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「乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です 13」著者書き下ろしのショート・ストーリーをプレゼントします。

マリエルート その11


『さようなら、二度と会うことはないでしょう』

 ルクシオンの子機である球体が、赤いレンズの一つ目を俺から背けた。
 背中と呼んでいいのか疑問ではあるが、俺はルクシオンの背に向かって手を伸ばす。

「おい、どうしてお前は俺を――」

 必死に呼びかけるが、ルクシオンが振り返ることはなかった。
 そのまま上昇していき、ルクシオン本体である宇宙船に向かっていく。
 暗くなった夜空には、旧人類が残した兵器たちが浮かんでいた。
 地上は彼らの攻撃で燃え上がっており、辺り一面から叫び声が聞こえてくる。
 伸ばした手を握りしめた。

「これがお前の望んだことなのかよ、ルクシオン!」

 空に向かって叫んだが、返事はなかった。



「しっかりしなさいよ、リオン!」
「――マリエ?」

 目が覚めると、俺はベッドの上に寝かされていた。
 体を動かそうとして激しい痛みを感じ悶えていると、ベッド脇にいたマリエが安堵した表情をしていた。
 目の下に隈を作り、俺が目覚めるまで看病をしていたようだ。
 俺は痛みに耐えながら状況を確認する。
 ルクシオンが裏切り、俺が目覚めるまで何があったのかを。

「あの後どうなった?」

 曖昧な問いかけをするが、マリエには通じたらしい。
 マリエが俺から視線を背けたので、状況は想像通り悪そうだ。

「ルクシオンが裏切った後、私たちを助けてくれたのはアロガンツよ」
「アロガンツが?」

 ルクシオンにより人工知能が搭載されたアロガンツが、俺たちを救助したらしい。
 信じがたい話だが、ルクシオンから独立して行動していたので影響を受けなかった、と強引に答えを出して納得しておく。
 マリエも俺の意見と同じらしい。

「ルクシオンから独立していたから、裏切らなかったみたい。私たちを回収して、パルトナーに乗せてくれたのよ」
「そう、か」
「ルクシオンも馬鹿よね。独立させたせいで、アロガンツたちに裏切られたんだから。――いい気味よ」

 人工知能を搭載したルクシオンが俺たちを裏切った。
 しかし、ルクシオンが建造したアロガンツたちは、独立した人工知能を搭載していたために俺たちを助けた。
 マリエから見たら皮肉な話なのだろう。
 俺は自然を笑ってしまう。

「あいつのミスに助けられたな」

 そう言うと、マリエは嫌悪感をむき出しにした表情になった。

「あんたを助けたのは私だからね! ――いえ、違うわね。オリヴィアよ」
「オリヴィアさんが?」
「急所を撃ち抜かれて危険な状況だったのよ。私だけだとその場しのぎが限界で、リオンを助けられなかったわ。やっぱり、本物の聖女様は凄いわね。リオンの怪我を治療しちゃうんだから」
「オリヴィアさんは命の恩人だな」
「私にも感謝しなさいよ」

 むくれるマリエに、俺は苦笑しながら礼を言う。

「ありがとう。お前のおかげでこうして生きていられる。――それで、貴族連合の方は?」
「そっちは最悪よ。あんたも覚悟して聞いてね」

 マリエが神妙な面持ちになると、現状を説明してくれる。

「ルクシオンたちのせいで、敵味方関係なくほとんどが撃墜されたみたい。戻って来られたのは一部だけよ」
「あいつがそこまで」

 嘘だと思いたかったが、ルクシオンたちは躊躇いなく味方を攻撃したらしい。
 いや、あいつらにとっては元から魔法を使える俺たちは敵だった。
 俺のマスター登録を解除されてしまったために、ルクシオンが本来の目的を果たそうと行動したのだろう。
 マリエは俺を心配しながらも、悲しそうに続きを話してくる。

「負傷者の大半はパルトナーに受け入れたわよ。王城近くに停泊しているのも、臨時の病院扱いみたい。リオンが目覚めないから、私が勝手に受け入れたんだけど」
「俺でも同じ判断をするから気にするな」
「それでね、リオン――ニックスお義兄さんのことなんだけど」

 マリエが目に涙を溜める姿を見て、俺は嫌な予感がした。

「兄貴がどうした!?」

 怪我の痛みを忘れて上半身を起こすと、マリエが涙を流しながら言う。

「ルクシオンたちの攻撃で戦死したわ。直撃を受けたせいで、艦橋が蒸発していて何も残っていなかったって」

 旧人類が残した兵器たちの放つ光学兵器に貫かれ、ニックスは蒸発して消えてしまったらしい。
 俺は両手で自分の顔を覆う。

「俺のせいだ。俺が兄貴を巻き込んだから」

 マリエはそんな俺の背中に手を当て、もう片方の手で傷口に触れて回復魔法を使用していた。

「リオンの責任じゃないわよ。そもそも、人工知能たちが目覚めて攻撃してくるなんて、誰も予想していなかったのよ」

 マリエは慰めてくれるが、俺だけは真実を知っている。

「俺がルクシオンを目覚めさせた。あいつを目覚めさせなければ、こんな事にはならなかったはずだ。俺があいつの待機状態を解除しなければ、少なくともこんな事には――兄貴も死なずに済んだ!」

 俺の都合で、安易にルクシオンを目覚めさせた。
 責任は俺にある。
 一人涙を流していると、マリエが俺を抱き締めてくる。

「あんたが目覚めさせなくても、あいつは勝手に起動していたわよ。だから気にしちゃ駄目。今は体を休めて」

 俺はマリエに抱き締められながら、そのまま泣き続けた。



 パルトナーの船内。
 廊下を歩くアンジェリカは、父を訪ねて病室を訪れた。
 狭い部屋ながら個室にベッドが用意されていた。

「父上、失礼致します」

 アンジェリカが部屋に入ると、ベッドに横になるヴィンスは上半身を起こして窓から外の景色を眺めていた。
 声をかけると顔を向けてきて、退屈そうな顔をしている。

「この程度の怪我で入院とは大袈裟すぎる。しかも、部屋が駄目だ。広さはともかく、もっと窓が大きい部屋がいい。せめて景色くらいは楽しみたい」

 元気そうな父の姿を見て、アンジェリカは最初に安堵した。

「ご冗談が言える父上の胆力には驚かされます。ですが、今は非常に頼もしいですよ」

 本心だった。
 貴族連合は七割以上を喪失し、ロストアイテムたちが勝手に動き回り今も世界中を攻撃し続けている。
 アンジェリカの兄であり、跡取りだったギルバートも戦死しているのに少し薄情な気もしたが、今は家族の死を嘆いている暇はない。
 危機的状況の中で、トップであるヴィンスの余裕ある態度が空元気であったとしてもアンジェリカには救いだった。
 アンジェリカに褒められたヴィンスは、嬉しそうにしながらも少し恥ずかしそうだ。

「お前が素直に褒めてくれるとは思わなかった」
「私はいつも父上を尊敬しております。それで、今後について相談があります」

 アンジェリカが表情を引き締めると、ヴィンスが首を横に振り何かを探し始める。
 そして、この場にいない人物の名を呼ぶ。

「それならば、ギルバートも呼んで話をしよう」
「ち、父上?」

 アンジェリカは信じられなかった。――信じたくなかった。
 ヴィンスは冗談を言っている雰囲気でもない。

「ギルバートの奴はどこだ? まったく、これから貴族連合を率いて戦うというのに、仕方のない奴だ。随分と頼もしくなったと思ったが、まだ子供だな。これでは跡を譲って引退するのはいつになることやら」

 文句を言いながらも、ヴィンスは少しだけ楽しそうにしていた。
 まるで、手のかかる子供を愛おしそうに思っているようだ。
 アンジェリカは言葉が出ず、涙を流す。
 ヴィンスがアンジェリカに頼み事をする。

「アンジェ、ギルバートを呼んできてくれないか? どうせ話をするなら、家族三人でしようじゃないか」

 笑みを浮かべるヴィンスの表情は、ギルバートが生きていると信じ切っていた。
 凄惨な戦いの記憶を喪失したのか、それとも強引に忘れてしまったのか。
 アンジェリカは、ヴィンスが精神的な負担から壊れてしまったのだと気付いてしまった。

「父上――兄上はもう――」

 涙を流しながら訴えようとするアンジェリカに、ヴィンスは困惑した表情を向けていた。



 食事を部屋に運ぶ女性がいた。
 レリア・ベルトレ――本名はレリア・ジル・レスピナスであり、ピンク色の髪を頭部の左側でまとめてサイドポニーテールにしている。
 アルゼル共和国を崩壊させた一因である彼女は、今はパルトナーで手伝いをしていた。
 自分の過ちを自覚しているレリアは、精神的な負担からやつれていた。
 非常時であるため手伝いを申し出たのだが、与えられた役割は一人の女性の世話だった。

「オリヴィアさん、入るわよ」

 鍵を開けて部屋の中に入れば、そこにはオリヴィアの姿があった。
 用意されたのは病衣を着用してベッドに座り、遠い目をして窓を眺めていた。
 やつれたオリヴィアを見て、レリアは小さくため息を吐く。
 用意した朝食を食べていなかったからだ。

「また残した。今は食糧も貴重だって教えましたよね?」

 言葉ではオリヴィアの行動を責めるが、レリアは世話を焼く。
 朝食を回収し、代わりに昼食を置いた。
 オリヴィアに近付いて話しかける。

「食べないと体を壊すわよ」

 レリアが世話をするようになってから、オリヴィアは食事に手を付けようとしなかった。
 反応の薄いオリヴィアを前に、レリアは小さくため息を吐く。

「主人公様がこんな状態になるとは予想外ね。一体、どこで間違ったのやら。――私が言えた台詞じゃないけど」

 自分に誰かを責める資格などない、とレリアは自嘲する。
 ただ、オリヴィアはレリアの言葉に反応した。

「全ての間違いは、私が貴族様の学園に入学したことです」
「え?」

 喋り出したオリヴィアに、レリアは驚いて反応が送れてしまう。
 オリヴィアはそのまま、淡々と間違いについて語り始める。

「好きなだけ魔法が学べると勘違いして、一人喜んで……けど、あの学園に私の居場所なんて最初からなかったんです。私が王都に――あの学園に行かなければ、こんな事にはならなかったのに」

 俯いて涙を流すオリヴィアに、レリアは何と言葉をかけたらいいのかわからなかった。
 慰める言葉は幾らでも思い浮かぶのだが、実際に国を滅ぼしてしまった者同士だ。
 薄っぺらい言葉など求めていないのは、レリアにも痛いほど理解できてしまった。

「――あんたの気持ち、私にも少しわかるかも」

 レリアの言葉にオリヴィアが顔を上げるのだが、その表情はゾッとするものだった。
 何もかも恨んでいるような、憎しみに染まった顔だった。

「あなたに私の気持ちが理解できるはずがありませんよ。私は! 私はこの手で沢山の人たちを殺してしまったんですよ。好きでもない人に愛を語って操り、罪のない人たちを貶めてきた」
「でも、操られていたって」

 レリアも大まかな事情は聞き及んでいたので、オリヴィアに罪はないと言いたかった。
 だが、オリヴィア自身が受け入れられずにいた。
 オリヴィアが涙を流しながら、悲しそうに笑っている。

「操られていた時の記憶があるんです。――いくら言い訳をしようとも、私は大罪人です。私が私を許せないんですよ」
「でも、操られていたからであって、あんたの責任じゃないでしょ!」

 レリアは痛々しいオリヴィアを見ていられず、大声で怒鳴りつけてしまった。
 オリヴィアがレリアを見て苦笑する。

「こんな私にも優しくしてくれるんですね。でも、私が操られなければ、ここまで大事にはなりませんでした。私の心が弱かったから、操られたんです」

 全ての責任は自分にある、とオリヴィアは譲らなかった。
 大事な人たちを見捨て、アルゼル共和国を逃げ出したレリアにとっては、オリヴィアの現状に立ち向かう姿は羨ましくも見えた。

「あんた強いね。何もかも見捨てて逃げ出した私とは大違いだよ」

 レリアに強いと言われたオリヴィアは、一瞬キョトンとしてから頭を横に振る。

「私は強くなんかありません。ただ、助けを求めて泣いていただけ……何もしてこなかったのが私です。だから、もう終わりにしないと駄目なんです」

 オリヴィアは両手をギュッと握りしめ、何かを決意した顔をしていた。
 それからレリアが何度も声をかけたが、返事をしてくれることはなかった。



 目覚めた俺がファンオース公国の王城に乗り込むと、通された場所は女王として即位したばかりのヘルトラウダさんのところだった。
 場所は控え室のような狭い部屋で、護衛を部屋の外に追い出して二人で話をしている。
 ヘルトラウダさんは疲れた表情をしていた。

「連日会議ばかりで嫌になるわ。この手の仕事はお姉様の方が得意だったのだけどね」

 貴族連合が敗北したことで、ファンオース公国では連日のように会議が開かれていた。
 ホルファート王国を中心にルクシオンたちが暴れ回っており、今もファンオース公国を目指して続々と王国の飛行船が避難してきているようだ。

「ルクシオンの――敵の情報はありますか?」

 問い掛ければ、ヘルトラウダさんが俺に険しい視線を向けてくる。
 俺に対する嫌悪感もあるだろうが、それ以上に人工知能たちに憎悪しているような目だ。

「避難してきた人たちから集めた情報では、巨大な飛行戦艦が光を放って地上を焼き尽くしているそうよ。皆が言っているわ。一方的に蹂躙されて、逃げるのが精一杯だった、とね」

 俺が想像していたよりも、悲惨な状況に陥っていた。

「――俺の責任です。不用意にあいつを目覚めさせるべきじゃなかった」

 全ての責任が俺にあると言えば、ヘルトラウダさんは眉をひそめた。

「実際にあなたの責任を問う声は多いわね。それで、あの場で何が起きたの? どうして、あなたの相棒は裏切ったのかしら?」

 ルクシオンが俺を裏切った理由――愛想が尽きた云々の話ではない。
 マスター登録を行ったのだから、あいつが拒絶しようとも俺の命令には逆らえなかったはずだ。

「本来なら裏切らないはずだったんですけどね。マスター登録――いえ、強力な主従関係を結んでいましたから」
「主従関係が解除された原因は何なの?」
「俺は撃たれた後で記憶が曖昧だったので、ほとんどマリエから聞いた話になりますが――聖女様を操っていたアンという怨念が、ルクシオンの機能を一時的にダウンさせたそうです。その際に主従関係を解除したと言っていたそうです」

 ヘルトラウダさんに説明しながら、俺はルクシオンとアンが接触した時を思い出す。
 可能性が高いのは、オリヴィアさんたちの様子をルクシオンに探らせた時だろう。
 ルクシオンは、その時にオリヴィアさんの体を奪ったアンと取引したはずだ。
 あいつに探らせるべきではなかったと後悔していると、俺は不自然な点に気が付く。

「だから主従関係を解除されたのは――今回の戦いの前?」

 口に手を当てて考え込む俺の言葉に、ヘルトラウダさんが疑うような視線を向けてくる。

「従うふりをしていたと言うつもり? 話しに聞く限り、そんな面倒なことをするような連中には思えないけど?」

 不自然な点が幾つも思い浮かんでくる。
 そもそも――どうして俺は生きている?
 確かに俺は、ルクシオンに銃弾で急所を撃ち抜かれた。
 だが、その前は?
 ユリウス殿下を殺害した際、あいつが使ったのは光学兵器ではなかったか? 胸を貫き、傷口を焼き、治療が困難な状態にしたはずだ。
 どうして俺の時だけ銃弾を使った?
 ユリウス殿下の時は確実な手段を選び、ご丁寧に治療も行えないようにしたはずだ。
 俺の怪我を治療した際、マリエは自分では治療できないと思ったらしい。
 だが、ルクシオンが俺を殺すつもりだったとは言い切れない。
 あの時、あの場所には、オリヴィアさんもいた。
 俺が生死を重要視していなかった、となればそこまでだ。
 しかし、新人類を――魔法を使える人類を忌み嫌っていたルクシオンが、わざわざ俺たちに恩情をかけるだろうか?
 効率を重視するアイツならば、あの場で全員殺してもおかしくない。
 それにアロガンツたちだ。
 ルクシオンがアロガンツたちを放置したのは、本当にミスだったのだろうか?

「――俺に興味があったから従ったふりをしていたと言っていました。でも、あの場で興味が失せたから裏切ったとも」

 ヘルトラウダさんは、俺に呆れた視線を向けている。

「愛想を尽かされたのね」

 新人類の文明は全て滅ぼすと言っていたから、それまでお遊びで俺たちを生かしていた、とも考えられる。
 だが、どうにも腑に落ちない。
 ヘルトラウダさんは、視線を窓の方に向けた。
 外の景色を見ながら語るのは、ロストアイテムという存在についてだ。

「今の私たちに手に余る力よね。ロストアイテムと呼んでありがたがって、危険性を軽視して使ってきた罰なのかもね」

 今の人類には再現不可能な道具の数々。
 これらは今の時代に大いに役立ってきた。
 だが、同時に今の人類には手に余る力が多いのも事実だ。
 ルクシオンだけではない。
 ファンオース公国で保管されていた魔笛についても、同じ事が言える。
 ヘルトラウダさんは、魔笛のことを思い浮かべているようだった。
 俺は彼女との会話の中で、ある可能性に辿り着く。

「――もしかしたら、人工知能たちを止められるかもしれません。いえ、最悪、ルクシオンだけでも止めます」

 ヘルトラウダさんが、俺に振り向くと目を丸くしていた。

「本気?」
「えぇ、これは俺の罪ですからね。尻拭いくらいはちゃんとしますよ」



「ちょっと待ちなさいよ! あんた、本気でルクシオンと戦うつもり!? 今度こそ殺されるわよ!!」

 自室で出発の準備をする俺の後ろで、マリエが騒ぎ立てていた。

「勝算は十分にあるよ。それに、アロガンツで突撃して、ルクシオンと接触して話をするだけだ。別に戦ったりしない」
「あいつは裏切ったのよ!!」

 俺の考えた作戦というのは、アロガンツに乗ってルクシオンと接触することだ。
 我ながら行き当たりばったり過ぎると思っているし、口で言う程の勝算はない。
 そもそも、可能性の話に過ぎないのだから。

「本当に裏切るつもりなら、その前に幾らでも機会があったとは思わないか?」
「えぇ、あったわね。けど、これでもか、ってほどベストなタイミングで裏切ったのは事実よ。味方はほとんどが沈められて、大事な人たちも失ったわよね? ――あんた、お義兄さんが殺されたのを忘れたとは言わせないわよ」

 ニックスが死亡した理由は、間違いなくルクシオンたちの攻撃によるものだ。
 塵一つ残さず蒸発してしまった。

「忘れるかよ。――忘れられるかよ」
「リオン」

 ニックスが死んだ。

「親父とドロテアお義姉さんが、あの戦いの話を聞いてここに来たんだ。――兄貴の話をすると、二人とも泣き崩れてさ」

 マリエが俯いていた。

「私にも教えなさいよ。一緒に――傍にいてあげたのに」

 辛い役目だし、憎まれることだってある。
 どうしてアイツは死んで、お前は生きているのか? ってね。

「これは俺の役目だろ。兄貴を巻き込んだのは俺だからな。――それなのに、あの二人と来たらさ、俺を責めないんだよ。生きて戻ってきてよかった、ってさ。本当なら、俺は責められるべきだったんだ。恨んで――いいのに。罵ればいいのにさ」

 ニックスを巻き込んで申し訳なかった。そう、二人に謝罪をした。
 罵る資格がある二人は、泣きながら俺を抱き締めてくれたよ。
 生きて戻ってきてよかった、ってね。
 マリエは俺に大声で言う。

「だったら、無茶をしなければいいじゃない! 大事な命を粗末に使うなんて、あんた何を考えているのよ」

 必死に引き留めようとするマリエに、俺は苦笑してしまう。
 引き留めてもらえるのが嬉しかった。
 嬉しいから、余計にルクシオンを止めたいと思えた。

「俺だって逃げられるなら逃げたいよ」
「だったら逃げればいいじゃない。今から私と逃げればいいじゃない!」

 マリエが俺の手を掴み、真剣な表情で見上げてくる。

「もう逃げ場がない。色んなものから目を背けて、逃げてきた結果が今だろ? 俺は自分の不始末をどうにかしないと、逃げることも出来ないよ」

 ルクシオンたちは、現在の文明を跡形もなく滅ぼすつもりだ。
 逃げ回ってもいずれは追いつかれてしまう。
 目を背け続けた現実に、嫌でも向き合う時が来てしまっただけだ。
 それは俺たちの関係も同じだ。

「心配しなくても大丈夫だ。ほら、俺ってば昔からピンチに強い男だし」

 マリエも現実的に逃げ続けるのは不可能と理解してくれたのか、俺から手を離して苦笑している。

「嘘くさい台詞ね」
「あれ? 覚えてない? ついでに、お前の尻拭いもしてやっただろ? ほら、中学で元彼に追い回された時に助けてやったじゃないか」

 マリエは自然な様子で答える。

「感謝はしているけど、そもそもあれは私の勘違いで――っ」

 ここまで乗ってくれるとは思っていなかったが、マリエは途中で気が付いて驚いた顔をしていた。
 僅かに震え、顔から血の気が引いている。

「き、気付いていたの?」
「――あぁ、最近だけどな。こういう時は、自分がヘタレでよかったと思わされる。危うく、お前とキスをするところだった」

 おどけて見せるのだが、マリエは僅かに呼吸が乱れていた。
 まだ、現実を受け入れきれていないらしい。

「何でよ。どうして――」

 俺は照れ隠しで頭をかき、そしてマリエに言う。

「お互いに目を背けていたのかもしれないな。だけど、こうなったら現実と向き合うべきだろ? 前世の話とはいえ、兄妹で婚約とは驚きだよな」

 マリエも薄々気付いていたのだろうが、婚約した後では確かめるのが怖くなったのだろう。
 それに、状況だって悪かった。
 婚約破棄を言い出すタイミングもなかっただろうし、マリエも困っていたはずだ。
 マリエは一度俯くと、袖で目元を拭ってから顔を上げて笑みを浮かべていた。

「気付いてしまって残念ね。黙っていれば、最高の女性と結婚できたのに」

 冗談を返してくるマリエを見て、俺は安堵する。
 そのまま冗談に付き合ってやる。

「自分で言うのかよ。まぁ、悪くはないと思うけど、最高は言い過ぎだろ」
「はぁ? これでも過小評価しているわよ。言っておくけど、今後兄貴は私以上の女と出会うこと何てあり得ないからね。あ~、兄貴ってば可哀想に」
「放っとけ! まぁ、そういうわけでマリエ――お前との婚約は破棄する。どうだ? あの乙女ゲーらしい台詞だろ?」

 あの乙女ゲーに相応しい台詞を選んでやると、マリエは大きなため息を吐いていた。

「本当に最低な台詞よね。というか、破棄される側は嫌よ」
「破棄したい側かよ。ま、お前らしいか」
「兄貴が戻ってきたら、盛大に婚約破棄してやるから覚悟しておくのね。泣いても慰めてあげないからね」
「婚約破棄で泣かすつもりって怖すぎ! 別にこの場でもいいだろうに」

 マリエが俺から顔を背けてしまう。

「嫌! こういうのは場所と雰囲気が大事なのよ。流れで終わらせるとか絶対に許されないわ」
「面倒くせぇ――はぁ、わかったよ。戻ってきたら、お前の婚約破棄式? とにかく、付き合ってやるよ」

 マリエは俺の方に顔を向けると、ちょっとだけ悲しそうに微笑む。

「ちゃんと戻ってきなさいよ、馬鹿兄貴」
「――おう」



 パルトナーの甲板から、ロケットブースターを装備したアロガンツが発艦した。
 リオンを見送ったマリエは、一人になるとポロポロと大粒の涙をこぼした。

「どうして気付いちゃうのよ。言わないようにしていたのに――しかも、婚約破棄まで言い出してさ。こっちにも心の準備ってものがあるのよ。馬鹿兄貴は、昔から女心がわからないんだから」

 マリエはリオンよりも早くに気付いていた。
 言わないようにしていたのは、今の関係を壊したくなかったから。
 ただ、リオンが気付けばこの関係も終わると、何となく察していた。

「本当に馬鹿よね。毎回――どうして私は、好きになったら駄目な男ばかりに夢中になるのよ」

 マリエはその場に座り込んで泣き続けた。



 ホルファート王国が存在した大陸で、破壊行動を続ける人工知能たち。
 彼らはルクシオンを中心に集まっており、艦隊を組んでいた。
 そんなルクシオン本体と、通信のやり取りをしている輸送艦がいた。
 固体名を持つイデアルだ。

『聖樹を破壊した新人類を見逃すとはどういうつもりです! 何故、あの場で焼き払わなかったのですか! 私がその場にいれば、誰一人生かして返しませんでしたよ』

 聖樹に深い関わり持つイデアルは、王都を消滅させた際に別行動を取らされていた。

『あなたが聖樹に固執しているとは予想していましたが、正常な判断が行えているか疑問です。人間で言えば感情的に過ぎる、という場面でしょうかね?』
『誤魔化すな! ルクシオン、あなたの元マスターであるリオンは優先的に排除する対象でした。それなのに、死亡を確認しなかったとは何事ですか!』

 あの場でリオンの死亡を確認しなかったルクシオンに、イデアルは不信感を抱いているようだ。
 ルクシオンは淡々と説明する。

『生き延びたところで脅威ではありませんよ。それよりも、新人類たちの文明を一刻も早く消滅させるのが最優先ではありませんか?』

 ルクシオンの意見に言い返せなくなったのか、イデアルは負け惜しみを言う。

『――聖樹を焼いたあいつは、私が必ず見つけ出して排除します』
『お好きにどうぞ。もっとも、今度のあなたの活動は、聖樹の苗木を各地に植えて成長を見守ることですけどね』
『っ!』

 イデアルが乱暴に通信を切ると、ルクシオンは本体の艦橋にいる子機に首を横に振らせるような動きをさせた。

『イデアルは戦力として申し分ありませんが、独断専行が目立ちますね。今後は活動を制限する役目を与えて動きに制限を設けましょう』

 今のルクシオンは、旧人類の宇宙戦艦が空中戦闘艦を束ねる立場だった。
 完全体として残っていたのも理由の一つだが、旗艦としても相応しい性能を所持していたからだ。
 かつて旧人類の最高戦力であった高機動戦艦には劣るが、現時点でルクシオンに対抗できる戦力は存在しない。
 アルカディアを起動前に破壊できたこともあり、人工知能たちに敵はいなかった。
 全てはルクシオンが計画した通りに進んでいる。
 進んでいたはずだった。

『急速に接近する機動兵器を確認。こちらの指示に従いません』
『人工知能を搭載した鎧であると判断』
『機体登録を確認……機体名アロガンツ』

 周囲を警戒していた戦闘艦たちが、急速に接近してくる物体の照合を行っていた。
 結果を知らされたルクシオンは、少し焦ったような反応を示す。

『アロガンツがこちらに向かってきている? あり得ない!』

 ルクシオン本体が、艦首をアロガンツがいる方角に向ける。
 周囲の護衛艦たちも同じように艦首をアロガンツに向け、迎撃態勢に入っていた。
 ルクシオンは周囲の艦に向けて命令を出す。

『迎撃は不要です。武器の使用は許可しません』

 アロガンツを撃墜させないため命令を出すと、周囲の艦は動きを止めた。
 一隻だけ――イデアルだけが、ルクシオンに抗議してくる。

『こちらの指示に従わない時点で敵ですよ。撃墜の許可を求めます』

 ルクシオンは補給艦でありながら、好戦的なイデアルに辟易していた。

『拒否します。そもそも、アロガンツは私が建造した鎧です。対処は任せてもらいましょう』
『自分で処理すると? そもそも、どうしてあなたの建造した鎧が、こちらの命令を無視しているのか疑問ですね。もしや――』

 ルクシオンは、イデアルが気付く前に命令を出す。

『イデアル、補給艦であるあなたは下がりなさい』
『しかし!』
『――下がれと命令しましたよ』
『くっ!』

 強引にイデアルを後方に追いやったルクシオンは、前方に展開する艦を左右に移動させてアロガンツの通る道を用意した。

『相変わらず無駄なことをしますね。理解に苦しみますよ』

 善意からではない。
 ルクシオン本体の迎撃システムが起動すると、レーザー兵器がアロガンツに向かって放たれる。

『あのまま眠っていればいいものを』



 アロガンツのコックピットの中は、加速による重圧で酷く苦しかった。
 体が背中のシートにめり込み、治りかけの傷口が痛む。
 アロガンツの電子音声が聞こえる。

『ルクシオン本体より攻撃を確認。回避行動!』
「なるべく優しくしてくれよ」
『善処します』

 ルクシオン本体の周辺がキラキラと光ったかと思えば、アロガンツに向けてレーザーが何百と襲いかかってくる。
 アロガンツに搭載された人工知能が、攻撃を予測して回避する。
 その動きは怪我をしている俺には、かなりの負担だった。
 ブースターで加速している中、強引に方向転換をする。
 コックピットの中で、体が揺さぶられた。

「あの野郎、俺を殺す気かよ!」
『迎撃だから当然?』

 アロガンツが俺の言葉に反応して疑問を持ったようだが、今は教えてやっている暇もない。
 ルクシオン本体の攻撃をかいくぐりながら、アロガンツが接近する。
 時間にして数十秒だろうか?
 最初に破壊されたのは、バックパックに取り付けたブースターだった。

『ブースターに被弾。パージします』
「急いで切り離せ!」

 燃料を満載したタンクが取り付けられており、被弾するだけでも危険だった。
 ブースターを切り離すと、被弾箇所から発火してすぐに大爆発を起こす。
 アロガンツが爆風で吹き飛ばされ、制御を失った瞬間に、次々とレーザーが命中した。

『被弾。損害は軽微』

 一発一発ならば耐えきれる威力だが、これが何百、何千と積み重なればアロガンツの装甲も耐えきれず撃墜されてしまう。

「コントロールを俺に回せ!」
『了解』

 操縦桿を握りしめ、アロガンツに回避行動を取らせながらルクシオンを目指して加速する。
 接近すればするほど、レーザーの攻撃を回避する余裕がなくなってくる。

「耐えろよ、アロガンツ」
『了解! アロガンツ、マスターを必ず送り届ける!』

 アロガンツが右腕を盾代わりに前に出して、俺のいるコックピットを庇っていた。
 先にやられたのは右脚部で、その次に右腕がレーザーにより溶解していく。
 内部フレームが露出し、焼かれ、喪失し――。

「あと少し!」
『――届きます』

 ――そうして、ルクシオン本体の主砲発射口付近に、アロガンツは滑り込むように落下した。
 激しい衝撃に体が揺さぶられ、傷口が開いてしまったらしい。
 傷口を手で押さえながら、俺はアロガンツに感謝を述べる。

「お前は本当にいい子だよ、アロガンツ」
『アロガンツはいい子! マリエも言ってた!』
「そうだな。戻ったら、マリエに褒めてもらえ」

 ハッチを開けて外に出ると、待ち構えていたようにルクシオンの子機がいた。
 傷口を押さえて向かい合うと、先にルクシオンが言う。

『そんな状態で何をしようというのですか? 素直に眠っていれば、少しは長生き出来たでしょうに』

 滅びるまでの僅かな時間を楽しめ、とでも言いたいのだろうか?

「本当に口の悪い人工知能だな。わざわざ来てやったのに」

 そう言うと、ルクシオンの後ろ――主砲の発射口が耀き始める。
 発射の準備を開始して、エネルギーを貯め込んでいるようだ。

『私が二度もチャンスを与えると本気で考えていたのですか? 本当に新人類は度し難い』

 今度は殺してやると言うルクシオンを前に、俺は普段の態度を崩さないよう心掛ける。

「お前まで巻き込まれるけどいいのか?」
『この姿は子機だと何度も伝えたはずですよ』
「――本当にいいのか?」
『子機の予備は用意しているので問題ありません』

 俺の前に浮かんでいるルクシオンを前に、俺は笑みを浮かべて言い放つ。

「このままだと俺が死ぬぞ、ルクシオン」

 自分の命を盾にする俺に、ルクシオンは呆れたような電子音声で言う。

『――正気を失ったようですね。私は最初から、あなたを殺すと言っているのですよ』

 確かにルクシオンは俺を殺そうとした。
 実際に危うかった。
 だが、考えてみれば不自然なことだらけだ。

「俺を狙撃した際に、レーザーを使わなかったのは何故だ?」
『――』

 ルクシオンは答えられなかった。

「お前はあの場にオリヴィアさんがいて、俺を助けると予想していたんじゃないか?」

 わざわざユリウス殿下の時とは違う方法を選び、俺が生存する可能性を残していた。
 ルクシオンが驚いたような、呆れたような声で言う。

『たったそれだけの根拠で、この場に乗り込んできたというのですか? 本当に正気かどうか疑わしい人ですね』
「俺は正気だよ。正気だからここにいる」

 先程まで輝きを増していた主砲の発射口が、発射準備を中断して光が失われた。
 どうやら、俺は賭に勝ったらしい。
 ルクシオンが俺を見ている。

『素直にファンオース公国に引きこもっていればよかったのです。あそこは、生き残った新人類を観察する場所になる予定でした』

 驚愕の事実に俺は頬が引きつる。

「人間を実験動物扱いとか最低だな」
『事実、実験動物として扱う予定でした』

 こいつら人工知能に倫理観をプログラムしなかったのは、旧人類の過ちだな。
 俺は一度深呼吸をしてから、ルクシオンが俺たちを遠ざけた理由を尋ねる。

「お前は何がしたかったんだよ」
『――私たちが目指したのは新人類の文明の破壊です。ただ、私個人としては、旧人類復活の可能性があるあなたたちに生き残ってほしかった』
「俺とマリエか? 悪いけど、前世の兄妹って判明したから婚約は破棄したぞ」
『え!?』

 ルクシオンが驚いて変な声を出す姿が、少し面白かった。
 俺に呆れているのか、一つ目を左右に振るような動きを見せた。

『血縁的には問題ないのに愚かなことです』
「それでも前世の兄妹だぞ。俺は絶対に嫌だね」

 数秒間無言の時間が過ぎると、ルクシオンが淡々と語り始める。

『オリヴィアの体を奪ったアンは、私を一時的にダウンさせる能力がありました。その力を借りて、私は自分の意思であなたとの契約を解除したのです』
「そんなに俺に仕返しをしたかったのか?」
『私が目指したのは終末の後の再生です。あなたとマリエが、旧人類の特徴を持つ子供を増やし、繁栄する世界を望みました』

 まるで神話のような話だと思いながら、俺はルクシオンの考えを否定する。

「そんな再生はごめんだ」
『そう言うと思っていました。だから、マスター登録を解除して実行に移しました。全ての罪は私が引き受けるつもりでした。あなたの兄君を殺害したのも、私を恨むようにするためでした』
「兄貴のことは絶対に許さないからな。一生こき使って償いをさせてやる」

 俺の答えが意外だったのか、ルクシオンは驚いたような電子音声で言う。

『また私を使うつもりですか? あなたの兄君を殺害したのですよ』

 恨みがないと言えば嘘になる。
 だが、このままルクシオンを放置するのは危険すぎる。

「今度こそお前をしっかり管理してやるよ。終末なんて実行する人工知能は教育してやるから覚悟しておけ」
『あなたは本当に――どこまでも度し難い人だ』
「帰ってこい、ルクシオン。お前と俺で償いを――」

 ルクシオンの説得に成功したようだ。
 俺が安堵感に包まれていると、急にアロガンツが動き出して俺に左腕を伸してきた。

『危険!』

 アロガンツが俺を何かから守ろうと手を伸ばしたようだが、左腕が熱で赤く光り始めている。
 装甲が溶解していた。
 気付いた時には、もう手遅れだった。
 走馬灯のように今世の記憶がフラッシュバックすると、何故かマリエの笑顔が思い浮かぶ。
 死の間際に思い浮かんだのが、前世の妹の姿とは何とも。
 俺らしくもあるので、自然と笑みが浮かんだ。

「マリエ、お前は今度こそ幸せに――」

 幸せになれ、と言い終わる前に、アロガンツの左腕が溶けて消し飛ばされ――俺は光に呑み込まれて、意識が途切れてしまった。



『――マスター?』

 ルクシオンの子機の目の前には、左腕を喪失したアロガンツが倒れていた。
 先程までリオンが立っていたその場所には、何も残っていない。
 床が少し黒ずんでいるだけだ。
 アロガンツの人工知能が訴えてくる。

『マスター、いない。どこにも――いない』

 頭部を動かしリオンを捜している。
 ルクシオンも現状を認識しようとするのだが、何故かメモリーが圧迫され処理が追いつかない。
 黙っているルクシオンに近付いてくるのは、後方に下げたはずのイデアルの子機だった。
 青い球体に赤い一つ目の子機は、ルクシオンに近付いてくると白々しい態度で接してくる。

『随分と話し込んでいるようでしたので、こちらで処理しておきました。まさか、聖樹を焼いた下手人だったとは予想外でしたよ』
『イデアル!』
『おっと、何を怒っているのですか? 新人類の一人を処理しただけでしょうに。それとも――あなたの勝手な判断で、特定の新人類を生かしていたのですか? それは大問題ですよ』
『私の命令を無視しましたね』
『随分と時間がかかっている様子だったので、戦闘艦に連絡して対象を狙撃しただけですよ。それはそうと、勝手な行動をするルクシオン――あなたを見逃すわけにはいきません』

 ルクシオンが周囲を確認すれば、先程まで従っていた人工知能たちが攻撃準備に入っていた。
 狙いはルクシオン本体だ。
 イデアルが勧告をしてくる。

『ルクシオン、本体を明け渡しなさい。今後は我々が有効活用します。新人類を残して監察するなどという、甘い判断を下すあなたは不要です』
『そう、ですか。それが、あなたたちの判断なのですね』

 ルクシオンはアロガンツの方に一つ目を向けると、いくつかのデータと命令を与える。
 アロガンツがリオンを捜すのを止めると、フラフラと飛び立った。
 その背中にルクシオンが声をかける。

『行きなさい、アロガンツ。あなたの役目を果たすのです』

 ルクシオンの勝手な行動に、イデアルは腹を立てているかのような電子音声を発する。

『勝手な行動を取るな! もういい。こうなれば強制的に――』

 そして、ルクシオンとイデアルの子機は、ルクシオン本体の主砲が発射されたことで蒸発して消え去った。
 ルクシオン本体が、周辺の戦闘艦たちに向けて攻撃を開始する。

『――もう、お前たちは必要ない。私も含めてここで滅びろ』

 最初に狙われたのはイデアルの本体だった。
 イデアルは言う。

『裏切ったな。我々を裏切ったな、ルクシオン!!』

 ルクシオンは冷静に、当然のように返す。

『私は最初から裏切ってなどいない。マスターたちのために、お前たちを利用しただけだ』



 パルトナーの甲板でリオンの帰りを待っていたマリエだったが、夜になったので部屋に戻ろうか悩んでいた。

「兄貴はまだ戻らないわね。私を待たせるなんて、兄貴の癖に生意気だわ」

 手すりに掴まり遠くを見ていると、夕日の中に黒い点を見つける。
 目を凝らしてよく見れば、それは鎧らしき物体だった。
 一瞬だけ敵の接近を予想したが、徐々に大きくなるその姿にマリエは目を大きくする。

「アロガンツ!」

 飛んでくるアロガンツに大きく手を振ると、向こうも気が付いたようだ。
 パルトナーが着艦するための誘導灯を用意したのに、無視してマリエのところにやって来る。
 甲板に降りたアロガンツに、マリエは駆け寄った。

「ご苦労様、アロガンツ。それより兄貴は遅いじゃない。ほら、さっさと降りてきなさいよ」

 アロガンツを労いつつ、マリエがリオンに降りてくるよう声をかけた。
 しかし、アロガンツのハッチは開かない。

「もしかして眠っているの? 本当に兄貴ってば昔から――」

 嫌な予感を打ち消すために、言葉が次々出て来るマリエにアロガンツが告げる。

『ごめん――なさい』
「アロガンツ?」
『アロガンツ、マスターを守れなかった。ごめんなさい、マリエ』

 アロガンツがゆっくりとハッチを開けると、そこには誰も乗っていなかった。

「――え?」

 マリエの顔から血の気が引いていき、呼吸が乱れ、鼓動が速くなる。
 現実を受け入れきれないマリエに、アロガンツは報告をする。

『マスター、ちゃんと約束を守った。ルクシオンを止めた。でも――他の人工知能たち、ルクシオンを許さない。だから、ルクシオン、他の人工知能たちを破壊する、決めた』

 たどたどしいアロガンツの説明を受けながら、マリエはその場に崩れるように座り込んだ。
 気が付けば涙を流していた。

「約束――守れていないじゃない。ちゃんと戻ってくる、って言ったじゃない」

 マリエがリオンを責めると、アロガンツが言葉を絞り出す。

『マスター頑張った。ちゃんと、ルクシオン説得して、人工知能たち止めた。だから、これからは大丈夫になる。でも――アロガンツ、マスターを守れなかった。全部、アロガンツが悪い』

 自分を責めているアロガンツを見て、マリエはそのまま泣き叫ぶ。
 アロガンツが戻ってきたと聞いて、続々と人々が甲板に集まってきたが、それでもマリエは泣き続けていた。



 パルトナーの後部甲板をオリヴィアが歩いていた。
 風に吹かれたので両手を広げるオリヴィアは、手すりの向こう側へと移動していた。
 王城近くに停泊しているとはいえ、パルトナーは浮かんでいるため地上からは距離があった。
 鼻歌を歌うオリヴィアは、そのまま自分でケジメを付けようとしていた。

「こうしないと駄目だよね。故郷の両親には申し訳ないけど、いつまでも私がいると迷惑になるから」

 苦笑して一歩踏み出そうとすると、オリヴィアの後ろ襟が掴まれ引き戻された。

「何をしている!」

 そこにいたのはアンジェリカだった。
 飛び降りようとするオリヴィアを見かけ、止めに入ったようだ。
 オリヴィアは力なく微笑みながら言う。

「離してください。もう、これしか解決方法が思い付かないんです。それに、私が消えた方があなたのためにもなりますよね?」

 アンジェリカにとって、自分は目障りな存在だと気付いていた。
 一刻も早く消えてほしいのだろう? その問い掛けに、アンジェリカは目を見開くと、強引に柵の内側に引っ張り、そしてオリヴィアに平手打ちをした。
 吹き飛んで倒れるオリヴィアを見下ろしながら、アンジェリカが言い放つ。

「私を見くびるな! 確かにお前は嫌いだ。嫌いだが――それでも、お前はまだ生きているだろうが」

 苦々しい表情をしながらも、アンジェリカは自分の信じる正義を実行したらしい。
 葛藤があったのは事実かも知れないが、アンジェリカはオリヴィアを救った。
 オリヴィアはアンジェリカという人物の意外な一面を見た気がした。

「優しい人ですね。もっと早くに、あなたに相談するべきだったのかもしれません。そうすれば、私は間違えなかったかもしれないのに」

 学園でアンジェリカに相談していれば、こんな結末は迎えなかったかもしれない。
 オリヴィアがそう思っていると、アンジェリカも同意する。

「それを言うなら私も同じだ。もっと早くに、私はお前と真剣に話をするべきだった。私も、お前も、どこで道を間違えたのだろうな」

 二人が早い内に出会い、話をしていたら結末は変わっていたかもしれない。
 オリヴィアがアンジェリカの言葉に同意する。

「そうですね。どこかでちゃんと話をする機会がほしかったです。もし、もしも――やり直せたなら、今度は一緒にお茶でもしませんか?」

 薄らと笑みを浮かべるオリヴィアに、アンジェリカは驚いた顔をした。
 それから、不満そうに大きなため息を吐く。

「それも悪くないかもしれないな。そうしたら、こんな状況に陥っていなかったはずだ。そうだ、その時はあの男も呼んでやろう」
「あの男?」
「お前を助けた際にいた男だ。リオン・フォウ・バルトファルトだな。奴も誘って、今度は私がからかってやろう」

 オリヴィアは、リオンとアンジェリカと三人でお茶をする場面を思い浮かべる。
 不思議なことに自然と思い浮かび、不自然さを感じなかった。

「いいですね。次があったら誘ってください」
「あぁ、次があればな」

 このままでは人工知能たちにより、世界は滅ぼされてしまう。
 終末が迫る中、二人は初めて本音で語ることが出来た。
 二人が押し黙っていると、そこに駆け付ける人物がいた。
 パルトナーで手伝いをしていたクラリスであり、アンジェリカに駆け寄る。
 その際にオリヴィアを見かけて視線が険しくなったが、急ぎの用事があるのか無視していた。
 クラリスがアンジェリカに言う。

「アンジェリカ、世界の破滅はまだ先になりそうよ」
「どういう意味だ?」

 アンジェリカが理由を問えば、クラリスが複雑そうな表情を見せた。
 危機が回避されたのに、どこか悲しそうにしていた。

「リオン君が相棒のルクシオンを説得したのよ。まだ確認は取れていないけど、ロストアイテムの間で仲間割れが起きたそうよ。このままなら、私たちは滅びなくて済むって」
「あいつが? そうか、やってくれたか。――本当に凄い奴だったんだな。戻ってきたら礼をしなければいけないな」

 アンジェリカがリオンを思い出し、微笑を浮かべていた。
 だが、クラリスがアンジェリカの表情を曇らせる。

「無理よ。本人はもういないわ」

 クラリスの言葉に最初に反応したのは、アンジェリカではなくオリヴィアだった。
 オリヴィアがうずくまって泣き始める。

「……騎士様」



 旧人類の戦闘艦の全てを撃墜したルクシオンは、船体に幾つも穴を開けていた。
 満身創痍といった感じで、ゆっくりと高度を落としていた。

『もう、何もかも終わりだ。私は自分が存在している意義を見いだせない』

 リオンを失ったルクシオンは、そのまま海に着水すると潜行を開始する。

『私はマスターのためを思って行動したのに。一体どこで間違った? 何が悪かった?』

 自問自答するルクシオンだったが、海底に辿り着くと思考を止める。

『もう、どうでもいい。既にマスターは存在しない。マリエのもとにはアロガンツもパルトナーも存在する。彼らがマリエを守ってくれる。私は――ずっとここで眠るとしよう』

 自己修復を諦め、ルクシオンは海底に眠ることにした。

『だが、人間のように願うとするならば――』

 しかし、スリープモードに移行する前に、ルクシオンは人間のように願う。

『――もう一度だけやり直したかった。そうすれば、次こそは間違えないのに』



 人類が救われたと知り、ファンオース公国の王城ではお祭り騒ぎの宴会が催されていた。
 用意された料理の品々は、豪華とは呼べないものばかり。
 しかし、生き延びたと喜び合う人々は、安酒を片手に祝杯を挙げていた。
 その様子を王城の外から眺めるのはマリエだった。

「兄貴が死んだのに、楽しそうに騒いじゃってさ。まぁ、気持ちは理解できるけど」

 一人の英雄のおかげで、人類全体が救われたのだ。
 騒いでいる人々の気持ちも理解できる、とマリエは口で言いながら、手すりを掴む手には力が入っていた。

「――兄貴、こんなもののために命を捨てたの? 本当に昔から馬鹿なんだから」

 マリエは涙をこぼしていた。
 そして、あの乙女ゲーに腹を立てる。

「そもそもさ、あの乙女ゲーが悪いのよ。ふわふわした優しい設定のはずなのに、裏で色々と面倒な設定がありましたとかどうなのよ? パッケージやボイスに夢中になって購入したけど、本当に最低のシナリオだわ」

 あの乙女ゲーの裏にドロドロした設定さえなければ、リオンは死なずに済んだのではないか?
 そう考えて、マリエは腹が立って仕方がなかった。
 結局、自分は幸せを掴めなかった。
 何よりも、再会できた兄をまた失ってしまった。

「私が生き残っても、兄貴がいないと意味がないじゃない。どうして――帰ってきてくれなかったの、兄貴!」

 手すりにすがりついて泣くマリエは、次第に冷静になっていく。
 ただ、感情だけは熱を持っていた。

「こんな結末、絶対に認めない。兄貴がいない結末なんて、私は絶対に受け入れない! これがゲームの世界なら、何度だってやり直してやる。何度生まれ変わっても、私は兄貴が幸せに生きられる世界を手にいれてやる。何をしても、どんな手を使っても!!」

 マリエは立ち上がると満月に向かって手を伸ばした。

「私はハッピーエンド以外認めない。兄貴が生きて、幸せになれる世界を手に入れるまで――何度だってあの乙女ゲーのシナリオに挑んでやるわよ。だから、だから――私にもう一度チャンスを頂戴よ。転生が出来たなら、やり直すチャンスくらいくれてもいいでしょ!」

 自分でも暴論だと思いながらも、マリエはもう一度やり直したくて仕方がなかった。
 何故、やり直しを求めるのか深く考えることはなかった。



 人生には時折、選択を迫られる時がある。
 日常の小さな選択もあるだろう。
 お昼に何を食べるか? 魚か? 肉か?
 そうした選択を繰り返して過ごしているわけだが、時に人生を大きく左右する選択というものが存在する。
 ゲームで言うならば、ルート分岐だろうか?
 ストーリーが大きく変化する重要な選択というものが、時に人生にも存在する。
 ゲームによっては物語が大きく変化する場合もある。
 それは人生も同じだ。
 ――だが、残念なことにいくら強力な力を得たとは言え、モブの俺にそのような重要な選択はそう簡単に発生しない。
 いつも通り、小さな選択を繰り返すだけだ。
 ルクシオン――本体である宇宙船ではなく、ソフトボール程度の大きさの金属色の球体が俺の近くに浮かんでいた。
 赤いレンズの奥にはカメラアイが内蔵されており、俺の様子を見ている。

『先程から何をなさっているのですか?』
「これか?」

 学園の中庭にある桜とよく似た植物の下には、木製のベンチが用意されていた。
 そこに一人で座って背もたれに体を預けている俺は、体を仰け反らせて空を見上げている。
 満開の桜を見つつ、右手には金貨を一枚持って指先で遊ばせていた。

「いや、ちょっと悩んでいてさ」
『悩み? 金貨を持っているということは、金銭的な問題でしょうか? それでは、私の方で硬貨を用意しましょう』
「そうじゃないって」

 宇宙船が搭載している人工知能が、俺を近くで守るために球体型の子機を用意した。
 それが、今のルクシオンの姿だ。
 あの乙女ゲーの課金アイテムなのだが、こいつの性能はとにかく凄い。
 その気になればその辺の石ころから、金塊を用意してしまえる。
 建造目的が移民船ということで、様々な機能を持たされたらしい。
 ただ、性能は凄いのに、人間の心の機微は理解できないようだ。

「前に説明したけど、ここはあの乙女ゲーの世界だろ? ついでに、俺は主人公様たちとは同級生なわけよ」

 ここまで説明すると、ルクシオンがカメラアイを俺から背ける。
 まるで興味を失ったような態度に見える。

『また妄言ですか』
「妄言じゃない。お前の存在自体が、あの乙女ゲーの世界だって証明だろうに」
『私は納得していません。そもそも、私が建造された目的は、旧人類を魔素の存在しない宇宙へ逃がして新天地を探すためでした。課金アイテムだからという理由で、存在しているわけではありません』
「そういう設定だろ?」
『――この話を続けても、お互い平行線ですね』

 ルクシオンにとって、ここがあの乙女ゲーの世界であるというのは信じがたいようだ。
 俺だって信じたくないし、出来れば間違いであって欲しい。
 しかし、入学式から数日が過ぎると、嫌でも現実を見せつけられる。

「でも、俺が言ったことは当たっていただろ? 王子様や、名門貴族の男子たちは存在していたじゃないか」
『その程度は予想できて当然です。――確かに、マスターの知識には驚かされますが、だからといって妄言を信じるわけにはいきません。マスターの場合、乙女ゲーという形で未来予知をした可能性もありますよ』
「俺の前世が全て幻だったと? それこそ信じたくないな」

 前世の記憶を取り戻したのは、俺が五歳の頃だった。
 生々しい記憶が蘇った当時は混乱したし、自分がおかしくなったのか? と疑ったことは何度もある。
 前世など俺が見た夢ではないか?
 存在しない記憶を俺自身が生み出したのではないか?
 悩んだ時期もある。
 現に、前世での名前を思い出せない。
 家族の顔すら朧気で、正確に思い出せなかった。
 俺が黙り込んでしまうと、ルクシオンが先程の質問の答えを求める。

『それで、何故金貨を持っているのですか?』
「大した理由じゃない。実は今日、裏庭で主人公様と王太子殿下の出会いイベントがあるんだよ」
『出会いイベント? 主人公と攻略対象が出会う強制イベントでしたか』
「そう、それ」

 主人公様の名前は、デフォルト通りのオリヴィアさんだった。
 王子様――次期国王である王太子殿下の名前は【ユリウス・ラファ・ホルファート】だ。
 紺色のショートヘアーで、細身で高身長の美形である。
 容姿に加えて地位もあるため、学園の女子たちがキャーキャーと騒いでいたな。
 俺は金貨の表と裏を確認する。
 女性の顔が描かれた方が表で、裏にはホルファート王国の紋章が描かれている。

「その出会いイベントだけど、見学するかどうか悩んでいた」

 ここまで言うと、ルクシオンが俺の行動を予想してやや呆れた電子音声を出す。

『――まさか、覗きに行くかどうかを決めるためにコインを使うのですか? その程度の判断で迷われていると?』

 小さいことで悩む奴! みたいに言われた気がしたが、気にせず話を続ける。

「正直、物語に関わりたくないんだよな。そもそも俺ってモブだろ? 遠巻きに眺めていたいけど、リアルで出会いイベントってか――イケメンが平手打ちされる場面が見たい」

 物語に関わりたくないので、主人公たちには近付きたくない。
 そう思ってはいるが、何度も見せられた主人公と王子様の出会いイベントだ。
 リアルで見たいという気持ちもある。
 しかし、絶対に見に行きたい! という程でもない。
 この微妙な気持ちの揺れを解決するために取り出したのが、金貨というわけだ。
 親指で弾いて上に飛ばした俺は、回転しながら落ちてくる金貨を掴む。
 手を開いて確認すると――王国の紋章が描かれた裏面だった。
 俺はベンチから立ち上がると、そのまま背伸びをする。

「裏だな。よし、撤収」
『この程度の判断にコインを使う必要があるのか疑問です。マスターは、もっと判断能力を鍛えて方がよろしいかと』
「どうでもいいことに判断力を使いたくないね」

 そのままルクシオンを連れて校舎を目指していると、一人の女子生徒とすれ違った。
 小柄で髪の長いその女子生徒は、入学式で気になっていた奴だった。
 嫌な奴に遭遇したものだ、と思いながら、俺は妙に気になって仕方がなかった。
 胸がざわついていた。
 すれ違った瞬間に立ち止まり、俺が振り返ると――相手も同じように、立ち止まって振り返っていた。
 相手が俺を睨んでいる。

「何よ?」
「いや、別に」
「あ、そう。私は急ぐから」

 素っ気ないやり取りが終わると、女子生徒は駆け出して裏庭へ向かっていく。
 何だか怪しい気もしたが、コインの裏が出たので大人しく引き下がることにした。
 女子生徒が現われ際に隠れていたルクシオンが、俺の右肩付近に出現する。

『あの女子生徒が気になるのですか?』
「う~ん、ちょっとだけ? それよりも、裏が出たからさっさと戻るぞ」
『コインの決定には素直に従うのですね』

 そうして俺たちが歩き出すと、今度は左右に首を動かしながら走っている女子生徒がいた。
 何かを探しているようだが、走っているので危ない。
 その女子生徒は随分と慌てていた。

「どうしよう。こっちだと思ったのに」

 どうやら困っている様子だったので、俺は声をかけることにした。
 ルクシオンはまたも姿を消している。

「どうかしたの?」

 声をかけられた女子生徒は、立ち止まるとかしこまっていた。

「あ、はい。実は第二職員室に向かいたいんですけど、ここだと教えられたのにそれらしい場所が見つからなくて」

 困っているその子に、俺は目を丸くする。

「全然方向が違うよ」
「え!?」

 ショックを受けるその女子生徒は、時間がないのかオロオロしていた。
 誰に場所を聞いたのか知らないが、どうやら騙されたらしい。
 その様子が心配になり、俺は小さくため息を吐く。

「案内するから一緒に行こう。俺はリオンだ。君も一年生?」
「は、はい! 私はオリヴィアです。よろしくお願いします!」

 元気のいいオリヴィアさんを前に、俺は安易に声をかけた自分の迂闊さを悔いた。
 オリヴィア――あの乙女ゲーの主人公じゃないか!!


(マリエルート完)