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「乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です 10」著者書き下ろしのショート・ストーリーをプレゼントします。

マリエルートその8


 夜が明けた。

 ホルファート王国の王都近郊には、王家に反旗を翻した貴族たちの飛行戦艦が集結していた。

 貴族連合を名乗り、盟主となったレッドグレイブ公爵家の飛行戦艦を旗艦としていた。

 その中にはパルトナーの姿もある。

 その一室――貸し与えられた客室では、アンジェリカが持ち込んだ革製の旅行鞄をテーブルに置いて中身を取り出していた。

 旅行鞄の中に入っていたのは、装飾されたライフルと弾丸だ。

 観賞用で実用性皆無といったライフルを鞄から取り出すと、アンジェリカは慣れた手つきで組み立てていく。

 無表情で、静かに。

 ライフルが組み立て終わると、アンジェリカは客室にあった姿見に顔を向けた。

 そこに映る自分の姿を見て呟く。


「我ながらゾッとする醜い姿だな」


 無表情だと思っていたが、いつの間にかアンジェリカはうっすらと笑みを浮かべていた。

 それはこれから行うことを想像して作られた笑みであり、誰かが見ればギョッとしただろう。

 姿見に向かってライフルを構えるアンジェリカは、引き金を引く。

 弾丸が装填されていないため、撃鉄の音だけが部屋に響いた。

 その際、装飾されたライフルの模様が淡い光を放つ。

 窓から朝日が差し込んでくるが、部屋は明りをつけていないので薄暗いため淡い光でも確認できた。

 それを見て、アンジェリカはライフルを置いた。

 次に手に取るのは弾丸――魔力が込められた弾丸だ。

 一発一発が高額な魔弾は、普段はアンジェリカの部屋に飾られていた物だ。

 観賞用でもあるが、ライフルも弾丸も魔道具――実用性に耐えられる武器である。

 冒険者を尊ぶホルファート王国の大貴族ともなれば、観賞用の武器にも実用性を求める。

 アンジェリカが持つライフルも同じだ。

 魔力で強化されたライフルが、魔力で強化された特殊な弾丸を放つ。

 その威力は鎧すら貫通するだろう。

 もっとも、これだけの品を用意して使えるのは財力に余裕のある大貴族だからだ。

 アンジェリカは弾丸を握りしめる。


「バルトファルト、お前は私を裏切った。だから――これは仕返しだ」


 薄暗い部屋の中、アンジェリカの赤い瞳が妖しい光を放つ。



 薄暗い王宮の廊下。

 生々しい戦闘跡が残るその場所には、二人の男性が横たわっている。

 血を流して動かない二人を見下ろすのは、ハイライトの消えた目で笑っているオリヴィアだ。

 聖女アンに体を支配されたオリヴィアだったが、今は口だけを動かせる。

 倒れたマナー講師を見下ろしながら、オリヴィアは悔しがっていた。


「――学者先生」


 幼い頃に出会った学者先生が、マナー講師だとは知らなかった。

 今にして思えば、学園内で何度か遭遇する度に話しかけてくれた。

 ユリウスたちと付き合うようになってから会話も減っていたが、それでも時折話しかけてくれた。

(私が思い出していれば、もっと相談できたのに)

 学園内で孤立していたオリヴィアは、優しかったマナー講師にも疑心暗鬼になっており相談できなかった。

 何しろ生徒だけでなく、教師も自分に冷たかった。

 この人も同じだろうと思い込んでいた。

 自分がもっと心を開いていれば――出会った頃を思い出していれば。

 そんな後悔が押し寄せてくる。

 オリヴィアに代わり、アンが口を動かす。


「今更後悔しても遅い。それに、お前が私を――あの呪われた道具を手に入れた瞬間から、この国が滅びるのは決まっていた。いや、これは運命だよ」


 運命。

 オリヴィアが聖女の聖なる道具を手に入れたのは、偶然ではなく必然だとアンは言い切る。

 ただ、オリヴィアは気になることがあった。

(呪われた道具?)

 聖なる道具が呪われていたなどと言われ、僅かに疑問を抱く。

 アンは何も答えず窓に近付くと、外を見ながらオリヴィアに教えてやる。


「オリヴィア、王都上空を埋め尽くす飛行船が見えるか? 今からこの国が滅びる様を一緒に見物しようじゃないか。最高の見世物だぞ」


 心の中でオリヴィアは強く抵抗する。

(私はそんなの望まない! 戦争なんて――人殺しなんて嫌!)

 誰かが死ぬのも、誰かを殺すのも嫌だった。

 だが、そんなオリヴィアにアンは告げる。


「さっき自分で殺しただろうに」


 オリヴィアは、自分が手にかけた二人の男性を思い出す。

 殺したのはアンだが、オリヴィアには二人を手にかけた生々しい感触が残っていた。

(ち、違う。私は!)

 否定するが、残った感触がオリヴィアを追い詰める。

 人を殺してしまったという罪悪感に襲われ、精神が疲弊していく。

 それをアンは見逃さない。


「ここまでよく粘ったと褒めてやろう。だが、お前の体はもう私のものだ。お前は私の中で眠るといい。――だが、その前に王国が滅び行く様を見せてやろう。我が血脈が時を経て大事を成したのだからな」


 オリヴィアの心の声が聞こえなくなると、アンはフンと鼻を鳴らす。


「これで全てに片がつく。リーアの理想も叶えられる」


 かつて自分が愛した男が夢見た世界を実現するため、アンはホルファート王国を全て焼き払うつもりでいた。

 窓の外から遠くを見れば、貴族たちの艦隊が見える。

 その数は王国側よりも多かった。

 アンは敵も味方も忌々しそうに睨み付ける。


「思う存分につぶし合え」



 パルトナーの甲板。

 俺はアロガンツのコックピットに乗り込むと、ハッチを開けて出撃の合図を待っていた。

 周囲を見れば、ルクシオンが用意した鎧が並んでいる。

 パイロットが乗り込みやすいように膝をついているのだが、その姿は頭を垂れる騎士にも見える。

 アロガンツに向かって二列に並んでいるため、まるで偉くなったような――いや、偉いのか?

 今の俺リオン・フォウ・バルトファルトは、バルトファルト家の当主にして男爵だからな。

 偉い云々は抜きにしても、責任のある立場になってしまった。

 並んでいる鎧に乗り込むのは、バルトファルト家の騎士に加えて、アルゼル共和国で救出した騎士たちも参加している。

 ほとんどがラウルト家の騎士たちだ。

 俺が戦争に参加すると聞いて、志願してきた。

 オリバーさんがまとめ役をしてくれているが、正直理解できない。

 どうして他国の戦争に参加したがるのだろうか?


「大勢の命を預けるなんて気が重いな。それに、共和国の騎士たちまで参加しているしさ」

『自ら志願したのです。マスターが気に病む必要はありませんよ』

「気にするよ。――本当なら実家で大人しくしていて欲しかった」


 ――祖国を失い、主家を失い、死に場所を求めている共和国の騎士たち。

 俺には理解できない騎士道というものか?

 だが、ルクシオンは興味深そうにしている。


『生きるためではなく、死ぬために戦う――理解に苦しみますが、大変興味深いですね』


 ルクシオンに対して、アンが呆れていた。


『お前たちは揃って人の心を理解していないな』


 アンの言葉に俺は肩をすくめた。

 人の心が分からない? そんなの当然の話だ。


「読心術なんて持っていないんだから仕方がないだろ」


 ルクシオンもアンに対して辛辣な返事をする。


『新人類の気持ちを察することに必要性を感じませんね』


 俺たちの返事にアンはヤレヤレと首を横に振っているような仕草をする。


『ただ死にたいのではない。ラウルト家の嫡男に似ているというリオンのために、戦って死にたいのさ。守れなかった主君への罪滅ぼし――の代償行為だな。彼らは自分自身のために戦うつもりだ。――リオン、お前が気に病む必要はない』


 どうやらアンも俺を心配してくれているらしい。


「もしかして、心配してくれたのか?」

『お前は言動の割に繊細だからな』


 優しいアンに、俺はどうしても言わずにいられない。


「そんなの優しいのに、どうして怨念になったんだよ?」


 すると、アンは一瞬間を開けてから答えてくれる。


『愛する者を失うというのは、それだけの価値があるということだ。当時は裏切りにより殺されたと思い込んでいたからな。――リーアの無念を晴らしてやりたかった』


 ――アンにここまで愛された俺のご先祖様は、その後に生き延びて田舎の浮島で過ごしていた。

 それを考えると、何とも酷い話だ。

 せめて、生きていることくらいアンに伝えて欲しかった。

 すると、アロガンツの右腕が動く。

 どうやらマリエが近付いてきたのを察して、コックピットを覗きやすいように足場として右腕を動かしたようだ。

 アロガンツの右腕に跳び乗ったマリエが、コックピットに顔を出してくる。


「ねぇ、いつになったら戦争が始まるのよ? 夜が明けてしばらく経つけど、このままだとお昼になるんじゃないの?」


 この世界の戦争は、昼夜関係なしに行えるものではない。

 そのため、本来ならば夜が明けた段階で動き出すのだが――レッドグレイブ家から攻撃開始を告げる命令が出ない。


「俺に言うな。公爵様が色々と考えているんだろ」


 マリエは遠くに見える公爵家の飛行戦艦に顔を向ける。

 船体が濃い赤で塗装され、金色の装飾がされた派手な飛行戦艦だ。

 周囲のどの飛行戦艦よりも立派だが、大きさはパルトナーに及ばない。

 マリエはそのまま俺に今後の計画を確認してくる。


「それで――本当にオリヴィアを助けるつもりなの?」


 俺の目的は、聖女の呪われた道具に乗っ取られたオリヴィアさんを救い出すこと。

 いくらなんでも、このまま彼女が処刑されると寝覚めが悪い。


「まずはオリヴィアさんを助けるのが先だな。このまま何も知らずに戦争を終えるのは、俺としても気分が悪い」


 マリエは俺の行動が理解できない――いや、無茶をする俺を止めたいようだ。

 俯いて俺を責めてくる。


「もう無茶はしないって言ったのに」

「今回で終わりだって言っただろ。――約束するから、そう拗ねるなよ」


 拗ねる仕草が前世の妹に似ているマリエをからかえば、本人は顔を上げて頬を赤くしていた。


「拗ねてないわよ!」



 レッドグレイブ家の飛行戦艦。

 艦橋には公爵であるヴィンスの姿があった。

 一際豪華な椅子に座り、右手に持つ懐中時計を眺めていた。

 約束の時間から一時間以上も過ぎているのを確認し、本人も諦めがついた。

(ローランドは失敗したか)

 そして、小さくため息を吐いてから懐中時計の蓋を閉める。

 ヴィンスが攻撃開始の命令を出さずに待機させていたのは、ローランドとの約束だった。

(あの馬鹿王は、最後の最後に失敗したな。今まで何度も苦労をさせられ、煮え湯を飲まされてきたが――こうなると、寂しいものだな)

 ヴィンスとローランドの関係は、公爵と国王。

 上司であるローランドには、何度も苦労させられてきた。

 だが、計画が失敗――ローランドも多分生きていないと考えたヴィンスは、数十秒だけ目を閉じてローランドの死を悼んだ。


「――時間を大幅に過ぎたが、これより王都の陣取る王国軍の艦隊へ攻撃を仕掛ける」


 ヴィンスの言葉に、側にいた艦隊司令官が返事をする。


「はっ!」


 艦橋にいる騎士や軍人たちが忙しく動き出すのを眺めながら、ヴィンスは王都上空に見える艦隊を睨み付ける。

(親の心子知らず、だな。ローランド、悪いがお前の息子は見逃せない。だが、約束通り王妃と側室――王女や幼子たちは見逃そう)

 ローランドの約束。

 それは、ローランドが聖女を討って王国軍を混乱に陥れる、というものだった。

 貴族連合にとっては都合のいい話だが、代わりにローランドが要求したのは王妃や側室、そして王女や成人していない子供たちを逃がすこと。

 そこにローランドやユリウスは含まれていない。

 聖女を討ち取ろうとも、ローランドは責任を取って処刑を受け入れるつもりでいた。

(王都の被害は最小限にしたいところだが、無理だろうな)

 ヴィンスの攻撃開始の命令が味方に伝わると、次々に周囲の飛行戦艦が前に出る。

 甲板に整列させていた鎧が浮かび上がり、王都へと向かっていく。

(ローランドからは、聖女たちが王家の船を動かせないと聞いているが――嫌な予感もする。すぐに終わらせたいものだな)



『攻撃開始の命令が出されました。パルトナーを前進させます』


 レッドグレイブ家からの命令を受けた俺は、マリエに下がるように手でジェスチャーをする。

 マリエがコックピットから離れると、ハッチが閉じてくる。

 心配そうなマリエが、気丈に振る舞っているのか無理をしながら笑みを作っていた。


「さっさと帰ってこいよ、ヘタレ野郎」

「心外だな。俺のどこがヘタレだ?」

「私にいつまでも手を出さないところだよ!」


 マリエの意見に反論する前に、ハッチが閉じてしまった。

 ルクシオンはマリエが甲板から待避するのを確認し、俺に告げてくる。


『いつでも出撃可能です』

「――速攻で片をつけるぞ。何が何でも王宮には一番乗りだ」

『構いませんが、本当にオリヴィアを救出するつもりですか? たとえ、聖女の怨念に乗っ取られていたと言っても、信じる者は少ないでしょうね』


 ルクシオンの予想は当たっている。

 聖女が王国を恨んでいたなど、ほとんどの人間が信じないだろう。

 仮に信じたとしても――。


『丸いのが言う通りだ。それに、真実だと理解したところで、あの娘の未来は悲惨だぞ。貴族たちが求めているのは、王国を滅ぼす元凶を作った聖女だ。事実を知った上で、あの娘を処刑台に上げるだろうさ』


 ――アンの言う通り、普通に助けては結局死なせてしまう。

 ならば、普通に助けなければいい。


「いつも通り、助けたら匿えばいい。ルクシオンなら、オリヴィアさんの顔を変えることも可能だろ?」


 ルクシオンの赤いレンズが俺を見て、中のリングを動かしていた。


『一つ疑問があります』

「何だよ?」

『オリヴィアを助けることで、マスターはどんな利益を得るのですか?』


 利益? 決まっているじゃないか。


「俺の気分の問題だ。助けたら気分がいいし、自己満足に浸れるからだ」

『――理解不能です』


 俺から赤いレンズを背けるルクシオンに代わり、アンが俺の言動を笑ってくる。


『実にいいじゃないか。自分が何をしたいかハッキリしているのはいいことだ。その言動、やはりお前はリーアに似ているよ』


 似ていると言われても反応に困る俺は、小さく笑った。


「それに、師匠も助けたいからな」


 アンが困ったように黒い靄を揺らしている。


『そ、そうか』


 アンを困らせていると、ルクシオンが何故か俺の方を向いてこなかった。

 淡々と報告をしてくるだけだ。


『――味方が敵と接触します』

「始まったか」


 飛行戦艦が大砲を次々に発射し、鎧が空中戦を開始する。

 すると、敵側に次々に味方の鎧を撃破して回る赤い鎧が出現する。


「グレッグか」



 王都の周囲を囲む壁から外に出た場所。

 王都を守るように展開した王国軍は、動き出した貴族連合を相手に勇敢に戦っていた。


「これで――九つ!」


 その中でも一際目立っていたのが、グレッグだった。

 赤い鎧に乗り込み、鎧部隊を率いて空を飛び回っている。

 槍を持った赤い鎧の周囲には、ライフルを持った鎧が護衛として随伴していた。


『グレッグ様、先行しすぎです!』

『これでは集中砲火を浴びてしまいます!!』


 護衛たちの忠言に対して、グレッグは槍を振り回して襲いかかって来た貴族連合の鎧を斬り裂いた。

 そうして、弱腰の護衛たちを怒鳴りつける。


「数で負けている俺たちが、このまま戦ってもじり貧だろうが! ここは多少無茶をしてでも、味方の士気を上げて敵の戦意をくじく」


 グレッグなりに考えがあった。

 わざわざ王都の外に出て敵と戦うのは、被害を最小限にするためだ。

 王都上空で戦えば、落ちた飛行戦艦や鎧が王都に被害を出してしまうだろう。

 それを避けつつ、味方の士気高揚のために目に見えた戦果が欲しかった。


『そのために自ら先駆けとなったのですか!』

『流石は武勇に優れたセバーグ家の嫡男です!』


 無策ではないと知ると、護衛や率いる鎧たちも士気が上がっていく。


「俺に続け! オリヴィアに勝利を捧げるのは俺たちだ!!」


 そんなグレッグたちの勇敢――恐れを知らない戦いぶりに、貴族連合の鎧たちは次々に撃破されていく。

 そして、グレッグは敵の飛行戦艦の甲板に降り立つと、そのまま槍を突き刺した。

 穂先から炎が噴き出し、それが艦内に広がっていく。


「このグレッグ・フォウ・セバーグがいる限り、お前たちは一歩も通さないぞ!」


 戦場に響くグレッグの声。

 直後、槍から炎が更に強く噴き出し、艦内を焼き尽くして爆発が起きた。

 炎に包まれ敵の飛行戦艦が一隻沈んでいく。


「――これで戦艦一隻追加だ」


 開戦直後に大きな戦果を上げるグレッグに、王国軍の士気は更に高まっていく。



 違う戦場では、紫色の鎧が周囲の鎧や飛行戦艦に指示を出していた。


「脳筋が一足先に活躍したが、僕は無策の突撃なんてしない」


 紫の鎧に乗り込むブラッドは、味方に指示を出し次々に敵を撃破していく。


「三番隊は下がって体勢を立て直せ。九番隊が三番隊の穴を埋めろ。敵の鎧が突撃してきたら、そのまま下がって他の部隊と囲んで叩け」


 ブラッドの指示通りに動く味方は、集団で次々に戦果を上げていく。

 貴族連合の飛行戦艦が数隻沈んでいくのを見ながら、ブラッドは自分こそが一番であると自負する。


「これだけの戦果を上げたのだから、功績第一位はこの僕だ。オリヴィア、僕こそが君を守る騎士だと認めてくれるよね?」



 別の戦場では、剣を持った鎧たちが猛威を振るっていた。

 飛行戦艦や他の部隊から援護を受けながら、次々に敵の鎧部隊に襲いかかっては撃破していく。

 揃いの青い鎧の部隊。

 中でも角を持つ鎧に乗り込んでいるクリスの撃墜数は、他よりも倍はあった。

 敵鎧に斬りかかると、相手は随分と腕の立つ騎士だったらしい。


「私の一撃を受け止めたか」


 クリスの一撃を受け止め、困惑しているようだった。


『貴様は――まさか剣聖か!?』


 クリスの太刀筋から剣聖を思い浮かべたのだろう。

 しかし、クリスは訂正しなかった。


「そうだ。“今は”私が剣聖だ」


 敵鎧を押し飛ばし、体勢を崩したところで横に剣を振り抜く。

 相手はコックピットを破壊され、そのまま地上に落下していった。

 その姿をクリスは一瞥もせずに次の敵を探す。


「ブラッドはともかく、グレッグに負けることだけは避けなければ」


 同じ味方と競い合っていた。

 だが、そうしながらも、三人は戦場で多大な戦果を上げていく。

 部下の鎧が近付いてくる。


『クリス様、敵艦隊が一度下がって態勢を整えるようです』


 下がり始める敵を見て、クリスは両方の口角を上げて笑う。


「追撃だ。これで更に撃墜数を稼げる」


 敵に対する情はなく、ただ撃墜数を稼ぐことだけを考えていた。



 王国軍の旗艦である飛行戦艦。

 その艦橋から味方の奮闘を見ていたユリウスは、歯がゆい思いをしながらも仲間の活躍を称えている。


「始まってみれば、俺たちの優勢だな。貴族連合など烏合の衆に過ぎなかったか」


 王都の四方から攻め寄せてくる貴族連合に対して、味方は優勢だった。

 旗艦の周囲には護衛である飛行戦艦と、緑色の鎧に率いられた鎧部隊が浮かんでいる。

 緑色の鎧に乗り込んでいるのはジルクであり、狙撃用のライフルを所持していた。

 王国軍の総司令官であるユリウスを守るために、ジルクも護衛として出撃していた。

 艦橋では、総司令官であるユリウスに参謀である軍人が話しかけてくる。


「ですが、数の上では我々が不利です。それにレッドグレイブ家は武にも秀でていますから、このままでは終わらないでしょう」

「――レッドグレイブ家は、どこまでも俺の邪魔をするな」


 かつては自分の派閥を支えていた公爵家に対して、ユリウスは嫌悪感を抱いていた。

 これにはユリウスなりの言い分もある。

 アンジェリカはともかく、その父親であるヴィンスは野心のある男だ。

 若いユリウスを操って、王国で権力を握ろうとしていた節がある。

 それを若い故に清廉だったユリウスには、酷く醜く見えていた。

 レッドグレイブ公爵家の当主。

 かつては強大に見えていた大貴族だったが、今のユリウスは戦争を経験しており自分にならば勝てるという確信を持っていた。


「権力に魅入られた醜い奴に、オリヴィアの――聖女の騎士である俺が負けるものか。全軍に通達せよ。この戦いに王国の未来がかかっている。何としても――」


 ユリウスが士気を上げるために味方を鼓舞しようとした瞬間だった。

 王都の四方――その内、配置した三人が守っていない箇所で騒ぎが起きていた。

 どうやら王都内部に入り込まれ、味方が混乱している。

 参謀がすぐに通信兵から状況を聞き出すと、ユリウスに報告する。


「閣下! 裏切り者の仮面の騎士が現れました!」

「来たか、バルトファルト」



「一番乗り!」


 アロガンツのコックピットで大声を出す俺は、周囲を敵に囲まれた状況に冷や汗が出ていた。

 どこを見ても敵だらけ。

 それはつまり、俺を殺しに来る――邪魔をする連中だ。

 アロガンツは強引に敵陣を突破し、王都上空に到達していた。

 周囲から次々に撃たれるが、アロガンツの装甲が弾丸を弾く。

 左隣にいるアンが、黒い靄で作られた腕を伸ばして王宮を指さす。


『このまま王宮に向かえ。――そこから私の気配がする』


 ルクシオンが周囲の状況を俺に伝えてくる。


『敵の防衛部隊が押し寄せてきます。マスター、反撃の許可を』


 操縦桿を握る手が僅かに震えてくる。

 元を辿れば同じ国出身の味方だ。

 しかし、ここでためらってもいられない。


「やれ」

『了解です、マスター』


 ルクシオンの赤いレンズが淡く、そして怪しく光を放つ。

 直後、アロガンツのバックパックのコンテナハッチが開放されると、そこからミサイルが発射されていく。

 発射されたミサイルが向かう先は、アロガンツに群がる鎧や飛行戦艦だ。

 逃げ回る敵を追尾し、命中すると爆発して次々に撃破していく。

 周囲にいた数十の鎧と、数隻の飛行戦艦が炎に包まれながら落下していく。

 落下したそれらは王都の建物を破壊し、そして火をつけた。

 王都に被害を出してしまう光景に顔をしかめると、左隣からアンの嬉しそうな不気味な笑い声が聞こえてくる。


『燃えろ、燃えろ。全て燃やして――』


 悲惨な光景を前に上機嫌なアンを睨んでやると、ばつが悪そうにしていた。


「おい」

『す、すまない。だが、長年の恨みというのは消せないのだ。悪かったから怒るな』


 謝ってくるアンにため息を吐きつつ、アロガンツを全速力で王宮に向かわせる。

 フットペダルを踏み込むと、バックパックのジェットノズルから青い炎が噴射された。

 体がシートに押さえつけられる感覚を味わいつつ、徐々に近付く王宮を前に緊張感が増してくる。


「さっさと終わらせてやる」


 こんな馬鹿げた戦争は終わらせて、俺は田舎でノンビリと――。



 仮面の騎士が王国軍を突破して王都に侵入した。

 その知らせを受けたヴィンスは、艦橋で拍手をしながら笑っていた。


「黒騎士を討伐しただけはある。生き残ったら、今後は彼を黒騎士と呼ぼうじゃないか」


 王国を散々苦しめてきた公国の黒騎士を討ち取ったのは、バルトファルト一族だ。

 父と息子二人による共同撃破だが、そんなことはどうでもいい。

 黒騎士が自分の手駒にいるというのが、ヴィンスにとっては重要だった。

 ヴィンスの側にいた艦長が指示を求めてくる。


「味方が指示を求めています。バルトファルト男爵が敵陣を突破しましたが、他の戦場では苦戦していますからね」


 ヴィンスは少し考えてから、右手を前に出す。


「小僧共に付き合うのもこれまでだ。主力を出せ。ギルバートにやらせろ」

「よろしいのですか?」


 艦長が僅かに驚いているのは、レッドグレイブ家の跡取りであるギルバートを前線に出せと命令されたからだ。

 ヴィンスは無表情で周囲に対して告げる。


「この程度を乗り越えられないようなら、息子は王の器ではないということだ」


 親として子供に対して冷たく感じられる言葉だが、ヴィンスも内心ではギルバートを心配していた。

 だが、レッドグレイブ家の――国の未来を考えれば、ギルバートには目に見えた功績が必要になってくる。

 そのためには、多少の無茶をさせる必要があった。

(冒険者気質の者が多い貴族を束ねるには、ギルバートにも箔がいるからな。今後を考えれば、避けては通れぬ道だ)

 ホルファート王国が、長年地方領主たちを苦しめた理由の一つだ。

 元々冒険者の祖先を誇りに思う貴族たちは、他国よりも冒険心が強い。

 それがただの冒険ならばいいが――王国貴族たちの多くは、自らが王になるためホルファート王国に無謀にも挑戦を繰り返してきた過去がある。

 王家が少しでも問題を起こせば、成り代わってやろうと戦争を仕掛けてくる。

 これにはホルファート王国も散々頭を悩ませた結果、王国の力を見せつけるために学園という貴族の学び舎を用意した。

 昔ほど無謀な挑戦をする貴族は減っているが、この混乱に乗じて国を興すという野望に目覚める貴族がいないとは言えない。

 今は良くても未来は?

 結局、ヴィンスの跡を継ぐギルバートは、周囲の貴族たちに力のある王であると示さなければならない。

(本当に――まとめるのが難儀な国だな)



 王国軍旗艦。

 艦橋ではユリウスが周囲に怒鳴るように命令を出している。


「何としても奴を止めろ!」


 ただ、周囲がユリウスの期待に応えることはなかった。

 通信兵が振り返ってくる。


「仮面の騎士が味方を突破して王宮に迫っています!」

「くっ! 狙いは俺か」


 ユリウスの乗り込む飛行戦艦は、王国軍の旗艦である。

 これを落とされれば、王国軍は混乱して統制を取れない。

 そのまま王国軍の敗北となる。

 周囲の軍人たちは、リオンが乗るアロガンツに戦々恐々としていた。


「立った一機でここまで来るのか!?」

「ただの成り上がりではないと思っていたが、まさかここまでとは」

「すぐに旗艦を移動させろ!」


 王宮近くに浮かんでいた旗艦は、アロガンツから逃げるようにその場から離れていく。

 だが、それをユリウスが止める。


「王宮から離れるな! あそこには、まだオリヴィアが残っているんだぞ!」

「し、しかし」


 味方を次々に落として迫ってくるアロガンツに、各所で戦っている味方も混乱していた。

 内部に敵が入り込んでいるとなれば、安心して戦えない。

 加えて敵が攻勢を強めており、味方が押され始めている。

 外を見張っていた軍人が、ユリウスに向かって叫ぶ。


「仮面の騎士が王宮に!」



 王宮へと突撃したアロガンツは、壁をぶち破って内部に侵入した。

 流石に王宮内でアロガンツを乗り回せないため、コックピットハッチを開けて外に出る。

 ルクシオンが俺の右に。

 アンが俺の左に。

 二人を伴う俺は、この日のために用意した戦闘服姿だった。

 パイロットスーツを分厚くし、ヘルメットをかぶっている。

 手に持ったライフルは、この世界の技術レベルを逸脱した物だ。

 どれもルクシオンに用意させた。


「聖女様の位置は?」


 アンに尋ねると、黒い靄が人影になって場所を指し示す。


『こっちだ』

「なぁ、本当に王家の船は出て来ないよな?」


 かつて聖女たちが乗っていた王家の船は、あの乙女ゲーの終盤に出てくる飛行船だ。

 性能が高く、終盤の難しいステージでは主力となる。

 そんな飛行船が戦場に出てくれば、非常に厄介だった。


『――心配いりませんよ、マスター』

「あん?」


 この質問に答えてくれたのは、アンではなかった。


『出てきた所で、パルトナーの敵ではありません。それに、私の本体も控えています。棄権と判断すれば、即座に撃墜しますよ』


 王家の船――あの乙女ゲーでは最終兵器的な扱いを受けていたが、課金アイテムのルクシオンには関係ないらしい。


「頼もしい限りだ。――それで、師匠は王宮にいるか?」

『生体反応を確認できません。どうやら、王宮にはいないようです』

「そっか」


 王宮にいないなら、多少の無茶をしても問題ないな。

 俺はアロガンツに顔を向けた。


「オリヴィアさんを助けてくるから、アロガンツはその辺を飛び回って敵を攪乱してくれ。間違っても敵を落としすぎるなよ。いいか、被害は最小限だ」


 味方ばかりではなく、敵も被害は少ない方がいい。

 ――その方が、俺の精神的にも優しい。

 アロガンツは壁から離れて外に出ると、ツインアイを光らせる。


『逃げ回って、被害は少なく! アロガンツ、覚えた』

「いい子だ」


 俺が駆け出すと、ルクシオンとアンがついてくる。



 その頃、マリエは格納庫に駆け込んでいた。

 マリエの後ろには、作業用のロボットたちが浮かんでいる。

 ジェスチャーをするように、格納庫内の一部を指さしていた。


「あっちね!」


 ピポピポと電子音声を発して返事をすると、ロボットたちはマリエの後ろに付き従う。

 置かれたコンテナで出来た通路を進むと、その先にいたのはアンジェリカだった。

 ドレスから動きやすい格好に着替えており、その手にはライフルが握られていた。

 腰のベルトを見れば、ナイフや拳銃も見える。


「ここで何をしているのよ!」


 呼吸が乱れたマリエに声をかけられたアンジェリカは、動きを止めると顔を向けてくる。

 そして、視線を逸らしながらマリエに話す。


「――悪いとは思っているが、私はこの目で全てを確かめたい」


 アンジェリカが前にしているのは、一台のエアバイクだった。

 以前にクラリスの取り巻きたちが使用していたエアバイクである。

 マリエは頭を振る。


「戦場に乗り込むとか馬鹿なの? 死んじゃうわよ」


 当然の反応に、アンジェリカはマリエを前にライフルをエアバイクの上に置いた。

 攻撃する意志はないと示しながら、説得を始める。


「仮面の騎士が戦場に穴を開けた。そこから敵軍が崩れているから、王宮に乗り込むことくらい可能だ」

「アンタが死んだら、私たちが困るのよ。約束したわよね? これ以上の迷惑はかけないって!」


 アンジェリカを戦場に連れて来ただけでも問題なのに、死なせたらマリエたちの責任は更に重くなる。

 当然の反応に、アンジェリカはやや困った顔を見せる。

 そして、マリエの目を見つめ。


「王宮に繋がる隠し通路がある」

「え?」

「昔――殿下と遊んでいる時に見つけた場所だ。父上に話したら、絶対に誰にも言ってはならないと釘を刺された。王都の外と繋がっているから、安全に王宮までたどり着けるさ」

「で、でも、王宮にだって敵はいるのよね? それに、あいつが――リオンが何とかしてくれるから、待てばいいじゃない」


 何とかアンジェリカを引き留めようとするマリエだったが、リオンの名前を出した際に自分でも気付かぬ内に心配する顔をしていた。

 それをアンジェリカが見抜いてしまう。


「お前も自分の婚約者の安否が気になるのだろう? だったら、一緒に王宮に行かないか?」

「へ?」


 アンジェリカはマリエとの距離を詰めると、両肩を掴んで頼み込む。


「この船にはロボットという護衛もいるのだろう? お前がいれば、安全に王宮内に入れる。どうだ?」

「で、でも」

「――婚約者が心配だろう?」


 アンジェリカの言葉に、マリエは無茶をするリオンを想像する。

 このままでは、いつか壊れてしまいそうな気がして――マリエは手を握りしめると、無言で頷いた。

 アンジェリカが微笑む。


「それではすぐに出発しよう」



 赤い鎧に乗り込むグレッグは、険しい表情をしていた。


「ここでパワーが下がるとかねーだろうが」


 汗だくのグレッグは、コックピット内で操縦桿を握りしめていた。

 しかし、鎧の反応が悪い。

 赤く塗られたグレッグの鎧だが、見た目は派手だが質としては量産機をカスタムしただけの物だ。

 性能よりも自身の能力を大事にするグレッグは、突出した性能を持つ専用鎧を好まなかった。

 そのため、他の仲間が乗り込む専用機ほど、グレッグの鎧は性能が高くない。

 ただ、これには一つ利点もあった。

 実戦を重視するグレッグは、量産機であれば修理や整備が容易いのを知っていた。

 性能だけが取り柄の専用機を戦場で運用するのは大変と知っており、そのため整備性が優れている量産機を選んだ。

 確かに間違いでもなかったが、問題は――。


『もっといい鎧に乗っていれば、結果は変わっていたかもしれないな』


 ――現在、グレッグの鎧が地面に倒れ伏しているという点だ。

 周囲にはレッドグレイブ家の家紋が描かれた鎧が浮かび、地面に倒れ伏しているのはグレッグやその部下が乗り込む鎧たちだ。

 激しい戦いを続けてきたグレッグたちの鎧は、その負担から性能が低下しつつあった。

 無理をしすぎて性能が落ちたタイミングで現れたのが、レッドグレイブ家の精鋭たちだった。

 隊長機と思われる鎧が空を見上げると、そこにはレッドグレイブ家の飛行戦艦が浮かんでいた。

 飛行戦艦の作りだした影の中で、隊長機と飛行戦艦との会話が聞こえてくる。


『ギルバート様、グレッグ・フォウ・セバーグを捕らえました』


 隊長機の言葉を聞いて、アンジェリカの兄であるギルバートがグレッグに話しかけてくる。


『敵ながら見事な活躍だったが――妹が世話になっているのでね。兄として仕返しをしてやりたいと思っていた』


 妹思いのギルバートだが、その声は冷え切っていた。

 グレッグは強がる。


「――へっ、そうかい」


 直後、レッドグレイブ家の騎士たちが乗る鎧たちが、グレッグの乗る鎧の刃を突き立てる。

 コックピットに何本もの剣が突き刺されると、グレッグは血を吐いた。

(悪いな、オリヴィア――どうやら――ここまで)

 最期までオリヴィアのことを気にかけながら、グレッグは戦場に倒れた。



「囲んで叩け! 剣豪の集団を相手に、近接戦闘なんて挑むなよ」


 別の戦場では、ニックスが部下たちを率いて戦っていた。

 ローズブレイド家――妻の実家との共同戦線だが、元々ニックスの家臣たちはローズブレイド家出身者が多い。

 そのため、見事な連携を取っていた。

 剣聖となったクリス率いる剣豪の称号を持つ騎士たち。

 そんな彼らが乗り込む鎧を相手に、馬鹿正直に斬りかかるなどニックスには出来ない。

 だからこそ、遠距離からの攻撃を徹底させていた。

 周囲の軍人たちが、そんなニックスを褒める。


「騎士の誇りや名誉を優先しない伯爵様の戦い方は、嫌いじゃありませんね」

「嫌みか? 悪いが俺は自分をちゃんと理解しているだけだ。剣聖相手に真正面から挑むかよ」

「いや、褒めているんですよ。何しろ姫様――いえ、奥様からは、必ず生きて帰らせるように、と命令を受けていましてね」

「そ、そうか」


 そんな会話をしていると、通信兵が叫ぶ。


「剣聖と思われる鎧がこちらに突撃してきます!」


 正面を見れば、青い鎧が大砲と弾丸が飛び交う中を突き進んできていた。

 左腕を失い、右足もない。

 ボロボロの状態で、剣一本で突撃してくる敵にニックスは冷や汗をかく。


「この中を突破してくるのか!?」


 ノイズ混じりの音声――クリスの声が聞こえてくる。


『オリヴィアのために、私が彼女の敵を討つ! この私がっ!』


 命を捨てたクリスの突撃に、次々に銃弾が浴びせられ――ニックスが乗る飛行戦艦の艦橋に刃が振り下ろされた。

 ――だが、その一撃は弱々しく、装甲を貫けていなかった。

 動きを止めたクリスの鎧が、そのまま甲板に落ちる。

 軍人が安堵から息を吐いていた。


「いや~、ギリギリでしたね」


 ニックスはそんなクリスの鎧を艦橋から見下ろしていた。


「あぁ、本当に恐ろしかったよ。流石は剣豪――いや、剣聖だな。もう、二度と相手をしたくない」


 たった一機で味方に多くの損害を出させた敵を見ながら、ニックスは何とも言えない顔をしていた。



 王都の地下水路。

 ガスマスクをかぶったマリエとアンジェリカは、暗い通路をエアバイクに乗りながら進んでいた。

 周囲に浮かんで二人を守るのは、パルトナーから連れて来たロボットたちだ。

 作業用のロボットに加えて、戦闘用のロボットも一緒だ。

 ロボットたちが周囲を警戒しながら進む。

 エアバイクを操縦するアンジェリカに後ろから抱きついているマリエは、時折発生する揺れを気にかけていた。


「上はどうなっているのかな?」


 地上に鎧や飛行船が落下したのか、地下水路の天井から砂や埃が落ちてくる。

 アンジェリカは冷静だった。


「この程度で崩れるような場所を抜け道には選ばない。だが、戦場は王都近郊から内部へと移行したようだ。急いだ方がいいな」


 貴族連合が王都内部へと進行してきている。

 それはつまり、オリヴィアへ近付いていることを意味していた。

 アンジェリカの腰に抱きついているマリエは、腕の力を強める。

 それは不安から来る行動だった。


「あいつは無事よね?」

「お前の婚約者なら死にはしないだろう。――何しろ黒騎士を倒すほどの猛者だからな」


 アンジェリカのどこか含みのある言い方が気になるマリエだったが、今はリオンのことが最優先だった。

 二人が途切れ途切れの会話を続けていると、どうやら出口にたどり着いたらしい。

 アンジェリカがライフルを構える。


「外に出るぞ。敵に注意しろよ」


 ロボットたちが二人を守るように囲んで武器を構えた。

 そのまま二人がエアバイクに乗って外に出ると、王宮の中庭に出る。

 ガスマスクを脱ぎ捨てるマリエは、聞こえてくる戦場の爆音に耳が痛くなっていた。

 発砲音は途切れることなく聞こえてきて、爆発音も聞こえてくる。

 空を見れば、青空が立ち上る煙で汚されたように見えた。

 そんな空を鎧たちが飛び回っているのだが、その中には逃げ回るアロガンツの姿があった。


「アロガッ!」


 マリエが両手を上げて叫ぼうとすると、アンジェリカが慌てて口を塞ぐ。


「馬鹿者! 敵地で騒ぐ奴がいるか! ――とにかく、すぐに移動するぞ」


 マリエは口を押さえられた状態で頷く。

 流石に敵地で騒いだのはまずかったと反省すると、アンジェリカが王宮内部へと進む。

 その後ろをついて行くと、ロボットたちがマリエたちを守るために前に出た。

 数発の銃声が聞こえ、ロボットたちの装甲に弾丸が弾かれる。


「敵!?」


 マリエが慌ててそちらを見ると、アンジェリカはライフルを構える。


「――ブラッドか」


 そこにいたのは、負傷した左脇腹を手で押さえて壁にもたれかかるブラッドだった。

 右手に持った拳銃の銃口からは煙が出ている。

 何度も引き金を引くが、弾切れで撃てずにいた。

 腕を下ろすと、拳銃を握っているのも辛いのか地面に落とす。


「あんたその怪我」


 マリエが気になったのは、青白い顔をして脂汗をかいているブラッドの怪我だった。

 腹部を乱暴に包帯で巻いているが、血がにじみ出ている。

 まともな治療など受けていないのだろう。

 ブラッドは震える声で、アンジェリカを睨んでいた。


「ここはオリヴィアを逃がすための通路だ。安全を確保しないと――ごほっ」


 口から血を吐くブラッドは、その場に崩れ落ちる。

 マリエが駆け寄り回復魔法を使用すると、その瞬間に気付いた。

(もう間に合わない)

 回復魔法も万能ではない。

 ゲームのように戦闘でダウンした味方は助けられても、本当に死にかけている人間を生き返らせることは出来ない。

 生き返らせる方法もあるにはあるが、今のマリエにはその魔法が使えない。

 アンジェリカがライフルの銃口をブラッドに向けながら、マリエに近付いてくる。


「無駄だ。もう間に合わない。それに、こいつは敵だぞ」


 敵であるのは理解しているが、マリエはブラッドを見捨てることができなかった。

 ブラッドだから助けるのではない。


「確かに敵だけどさ。憎くて嫌な奴だけど――それでもさ」


 ブラッドはあの乙女ゲーの攻略対象の一人だ。

 マリエからすれば、一方的とは言え知っている人間だ。

 無駄だと理解しつつも回復魔法をかけていると、ブラッドがそんなマリエの姿をボンヤリと眺めていた。

 もうほとんど目も見えていないのか、うつろな目をしている。


「あ、ありが――ぼく――のめが――み」


 最期の瞬間にキザな台詞が出てくるブラッドに、マリエは頭を振る。


「あんた、誰と私を間違えたのよ」


 きっと聖女様と自分を間違えたのだろうと思い、マリエは納得すると立ち上がって涙を拭う。

 アンジェリカが呆れて小さいため息を吐くと、マリエを急かす。


「あまり時間がない。急ぐぞ」

「うん」



 王宮内の廊下を駆けていると、不思議なことに敵と遭遇しなかった。

 王宮内にいるはずの騎士や兵士の姿がない。

 戦場に駆り出されたのか、とも考えたが、それにしてもおかしい。

 誰一人いないなどあり得るのだろうか?


「どうして人がいないんだ?」


 違和感を拭えない俺に答えるのは、ルクシオンだ。


『戦力の抽出でしょう』

「それにしても、誰もいないなんておかし――」


 途中で言葉を止めて立ち止まった俺は、廊下に漂う冷気を感じていた。

 魔法で作られた氷が放つ冷気は、周囲の温度を下げている。

 それなのに、俺の体からは嫌な汗が噴き出ていた。


「――嘘でしょ、師匠」


 震える体で向かった先にいたのは、床に倒れ伏す師匠だ。

 俺が近付いて師匠を見下ろしていると、アンが周囲の状況から何が起きたのかを予想する。


『変な格好をしているが、国王の姿もあるな。――どうやら、私の分身たちが止めを刺したらしい』


 師匠も陛下も、その近くには武器が転がっている。

 師匠の亡骸を前に屈み込む俺は、師匠のまぶたを閉じさせる。


「――師匠も聖女を止めるつもりだったのか」


 涙が出てくる。

 それを拭っていると、ルクシオンが無神経な台詞を口にする。


『このタイミングで、たった二人で挑むのが理解に苦しみます。大人しくしていれば、我々が問題を解決していたのに――無駄なことをしましたね』

「――どういう意味だ?」


 振り返ってルクシオンを睨めば、赤いレンズを俺から逸らしやがった。


『大変失礼しました。この人物はマスターが師と仰ぐ方でしたね。後で亡骸を回収して適切に埋葬しましょう』


 新人類――魔法が使える人類は、全て人類の偽物と考えているのがルクシオンだ。

 ルクシオンにしてみれば、師匠も敵の末裔でしかないのだろう。

 俺は静かに立ち上がる。


「待っていて下さい、師匠。俺が全てを終わらせますから」



 王宮の謁見の間。

 たどり着いた先で待っていたのは、玉座――陛下の椅子の横に置かれた王妃様の椅子に腰掛けるオリヴィアさんだった。

 白い純白のドレスに身を包み、俺がやって来ると立ち上がって両手を広げる。

 俺を見て微笑む姿は、美しいと同時に――おぞましかった。


「待っていたわ、リオン・フォウ・バルトファルト――愛しいリーアの子孫」


 持っていたライフルの銃口を向けると、左隣にいたアンが俺の前に出る。

 オリヴィアさんはアンの姿を見ると、無表情になって首をかしげる。

 そして――。


「どうして私の半身がリーアの隣にいるのかしら? あ、もしかしてここまで連れて来てくれたの? ――そうだとしても、ちょっと許せないかな」


 自分の半身。

 間違いなく、オリヴィアさんは聖女の怨念に体を奪われている。

 俺がライフルの引き金を引くと、数発の弾丸がオリヴィアさんの足下に当たった。

 警告のつもりで発砲したのだが、オリヴィアさんは身じろぎもしないでいる。


「少し待っていてね、リオン。今――分身を取り込んで事情を調べるから」


 オリヴィアさんが右手をアンに伸ばすと、アンの黒い靄が吸い取られていく。

 アンは抵抗しながら。


『我が分身たちよ、話を聞いてくれ』


 分身たち――聖女の腕輪と杖に込められた怨念たちへ語りかけると、オリヴィアさんが右手を下げた。

 どうやら話くらいは聞いてくれるらしい。


「何?」


 無表情でアンの言葉を待つオリヴィアさんは、寒気がするほど怖かった。


『もう止めよう。復讐は終わりだ。我らの子孫は、リーアの子孫と結ばれた。時を重ね、代を重ねて、我らの願いは叶ったのだ』


 俺とマリエの事を語るアンは、復讐を止めて欲しいと語る。


『リーアの子孫も復讐を望んでいない。それに、リーアは人生を全うしている。あいつは復讐も恨みも抱いていなかったのだ。笑えるだろ? 我らの復讐は終わりだ』


 愛していた男は、死んだと思っていたが生きていた。

 そして、田舎でそれなりに楽しい余生を過ごしていた。

 ――言葉にすると酷いな。

 お先祖様、せめてアンにだけは無事を知らせてくれたらよかったのに。

 そうすれば、こんな最悪の展開は避けられた。


「リーアが生きていた?」


 無表情のオリヴィアさんだったが、ご先祖様が裏切れた後に生存していたのを聞かされると涙をポロポロとこぼす。

 両手で口元を押さえて、嗚咽をもらしていた。


「――良かった。本当に良かった。リーアが生きていてくれて」


 いや、随分前に死んでいるんだけどね。

 それでも、ご先祖様が生きていたことを喜び、泣いてくれるオリヴィアさんを見て安堵する。

 逆に激高して手がつけられなくなったら、面倒になっていたところだ。

 俺は小さくため息を吐き、銃口を下に向ける。


「理解してくれたか? なら、復讐も終わりだ。オリヴィアさんを返してくれ」


 すると、涙を拭いつつ微笑むオリヴィアさんが、俺に言う。


「それは出来ないわ」

「――何だって?」


 聞こえていたが、聞きたくない返事に戸惑ってしまった。

 オリヴィアさんは、慈愛に満ちた顔で俺を見ている。


「リーアが生きていてくれたおかげで、リオンという子孫に出会えたもの。せっかくこうして出会えたのだから、共に人生を歩みたいじゃない」

「だから、俺はリーアじゃないって――」


 その直後だ。


『マスター!』


 ルクシオンが俺の前に出ると、魔法障壁を展開した。

 その周囲に広がるのは、刺々しい氷の刃である。

 オリヴィアさんが俺たちに右腕を向けていた。

 先程の笑顔のままに、俺たちに語りかけてくる。


「あなたはリーア。リーアの生まれ変わりなの」

「はぁ? 気は確かか?」

「その口の利き方もリーアそっくりね。――反抗的な態度も嫌いじゃないが、また私から逃げ出すのは我慢ならない。少しばかり躾てやろう」


 口調が変化したオリヴィアさんは、眉根を寄せて鋭い目つきとなる。

 椅子に立てかけていた杖を握ると、俺たちに向かって一振り。

 今度は炎が謁見の間を覆い尽くした。

 アンが必死に語りかける。


『やはり我慢できないか』


 以前にアンが言っていた。

 体を得た自分なら、今度は俺と一緒になるという欲望を優先する、と。

 自分の子孫であるマリエがいても、排除してでも結ばれることを願う、と。


『我らは怨念だ。呪われた道具に宿った残照に過ぎない。今を生きる子孫たちのためにも、もう身を退こう』

「黙れ!」


 激高するオリヴィアさんは、今度は杖から雷を放った。

 ルクシオンの魔法障壁により守られているが、謁見の間にある大きな柱の幾つものひびが入る。


「私はリーアと結ばれたかった! そのために、あの女に頼って道具に心を封じ込めたのだ。――どれだけの時間を耐えてきたと思う? 首飾りに宿っていたお前とて、肉体を手に入れれば考えは変わるはずだ。何百年もかけて、ようやく手に入れたチャンスを逃せるものかよ!」


 荒々しい口調のオリヴィアさん。

 次々に魔法を放ってくるため、謁見の間は限界に来ている。

 このままでは王宮が吹き飛ばされるのではないか? そんな不安を抱いていると、謁見の間の大きな扉が吹き飛ばされた。

 そこから聞き慣れた声がする。


「黙って聞いていれば、好き勝手言うんじゃないわよ!」



 謁見の間。

 ドアを破壊して内部に入ったマリエは、怒りから魔力を放出してボリュームのある長い髪が揺らめいていた。

 襲いかかる魔法を、研鑽してきた魔力がマリエの周囲に広がり本人を守っている。


「聞いていれば好き勝手言いやがって! 人の男に手を出すとか、舐めた真似してんじゃないわよ!」


 マリエも内心で「攻略対象の五人に手を出そうとしたことはあるけど」という弱みもあったが、それを無視して言いたい放題だ。

 何しろ、自分の大事な人が奪われそうになっている。

 普段よりも魔力があふれているのは、感情が高ぶっているためだ。

 その魔力は、今のオリヴィアにも劣らなかった。

 マリエはここに来て、魔法の才能を開花させていく――男を奪われそうになった怒りで、だが。

 ギョッとしたオリヴィアだったが、すぐに表情を険しくするとマリエに向かって杖を向けた。

 本能から危険を察知したのか、随分と焦っているようだ。


「リーアは私の男だ!」


 巨大な氷の槍がオリヴィアの真上に作られると、それが放たれる。

 周囲にいたロボットたちが、マリエを守ろうと前に出るが――。


「馬鹿ね。目の前にいるのはリオンよ。アンタの男は、とっくの昔に亡くなっているわ」

「黙れ!」

「誰が黙るものですか! いい加減に認めなさいよ。あんたは終わっているのよ。いつまでも諦めの悪い女ね!」

「黙れと言っている!」


 マリエはロボットたちの隙間を抜けて、そのままオリヴィアに歩み寄る。

 放たれた氷の槍に右腕を向けると、マリエの首元を飾る首飾り――聖女の首飾りが淡く光り始めた。

 マリエを守る魔法障壁を貫けずに、氷の槍が砕け散る。

 オリヴィアが杖を振ると、今度は風の刃がマリエに襲いかかった。

 謁見の間の壁や柱、そして床を削りながら向かってくるが――どれもマリエには届かない。

 その姿を見ていたリオンの方は、マリエがここまで強いとは思っていなかったのだろう。

 目をむいて驚いていた。

 マリエは、そんなリオンも腹立たしい。


「お前も黙っていないでさっさと断れよ! 優柔不断な態度を見せるから、相手がつけあがるんでしょうが!」

「いや、でも」

「婚約者がいるから無理ですって言えば終わるだろうが! それとも何か? 怨霊まで抱え込むつもりか?」


 荒い口調で責められるリオンは、視線をさまよわせていた。

 恋愛的な意味ではなく、同情心から抱え込もうと考えていた節がある。

 きっとまた抱え込むのだろう。

 マリエはそんなリオンが愛おしいが――同時に嫌いだった。


「お前は私を満足させられないのに、他の女に手を出すのかよ!」

「――そ、そういう意味ではなくてですね」


 困惑するリオンを無視して、今度はオリヴィアの方を見る。

 そしてマリエは指をさす。


「私の男に手を出すな。ご先祖様だろうが、容赦しないわよ」


 低くドスの利いた声で脅すマリエに、オリヴィアが頬を引きつらせていた。


「この小娘が」


 すると――。


『その小娘こそが、我々の血を引く子孫だ』


 ――アンが説得を再開する。


『我が分身たちよ。このマリエも、そしてお前たちが体を奪ったオリヴィアも、私の血を引く子孫だ。そんな子孫が、リーアの子孫と結ばれた。もう十分だろう? 我々――私の本当の望みは叶ったじゃないか』


 アンの言葉に、オリヴィアは納得できないのか杖を振るう。

 今度は謁見の間に嵐が吹き荒れて、窓ガラスを割り、壁を削り、そして王宮を内側から吹き飛ばしていく。


「黙れ! 我は――私は――リーアと一緒に生きたかった。一緒に暮らして、歳を重ねたかっただけなのに。ずっとそばにいたかったのに」


 泣き出すオリヴィアに対して、マリエは以前から考えていた計画を実行に移す。

 それは、リオンが背負わなくていいようにするための計画だ。

 話をすれば、マリエの身を案じたリオンが止めるだろうと予想して、今まで言い出せなかった計画。

 マリエが泣き崩れるオリヴィアの所に、暴風が吹き荒れる中を進んで近付いていく。

 そして手が届く距離に来ると、思いっきり――ひっぱたいた。

 パシンッという乾いた音が謁見の間に響くと思っていたが、マリエの平手打ちは重くて威力もあった。

 オリヴィアが一メートル近くも吹き飛び、床に倒れ伏す。

 その瞬間に嵐は消え去ると、吹き飛ばされた天井から太陽の光が差し込んでくる。

 謁見の間は瓦礫が散乱し、足の踏み場もなくなっていた。


「あんたいつまでもしつこいのよ! そんなに重いから、リーアって奴も逃げ出したんじゃないの?」


 上半身を起こしてマリエを睨むオリヴィアは、涙を流していた。


「言うな! お前に私の気持ちが理解できるものか!」


 誰にも理解されないと嘆くオリヴィアに向かって、マリエは心底嫌そうな顔をする。


「理解できる分けねーだろうが! 他人にそこまで期待するとか、おこがましいのよ!」


 即座に否定されたオリヴィアが、口をつぐむ。

 マリエは右手を胸に当てる。


「本当はあんたらをどこかに封印するつもりだったけど、気が変わったわ。そんなに私が羨ましいなら、私の中で飼ってあげる」

「――お前」


 困惑するオリヴィアだったが、それよりも狼狽えるのはリオンだった。


「勝手なことをするな! お前、それがどういう意味か理解しているのか?」


 聖女アンの怨念をマリエがその身に宿す。

 いつ体を奪われるかもわからないのに、そんな方法を試そうとするマリエをリオンが止めたがっていた。

 分身だけならまだしも、完全体となったアンをマリエがその身に宿すのは危険すぎると判断したのだろう。

 その気持ちはマリエも嬉しかったが。

(こいつ、本当に私を頼らないわね)

 マリエは譲らない。


「私は図太いの。あんたら三人――いや、分身だから合わせて一人よね? とにかく! 聖女の怨念とか怖くないわ。あんたらを私が飼い慣らして、リオンとの幸せな生活を見せつけてやるのよ」


 高笑いするマリエに、オリヴィアは頭を振る。

 その姿を見ていたアンは、呆れつつも嬉しそうにしていた。

 何故なら、強がってはいるが――マリエの本心は「聖女アンの怨念を抱えて、リーアによく似たリオンと暮らさせる」という優しさがあったから。


『この娘はこういう女だ。強くて優しい――自慢の子孫だな』


 マリエはアンに褒められて照れるが、それを隠しつつ話を続ける。


「あんたら全員、私の中で面倒を見てあげる。乗っ取れるものなら、乗っ取ってみなさいよ。でも、本当にやったら――絶対に後悔させてやる」


 オリヴィアがその場に項垂れながら、笑いだし――涙をこぼす。


「怨念になってから受け入れられたのは初めてだ。これまで幾人もの体を奪おうとしたが、皆が抵抗してきたからな」

「リオンの側にいさせてあげるから感謝しなさい」

「本当に強い娘だ」


 オリヴィアが手を伸ばすと、マリエが握って立ち上がらせる。

 オリヴィア――聖女アンの怨念は、残りの分身である首飾りの怨念に手を伸ばした。


「お前が見守っていた理由が何となくわかったよ」

『そうか』

「来い。一緒になって、この娘の中で眠ろう」

『あぁ、そうだな。今度こそ一生の眠りに――』


 黒い靄がオリヴィアの中に吸い込まれていく。

 今度は抵抗せず、そしてオリヴィアの中で一つになると――。


「ま、まさか」


 ――オリヴィアが自分の首に手をかけると、苦しそうにもがき始める。


「私を騙したな、メェアリィィィ!!」



 どうにか無事に終わり、強引な手段に出る必要がないと安堵もつかの間だった。

 オリヴィアさん――アンが意外な人物の名を叫んだ。


「何が起きた!?」


 慌ててマリエに駆け寄った俺は、その手を握って強引にオリヴィアさんから離れる。

 マリエも何が起きたのか予想できていない。


「え? えっ!?」


 混乱する俺たち。

 マリエと一緒に謁見の間にやって来たアンジェリカさんは、俺たちの側に来るとライフルを構える。

 そのまま引き金を引きそうだったので、慌ててライフルの銃身を掴んで下げる。


「何をしている!?」

「――様子がおかしいからここで止めを刺そうとしただけだ」


 無表情で答えるアンジェリカさん。

 そもそも、どうして二人がこの場に来ているのか?

 理由を問い詰めている暇もないため、俺は苦しんでいるオリヴィアさんに顔を向ける。


「おい、アン!」


 名前を呼ぶと、アンは苦しみながら目をむいて誰かへ憎悪を向けていた。


「あの根暗の陰険女! 私を騙しやがった! 最後の最後にこんな仕掛けを――どうして――こんな――ちくしょうがぁぁぁ!!」


 根暗? メアリー?

 俺はその人物に心当たりがあった。

 それは姉妹でありながら他人扱いをしていたアンの妹さんだ。

 オリヴィアさんが苦しみから解放されると、両手の力を抜いてだらりと下げる。

 そして天井を見上げたかと思えば、今度は両手を天に向かって伸ばしていた。

 穴の空いた天井から差し込む光がオリヴィアさんを照らしている。

 瓦礫の中で天井から差し込む光に両手を伸ばすオリヴィアさんは、先程と雰囲気が違っていた。

 妖艶な色気を出していたアンの気配が消えていた。

 ゆっくりと俺たちに向き直るオリヴィアさん――ではない誰かが、俺たちを前にして笑顔を見せる。

 そしてオリヴィアさんは――。


「パンパカパーン! メアリーだよ~!」


 ――口を三日月のように広げ、目を見開いて愉快そうに笑い始めた。

 笑っているオリヴィアさんが、怨念であったアン以上におぞましく見えて仕方がなかった。