせいだろうか？
『問題なのは毒の種類です。魔法により作られた毒物は、現在調査中の段階です』
魔法で作られた毒物を使用されていて、ルクシオンでも解毒は不可能だった。
ルクシオンとの会話を止めて、マリエに問うのはヘルトルーデさんの残された時間だ。
助かるかどうかは問題にせず、間に合うかどうかだけを確認するためだ。
「妹さんには会えそうか？」
マリエは首を横に振り、金髪を振り乱した。
「分からないわよ！ それより、何で引き受けたのよ。下手したらお尋ね者じゃない」
「師匠の頼みだからな」
「馬鹿なの!? これって犯罪じゃない！」
「なら、助けない方が良かったか？」
「それも嫌よ！ けど――こんなのどうしたらいいのよ」
共和国の調査団に急ぎの知らせが届いたのは、王都の港に戻る前だった。
師匠からの手紙を受け取り、俺たちは急いでヘルトルーデさんを助けに向かった。
頼まれたのは二つ。
一つはヘルトルーデさんを救い出し、公国に連れ帰ること。
――間に合わなかったけどね。
「何もかも手遅れだな。王女様の件も、そして共和国も……」
呟けば、マリエが神妙な面持ちで不安を口にする。
「私たち、何か間違えたのかな？ やっぱり、何もしない方が良かったんじゃないの？ 私たちが関わったから――だから」
あの乙女ゲーのシナリオに関わってしまった。
だが、巻き込まれた部分もある。
修学旅行でオリヴィアさんを助けたのは間違いだったのだろうか？ あのまま見ていれば、何事もなかったと？ そんな風にも思えない。
だからこそ悩む。――何が間違いだったのだろうか？
最近は共和国で失敗したレリアの姿をよく思い出す。
俺たちが同じ過ちを犯していないとは言えないから。
答えが出ずに悩む俺に、ルクシオンが公国へ到着したことを知らせてくる。
『どうやら間に合ったようですよ。ですが、どうやら内乱が起きていますね』
「は？」
『一部の貴族たちが反乱を起こしています。この状況でヘルトルーデとヘルトラウダを面会させるのは面倒ですね』
俺とマリエがルクシオンに振り返れば、現在の公国は王家と貴族で内乱を起こしていると告げられた。
◇
ファンオース公国の王城は、謀反を起こした貴族たちの飛行船に囲まれていた。
軍艦である飛行船の大砲が王城へと向けられ、次々に弾を撃ち込んでいた。
貴族たちは革命軍を名乗り、旗艦にはゲラット伯爵の姿がある。
正義は我にありという態度で、騎士や兵士たちに命令を出している。
「先の戦争の責任はファンオース王家にある！ 勝つ見込みのない戦争を押し進めたのは誰か！ 王国との和平を前に、戦争を推し進めたファンオース王家には責任を取らせよ！ 死んでいった同胞たちのためにも、我らが正義を示さねばならん！」
正義やら責任という言葉を並べてはいるが、ゲラットの内心は酷いものだった。
（誰かが責任を取らねばならない。こういう時のための王家だ。飾りにしかならない小娘たちだったが、私のために有効活用しなくてはね）
主戦派の一人として戦争を推し進めたゲラットだが、状況が悪くなると全ては王家の責任だとしてヘルトラウダを責めた。
そこには罪悪感などない。
（このまま邪魔な奴らを一掃して、私は新しい公国の重鎮になる。王国ではフランプトン侯爵がうまく取り計らってくれる。公国がいくら傷付こうが、私は少しも痛まない）
謀反に加わった他の貴族や騎士、そして軍人たちも主戦派だ。
このままでは、王国軍が攻め込んできて自分たちの命がない。
その前にヘルトラウダに責任を取らせ、自分たちは王国に恭順する姿勢を見せるための謀反だ。
「正義は我らにあり！」
（バンデルもいない今、私は好き勝手に振る舞える。あいつのおかげで、今までは自由に動けなかったからな）
好き勝手に行動する主戦派をギリギリまとめていたのはバンデルだった。
だが、そのバンデルも戦死して今はいない。
ゲラットたちを止める主戦派の仲間は、ほとんどいなかった。
◇
王城の中。
頑丈に作られた部屋に集まったのは、ヘルトラウダを守る者たちだ。
防衛の指揮を執る将軍が、次々に入る報告に冷や汗をかいている。
「魔法防壁が持ちません！」
「王城の被害は増えるばかりです！」
「鎧の数が足りません。このまま乗り込まれれば、ひとたまりもありません！」
無精ひげを生やした将軍が拳を机に振り下ろし、謀反を起こした貴族たちに悪態を吐く。
「売国奴共が！ 王女殿下を犠牲に、自分たちだけは責任から逃げるつもりか！」
比較的まともな騎士や兵士たちが残ってはいるが、急な謀反に対応できずに苦戦を強いられていた。
座っていたヘルトラウダは、立ち上がって命令を下す。
「ここまでです。降伏勧告をしなさい」
焦る将軍がヘルトラウダに降伏をさせまいと説得する。
「お待ちください！ このままでは王女殿下が殺されてしまいます」
ヘルトラウダが頭を振る。
「ここまでよく戦ってくれました。それに、王国には捕らわれているお姉様がいます。私がいなくても、公国は残りますよ」
「王女殿下」
周囲の者たちが涙を流していると、王城が激しく揺れた。
倒れそうなヘルトラウダを侍女たちが支え、将軍が叫ぶ。
「突破されたのか!?」
そして、すぐに外の様子を知らせに兵士が飛び込んできた。
「た、大変です！」
◇
「さっさと道を空けろ！」
「邪魔すると撃つわよ！」
王城の廊下を歩く俺は、ヘルトルーデさんを抱きかかえていた。
アロガンツで無理矢理王城に侵入し、ルクシオンに道案内をさせている。
『このまま進んでください』
「お前がいると本当に便利だな」
『それはどうも』
俺たちの前を歩くマリエは、その手にショットガンを持って近付く騎士や兵士たちを威嚇していた。
三人で王城を歩いていると、魔笛を手に入れた夜を思い出す。
外からの砲撃で揺れる王城は、天井から砂や埃が落ちてくる。
そんな俺たちの前に、護衛に守られたヘルトラウダさんが現れる。
「お姉様！」
駆け寄ってくるヘルトラウダさんに気が付き、ヘルトルーデさんが目を開けた。
顔色は悪く、唇も青くなっていた。
光の消えた瞳で、ヘルトラウダさんを見て微笑む。
――最近、こんな事が増えて嫌になる。
ルイーゼさんの顔が頭をちらつき、それを振り払うためにかぶりを振る。
ヘルトルーデさんが手を伸ばした。
「ラウダ、ごめんね。お姉ちゃん、何も出来なかった」
伸ばした手をヘルトラウダさんが強く握る。
「そんなことない！ そんなことないから。だから――私を一人にしないでよ。嫌だよ。一人は嫌だよ」
泣きじゃくる妹の姿に、姉であるヘルトルーデさんが困ったように微笑む。
「一人にしてしまってごめんなさい。でもね、ラウダにはやって欲しいことがあるの」
「お姉様？」
「聖女を止めなさい。彼女は危険よ。もう、王国は半ば聖女に支配されているわ。彼女はこの国も、そして自国も滅ぼすつもりです」
「そんなことって」
「事実です。だからラウダ、あなたがこの国をまとめて。そして民を守りなさい。それが、飾りであろうとも王族の責務なのだから」
「――はい」
周囲で俺たちを警戒する騎士や兵士たちが、ヘルトルーデさんの言葉を聞いて目を見開く。
聖女が自国すら滅ぼすつもりであるのが、理解できなかったようだ。
それは俺もマリエも同じだった。
驚きすぎて、二人の会話に割って入ってしまう。
「どういうことだ？ オリヴィアさんが言ったのか？ 本当に!?」
すると、マリエが俺を押さえた。
「ちょっと、今は駄目！」
「わ、悪い」
今生の別れをしている姉妹の邪魔をしてしまい、俺が謝罪をするとヘルトルーデさんが苦しそうに笑いながら事実を語る。
「聖女オリヴィアは確かに言ったわ。ホルファートに連なる全てを滅ぼすとね。公国も元をたどればホルファート王家の血を引いています。彼女にとっては敵なのでしょう」
オリヴィアさんが全てを滅ぼすと言った？
マリエは顔から血の気が引いていた。
俺は面会した時に助けてと叫んでいたオリヴィアさんを思い出す。
本当に――どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
「ラウダ、あなたは女王になりなさい。そして、王国と戦い、国と民を守りなさい」
「で、でも。公国にそんな力はありません」
ヘルトラウダさんは、自国の軍事力では王国に対抗できないと理解していた。
だから、ヘルトルーデさんが俺を見る。
師匠の二つ目の頼み。
それは公国と手を結ぶことだ。
俺はそのための使者としてこの場に来ている。
「王国の貴族たちも、今の王家には付き従うつもりはないそうです。そのために手を貸すと約束してくれました。私を助けてくださったのは、バンデルを倒した騎士です」
この場に集まった全員の視線が俺に集まった。
ヘルトラウダさんが、俺を見る目が険しくなる。
「――公国にもバンデルを倒した仮面の騎士がいるとは伝わっていました。まさか、あなたが本人だとは思いませんでしたけど」
仮面の騎士扱いを訂正しようと一瞬だけ思ったが、二人の会話を邪魔したくなかったので仕方なく黙る。
それに、周囲の驚きと憎悪に染まった瞳で見られては落ち着かない。
ヘルトルーデさんは苦しそうにしながら話を続ける。
「まずは国をまとめなさい。ラウダ、もうあなたしかいないわ」
ヘルトラウダさんが、ヘルトルーデさんに額を押しつける。
「私では無理です。お姉様が女王になってください」
「無茶を言わないで。もう長くないのよ。これからは、あなたを見守っているわ」
「お姉様」
「最期に会えて良かった。いつまでも愛しているわ、私の可愛い妹――ヘルトラウダ」
ヘルトラウダさんが泣き出してしまうと、ヘルトルーデさんの瞳が俺に向けられた。
「リオン殿、私の願いを聞いていただけますか？」
「――外の連中か？」
裏切り者たちを倒して欲しいという願いかと思えば、ヘルトラウダさんが微笑みながら首を力なく横に振る。
「それもありますが、大事なのはラウダのことです。公国が手を貸す見返りに、どうかこの子を守ってください」
「いや、俺は」
そこまで責任を持てないと言おうとすれば、ヘルトルーデさんが光を失った瞳で俺を見つめる。
「私はバンデルを殺したあなたが憎いです」
「――そうでしょうね」
公国の英雄である黒騎士を殺したのは俺だ。
そんな俺を恨むのは当然だろう。
それでもいきなりの本音に戸惑っていると、ヘルトルーデさんが俺に呪いをかける。
それも飛び切り質の悪い呪いだ。
「だから私はあなたに呪いをかけます。強くて優しい騎士であるあなたが、私の最期の願いを聞けばきっと叶えてくれるでしょうから」
「俺が優しい？ それに呪いとは穏やかじゃないぞ」
「願いですよ。私にとっては希望で、あなたにとっては呪いです。私が信じたのは、あなたの国や貴族たちではありません。あなた自身です」
「過大評価だな。それにしても――あんた、思ったより酷い人だな」
確かに呪いだな。
「可愛い妹のためになら、呪いの一つや二つはかけますよ。――どうか、妹のヘルトラウダを助けてください。お願いします。優しい――騎士さん――」
力尽きてしまったヘルトルーデさん。
彼女を公国の騎士たちに任せると、マリエが俺の腕を掴む。
「引き受けるつもり？ 止めてよ！ あんた、本当にいつか壊れるわよ。柄じゃないでしょ？ こんなことをするなんて、あんたらしくないわよ」
俺を心配したマリエは、何故か酷く焦っていた。
「公国と手を結ぶのは悪い話じゃないからな」
「けど！」
「今まで放置した責任もある。それに、こっちにはルクシオンがいるから負けないって」
自然とルクシオンに視線が向かった。
ルクシオンは感情を感じさせない電子音声で返事をする。
『私がいる限り、負けはあり得ません』
マリエは俺の腕から手を放すが、納得していないのか悔しそうに呟く。
「そうじゃない。そうじゃないのよ」
◇
王城の周囲では、先ほどまで優勢だった貴族たちが逃げ惑っていた。
旗艦に乗り込んでいたゲラットは、王城から現れた鎧を見て怯えていた。
すぐに逃げろと、飛行船の船員たちに命令する。
「何をしている！ 相手は黒騎士を倒した奴だぞ！」
反転して逃げ出そうとする旗艦のブリッジからは、隣を飛行していた味方の飛行船が炎に包まれてゆっくりと地面に落下していく。
飛び回る味方の鎧は、追尾してくる筒状の何かに追い回されていた。
当たると爆発し、地上へと落下していく。
大きな飛行船である旗艦は、反転する速度が遅かった。
これではただの的であるため、ゲラットは冷や汗をかいて震えている。
「すぐに逃げろ！ これは命令ですよ！」
「やっていますよ！」
混乱する戦場で、一般の船員が伯爵のゲラットに無礼な口を利いた。
それを咎められないほどに、ゲラットも周囲も混乱している。
この場にいる全員が、何となく察していたのも原因だ。
誰かが叫んだ。
「ひっ！ 化け物が来た！」
味方が次々に撃ち落とされていく戦場で、いつの間にか旗艦が最後の生き残りであった。
ブリッジを覗くように現れたのは、黒と灰色のカラーリングの鎧だ。
無骨で凶悪そうな鎧が、ブリッジに戦斧を振り下ろす。
斬り付けられた場所から鎧が手を差し込み、強引に広げて入り込んできた。
ゲラットたちを見下ろした鎧は、降伏勧告を行ってくる。
『さっさと降伏しろ』
黒騎士を倒した王国の鎧の登場に、ブリッジの船員たちは抵抗する気力も失せて床に座り込む。
ゲラットだけが、このまま降伏しても助からないと理解しているため、激高しながら鎧に向かって抗議していた。
「何故王国の騎士がここにいる！ 王女殿下は王国と繋がっていたのか!? これは由々しき事態です。売国奴の王女殿下にはしっかりと事実を説明――」
生き残るために必死に王女殿下――ヘルトラウダの罪を問うのだが、そんなゲラットの言葉は鎧の拳が振り下ろされて強引に止められた。
ゲラットの前に鎧の拳が振り下ろされ、床が大きくへこむ。
少しでも拳がゲラットに近ければ、きっと死んでいただろう。
ヘナヘナと崩れるように倒れるゲラットを見て、王国の鎧は空へと舞い上がる。
代わりに現れるのは、王城の騎士たちだ。
次々に旗艦へと乗り込み、ゲラットや主戦派の貴族たちを捕らえていった。
◇
リオンが公国で暴れている頃。
ホルファート王国の王宮では、ユリウスがヘルトルーデの一件を聞いて歓喜していた。
「本当だな!? 確かにアロガンツだったんだな!!」
報告を持ってきたジルクの両肩を掴み、あまりの嬉しさに激しく揺さぶる。
ジルクが強引に手を払いのけて、乱れた服や髪型を整えながら続きを話す。
「本当です。監禁されている屋敷で働いていた者が、アロガンツの姿を見たそうです。特徴的な姿をしていますから、間違いなくそうでしょう」
ヘルトルーデをリオンが救い出した。
だが、王国から見ればこれは間違いなく裏切りである。
ユリウスが喜んだのは、リオンの方から攻め込む大義名分を用意してくれたことだ。
これではいくらオリヴィアがリオンを庇ったとしても、納得する者は少ない。
ユリウスはこの場にいないリオンに向かって、その迂闊さを笑う。
「馬鹿なことをしたな。これは言い訳が出来ない失態だ。バルトファルト、もうお前は終わりだよ」
大声で笑い出すユリウスだったが、ジルクは微笑む程度にとどめていた。
本人もリオンを笑いたいのだろうが、抜け目ない男である。
ユリウスに表立って責めないように注意する。
「お喜びのところ申し訳ないのですが、我々はあまり彼を責めるべきではないでしょう」
「何故だ？」
ユリウスが鋭い視線をジルクに向けてくる。
ジルクは肩をすくめて、問題点をユリウスに教える。
「オリヴィアさんですよ。理由があろうと、我々が表立って動けば悲しむはずです」
「そ、それはそうか」
ユリウスもオリヴィアの名前を出されると弱い。
だが、リオンを殺したい気持ちも強い。
そんなユリウスに、ジルクが提案する。
「ルトアートを使いましょう」
「あいつは使えるのか？ 頼りにならない奴だぞ」
ルトアートの名前を聞いたユリウスは、面会時の頼りない姿を思い出して不安になってくる。
本当にあいつがリオンを倒せるのだろうか？
失敗するようにしか思えなかった。
「ルトアートにバルトファルト家の悪事を暴露させましょう。この際ですから、多少は話を盛って彼には悪役に徹してもらいます。そうすれば、討伐を主張する者たちも増えますからね」
王宮内の意見を討伐でまとめ上げて、自分たちも仕方なく参加する方向に持っていく。
ジルクの提案にユリウスは賛成する。
「それはいいな。それで、ルトアートはどうする？」
「先遣隊で司令官として派遣しましょう。どうせ負けるでしょうが、正義を示した若き騎士の願いを叶える美談が出来上がりますからね」
「ルトアートは思っていたよりも役に立つな」
二人が微笑して部屋から出て行く。
◇
数日後。
ルトアートは、バルトファルト家討伐軍の指揮官に任命された。
率いる飛行船の数は十隻。
どれも旧式の飛行船ではあるが、十隻の飛行船を率いる立場というのはルトアートからすれば大出世であった。
出発の前に、着飾った母親のゾラと姉のメルセが港にやってきていた。
ゾラは司令官になったルトアートを褒めている。
「偉いわ、ルトアート。大出世じゃない。さすがは私の息子よ」
メルセはルトアートが出世したことで、自分たちにもおこぼれがあると喜んでいた。
「成功すれば、男爵家の財産は全て私たちの物よ。ルトアート、しっかりやりなさい」
ルトアートは自分の胸を叩く。
「任せてくれよ。これだけの数があれば、あんな田舎はすぐに火の海さ。リオンがいくら強かろうとも、この数なら圧倒できる」
戦場が怖くて一度も実戦を経験していないルトアートは、リオンの強さを過小評価していた。
周囲がどれだけ功績を説明しても、どうせ戦場で尾ひれのついた噂話程度と考えている。
十隻の飛行船という数に浮かれていて、現実をよく見ていなかった。
「ユリウス殿下は仰ったんだ。成功したら、宮廷貴族として伯爵の地位を認めてくれるってね」
領地を持たない宮廷貴族だが、王都で暮らせて身分が伯爵となれば大出世だ。
ゾラもメルセもその話に喜ぶ。
「頑張るのよ、ルトアート！」
「絶対に成功させてよね！」
二人の期待に応えるように、ルトアートは慣れない敬礼をする。
「必ず吉報を届けるよ」
ルトアートが二人に出世を約束し、飛行船へと乗り込んでいく。
◇
艦隊はバルトファルト領を目指していた。
古い飛行船のブリッジで、ルトアートは装飾過多である儀礼用の軍服を着用していた。
そんなルトアートの振る舞いを軍人たちは陰で笑っていたが、本人は知りもせず威張り散らしている。
「おい、まだ到着しないのか？」
一時間おきに到着までの時間を確認するルトアートに、ブリッジの船員たちは辟易していた。
「まだですよ。暇なら休憩でもされたらどうですか？」
船員たちはルトアートを敬わない。
その理由は、ルトアートが素人だからだ。
学園を卒業してから何もしてこなかったルトアートは、本来ならば司令官になれる人物ではなかった。
それを上からの命令で押しつけられてしまった軍人たちは、不満しかない。
ルトアートは休憩を拒否する。
「休んでいられるものか。ようやく掴んだチャンスなんだ」
ルトアートにとって、これは一発逆転の好機であった。
戦争が怖くて逃げ出した過去があるルトアートは、貴族社会では腰抜け扱いだ。
それに引き換え、リオンやニックスは戦場で活躍して出世している。
妾の子より劣ると嘲笑され、酷い屈辱を味わった。
逆恨みでしかないのだが、ルトアートにとってこれは正当な復讐である。
「あいつらを殺して、何もかも奪って――」
親指の爪を噛みながら、ブツブツと呟くルトアートはその先の台詞を言えなかった。
「飛行船を確認！ あの家紋は――レッドグレイブ家とバルトファルト伯爵家です！ 数は三十隻！」
ルトアートが椅子から腰を上げる。
「どうして!?」
どうしてレッドグレイブ家とニックスがこの場にいるのか？
本来なら数の暴力で実家を滅ぼすはずだったルトアートは、三倍の敵が現れた途端に狼狽していた。
「撃ってきた！」
軍人たちが叫ぶ。
「シールドの展開を急げ！」
「駄目です。この船の出力では耐え切れません！」
次々に砲弾が撃ち込まれたルトアートの飛行船は、すぐに炎に包まれていった。
「嫌だ。こんなところで終わるなんて嫌だぁぁぁ!!」
◇
討伐軍を全滅させたニックスは、飛行船の甲板から海を見下ろしていた。
墜落したルトアートの飛行船の破片が、海に浮かんで波で揺れている。
そんなニックスの横に立つのは、レッドグレイブ公爵家の艦隊を率いたギルバートだ。
ギルバートは、伯爵であるニックスに礼を言う。
「ニックス殿に協力して貰えて感謝しておりますよ」
感謝されるニックスだが、複雑な表情を浮かべていた。
公爵家の嫡男に物腰柔らかく応対されるのも慣れないが、それよりも現状に心の聖散るが追いつかなかった。
「実家が滅ぼされると聞けば手を貸すしかないでしょう。ドロテアとローズブレイド家が、よく認めてくれたと思いますよ。本当なら、俺を王国に差し出した方が安泰でしょうに」
実家に討伐軍派遣されたと聞き、ニックスは真っ先に売られると考えていた。
だが、そうはならなかった。
不思議に思っていると、ギルバートが含みのある笑みを浮かべて事情を説明する。
「今の王家に媚びを売るほど、ローズブレイド家は時勢の読めない家ではありませんよ」
「――本当にリオンに直接声をかけるつもりですか？ 俺の実家は男爵家ですよ。公爵家の嫡男がわざわざ出向く必要がありますかね？」
ギルバートが来たのは、リオンを勧誘するためだった。
「妹が世話になっていますからね。それに、貴殿たちには期待していますから」
◇
王宮では、オリヴィアが深いため息を吐いていた。
報告書を読むと、握りつぶして投げ捨ててしまう。
「いつの時代も男の嫉妬はみっともないわね」
吐き捨てるような台詞だったが、報告書を拾ったカイルが怯えながら尋ねる。
「バルトファルト家は討伐されると聞きましたけど、何もしなくてよろしいんですか？ えっと、リオンの――」
「敬称を付けろと教えたわよね？」
リオンに対する無礼に、目を細めるオリヴィアはカイルに殺意を向けていた。
カイルが慌てて訂正する。
「リオン様をお助けしなくてよろしいのでしょうか！」
オリヴィアは憂いを帯びた表情を見せた。
「無駄よ。どうせ、ユリウスたちは勝手に動くわ。ルトアートを捨て石にしたみたいにね」
リオンの駆るアロガンツも凄いが、バルトファルト家の戦力を考えるとルトアートに勝ち目はないとオリヴィアは判断していた。
実際にすぐに負けたと知らせが来ている。
そんなことよりも許せないことがある。
オリヴィアはうっすらと笑みを浮かべていた。
「時々突飛なことをするのは、リーアの血かしらね？ 公国の姫に手を貸すのも同じ。憎らしいけど、そこがいい」
怒りながらも喜んでいた。
そんなオリヴィアの複雑な気持ちを、カイルは理解できずにいた。
「あ、あの」
「リオンがこの程度で負けるわけがないわ。実際にルトアートも負けたからね。それにしても、レッドグレイブ家が動いたか」
混乱する状況ながら、オリビアは邪魔者が次々に消えていく事に喜びを感じていた。
レッドグレイブ家が謀反。
手を貸す貴族たちが続々と集まっているらしい。
そんな貴族たちに対抗するため、王国はユリウスを総司令官に迎え撃つつもりのようだ。
オリヴィアは嬉しくてたまらない。
「さて、次は誰が消えるのかしらね？」
（最後に生き残っているのが、私とリーアであれば他はどうでもいいわ）
◇
パルトナーが実家に帰港した。
そして、俺は実家の屋敷で親父と向き合っている。
怪我をしてベッドに横になる親父は、俺の話を聞いて複雑な顔をしていた。
怒りたいのか、驚きたいのか、泣きたいのか？
次々に変化する表情を見ていると、最後は諦めたようだ。
色々と言いたいこともあるのだろうが、今は重要なことを優先するらしい。
本当に出来た親父だよ。
「田舎貴族には荷が重い話だな」
「同感だな」
共和国での出来事や、公国に手を貸した件、そして王都で知り得た情報を伝え終わると親父は決断する。
「リオン、俺には判断が出来ない。ニックスやギルバート殿からも話を聞いたが、もう何が何やら」
俺が帰る少し前に、兄貴とギルバートさんが実家を訪れていた。
兄貴はすぐに戻ったそうだが、ギルバートさんはアンジェリカさんの様子を見てから戻るらしい。
それよりも、ルトアートが実家を攻めてきた話の方が俺は驚きだ。
あいつならやりそうだけどさ。
「親父が決めないと困るんだけど？」
決断を迫ったが、親父は判断を保留する。
代わりに別の決断を下した。
「俺の代わりに当主をやれ。もう王国に頼って許可をもらっている場合でもないから、俺の判断でお前を当主にする」
「は？ いや、それは駄目だろ！」
「駄目なのはお前だよ！ 何をどう間違えれば、王国と争うことになるんだよ！ 本当は勝手に動いたことを怒鳴りたいし、殴ってやりたいくらいだ」
怪我した腕を見せる親父は「運が良かったな」と言ってから、俺に当主の座を譲る本当の理由を話す。
「俺には判断できん。それに、俺よりもお前の方がうまくやれるだろうからな」
「親父」
◇
部屋を出ると、親父に食事を届けに来たマリエがいた。
「説教は終わった？ その様子なら殴られなかったみたいね」
マリエは俺の行動を親父が叱ると思っていたようだ。
確かに激怒されても仕方がない立場ではある。
「親父は怪我人だから殴れないだろ」
「あんたのしたことを考えれば、殴られてもおかしくないわよ」
勝手にヘルトルーデさんを助け出し、公国に手を貸してしまった。
確かに身勝手すぎる。
マリエは俺のことを心配しているようだ。
「本当に取り返しがつかないわよ。これからどうするの？ ルクシオンに頼んで何とかしらもらうつもり？」
最終的にルクシオンに頼めば全て解決――とはならずとも、力業でどうにかなるとは思っている。
ただ、そこまでしたくない自分がいた。
「あいつの力を使って暴れ回るのはちょっと違うかな？」
「アロガンツで散々暴れ回っていた癖に、どの口が言うのよ？」
「ルクシオンが本気になったら大虐殺だぞ。俺は嫌だね」
廊下を歩きながら話をしていると、話題が実家で世話をしている人たちに移る。
クラリス先輩たちをはじめ、共和国で助けた人々まで実家で面倒を見ている。
理由は王都に引き渡せなかったため、実家に連れてくるしかなかった。
「共和国の人たちはどうするの？ あのオリバーって人が皆をまとめてくれているけど、いつまでここで匿うの？」
「引き渡したいけど、俺って今はお尋ね者になっている可能性があるからな」
「確実にお尋ね者でしょうが！ だから私は反対だったのよ！ 余計なことばかり背負い込んで、本当に男って馬鹿みたい。うちの兄貴もそんなところがあったわ」
「お前の兄貴が？ キレやすくて陰険だとか言っていなかったか？」
「――時々無茶をするのよ。無理をしているように見せないのも問題でね。そういうの、周りからすると困るのよ」
マリエが前世の兄を思い出して話をしているが、その様子は懐かしそうだった。
嬉しそうだが、寂しそうな表情だ。
「だから、あんたも無理はしない方がいいわよ」
「それなら心配いらないな。そもそも、俺には選べる道が少ないんだ」
「どういう意味よ？」
「――前に俺が師匠と話をしただろ？」
「私がいなかった時よね？」
あの時に何があったのか、俺はマリエに全て話す。
「聖女様が俺を自分の親衛隊に迎え入れると言ったらしい」
「はぁ!?」
「特別待遇で迎え入れると言い出して、王宮は大慌てだ。何しろ、ユリウス殿下たちは俺に恨みがあるからな。そんな男が愛しい彼女の側にいるのが許せないって話だ」
「何それ。もしかして、痴情のもつれで変なことになっているの？ 最悪じゃない」
これが笑い話なら良かったのだが、ユリウス殿下たちにとって俺は殺すべき相手になっているということだ。
オリヴィアさんがどれだけの権力を持っているのかは知らないが、彼女の権威は聖女という立場と――ユリウス殿下たちの恋人というのが大きい。
マリエは憤慨している。
「やっぱり乗っ取られているわね！ こうなったら、ルクシオンに頼んで聖女をどうにかしてもらいましょうよ」
「それも考えたんだけどさ。もう手遅れだ」
「何で？」
あの日、師匠から聞いたのは――。
「――王国の大貴族たちが、王宮を見限ったそうだ。水面下で反乱の準備が進んでいるからな。直に内乱だ」
マリエが歩みを止めると、顔から血の気が引いていた。
「嘘」
マリエより数歩先に進んだ俺も立ち止まり、上半身だけを振り返る。
「本当だ。師匠が教えてくれた。もう話し合いでどうにかなる段階じゃない」
師匠は出来れば内乱を回避しようと動いていたそうだ。
そんな師匠もお手上げとなれば、これから始まるのはゲームシナリオにはない内乱だ。
いつまで戦えばいいのだろうか？
公国との戦いで流した血は少なくないのに、この国はまだ戦い足りないらしい。
「最悪だよな。俺たちもレリアと同じだったわけだ」
気が付いたらあの乙女ゲーのシナリオよりも、最悪の方向へと進んでいた。
余計なことをせずに、静観していれば良かったのかも知れない。
安易に手を出した結果、取り返しのつかない事態を招いてしまった。
マリエは俯くと、暗い表情で俺の今後を尋ねてくる。
「あんたはどうするのよ？ また戦うの？」
「――多分な」
「どうしてよ！ そんなのおかしいわよ！」
マリエは顔を上げると、俺の答えが信じられないと言って説得をはじめた。
「師匠に言われたら喜んで戦争するの？ ルクシオンに頼んで解決してもらえばいいじゃない！ あいつならきっとうまく――うまく」
ルクシオンを信じ切れないマリエが、頼るのをためらっていた。
今のあいつは、きっと強硬手段で解決するだろう。
本気で王都を吹き飛ばしそうで怖い。
「師匠に言われたからじゃない。俺が決めたからだ」
「どうして！」
「下手に関わって放置したからだ」
「っ！」
マリエにも心当たりがあるため、言い返せないでいる。
もっと警戒していれば、こんなことにはならなかった。
全てを安易に考えた結果、レリアのように国を滅ぼしかけている。
「マリエ、俺はこの件が片付くまで本気動くぞ。ルクシオンの力も借りて、内乱を終わらせる」
「それって、国に逆らうって事よね？」
俺の立場を考えると、王国側には立てない。
何しろ、ユリウス殿下たちに嫌われてしまっているからな。
静かに頷くと、話を聞いていたアンが姿を見せる。
『いい話を聞いた』
俺がびくりと震えて、マリエの方は周囲に視線を巡らせ怒鳴りつける。
「出てこい、この盗聴魔！」
『盗み聞きしたことは謝るさ。だが、ホルファートたちと戦うならば、私も全力で支援しよう。私の目的は、あいつらを滅ぼすことだからな』
驚いた俺の心臓が、バクバクと音を立てている。
壁から突き抜けるように姿を見せたアンは、黒い煙を揺らしていた。
人型の黒い靄が、俺たちに近付いてくる。
どう見ても幽霊やお化けの類いにしか見えないし、実際にこいつは聖女様の怨念だ。
怖がっているのを悟られないようにしていると、アンが俺たちに緊急事態を知らせる。
『それよりも急いでお前の浮島に向かえ。アンジェリカはこのままでは暴走するぞ』
「え？」
『言っただろう？ あの娘は私と似ていると。性格だけの話ではないぞ。あの娘は、下手をしたら今のオリヴィアと同等かそれ以上に危険な存在だ』
◇
アンジェリカが暮らしているのはリオンの浮島だった。
精神的に不安定なアンジェリカは、石を積み上げて作られた塔で暮らしていた。
窓には鉄格子がはめられ、頑丈なドアには外から鍵がかけられている。
本来ならば監禁などリオンたちもしたくはなかったのだが、アンジェリカの様子がおかしいため手段を選んでいられなかった。
そこに、妹を心配したギルバートが訪れる。
ギルバートの後ろには、アンジェリカの世話役であったコーデリアの姿がある。
「久しぶりだな。今日からはコーデリアを側に置く」
コーデリアが憔悴したアンジェリカに頭を下げるが、何の反応も示さない。
その姿にコーデリアは口元を抑えて、涙ぐんで「お労しや」と呟いた。
アンジェリカの様子を見て、ギルバートはため息を吐く。
「いい加減に割り切れ」
（殿下に裏切られたのが、よほど辛かったのだろうな）
アンジェリカがユリウスを愛していたというのは知っていたが、まさかここまでとはギルバートも思わなかった。
そんなアンジェリカに、事実を伝えなければならない。
「返事もなしか？ だが、お前には今後について話しておく。本来ならば、お前はバルトファルト家の繋ぎ役として働いてもらうつもりだったからな」
今のアンジェリカでは役目を果たせそうにはない。
だが、余計なことをさせないためにも、ギルバートは大事な話をする。
「レッドグレイブ家は王家に謀反を起こした」
アンジェリカが顔を上げる。
顔はやつれているが、その瞳が不気味に光っているように見えた。
「名だたる貴族たちはこちら側についた。今の王家に忠誠を誓うほどの価値はないからな」
ユリウスたちのこれまでの行動が、貴族たちに不満を抱かせていた。
それに、王宮内の動きも怪しい。
レッドグレイブ公爵家が立ち上がるならば手を貸す――という貴族たちが多かった。
「アンジェリカ、レッドグレイブ家が王座に就く。そうしなければ、この国はもうまとまらないからだ。この意味が理解できるな？」
それは現在の王族を廃して、自分たちが王座に座るという意味だった。
国王や王妃はもちろんだが、ユリウスたち王族も全て処刑されることになる。
アンジェリカはゆらりと立ち上がる。
「殿下は？ 殿下はどうされているのですか？」
「この期に及んでまだユリウス殿下の心配か？ 当家の謀反を聞いて、自らが討伐すると息巻いているそうだ。まだ勝てると思っているらしい。軍もこちらに合流しつつあるというのに。――お前には悪いが、もう諦めろ。ユリウス殿下は――あの男は、お前がここにいると知りながら、討伐軍を派遣した男だ。討伐軍に出された命令を知っているか？ 全てを焼き尽くせ、だぞ。あいつにとって、お前はそれだけの存在だったということだ」
ギルバートが勝利を確信しているのは、それだけの味方を得たからだ。
そして、ユリウスがいかにアンジェリカを軽んじていたのかを語る。
諦めさせるためだったのだが、それが火に油を注いでしまった。
アンジェリカはその話を聞いて、不気味に笑い始めた。
「あは。あははは！ そうですか！ 私は殿下にとってそれだけの価値しかなかったと！ ――これも全て、聖女を名乗るあの女に誑かされたから!!」
アンジェリカを中心に炎が出現し、それが渦を巻いていく。
ギルバートが後ろに控えているコーデリアを守りつつ、自分たちの前に魔法で障壁を作り出した。
「アンジェリカ、止めろ！」
涙を流しながら笑うアンジェリカは、髪を束ねていたリボンなどが焼き切れる。
長く綺麗な金色の髪は、炎に触れても燃えることがなかった。
焼けるのはアンジェリカの衣服のみ。
どれだけ炎がアンジェリカに触れようとも、その肌には火傷が出来ない。
「――全て燃やしてやる。そう、全てだ。あの女も、そして殿下を誑かすもの全てを焼却してやる」
正気を保っているのか怪しいアンジェリカを前に、ギルバートやコーデリアは唖然とする。
「止せ！」
「アンジェリカ様、もうお止めください！」
二人が必死に止めるため声をかけ続けるが、アンジェリカが左手を二人に向けた。
炎が二人に襲いかかり、二人は壁を突き破って外に放り出される。
多少火傷はしていたが、二人とも無事だった。
放り出されたギルバートが建物を見れば、渦を巻いた炎が空高くで伸びていた。
そこからアンジェリカの笑い声が聞こえてくる。
「全て灰になってしまえばいい！」
アンジェリカの悲しそうな笑い声が、当たりに響き渡った。
◇
マリエたちが浮島に来ると、炎の竜巻が曇り空を赤く染めていた。
炎の中からは女性の笑い声が聞こえる。
マリエにはそれが、とても悲しい声に聞こえた。
「どうしてアンジェリカまで、こんなことが出来るのよ？」
人が扱える魔法の域を超えていた。
呆然とするマリエの側に、アンが姿を現す。
薄暗く、炎の竜巻に周囲の視線が集まっているため目立たなかった。
『あの娘は私と同じ血を引いている』
「はぁ!? 初耳なんだけど！」
『お前とオリヴィアは私の血筋だが、アンジェリカは私の妹の血筋だろうな』
「妹がいるなんて聞いていないわよ！」
『聞かれなかったから答えなかった。そもそも、私と妹は姉妹という名の他人だったからな。大方、私が去った後に聖女の後釜にでも座ったのだろうさ』
恨みもないが、特別仲の良い姉妹ではなかったそうだ。
アンの話も気になるマリエだが、それよりも今はアンジェリカだった。
マリエが一歩踏み出すと、熱を感じる。
炎に触れなくても、周囲の温度は上昇していた。
「熱っ！ これ、どうやって助ければいいのよ」
アンジェリカを助けようとするが、その手立てが思い浮かばない。
そんなマリエにアンが協力を申し出る。
『私が精神に干渉して止めてもいいぞ』
「出来るの？」
『近づければな。魔法で作り出された炎に飛び込むのは、さすがに遠慮したいところだが』
「駄目じゃん！」
マリエにしたように、アンジェリカの精神に干渉して暴走を止められる。
だが、そのためには炎を突破して、アンジェリカに接触する必要がある。
マリエにはどうすることも出来なかった。
見守るしかないマリエたちだったが、そこにアロガンツに乗り込んだリオンが現れる。
「アンジェリカさんに近付けばどうにかなるんだな？」
胸部ハッチを開けて、顔を出すリオンにアンは頷くような仕草を見せた。
『近付けば可能だが、あの炎の中に飛び込むつもりか？』
リオンは拳でアロガンツを軽く叩いた。
「アロガンツの耐熱性を甘く見るなよ」
笑みを浮かべるリオンに答えるのは、アロガンツ自身だった。
こちらも自信を持っているようだ。
『アロガンツなら耐えられる。ルクシオンもそう言った』
名前が呼ばれると、ルクシオンがこの場に現れた。
普段と変わらぬ電子音声は、マリエにはやる気が感じられない。
『問題ないでしょう。マスターのパイロットスーツでも、数分なら耐えられますからね』
リオンがアンをコックピットへと誘う。
「ほら、お前はこっちだ」
アンはためらいがちにアロガンツのコックピットへと入った。
普段はアンに怯えているリオンだが、焦っているのか怖がる様子は見せない。
次にリオンはルクシオンに視線を向ける。
「お前はどうする？」
お前もコックピットに入るか？ そんなリオンの誘いをルクシオンは断る。
『遠慮します。ここからでもサポートが出来ますからね』
「――そっか。マリエ、お前らはもっと離れておけよ」
「う、うん」
リオンがコックピットに入り込み、ハッチを閉じようとする。
ただ、マリエは何故か胸騒ぎを感じていた。
（何でだろう？ 行かせたら駄目な気がする）
何故かリオンを行かせてはいけないと、心が叫んでいるような気がした。
手を握りしめ、胸に当てて言葉を飲み込む。
代わりに出るのは激励の言葉だ。
「ちゃんと助けてきなさいよ！」
アロガンツのハッチが閉じると、拡声器からリオンの返事が聞こえてくる。
『任せろ！』
アロガンツが炎の竜巻に飛び込むと、マリエは嫌な予感がしてならない。
そんなマリエの横に残ったルクシオンは、リオンの行動が理解できない様子だった。
『理解に苦しみますね。無理をしてまでアンジェリカを助ける価値が、本当にあるのでしょうか？』
ルクシオンにとって、アンジェリカはその程度の価値だった。
もっと言えば、ルクシオンにとってはホルファート王国も、そして自分たちの状況も些事でしかないのだろう。
マリエは自分の胸元を握りしめ、服を掴む。
「あるに決まっているでしょう。アンジェリカが死ぬと色々と面倒なのよ」
『――全て吹き飛ばせば一瞬で解決しますが？』
「こんな時に冗談でも止めてよ！」
『失礼しました』
ルクシオンが黙り込むと、マリエはリオンが飛び込んだ炎を見る。
リオンなら無事に戻ってくるとは理解しているが、何故か自分は過ちを犯したように思えた。
（何でこんなに胸が苦しいのよ）
アンジェリカを助けるリオンの行動は正しいはずだ。
それなのにマリエは、言いようのない不安を感じていた。
まるで選択を間違えてしまい、後戻りできないような後悔に胸が締め付けられる。
（その6了）