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「あの乙女ゲーは俺たちに厳しい世界です 6」著者書き下ろしのショート・ストーリーをプレゼントします。
黒騎士の後継者【リオン・ヒム・デンゼン】と名乗ってから十一年目に入った。
この年は俺にとってある意味で特別だ。
何しろ、あの乙女ゲーの物語が開始する年なのだから。
ホルファート王国の貴族たちが通う学園に、特待生として一人の庶民出身の女の子が入学してから物語は始まる。
魅力的な彼女の回りには王太子殿下を始め、貴公子たちが集まり賑やかな学園生活が始まるわけだ。
それを面白く思わないのが、王太子殿下の婚約者であるアンジェリカさんだ。
悪役令嬢として主人公をあの手この手で邪魔をするわけだが、最終的に悪事が露見して婚約破棄されてしまう。
主人公は恋人となった貴公子と目出度く結ばれ、無事にゲームをクリア出来ればハッピーエンドを迎える。
王道的とも言えるが、実は乙女ゲーに悪役令嬢はあまり存在しないという罠もあるが今はどうでもいい話だろう。
それはともかくとして、ペンフレンドである悪役令嬢として断罪される展開が迫っていた。
本当にゲームのような展開になるのか疑問もあるが、現状では物語通りに進んでいるとしか思えない。
俺の養父になった黒騎士【バンデル・ヒム・デンゼン】子爵に連れられ王城に来てみれば、主戦派の貴族たちが集まってあれこれ話をしていた。
主戦派の中でも幹部連中が集められた会議の内容は……ホルファート王国への侵攻作戦についてだった。
会議の場を仕切るのは髭に異様な執着を持つ【ゲラット】伯爵だ。
見るからに胡散臭い細身のゲラット伯爵は、自慢の髭を指先で優しく摘まむように撫でながら侵攻作戦について話をしていた。
「ファンオース公国が長年抱える問題は領土不足です。王国に領主貴族たちが存在しているのに、我らは宮廷貴族ばかりなのもこれが原因ですからね。この問題を解決するためにも、王国本土を切り取るは必定です」
ファンオース公国とは大きな浮島を丸ごと統治しているが、貴族たちに領土を分け与える程の余裕はない。
そのため宮廷貴族ばかりで貴族たち個人の資産は多くない。
主戦派の多くは領土を広げて国を豊かにし、自分たちの懐を潤すのが目的だった。
とはいえ、物事はそう簡単ではない。
主戦派貴族の一人が、ゲラットの提案にお決まりの難題を口にする。
「攻め込んで領地を切り取るのは簡単だが、問題はその後の維持ですね。王国の国力は我らの何倍もあります。大陸本土を取り戻すために大兵力を何度も投入されれば奪い返されるのは目に見えていますから」
この世界の戦争事情だが、飛行船なんて物が安易に量産できるため攻撃側が非常に有利だ。
しかし、奪った後はどうしても守勢に回るしかない。
今度は相手側が有利な立場に回って攻めてくるわけだ。
ファンオース公国だが、本来はホルファート王国とまともに戦争が出来る国力を有していなかった。
それでも今まで存続できたのは、ホルファート王国が周囲に敵国を多く抱えているためだ。
大国を切り崩したい国というのは、ファンオース公国だけではない。
弱気な発言をする貴族に冷たい視線を向けるゲラットだが、今回は秘策があるのか強気のまま発言を続けた。
「お決まりの反対意見ですね。そんな問題も解決できない私だと思っているのですか?」
「い、いえ、ゲラット伯爵ならばどうにかされるでしょうが……具体的には?」
「現在のホルファート王国はレッドグレイブ公爵家が権力を掌握しつつあります! ただ、これに不満を持っている貴族たちも多いのも事実のようでしてね。レッドグレイブ公爵家の敵対派閥とこれまでやり取りをして参りました」
自分が敵国の貴族たちとパイプを繋いでおいたぞ、と言いたげな顔をしていた。
こいつのことだから、向こうから連絡をもらっても自分の手柄だと言い張るだろう。
そもそも、どうして王国との間に繋がりを持っていたのか……まぁ、王国と繋がっていたというのが事実だろうな。
貴族たちの中には苦しい立場に置かれる者たちも多い。
今回のように二国間の争いに巻き込まれる国境の貴族たちがいい例だ。
彼らは戦争が起きる度に自領が戦火にさらされるため、被害を減らすために勝者に媚びる、あるいは戦前から繋がって戦争になると裏切るなどあの手この手を尽くす。
裏切り者の蝙蝠野郎に見えるだろうが、自領を守るために苦しい立場にいるためだ。
貴族としての意地を示して滅ぶのか、それとも恥を忍んで生き残るのか……俺にはどちらが正しいとは言えないな。
ともかく生き残るために必死な奴もいるという話だ。
しかし、ゲラット伯爵の場合は別だ。
こいつは主戦派の貴族たちをまとめる幹部的な立場にいながら、王国とも繋がって戦争に勝とうが負けようが利を得る立場を確保しているようにしか見えない。
主戦派の貴族たちも疑っているが、このゲラット伯爵は汚い手段も平気で実行できる男だ。
王城内でライバルの足を引っ張るのは当然で、時には冤罪をでっち上げ蹴落としもしたようだ。
暗殺などの手段も執るらしく、周囲に警戒されていた。
短絡的で何をするのか分らない部分が怖く、一目置かれるという不思議な立場にいた。
貴族たちが気を利かせて拍手をすると、ゲラット伯爵は気をよくしていた。
「彼らはこのままレッドグレイブ公爵家の風下に立つくらいならば、本土の一部を割譲しても構わないという考えです」
これを聞いて貴族たちが顔を見合わせた。
「それならば王国の領土を安心して切り取れるな」
「王国の連中が約束を守ると思うのか?」
「確かに裏切る可能性も捨てきれないが……」
あれこれ考え始める貴族たちを前にして、ゲラット伯爵は会議室の机に勢いよく手を振り下ろして大きな音を立てた。
手が痛かったのか、痛そうにしながらも場を仕切り始めた。
「ともかく! 王国との間に戦争が起きるのは既定路線です。フィールド辺境伯に気取られないよう、戦支度を始めますよ!」
ファンオース公国を押さえ込むため王国が用意したフィールド辺境伯家は、要塞化した浮島を保有していた。
本土にも領地を持っており、広大な領地と要塞を持つ大貴族だ。
簡単に裏切る貴族たちとは違って、単身でも公国と戦って時間稼ぎが可能な戦力を有している。
現フィールド辺境伯は切れ者であるらしく、ファンオース公国にとっては目の上のたんこぶだった。
重要な国境を任されるだけの人物というわけだ。
会議が終わると爺さんの背を追うように部屋を出た。
廊下に出て他の貴族たちの姿が見えなくなると、爺さんはゲラット伯爵の計画に本音を吐露した。
「王国の連中と手を結ぶとはゲラットも信用ならん男だが、おかげで王国の領土を切り取れる」
ゲラット伯爵のやり方は気に入らないが、王国と戦争が出来るのは嬉しいようだ。
俺としては複雑な気分だ。
何しろ、あの乙女ゲーに敵側として参加するのだから。
正直に言えば領地を切り取った後、敵が攻め込んでこなくても厄介だと思っている。
「切り取っても統治が難しいと思うけどね。お互いに因縁のある相手同士だろ? 統治する方も、される方も問題を起こすに決まっている」
「ふん! そんなものは文官たちに任せておけばいい。新たな領地を切り取れば、それすなわち公国の力となる。将来的に姫様たちは今よりも安泰だ」
王国との間に和平を結んだ方が安泰な気もするが、それを言っても爺さんは納得しない。
戦争など馬鹿げていると理解していても、個人ではどうすることも出来なかった。
いっそ逃げ出してしまおうかという考えが頭をよぎるも、これをするには遅すぎた。
大事な人が増えすぎて、今の俺は逃げられなくなってしまったからだ。
爺さんの声が普段よりも弾んでいる気がした。
「リオン、お前も初陣だ。空賊狩りで何度か現場には出したが、本物の戦争は別物と心得ておけ。黒獅子の騎士団もお披露目となる。姫様たちの前で恥をかかぬよう、より訓練に精を出すとしよう」
黒獅子の騎士団と言っても少数の部隊だ。
他との違いは爺さん自らが率いるのと、全員が王国を恨んでいる連中という点だ。
爺さんの厳しい訓練に耐えられた精鋭たち。
「日頃から厳しいのに、これ以上厳しくしたら戦争前に潰れるだろ。それに、あんまり目立った動きをすれば敵に気取られるって言われたばかりじゃないか」
「ぬぅ……フィールド辺境伯か……公都にまで密偵を放っていると聞くが、本当に厄介な男だ。戦場に出て来れば斬り捨ててやるものを」
年老いても戦意は衰えず、むしろ時間が残り少ないと自覚しているだけ焦っているようにも感じられた。
俺は分かれ道で足を止めた。
「それでは養父様、自分はこれより姫様たちにご挨拶をして参りますのでこれにて失礼いたします」
公の場であるため言動を改めると、爺さんは嫌な顔をしていた。
「気色悪い。似合っとらんぞ」
「言動を改めてやったのに、その台詞はどうなんだよ?」
「いいからさっさと行け。姫様たちを待たせるな」
手でしっしっ、と追い払われた俺は王女殿下たちが待つ部屋へと向かうのだった。
◇
「そう、ついに憎き王国を相手に復讐する時が来たのですね」
俺と同じ年齢であるヘルトルーデは、絹のような長い黒髪を指先で遊ばせていた。
細身で日焼け知らずの肌。
仄暗い赤い瞳が、王国への憎悪に染まっていた。
王城の小さな中庭で行われるお茶会に参加した俺は、ヘルトルーデとヘルトラウダの姉妹を相手に会議の話をしていた。
周囲に控えている侍女や女性騎士たちはいい顔をしていない。
俺が王女殿下たちと親しいのも理由だが、王城内の情報をこうして話すのが気に入らないのだろう。
侍女も女性騎士たちも、主戦派が用意した。
彼女たちにとって王女様たちは何も知らないお飾りである方が使いやすい。
変な知識を与える俺は面倒な存在というわけだ。
「一国の王女様が復讐に囚われるのもどうかと思うけどね。物事はもっと大局を見ないとね」
あれこれ言えば、ヘルトルーデがムッとした表情をした。
「あなたにはどんな大局が見えているのか教えてもらえるかしら?」
「俺は上に立つ人間じゃないから目先のことで精一杯さ」
「相変わらず口だけは達者ね」
「そういう自分が俺は嫌いじゃないよ」
馬鹿みたいな雑談をしていると、会話に参加できないヘルトラウダが強引に割り込んできた。
「それよりもリオンはお留守番するのよね? 私たちの護衛でしょ?」
ヘルトラウダは十四歳になったが、まだ幼さが抜け切れていなかった。
強くあろうとして大人ぶる姉のヘルトルーデと、そんな姉と俺に甘える妹のヘルトラウダ。
「悪いが黒獅子の騎士団もお披露目で出撃だとさ。……爺さんを戦場に出さないためにも、俺たちが酷使されるんじゃないかな?」
これにヘルトラウダは涙目になった。
「どうして! リオンは私たちとお留守番しようよ!」
「十五歳を過ぎてしまったので成人扱いです。ごめんな、ラウダ」
笑いながら答えてみたが、十五歳を過ぎたら戦場送りも仕方がないとか酷い世界だな。
ラウダが話の腰を折ってしまったが、ルーデは戦争の話を詳しく聞きたいらしい。
「それにしてもゲラットが王国の貴族と繋がっていたとは驚いたわ。しかも、王国の貴族が本土の領地を割譲してもいいと言い出すなんて……」
あり得ないと思っているルーデだが、俺としては十分にあり得ると考えていた。
協力者の名前はフランプトン侯爵だったかな?
王家に近い立場の大貴族らしいが、そんな人たちから見て大陸の端にある領主貴族たちの土地など他人の土地と同じだ。
切り取られても痛くも痒くもないだろう。
「一部の土地を失うよりも権力を握りたいんだろうさ。何しろレッドグレイブ公爵の立場は盤石らしいからな」
「レッドグレイブ公爵……アンジェリカの実家か……今も文通は続けていたわよね? あれから情報は聞き出せたのかしら?」
俺の文通相手はまさかの悪役令嬢アンジェリカさんなのだが、王太子殿下との関係が改善して以降は手紙に余裕が現れていた。
こちらがあの手のこの手で情報を聞き出そうとするのだが、知的な言い回しで回避される始末だ。
地頭の良さが違うため太刀打ちできず、情報は得られなかった。
「すまない。どうやらあちらの方が上手で情報は聞き出せていないよ。むしろ、この前なんかお前たち姉妹の情報を俺の方から書いちゃって大変だった」
「あんた何してくれてんのよ!」
これにはルーデだけでなく、ラウダも黙っていなかった。
「私たちの秘密をばらしたの!?」
俺はもったいぶった態度で言う。
「あぁ、すまない。姉のルーデよりも妹のラウダの発育がいいと書いてしまった。そしたら、今度アンジェリカさんが姫様たちへの贈り物の参考にするって……」
思い当たる節があったのか、ルーデの顔から表情が消えた。
「胸を大きく見せる詰め物が送られてきたのは、あんたが情報を流したからなのね」
「あの人、マジで送ってきたの? 良い根性しているよね」
笑ってやると、ルーデが無言で手を振り上げたので「冗談です」と謝罪した後に王国の情報を話して興味を逸らした。
「それよりも王国内にはいくつか火種もあってさ。オフリー伯爵家、聞いたことあるだろ?」
王国貴族の名前を出せば、ルーデもラウダも「何を当たり前のことを」という顔をした。
「公国とフィールド辺境伯との間で動き回っていた貴族じゃない。商人からの成り上がりで王国では相手にされていなかったらしいけど、その件で随分と評価されたと聞いたわ」
ルーデが言えば、ラウダも頷いていた。
「バンデルが悔しそうにしていたから、私もよく覚えているわ。そんなオフリー伯爵家が火種にはならないと思うんだけど?」
オフリー伯爵の話題が出ると、女性騎士の一人が露骨に視線をさまよわせた。
年長で立場が上の彼女はオフリー家の事情を知っているのかもしれないが、ここでこの話題を止めては部下たちに怪しまれるとも思っているらしい。
あまり踏み込んだ話題に触れると止められそうなので、噂話程度に浅い情報を伝えるに留めた。
「……空賊と繋がって王国内で荒稼ぎをしているという噂がある。裏では随分とあくどい貴族様らしいぞ」
噂話としてオフリー家の内情を暴露してやると、ルーデもラウダも真に受けなかった。
外交で活躍した貴族がそんなことをして何になるのか?
空賊と手を組んで稼いだところで割に合わないと思っているのだろう。
ルーデは俺の噂話を一蹴した。
「あり得ないわ。外交で活躍して、フィールド辺境伯の嫡男と娘が婚約した家よ。空賊と手を結ぶなんて貴族としては御法度だもの」
ラウダの方は冗談と認識しつつも、王国を貶すためにあり得ると言い出した。
「確かに普通の貴族であればそうですけど、相手は王国貴族ですからね。貴族としての誇りや意地が欠けているのではありませんか、お姉様?」
「……ラウダの意見も一理あるわね。王国貴族などその程度でしかないものね」
敵だと教え込まれた王国に対して蔑む発言をすると、二人して加虐的な笑みをしていた。
俺は立ち上がって二人の頭に手刀を振り下ろした。
「な、何をするのよ、リオン!」
「痛い……」
ルーデは俺を睨み付けるが、ラウダは涙目になって怒られた理由がわからず困惑していた。
「個人的な感情が入り込みすぎだ。お前らは上に立つ人間だぞ。もっと冷静な目で見て判断してくれないと、俺たち下の人間が困るだろうが」
それとなく周囲の侍女や女性騎士たちに視線を向けた。
周囲の人間が二人に王国は敵である、卑怯な奴らだと刷り込んだおかげでこの様だ。
周囲も自覚はあるのか俺の視線に気付かないように振る舞っているが、飼い主である主戦派の貴族たちの命令で二人を都合の良い傀儡に留めておきたい気持ちが見え透いていた。
そんな二人にあれこれ余計な情報を持ち込む俺は邪魔者だが、黒騎士の養子という立場もあって簡単には排除出来ない厄介な存在でもあった。
「さて、俺はそろそろ帰るよ。爺さんが五月蠅いからな」
立ち去ろうとするとラウダは残念そうにしたが、ルーデは俺の腕を掴んできた。
「リオン、戦争がいつ始まるかは決まっていないのでしょうけど、あなたは必ず……」
「生きて戻って来ますよ。何しろ、俺の人生の予定表には老衰で死ぬと書いてあるので」
「……そう、相変わらずのようで安心したわ」
視線を下げたルーデは、どこか不安そうにしていた。
「心配しなくてもクロがいるし、俺の周りは爺さんが鍛えた精鋭ばかりだぞ。これで死んだら、俺は間抜けも良いところだ」
課金アイテムのクロがいて、黒騎士がいて、その部下たちがいて……俺が死ぬ要素などほとんどなかった。
まぁ、戦争に勝てるかどうかは別問題だけど。
◇
屋敷に戻ってきた俺は、使用人のエセルさんが煎れてくれた紅茶を飲みながら手紙を書いていた。
届ける相手はペンフレンドのアンジェリカさんなのだが、彼女から届く手紙の内容は順調そのもの。
物語が始まったばかりというのもあるが……。
「こうなってくると主人公様が色々とかき乱すのが邪魔になってくるな」
主人公様が王太子殿下や貴公子たちと仲良くなりすぎれば、レッドグレイブ公爵家の立場が弱くなり非主流派であるフランプトン侯爵の権力が増す。
これによりファンオース公国は敵国である王国に強力な内通者を得るため、戦争に踏み切って大攻勢をかけるわけだ。
その際に欲をかいて魔笛を持ち出すことになるのだが、結果は聖女になった主人公様に敗北して何も得られず終わってしまう。
魔笛を使用したことでヘルトルーデは亡くなり、何の意味もない戦争をしただけに終わる。
「いっそこのままレッドグレイブ公爵が権力を握ってくれた方が、俺個人としてはありがたいけど……こればかりはどうなることやら」
白紙の手紙の前に腕を組む。
この後の展開があの乙女ゲーのシナリオをなぞるなら、ヘルトルーデの命が危ない。
幼い頃から一緒に過ごしてきた相手が死ぬというのは気分が悪かった。
「さて、どうしたものかな」
何事もなく終わってくれるのが一番だ。
アンジェリカさんには是非とも王太子殿下を捕まえていてほしいと思いつつ、俺の脳裏には復讐に燃える爺さんの顔が浮かんだ。
妻子の復讐が果たせずに爺さんが諦めるだろうか?
爺さんを始めとした恨みを持つ連中が簡単に戦争を諦めないのも理解していた。
「……魔笛を壊せば……いや、駄目だ」
少し前から魔笛があるせいでルーデとラウダが死ぬのなら、元凶を破壊すればいいと単純に考えていた。
けれど、あの魔笛というのは存在自体が抑止力になっていた。
王国とは別の国に攻め込まれた際、当時の王族が使用して不利な戦況を覆した。
以降は公国に秘密兵器あり、として他国から警戒されるようになったわけだ。
その魔笛が失われたと知られれば、公国は周囲の国から攻め込まれる可能性が高くなる。
一度や二度の話であれば爺さんが退けてくれるだろうが、爺さんがいなくなった後は? ファンオース公国の国力だけで守り切れるだろうか?
そう思うと魔笛を壊す気持ちに躊躇いが生まれてしまう。
「使わない秘密兵器のままであってくれればいいけどな」
◇
それからしばらくして、アンジェリカさんから愚痴の書かれた手紙が届いた。
「ユリウス殿下が特待生の庶民を必要以上に気にかけており、学園の生徒たちが嫉妬して私に愚痴を言いに来ます、ね……何だか始まった感があるな」
どうやら王太子殿下は主人公様と接触してしまったらしい。
公国の立場にいる俺からすると、主人公様に活躍して欲しくないのが本音だ。
手紙にはアンジェリカさんの苦悩も書かれていた。
『あまり注意をしてはユリウス殿下も面白くないでしょうから、それとなく助言するに留めています。そうなると周囲からは弱気に見えてしまうのか、頼りないと言われてしまいます。ままならないものですね』
あちらの顔を立てれば、こちらの顔が立たず、ね。
悪役令嬢の立場を考えたこともなかったが、あの乙女ゲーでも難しい立ち位置にいたとしたら同情を禁じ得ない。
ただ、それはそれ、これはこれ、だ。
俺はアンジェリカさんの手紙に向かって叫ぶ。
「諦めるな、悪役令嬢! あんたなら出来る! 出来るって!」
手紙を前に興奮している俺の側にいるのは、相棒となったクロだ。
黒い球体からは魔力の粒子が溢れて黒い湯気が出ており、肉眼の一つ目が不気味さを出していた。
球体から小さな手が生えており、俺のために用意されたクッキーを掴んで食べていた。
『相棒はアンジェリカが好きなのか嫌いなのかわからねーな。悪役令嬢ってあだ名は酷すぎると思うんだが?』
「嫌いだったら応援するわけないだろ! いいか、クロ……今、この時、アンジェリカがファンオース公国とホルファート王国の命運を握っていると言っても過言じゃないんだぞ!」
『過言だと思うけどなぁ』
俺の言葉を信じない相棒は、再び俺のクッキーをむさぼり食う作業に戻った。
屋敷で長年お手伝いをしてくれているエセルさんの焼くクッキーはおいしいため、全部取られる前に一つだけ口に運ぶ。
糖分を補給した頭で俺は現時点の最良の結果は何かを導き出す。
「戦争は回避したい。そうなると、レッドグレイブ公爵家には失墜されては困る。悪役令嬢であるアンジェリカさんには、是非とも王太子殿下と結ばれてもらおうか」
俺は公国から安易に出られない立場であるため、手紙を使ってあの乙女ゲーに干渉することに決めた。
「……さて、どうやってアドバイスしたものか」
◇
しばらくしてアンジェリカさんから泣き言の入った手紙が届いた。
『私はちゃんと釘を刺したんです。これ以上は殿下に迷惑がかかるからあまり近付かぬように、と。それなのに、あの女は私を無視して殿下と楽しそうに会話をしていたんです! これを黙って見過ごすなどレッドグレイブ家の者として許しておけません! そもそもあの者は私に挨拶にも来ないのですよ。私を認めていない証拠ではありませんか!』
アンジェリカさんとしては、貴族的に空気を読んで身を引けと忠告したつもりらしい。
本来であれば王太子殿下が話しかけても、身を引いて挨拶程度を交わす程度に留めるのが礼儀だとか何とか。
それを無視されて怒り心頭らしいが、俺は頭を抱えた後にペンを取って乱暴に書き殴った。
「ばーか! 貴族社会の礼儀とかそもそも庶民が知るかよ! そもそも、王子様が話しかけてきたら自分から切り上げるなんて不敬かも? って庶民なら心配もするだろうが! お前はもっと真剣に考えて行動しろよ! というか、相手は挨拶云々とか知っているの? 貴族的なルールは誰か教えたんだろうな?」
貴族社会や貴族令嬢たちのルールなど、庶民にしてみれば知らない話だ。
学園側も特待生として庶民を受け入れるのは初めてで、何を教えていいのかわからないのか? あるいは内心では納得していないから見て見ぬ振りをしているのか……主人公の立場って序盤は辛いから大変だよな。
俺は丁寧に封をしてアンジェリカさんに手紙を送るのだった。
◇
庶民が貴族令嬢のルールなんて知るか、ばーか! リオンからふざけた手紙を受け取ったアンジェリカは、雷に打たれたような衝撃を感じていた。
「……私たちの決まり事を知らない? そんなはず……いや、でも……い、言われてみればあり得るか?」
学園に入学してから多くの女子生徒たちが、アンジェリカのもとに挨拶に来た。
これはアンジェリカが一年生のトップであると表面上は認めた証である。
敵対派閥の貴族令嬢たちは挨拶に来なかったが、これも仕方がない話だ。
個人としてアンジェリカと敵対するつもりがなくても、実家同士が政敵であると顔を合せ難いのは理解していた。
だから責めないし、学園では一定の距離を取って最低限の付き合いに留めるつもりだ。
この状況でアンジェリカに挨拶に来ない連中は、人格に問題がある引きこもり連中か……敵対する意思有りということになる。
特待生であるオリヴィアは、アンジェリカ率いる巨大な女子グループから除け者にされる理由はこれだった。
アンジェリカも最初は「いい度胸だ、特待生」と思いつつ、学園ですれ違っても敵意を感じないため「あいつは何がしたいんだ?」と疑問に思いつつも興味をなくした。
だが、リオンに言われて納得してしまった。
そもそもオリヴィアは学園のルールを、女子の暗黙のルールを知らないのだと。
「特待生が私たちのルールをそもそも知らないのは見落としていたな。学園に来る前にでも習っていると思っていたんだが……誰も教えなかったのか?」
貴族令嬢として育ったアンジェリカは、何かあれば事前に教育を受けるのが普通だった。
暗黙のルールについても学園を卒業した年長の者たちから、事前に話を聞く機会もあった。
特待生も当然受けていると思い込んでいた。
「これは早急に呼び出して話を……いや、私が出向いた方が無難か? 誰かに任せては威圧する可能性もある」
(これでは釘を刺したとしても何の意味もないじゃないか!)
自分が浅はかだったと落ち込みつつ、アンジェリカはリオンの手紙に視線を戻した。
「未来の黒騎士殿は視野が広いな。王太子殿下の婚約者としては警戒するべきだろうが、今は救われた気分だ。……でも、私を馬鹿呼ばわりしたのは許せないな」
素直になれないアンジェリカは、リオンの無礼な手紙に相応しい返事を書くことにした。
その前にオリヴィアの件を片付けねばならない。
◇
数日後。
ご機嫌にリオンへの罵声を書いた手紙をしたためたアンジェリカに、ユリウスからの呼び出しがあった。
男子寮に向かったアンジェリカを待っていたのは、オリヴィアを呼び出したと聞いていじめを心配したユリウスとジルクの二人だった。
ユリウスは落胆した顔をしており、アンジェリカは小さくため息を吐く。
(これは説得が長引くかもしれないな)
アンジェリカを前にユリウスが慎重に問い掛けてくる。
「俺はお前が良い方に変わったと思っていたが、どうやら間違っていたらしい。特待生のオリヴィアを呼び出して数時間も拘束したらしいな?」
事実だった。
アンジェリカが「はい」と返事をして頷けば、今度はジルクが責め立ててくる。
「オリヴィアさんは自室に戻るなり倒れ込んだとか。しかも、アンジェリカさんの独断で女子寮でも最低ランクの部屋に移動させられたとも聞こえてきましたよ」
これも事実だ。
アンジェリカの命令で実行した。
ユリウスの眉間に皺が寄った。
「お前が俺たちとの関係を良く思わないのは知っていたが、ここまでする理由がどこにある!」
怒りに任せたユリウスの言葉を聞き終えてから、アンジェリカはユックリと事情を説明し始めた。
それは子供に言い聞かせるように丁寧に。
「全て事実ですが殿下たちが思われているようないじめではありませんよ。そもそも殿下……断れない庶民の女性に言い寄るのは頂けません。今後はご遠慮願いましょう」
「なっ!?」
ユリウスが座っていた椅子から腰を浮かせる程に激怒したが、その隣に立っていたジルクは察してくれたのか目を丸くしていた。
ユリウスが言葉を発する前にアンジェリカは状況を説明した。
「オリヴィアに詳細な話を聞きましたが、学園の入学前に色々と説明は受けたようですが、貴族社会のルールやマナーを教えられていませんでした。何一つです。あの娘は何も知らないまま学園に放り込まれていましたよ」
アンジェリカにしても頭の痛い話で、この件に関してはミレーヌに「どうなっているんですか?」と思わず手紙で問い詰めてしまった程だ。
ミレーヌ程の地位になれば最終的な確認はするが、現場の詳細までは伝わらない。
初めて平民を受け入れてみたが、想定していない問題が次々に出ていた。
ある意味、これは正しい反応でもあった。
学園に平民を迎え入れた際にどうなるのか、実際にどんな問題が出るのか、これから本格的に検証する段階だったのだから。
ユリウスが理解できていない顔をしていたので、そこで乳兄弟のジルクが割り込んできた。
ユリウスが恥をかかないように立ち回るのも彼の役目だ。
「つまりそれは、貴族のご令嬢たちが身に着けている作法などを何も知らない状態である、という意味ですよね? 男性が声をかけ、気がない時はそれとなく理由を付けて去るなどの処世術も?」
ユリウスもようやく自分がしていたことに気付き、冷や汗をかいていた。
アンジェリカは疲れた顔で言う。
「あの娘はしばらく私が預かり教育します。言っておきますが、本来の意味の教育であって別の意味は含んでいませんからね? それからオリヴィアの部屋を移動させたのは、彼女が使っていた部屋が元は物置だったからですよ」
物置と聞いてユリウスもジルクも「嘘だろ!?」と驚いた顔をした。
そこまで冷遇されていたとは、男子たちには知り得なかったのだろう。
オリヴィアにしても「一部屋用意してもらっただけでもありがたいです!」と逆に喜んでいたくらいだ。
常識が違い過ぎてアンジェリカは頭痛がした。
学園側の冷遇を善意として受け取っていたのだから……。
ユリウスは両手で顔を覆い隠して項垂れる。
「……俺は嫌がる女性も見抜けない間抜けな勘違い野郎だったわけだ。これでは父上を責められないな」
父上、現国王であるローランドの話題が出ると、ジルクもアンジェリカも顔を背けた。
ホルファート王国が抱える恥部の一つは、間違いなくローランドの女癖の悪さだ。
ユリウスにしてみれば、理由を付けて断らないオリヴィアは自分に気があると思い込んでいた。
相手が自分たちの常識を知らないだけと言われ、どこか納得した様子でもあった。
「貴族社会に触れていないからこその純粋さというわけか……」
自分が感じた魅力を口に出したユリウスに、アンジェリカは少しだけ表情を険しくした。
「まるで貴族令嬢は純粋ではないと言いたそうですね」
ユリウスはアンジェリカを見て言う。
「実際にそうだろ? あれこれ手段を覚えたご令嬢たちは恐ろしいからな」
純粋ではないと言いながらも、ユリウスは心を許しているのか笑っていた。
ユリウスの冗談にアンジェリカも冗談で返す。
「男性たちもあの手この手で隠し事をされるではありませんか。ユリウス殿下など、私の前で堂々と他の女を口説かれておりましたよ」
勘違いでオリヴィアに近付いた件は、ユリウスには笑える冗談ではなかった。
「……止めてくれ。その話題は心に刺さる」
「失礼しました」
「いや、いい。おかげで最悪の事態は免れたと思っておくさ。だが、そうなるとジルクたちも気を付けた方がいいな」
ユリウスがジルクに視線を向けると、本人は肩をすくめていた。
「私の場合は殿下と違ってオリヴィアさんは嫌がっていませんでしたよ」
などとのたまうジルクに、アンジェリカは思う。
(今の発言はクラリスに伝えておこう。どのみち、オリヴィアの件で話を通しておく必要もあって、明日には面会の機会を作ってあるから丁度良い)
ジルクを心配していたユリウスが、貴公子たちの中に一人……オリヴィアとは別の人物に夢中な者を思い出した。
「ブラッド……そうだ、ブラッドだ。オリヴィアの件で忘れていたが、あいつも婚約者を放置して他の女性に夢中だったな」
ジルクはブラッドの話題が出ると同情的だった。
ブラッドの婚約者はオフリー伯爵家のステファニーだ。
学園でも悪い噂の絶えない女子であるため、ブラッドが気の毒なのだろう。
「他の女性に逃げたい気持ちは理解できますけどね。ただ、選んだ女性は確か……」
名前を思い出そうとするジルクに対し、アンジェリカが小さくため息を吐いた。
「マリエ・フォウ・ラーファンだ。よりにもよってステファニーの婚約者に近付いた奴だよ」
アンジェリカにしてみれば、問題を増やしてくれた厄介な奴という認識でしかなった。
ただ、ブラッドが他の女性に逃げるのも仕方がないと思っていた。
伯爵家の出でありながら、亜人種の専属使用人を大勢引き連れている姿は見るに耐えない、と常々思っていたからだ。
◇
「やったぜぇぇぇ!!」
アンジェリカさんから『あなたの助言でどうにか殿下はご自身の過ちに気付かれたようです。今後は適度に学園の生徒たちとも交流すると約束して下さいました。これがあなたの助言の結果だと思うと素直に喜べません。いっそ、黒騎士殿の手柄であるのを忘れてしまいたい気分ですが、私はあなたと違って義理堅いのでいつかこの恩を返すとしましょう』と。
「嫌みまみれの清々しい文章だな。だけど、手紙一つで歴史を動かしたような感動がある」
まさか俺の趣味で一つの戦争を止められるとは思わなかった。
このままレッドグレイブ公爵家が安泰であれば、ファンオース公国も簡単には王国を攻められないだろう。
一人喜ぶ俺に、クロは疑ったような視線を向けてきた。
『どうだかな? 戦争はそもそも理不尽なものだぜ。一つ原因を潰したくらいで止まる程、公国と王国の間にある憎しみは消えないと思うけどな』
「随分と戦争に詳しいみたいに語るじゃないか?」
『詳しいも何も、俺は旧人類と長年戦ってきたからな。あいつら魔法が使えないから、技術を伸して人工知能を生み出したんだぜ。そいつらがどれだけ嫌らしい連中だったか聞かせてやろうか?』
魔法が使える新人類と、魔法の使えない旧人類が争った話は今まで特に興味を抱かなかった。
ただ、今回は聞いておくべき気がした。
「人工知能? お前も同じじゃないのかよ?」
『俺は人工生物かな? だから情もあるし、感情もある。これでも俺は相棒を大事に思っているんだぜ。けど、奴らは違う……奴らは旧人類の存続のためなら何でもやる連中だった。奴らとの間に何度か停戦交渉を持ちかけた話もあったけど、どうなったと思う?』
「前にお前が勝ちきれなかったとか言っていたから、失敗したんだろ?」
『その通り。奴らは新人類を人間ではないから交渉する必要がないと言い出した。旧人類が植え付けた憎しみがそれだけ強力だったって話だよ。そう思うと、旧人類は自分たちの憎しみで滅んだことになるから皮肉だよな』
人工知能ならもっと建設的な話し合いが出来そうなものだが、どうやらこの世界では違うらしい。
憎しみを植え付けられた人工知能たちは戦争を止めなかった、か。
公国も王国も憎しみ塗れなのは同じだ。
「憎しみね……厄介だな」
『相棒が大事な人間を理不尽に奪われたとして、やり返さないと自分で思えるか?』
「……経験がないからさっぱりだよ」
その時が来れば自分がどうするのかハッキリするだろうが、想像するだけでは何とも言えなかった。
クロは俺がやり返すと思っているらしい。
『相棒は情に厚いからな。爺さんや姫様たちに何かあれば剣を抜いて戦うさ。だから、今も戦わないで済むように動いているのは正しいと思うぜ』
何と返せばいいのか思い浮かばず、俺は頭をかいて誤魔化した。
「さて、返事を書くとしますかね」
◇
大きな問題が片付いたので上機嫌の俺だったが、姫様たちとの面会の日に現実を突きつけられた。
ラウダが大喜びで俺に伝えるのは、公国の魔笛についてだった。
「やったよ、リオン! 天と海の守護神様を宿した魔笛は私が預かることになったわ!」
公国には二つの魔笛が存在した。
一つはラウダが所有者になった魔笛と、もう一つは大地の守護神様を宿した魔笛だ。
この二つは明確に優劣が存在する。
守護神様を二つも宿した魔笛の方が優れているとされているのだが、俺からすれば用途が違うだけのように思えてならない。
ただ、ラウダは姉よりも優れていると認められたのが嬉しいようだ。
別に姉妹仲が悪いわけじゃない。
「せめて魔笛だけでもお姉様に勝てて良かったわ。私……政治とかさっぱりだから、何かあったらお姉様が残れば安心だもの」
「ラウダ、お前は自分が犠牲になるつもりか? そんなことを考えて何の意味がある?」
年下の女の子が、姉妹の中でどちらが生き残れば国に有益かを考えていたのを知って驚愕した。
「意味ならあるわ。お姉様が生き残れば公国は栄えるでしょ?」
「そのために自分が捨て駒になるつもりか?」
ラウダは俯いて体を震わせていた。
怖がっているようだが、この件に関しては強い意志を持っていた。
「私たちのどちらかが国のために犠牲になる時が来たら、残るのはお姉様の方がいい。だって、私には魔笛の才能しかなかったもの」
「ルーデはお前よりも年上だから優秀に見えるだけだろ?」
「お姉様が私くらいの年頃の頃には、もっと色んな事を勉強していたわ。私は、お姉様より劣っているのは自覚しているの。だから、立派なお姉様が生き残るべきよ」
尊敬する姉には生き残って欲しいと願っていた。
◇
ルーデの元を尋ねると少しばかり落ち込んでいた。
ただ、同時に嬉しくもあるようだ。
「まさかラウダに天と海の魔笛を奪われてしまうなんて思わなかったわ。これでも自信はあったのだけど、負けちゃったわね」
立派な妹の姿を見られて嬉しいようだ。
「……ラウダがこれでお前の役に立てるって喜んでいたよ」
言葉を濁したが十分に伝わったのか、ルーデは眉間に皺を寄せていた。
「必要ないわ。魔笛の才能に恵まれたラウダが生き残って血を残せばいいのよ。いざという時は、私が魔笛を使用する」
姉妹揃って自分が魔笛を使うと言いだして嫌になった。
「ラウダは政治に優れたお前が残る方がいいとさ」
「政治? 籠の中の鳥みたいな私たちが、まともに政治に参加できると思っているの?」
ラウダが言うように、ルーデは聡かった。
だから現在の問題を気付いてしまっていた。
「子供の意見が正しくても大人は聞き入れない。私が本当の意味で政治に参加できるのは、大人になって自分の支援者を集めた後……二十年、いえ三十年はかかるでしょうね。その間に努力はするけれど、魔笛を使用する機会が巡ってきたらラウダに生き残ってもらうわ」
「魔笛を扱える血のためか?」
冷酷な決断が出来るルーデに冷たい問いかけをすると、本人は苦笑していた。
「……妹だからに決まっているでしょ? 私はラウダのお姉ちゃんなのよ」
俺が黙り込んでしまうと、ルーデが側に寄ってきた。
俺の手を握り締めた。
「リオンには感謝しているの。ラウダはいつも楽しそうだし、私もあなたの言葉で視野が広がった気がするわ。だから……何かあったら、私の代わりにラウダを守ってね? これは次代の黒騎士であるあなたへ、私からの命令よ」
「俺には重すぎる命令だな。それと、そこはお願いにしないのかよ? お姫様にしおらしい態度でお願いされたら、俺は頑張れるのに残念だな」
「あら? お願いにしていいの? 私がお願いしたらリオンは無茶をしないと言える?」
首を傾げて微笑むルーデに、俺の性格を見抜かれている気がして恥ずかしくなった。
「ははっ……違いない。命令の方がいいな。適度に頑張って、無理なら諦めも付く……」
ラウダを守れないのは嫌だな。
ルーデが死ぬのも嫌だ。
あぁ、どうして魔笛なんて物が存在しているのか……存在が疎ましくて仕方がない。
ルーデは俺の手を強く握り締めた。
「幼い頃から一緒だもの。私はあなたも……弟のように思っているわ」
「そこは兄だろ?」
「弟よ」
前世を持つ俺が年下のように扱われるのは、何故か納得出来なかった。
◇
『王城から戻ってきたかと思えば、素振りなんてしてどうしたんだよ?』
モヤモヤした気持ちを晴らすために庭に出て素振りをする俺に、クロは珍しいものを見たと少しばかり驚いていた。
俺が率先して鍛える姿を見たのは初めて、とでも言いたそうだ。
「素振りくらい毎日しているだろうが」
『爺さんに言われた数だけを効率的に終わらせていたのが、今までの相棒だろ? 今日はもう随分と素振りの数を超過しているぜ』
「……俺だって体を動かしたい時はあるんだよ」
『少し前まで上機嫌だったのに、戻ってくるなり不機嫌になって相棒も大変だな』
「そうだな」
素振りを再開しても迷いは晴れなかった。
◇
文通のやり取りも相変わらず続いていた。
手紙の内容も当たり障りがないもの、というよりもアンジェリカさんが学園で慌ただしく過ごしているのが書かれていた。
特待生であるオリヴィアさんのことも書かれていたが、基本的なことを教えてからは放置というか接点が少なくなったらしい。
困ったことがあれば助けるつもりらしいが、誰も公爵令嬢が面倒を見ている特待生に喧嘩を売るつもりはないようだ。
学園祭に修学旅行……イベント内容も書かれていたが、何かしら大きな進展があったわけでもない。
こちらからオリヴィアさんの件を確認するため色々と問うのだが、大した内容は書かれない。
よく図書室で勉強している姿を確認しますよ、くらいだ。
誰か言い寄る相手がいないのか問えば「どうして私に確認させるのですか? 最近のあなたからの手紙の内容は他の女の話題ばかりで不快です」と不満を書かれた。
オリヴィアさんが攻略対象の誰と付き合っているのか知りたかっただけのだが、本音を書くわけにもいかず困ってしまった。
これ以上聞き出そうとすれば不審に思われるため、しばらくこの話題は出来ない。
ミレーヌさんへの愛を毎回のように書き綴っていることに関しては「糞野郎」と……単語からも冷ややかな怒りが伝わってきた。
ご令嬢というのは気難しいな……。
◇
季節は変わって冬になると王城や城下町は雪景色に包まれ、行き交う人々が厚着をするようになった。
王城では今日も何度目になるのか数を数えるのも馬鹿らしい打倒ホルファート王国に向けて会議が行われているのだが、普段は実りのある内容とは言い難かった。
広い会議室を使用するため暖炉を利用するのだが、薪が勿体ないと思うほどに。
ただ、今日ばかりは違った。
「皆さん、オフリー家から色よい返事が届きましたよ」
オフリー家……ファンオース公国とホルファート王国の間に友好関係を結んだ家だが、その成り立ちは微妙だった。
先代のオフリー子爵は貧乏貴族から家を買い取り、あの手この手で貴族の地位を手に入れた。
これは王国貴族ばかりか公国貴族たちも冷笑する行為だったが、先代のオフリー子爵は元商人であるため強かに立ち回った。
空賊と手を結び、貴族派閥に所属して汚れ仕事を一手に引き受ける便利屋になったのだ。
貴族でいるために外道に堕ちたわけだが、そこまでしてこだわる理由があるのか俺には疑問だ。
現当主は外交による功績や金の力で伯爵に陞爵。
フィールド辺境伯の跡取り息子と娘を婚約させ、晴れて貴族の仲間入りを果たせる……その目前で動き出した。
主戦派の貴族の一人が俺と同じ疑問を持ったようだ。
「オフリー伯爵の娘はフィールド辺境伯の息子と婚約したはずでは? どうして今さら、博打のような真似をするのです?」
問われたゲラット伯爵は、その程度の事も理解できないのかと相手を見下していた。
「婚約程度で欲深い商人が終わるとでも? 五を手に入れても十を望むのが商人ですよ。この機会に更なる飛躍を望んでもおかしくありません」
公国貴族たちもオフリー伯爵を貴族ではなく商人としてみていた。
俺の横で腕を組む爺さんがボソリと。
「……くだらん」
この手の話は嫌いな爺さんは、オフリー家共々王国を滅ぼしたいのだろう。
短絡的すぎるが……気持ち的には理解できる。
ゲラット伯爵はオフリー家が動くとどうなるか、この場にいる全員に丁寧に説明した。
それは結論ありきで、そこに皆を誘導する詐欺師の姿に見えた。
「オフリー家が王国各地で空賊たち、並びに王国に不満を持つ貴族たちを焚き付け、支援し、争いの火種を撒き散らします。これにより王国は国外だけでなく国内にも戦力を割くため、大きな隙が出来るでしょう……それこそが我々のチャンスなのです!」
混乱に乗じて王国の本土に攻め込み領地を手に入れる、のは誰でも理解した。
だが、大事なのはその後の維持だ。
「混乱が収まった後はどうされるおつもりなのですか?」
不安に思った貴族が口を挟むと、待っていましたとばかりにゲラット伯爵が目を見開いた。
「王国が本気で我々を追い出すため軍を派遣した時こそ好機! 公国が持つ奥の手を披露するのですよ」
ゲラット伯爵の言葉が最初は理解できなかった。
俺が思わず席を立って抗議しようとすると、爺さんが先に動いた。
「それは魔笛を利用するという話か? それとも姫様たちの命を犠牲にするという意味か?」
威圧する爺さんにゲラット伯爵は怖がりながらも意見を曲げない。
「後者ですよ、後者! 一度でも大軍を退ければ、王国の連中は我らを脅威と感じて以降は手出しできないでしょう。そこから先は時間をかけて支配を広げればいいのです!」
守護神様を使用して大軍を撃退。
以降は尻込みした王国を相手にこちらは切り崩しを続けていく……確かに正解だろう。
ルーデやラウダの命を消費しないのであれば。
ゲラット伯爵は爺さんに強い口調で覚悟を問う。
「王国の奴らを殺せる機会が来たのですよ? それとも姫様たちが可哀想ですか? 陛下たちを見殺しにしておいて、今更善人面は頂けませんね」
「貴様ぁ……」
ゲラット伯爵に迫る爺さんだが、俺は思わず席を立った。
「今の話はどういう意味だよ……」
皆の視線が俺に、そして爺さんに集まった。
ゲラット伯爵は事情を察したのか、意地の悪い顔をして真実を告げた。
「養子には真実を伝えていなかったようですね。黒騎士殿は自らの復讐を果たすために、先王や王妃様が事故に遭うのを黙認したのですよ」
この場にいる貴族たち全員が知っていたのだろう。
誰も驚かない。
俺は背を向けた爺さんに呼びかけた。
「説明しろよ、爺さん! あんたどうして!」
あれだけルーデとラウダを大事にしていた爺さんが、二人の両親が暗殺されるのを放置した? 理解が追いつかなかった。
「……お前には関係のない話だ」
爺さんが会議室を出て行くと、話を続ける雰囲気ではないとしてゲラット伯爵が酒を持ってくるように部下たちに命令した。
このまま酒盛りでも始めるつもりらしいが、俺は爺さんを追いかけて会議室を飛び出した。
しかし、廊下に爺さんの姿はなかった。