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「あの乙女ゲーは俺たちに厳しい世界です 3」著者書き下ろしのショート・ストーリーをプレゼントします。
「今日こそ引導を渡してやるぞ、糞爺ぃぃぃ!!」
屋敷の庭で木剣を向ける相手は、ファンオース公国の英雄である黒騎士【バンデル・ヒム・ゼンデン】子爵だ。
落ち武者のような髪型は白髪で、額には十字の傷がある大男だ。
俺が爺さんと呼ぶくらいの年齢なのに、筋肉に覆われた肉体をしていた。
所持している木剣は、大剣を模しており普段は重りをつけて振り回している。
俺に稽古を付ける際は危ないからと重りを外しているのだが、そのおかげで木剣を振る速度が速くて仕方がない。
対して俺が持たされている木剣は、ロングソードを模したものだ。
本来は両手で振る物なのだが、爺さんからの命令で片手持ちを強要されている。
片手で扱うためどうしても勢いを付けて振り回すため大振りになり、爺さんに軽くあしらわれていた。
「お前の言葉は、剣と同じで軽いな。その程度でわしに引導を渡せると思ってはいまい?」
大剣を片手で軽々と操る爺さんは、俺の木剣を下から跳ね上げた。
俺の胴体ががら空きになると、そこに蹴りを放ってくる。
「かはっ!?」
腹部を蹴られた俺は肺の中の空気を全て吐き出され、そのまま後ろに吹き飛んだ。
芝生の上を転がり、何とか立ち上がろうとしたら首筋に爺さんの木剣が軽く当てられる。
顔を上げると、爺さんが深いため息を吐いていた。
「せめて一撃くらい入れられるようになれ、この愚か者が」
「難易度高すぎるだろ。あんた、自分が国の英雄だって自覚を持った方がいいぞ」
「減らず口ばかりは上達するのだがな」
俺の返しに、爺さんは二度目のため息を吐いてから立つように促してくる。
木剣を杖代わりに立ち上がると、爺さんは剣の振り方について指導し始める。
「お前はもっと剣と一体になれ。腕で振り回すのではないぞ。全身を使え。剣は体の延長線上にあると認識しろ」
達人が到達した境地というものがある。
前世で聞きかじった程度の知識でしかないのだが、極めた人の発言というのは常人には理解されない領域にあるらしい。
「剣を体にくくりつけろとでも言うのかよ」
幾ら振り回しても体の一部と認識するに至らない。
凡人である俺の発言に、爺さんは自分の木剣を振るう。
その姿はまるで舞踊でも披露しているように見えた。
「それもいいが、体の一部と感じるようになるまで振り続けろ。才能も重要だが、結局は費やしてきた時間が物を言う。才能がないとなげく前に努力しろ。努力こそが凡人に残された唯一の武器だと思え」
その意見には反論がある。
俺は前世の知識で知っているのだが、どこかの偉い先生が「努力する才能は遺伝子で決まる」と突き止めたらしい。
現実とはどこまでも残酷なものだ。
才能だけでなく、努力までもが遺伝子で決められた才能なのだから。
しかしながら、この話をこの場でしたとしても爺さんは納得しないだろう。
俺も努力できるのも天から与えられた才能である、という証明をするのは面倒だ。
黙っているのが正解なのだろうが、俺は違う視点で物事を語れる人間だ。
爺さんに剣の時代は終わっていると伝える。
「今は鎧が銃を持って撃ち合うような時代だぞ。剣に拘るのはどうかと思うけどね。それなら、他にも色んな武器を試すべきだ」
素振りを止めた爺さんが、俺の顔を見て驚きながらも納得していた。
「口が回る分だけ頭も回るらしい。だが、お前の意見は正しいぞ。わしもお前の意見には賛成だ。実戦に出れば嫌でも剣一本では解決できない問題が出てくる」
爺さんが俺の意見を聞き入れた?
嫌な予感がする。
爺さんは両の口角を持ち上げて不気味な笑みを俺に向けた。
「そろそろ他の訓練も開始していい頃だな。お前が望むように銃の扱いや、その他の必要な知識や技術についても教えてやるとしよう」
どうやら俺の発言はやぶ蛇だったらしい。
◇
「リオンは本当に馬鹿ね」
「ルーデは俺に対して言葉がきつくない? もっと優しくしてくれないと俺の好感度を稼げないぞ」
「あなたの好感度なんていらないのよ、お馬鹿リオン」
俺が休日を過ごすのは王城というのがお決まりになっていた。
殿下たちの遊び相手という名目で、もう五年以上の付き合いである。
俺と【ヘルトルーデ】が十歳になり、妹君の【ヘルトラウダ】が八歳になった。
最近のヘルトルーデ――ルーデだが、大人の女性のように振る舞いたがるようになっていた。
年頃の女の子らしい微笑ましい光景にも見えるが、王城内で王族という立場を求められているため強制的に大人の女性になるのを求められている。
二人とも子供のように振る舞える期間は短くなるだろう。
俺とルーデの二人が話していると、ヘルトラウダ――ラウダが割り込んでくる。
「お姉様はリオンの好感度がいらないの? だったら私がもらうわね。さぁリオン、私に好感度を献上しなさい」
胸を張るラウダは、好感度について正しく認識していないようだ。
前世知識を無意識に漏らしてしまったために、今の二人には余計な知識が身についてしまった。
俺はラウダの頭を優しくなでてやる。
「ラウダはいい子だな。そのまま素直に育ってくれよ」
なでられて嬉しそうにするラウダを見ていたルーデが、ムッとして頬を膨らませていた。
ラウダと違って素直じゃないのがルーデである。
「その発言、私が素直じゃないって聞こえるわね」
「ちゃんと伝わったようで何よりだ。優しくされたいなら、俺の好感度を稼いでくれ。爺さんにボコボコにされて体も心も傷ついているんだからさ」
「言っておくけど、リオンだから許されているのよ。王城でもバンデルに糞爺なんて言える人はいないんですからね」
プンプン、と怒っているルーデを見ながら、俺は小さくため息を吐いた。
ファンオース公国の大英雄である黒騎士様は、皆から畏怖されている。
誰も本当の爺さんを見ていない。
家族を殺されて復讐心に縛られた爺さんにとって、英雄などという地位は足枷だろうに。
「俺から言わせてもらえれば、爺さんはもっと自分の幸せを追求するべきだな。英雄の地位や復讐に縛られて可哀想に」
ここがあの乙女ゲーの世界だと気付いてから、俺は公国の現状について憐れんでいた。
物語の敵役として用意された国としか見られず、物悲しさを感じている。
俺が俯瞰するような視点を持っているのは、あの乙女ゲーを知っている転生者だから。
転生者としての傲慢な言動がルーデにも伝わったのか、本人は眉根を寄せて俺を睨んでいた。
「どういう意味? 今の発言は取り消しなさい」
「は? 何でさ?」
不機嫌になるルーデを見ても、最初はいつものことだと安易に考えて謝罪をしなかった。
ルーデは子供とは思えない憎しみに支配された感情を、表情にまで滲ませていた。
「取り消しなさい! バンデルは英雄なのよ。公国のために憎い王国と戦ってくれる最強の騎士なの! それを可哀想ですって?」
爺さんの生き方は間違っていない、と言いたいのだろう。
俺は自分がどれだけまずい発言をしたのかようやく理解した。
俺のような転生者と違って、ルーデは異世界で生きる現地人だ。
俺の事情など知らないだろうし、公国の人間にとって王国への復讐は正義だった。
ファンオース公国に攻め込んできた卑怯な王国に、いつか鉄槌を下すのだ――と。
ルーデが俺の胸倉を掴み、前後に激しく揺する。
抵抗すれば振りほどけるのだろうが、強引に押し退けるのを躊躇うくらいにルーデの表情は真剣そのものだった。
「取り消してよ!」
復讐を正義であると信じ切ったルーデの瞳に、俺は正論を振りかざすことを止めた。
安易に踏み込んではいけない領域だった。
この話題は避けるべきだと思って、ルーデから視線を逸らして謝罪をする。
「わ、悪かったよ」
「……嘘」
「え?」
「視線を逸らして話題を変えようとした」
このお姫様は、俺について随分と詳しいようだ。
内心を悟られた俺が目をむいていると、自分の予想は当たっていたと確信したルーデが俺を突き飛ばした。
「出て行きなさい! 二度と――私たちの前に姿を見せないで。今のあなたは嫌いよ!」
拒絶されても仕方がない。
彼女たちにとって、王国への復讐とはそれだけの大事だ。
俺は言い訳をせずに、頭を下げてから部屋を出て行こうとして――。
「嫌。嫌だ! リオンは行っちゃ駄目なの!」
――今まで黙っていたラウダに腕を掴まれた。
「ラウダ? ごめんな」
謝って部屋を出て行こうとするのだが、ラウダは俺から離れなかった。
ルーデもその様子を見て少し腹を立てたようだ。
復讐を否定されたのに、どうして俺を庇うのか? ルーデには理解できないらしい。
「放っておきなさい、ラウダ。そいつは私たちの正義を否定したのよ。裏切り者だわ」
相当頭に来ているらしいルーデは、腕を組んでそっぽを向いている。
ラウダは涙目になりながら叫ぶ。
「そうやって、お父様やお母様みたいに二度と会えなくなったらどうするのよ!」
両親の話題が出ると、ルーデもビクリと体を震わせた。
ルーデが戸惑っている内に、室内の騒ぎを不審に思った護衛が中へと入ってくる。
黙り込むルーデに、泣きじゃくるラウダ。
戸惑う護衛に付き添われながら、俺は部屋から出て行くことになった。
◇
「この愚か者がぁぁぁ!!」
王城での事情を聞いた爺さんは、予想通りに激高して俺を中庭に放り投げた。
木剣を投げつけてきたので受け取ると、自身は木剣の切っ先を俺に向けていた。
「姫様たちの遊び相手を任されながら、泣かせるなど言語道断! しかも、王国への復讐がくだらないだと? お前はそれでも公国の騎士か!」
爺さんは木剣に怒りを込めて、俺に振り下ろしてきた。
受け止めずに転がって避ければ、木剣が地面に深々と突き刺さっていた。
まともに受け止めていれば、俺の木剣が砕けていただろう。
砕けなければ、代わりに俺の骨が折れていたかもしれない。
「俺を殺すつもりか!?」
抗議してみるが、爺さんは否定しなかった。
「この程度で死ぬような鍛え方はしていない。死ぬのなら、それは自身の不甲斐なさを恨むがいい!」
前世であれば社会問題になるような発言なのだろうが、残念なことにこの世界では厳しい、で済まされる話だ。
木剣を振り回す爺さんから逃げ回った。
必死に逃げ回る内に、俺は内心で苛々が募っていく。
どうして俺が叱られなければならないのか?
確かに爺さんには復讐するべき理由があるのだろうが、過去に目を向ければ公国に非がないとは言えないはずだ。
俺は逃げ回るのを止めて、爺さんに向かって木剣を投げつけた。
爺さんは俺の木剣を軽く弾き飛ばすが、本番はここからだ。
「先に攻め込んだのはどっちだよ? あんたらの復讐が正しいながら、王国にもその権利があるはずだよな?」
普段から理不尽に鍛えられ、不満も限界を迎えていた。
だから、これまで我慢していたものを爺さんにぶちまけることにした。
俺の話に爺さんが眉根を寄せていた。
「……どこでその話を聞いた?」
「隠せば事実が消えると思ったのかよ? 散々暴れ回っておいて、自分たちが攻撃されたら怒り狂って恥ずかしくないの?」
図星を突かれた爺さんは、俺を相手に本気で木剣を振るってきた。
命を奪うような一撃にヒヤヒヤしていた俺だが、爺さんの一撃は止められてしまう。
「――あはっ! やっと来てくれたな、クロ!」
俺と爺さんの前に現れたのは、魔法生物である黒い球体だった。
肉眼の一つ目を持つ不気味な存在ではあるが、言動は愛くるしいマスコットみたいな奴である。
『ブレイブだって何度言わせるつもりだよ、相棒?』
邪魔された爺さんが、クロから距離を取る。
「邪魔をするな、ロストアイテム。これはわしとリオンの問題だ」
割り込むなと言われたクロが、一つ目を険しくしていた。
『駄目だ。今の一撃が当たっていれば、相棒は命を落としていた。あんた……俺の相棒を殺すつもりか?』
俺を引き取って育ててくれた爺さんが、本気で殺しに来たというのは精神的に来るものがある。
ただ、同時に俺がそれだけ相手が触れてほしくない部分を、土足で踏み荒らしたという自覚もあった。
俺たちはここで別れた方がいいだろう。
「もういい、クロ。どうせ今日でさよならだ」
『いいのか? ここにはルーデやラウダもいるだろ』
「どうせ嫌われたから二度と会えないよ。――悪かったな、爺さん。あんたの復讐を否定するようなことを言ってさ」
俺は背を向けて、クロと一緒に屋敷を出て行くことにした。
最後は嫌な感じになってしまったが、天気までも悪くなる。
空は暗く、雨が降り始めた。
◇
去って行くリオンの背中を見ていたバンデルは、自然と左手が追いかけるように伸びていた。
ハッとして左手を引っ込める。
(わしとしたことが、未練がましくなったものだ。小僧は王国の復讐に使えるから育てたのであって、そこに情など存在しない。――しないはずだ)
幼い子供を拾って育ててきたのは、将来的に公国の利益になるからだ。
未練がましく伸した左手を握りしめる。
「……糞ガキが。さっさと去れ」
(これでいい。わしの気持ちなど誰に理解されずともよい。ただ、妻と娘の復讐さえ果たせれば、それだけでいいのだ)
守れなかった妻と娘を思い浮かべるバンデルは、木剣を放り投げて両手を握りしめた。
(歴史など知ったことか。妻は王国に攻め込まなかった。娘はまだ幼かった。それなのに、わしから全てを奪った王国が憎くて何が悪い? わしは――わしは――二人の復讐を果たすまで戦い抜くと誓ったのだ)
国家同士の歴史など関係ない。
ただ、家族の復讐を果たしたかった。
そのためだけに、戦い続けてきた。
去って行くリオンに視線を向けると、この五年間の思い出が蘇ってくる。
(口の減らない糞ガキなど知ったことか。どこにでも行けばいい)
どこで野垂れ死のうと関係ないと思いながらも、気付けばバンデルはリオンの方に体を向けていた。
「小僧……この雨に濡れて風邪を引くなよ」
口から出たのは体を気遣う言葉であり、自身でも驚いてしまった。
それはリオンも同じらしく、目を見開いていた。
リオンは照れくさそうに返事をする。
「今まで世話になったな、爺さん。あんたも体には気を付けろよ」
リオンが屋敷の門を出て行く様子を見て、バンデルは胸にぽっかりと穴が空いたような気分になった。
喪失感に襲われたが、これを認めたくはなかった。
「これでいい。奴には奴の人生が――」
だが、門の向こうからリオンの驚く声が聞こえる。
「どうしてここにいるんだよ、ラウダ!?」
バンデルはすぐに駆け出して門を出ると、そこにいたのは王城を抜け出してきたラウダだった。
◇
「何故、誰も連れずに王城を抜け出したのですか!? しかも、こんなに雨に濡れて」
雨の中を走って来たラウダは泥だらけだった。
爺さんがエセルさんに言って着替えを用意させ、暖炉に火を付けてラウダを暖めている。
ラウダの方はグズグズと泣いたままだ。
「だって。リオンはもう戻って来ないってゲラットが言うから」
ゲラットの名前が出たので、俺は眉根を寄せた。
「あの胡散臭い伯爵は、いつも余計なことばかりするな」
クロの方は王城に顔を出さないため、ゲラットについて詳しくない。
俺と爺さんが忌々しそうな顔をしていたので、どのような人物なのか尋ねてくる。
『ゲラットの名前は相棒の口からよく聞くが、そんなに悪い奴なのか?』
「外見に言動、どれを取っても胡散臭い奴だよ。意地の悪い性格をしているから、少なくとも俺は好きじゃないね」
王城でラウダたちの世話やら色々と働いているらしいが、俺から見れば自分が都合のいいようにあれこれ口出しをしているようにしか見えない。
爺さんも俺の意見に反対はしないのだが、ゲラットについて文句はあまり言わないな。
ラウダを心配する爺さんが、優しい声色で話をする。
「何やら誤解があった様子ですな。ゲラットにはわしの方から説明するので、今日のところは王城へ戻りましょう」
俺が出て行こうとしたと言えば、またラウダが泣くので爺さんは誤魔化していた。
「俺に対しては厳しいのに、ルーデやラウダには優しいよな」
愚痴をこぼすと、俺の左隣にいたクロがクスクスと笑っている。
『焼き餅か、相棒?』
「違うっての。普段から俺に厳しいなら、ルーデやラウダたちにももう少し厳しい態度を取ってもおかしくないのに、って意味だよ」
『そういうことにしておくか。でも、確かに爺さんはあの二人に特別優しいよな』
俺たち二人がヒソヒソと話をしているので、爺さんは我慢の限界に来たらしい。
ラウダがいるので怒鳴れないのか、俺たちに振り向くと額に血管が見えた。
「リオン、姫様が心細いのはお前のせいだぞ。せめて話し相手にでもなるといい」
笑みを作りながら威圧してくる爺さんを前に、俺は肩をすくめてからラウダに近付いた。
ラウダが鼻をすすっている姿を見て、申し訳ない気持ちになった。
「誤解させて悪かったな。でも、よくこの屋敷の場所を知っていたな? 王城から出たことなんて、数えるほどしかないだろうに」
過保護と言えば聞こえはいいが、ほとんど軟禁に近い。
ラウダが一人で抜け出せたとは思えなかった。
「王城の抜け道をお姉様から教えてもらっていたから」
「……その抜け道は誰にも教えるなよ」
王族しか知らない抜け道を利用して、ラウダは外に出たようだ。
俺が呆れていると、後ろで爺さんも深いため息を吐いていた。
「姫様、万が一もございます。今後は王城を抜け出すのは緊急時のみにしてください」
「緊急だもん! リオンがいなくなるってみんなが言うから……」
ラウダが泣き出しそうになったので、俺たちは必死に慰める。
「落ち着け、ラウダ。俺はここにいるぞ!」
『そうだぜ、ラウダ。相棒はずっとここにいるよな? そうだろ、爺さん?』
クロに問い掛けられた爺さんは、強ばった表情をしながら頷く。
「そ、そうだな。これからもずっと屋敷に……いていいぞ、糞ガキ」
爺さんが顔を背けながら言うので、俺も顔を背けた。
何だか照れくさいからだ。
「……また世話になってやるよ、糞爺」
互いに顔を背けて家出を取り消すと、ラウダが俺たちの姿を見て少し安心したようだ。
俺たちの様子を見ていたクロが、ラウダに近付く。
『そういうわけで、これからも安心だぜ、ラウダ!』
クロ本人は善意のつもりだったのだろうが、こいつは言動が可愛らしいだけで見た目は不気味だ。
ラウダはクロの姿を間近で見て怖くなったのか、大泣きし始める。
「うわぁぁぁん、怖いよぉぉぉ!!」
『今度は俺のせい!?』
◇
バンデルに連れられて王城に戻ってきたラウダを待っていたのは、心配していたルーデと、不満そうなゲラットだった。
「ラウダ! 心配させて」
泣き出したルーデに抱きつかれたラウダも、目に涙を浮かべていた。
「ごめんなさい、お姉様」
姉妹の抱き合う姿を見て、バンデルは安堵から小さなため息を吐いた。
(何とか丸く収まってくれたな。それにしても、ラウダ様がリオンにあそこまで執着するとは思ってもいなかった。……やはり、近しい者を失うのを恐れているのだろうな)
心に刃物を突き立てられたような気分になったバンデルは、知らず知らずのうちに胸に手を当てていた。
ラウダの逃亡に腹を立てているゲラットが近付いてくる。
「大事な習い事の時間に逃げ出すとは、王族としての覚悟が足りないですね」
「……幼い子供に覚悟を求めるのか?」
バンデルがギロリと鋭い視線を向ければ、ゲラットが両手を上げて降参のポーズを取る。
「怒らないでほしいですね。あなたに睨まれては、大事な髭もすくんでしまいますよ」
「髭がすくむ?」
自身の髭に対して愛着を持つゲラットは、時々このように意味の通じない話をする。
バンデルが顔を背けると、ゲラットはラウダの行動がいかに短慮だったのかを意地悪く説明する。
「そもそも、王族であるお二人には大事な役目があります。王家が代々受け継いできた魔笛の所有者なのですから」
魔笛と呼ばれるロストアイテムは、奏でることでモンスターを生み出し、操ることが可能だ。
倒せば消えて、また復活するモンスターを軍事力として戦力化できる優れた道具だ。
欠点があるとすれば、王族の人間しか操れない点だろう。
「ファンオース公国にとって、魔笛こそが憎きホルファート王国と対等に戦うための切り札なのです。その魔笛を扱う練習は、何よりも重要だとは思いませんか? それなのに、逃げ出して男の屋敷に向かうとは前途多難ですよ」
「まだ子供だ。それに、魔笛は姫様たちの命を……」
無尽蔵に戦力を生み出せる魔笛だが、本来の力を発揮すると使用者の命を奪ってしまう。
バンデルが苦悩していると、ゲラットは事も無げに言う。
「魔笛本来の力を使うのはお一人で構いません。どちらか一人が残れば、公国は王国との戦いに勝利して、その後も繁栄し続けますよ」
ゲラットの無神経な言葉にバンデルが右手を伸そうとした。
「言いたいことはそれだけか?」
胸倉を掴み上げて、床に叩き付けようとしたためだ。
しかし、ゲラットはバンデルの痛いところを的確に言葉で突いてくる。
「あなたも我々の計画に賛同したではありませんか」
「っ!?」
バンデルが手を引っ込めると、ゲラットは抱き合う姉妹には聞こえない声量で会話を続ける。
「姫様たちを利用したのはあなたも同じですよ。自分の復讐を優先したために、目の前の可憐な王女殿下たちはご両親を失ったのですから」
バンデルが力の限り右手を握りしめると、ポタポタと血が滴った。
ゲラットは意地の悪い笑みを浮かべていた。
「あの姉妹が真実を知ったら……いったいどんな顔をするのでしょうね? 信じていた黒騎士殿が裏切り者だったなどと聞けば、きっと心を痛められることでしょう」
「貴様!」
声を大きくするバンデルに、ゲラットは口元に人差し指を当てて「し~」と言って歩き去っていく。
残されたバンデルは、罪悪感に胸が押し潰されそうになる。
(……今更、わしが計画について口を挟む権利などない。わかっている。わかっていたはずなのだ)
ルーデとラウダを側で見守りながら、二人を裏切っている自分にバンデルは苦悩していた。