アンケートにご協力いただきまして誠にありがとうございます。
「あの乙女ゲーは俺たちに厳しい世界です 2」著者書き下ろしのショート・ストーリーをプレゼントします。
ファンオース公国の黒騎士と言えば、ホルファート王国ばかりか近隣諸国にもその名が知れ渡っている英雄だった。
飛行戦艦や鎧を撃破した数は三桁に達し、この偉業は誰もが塗り替えることは不可能だろうと恐れられていた。
そんな黒騎士【バンデル・ヒム・デンゼン】子爵は、最近は煩わしい国内事情に頭を抱えていた。
「どうしてわしの出撃許可が出ない⁉」
ファンオース家の王城にバンデルの怒声が響き渡る。
相手をしているのは、ファンオース公国で伯爵の地位にいる【ゲラット】だ。
武闘派であるバンデルに威圧されたゲラットは、両手を落ち着きなく動かしてlいた。
視線をさまよわせ、必死に言い訳を考えているようだ。
「黒騎士ほどの英雄ともなりますと、空賊退治に出撃させるのは過剰という判断でして」
「余計な世話だ。空賊退治はわしにとっていい訓練になる」
空賊相手に実戦で戦うことは、バンデルにとっては訓練と同じだった。
暴れまわる空賊たちなど、最初からバンデルは敵とすら認識していない。
負けることなど考えてもいなかった。
だが、それはバンデルの事情だ。
国には国の事情がある。
ゲラットはバンデルを刺激しないように、言葉を選んで説明する。
「黒騎士殿が強いのは十二分に心得ておりますとも。ただ――万が一にでも怪我を負うような事態は避けなくてはなりません」
バンデルは部屋にある机に拳を振り下ろした。
ドンッ! という激しい音にゲラットが「ひっ」と怯えた声を出した。
言葉をいくら選ぼうとも、バンデルには馬鹿にされているとしか思えなかった。
「戦場で怪我を恐れる貴族がいるものか‼」
「ごもっとも! 黒騎士殿の言はまさに正論です! ――ただ、公国の上層部はそう考えていません」
「何?」
訝しむバンデルに、ゲラットは自慢の髭を摘まむように撫でながら得意げに上層部の考えを語る。
「公国の歴史の中でもあなたは最強の英雄でしょう。そんな比類なき英雄が怪我でもすれば、民が不安がります」
「何が英雄だ! そもそも、英雄と認めているなら戦場に出してこそだろうに」
「それは一般的な英雄の話であり、あなたは例外ですよ。あなたという存在は、我が国にばかりか敵国にとっても大きすぎる存在ですからね」
他国との戦争で活躍したバンデルは、公国で一番の有名人でもある。
特にホルファート王国は、バンデル一人に随分と苦しめられてきた。
王国の貴族、騎士、軍人たちは、バンデルを憎みながらも非常に恐れている。
バンデル一人でも大きな抑止力となっている。
公国の歴史の中でも最強の英雄――そんな英雄を戦場に出さないというのが、公国上層部の判断だった。
「あなたが怪我でもしようものならば、かの黒騎士も老いて力を失ったと騒ぎ出す愚か者たちも出るでしょう」
バンデルとて老いには勝てない、と。
「そんな愚か者たちならば、完膚なきまでに叩きのめせばいいだけだ」
攻めてくるならば、公国を守った上で敵を徹底的に叩く。
それがバンデルの言い分だったが、ゲラットは大きなため息を吐いた。
何も理解していない、という態度でバンデルを説得する。
「攻め込まれては我が国にも被害が出てしまいます。そうさせない状況こそが最善なのです」
「それでは、わしにずっと戦いに出るなと言うつもりか!」
「可能ならば出撃しないでいただきたいですね。あなたの敗北は、あなた一人の問題ではないのです。公国全体に影響が出るとご理解ください」
これが普通の英雄であれば、出撃させて活躍させるだろう。
だが、バンデルの場合は別だ。
バンデルが敗北しようものなら、ファンオース公国全体の士気低下に繋がってしまう。
伝説的な英雄のまま生かしておく方が、公国の上層部にとっては有益だったのだ。
「わしにお飾りになれと言うのか!」
「そんなことはありません。黒騎士殿には今後も公国のために働いてもらいますとも! 後進の育成という大事な役目もありますからね」
「老いぼれにはヒヨッコ共の世話をしろということか」
忌々し気につぶやくバンデルの姿を見て、ゲラットはニヤニヤと笑うのを必死に我慢している顔をしていた。
「そんなことはありませんよ。黒騎士殿の経験を活かし、次代の英雄を育てていただければ公国にとって大きな利益となります。それに、姫様たちのお守り役もありましょう? それらはあなたにしか果たせない大役ですからね」
バンデルは右手が痛くなるまで握り締める。
(政治屋気取りめが)
◇
王城の中庭では、昼食後に遊んでいる姉妹の姿があった。
姉の【ヘルトルーデ】と妹の【ヘルトラウダ】だ。
二人とも艶のある綺麗な黒髪をしており、肌は白く赤い瞳が特徴的だった。
その様子を見守っているバンデルは、空賊退治にも出られない自分の身について考え込んでいる。
(何が英雄だ。戦場にも出られぬ英雄にどれだけの価値があるのか)
自分はこのままホルファート王国に復讐を果たせぬまま、戦場から遠のいていくのではないか? そんな不安が頭をよぎった。
悔しさで表情が険しくなると、遊んでいたヘルトルーデが近づいてくる。
「どこか苦しいの、バンデル? 痛いなら医者に診てもらうのよ」
純粋に自分を心配してくれるヘルトルーデから、バンデルは困ったように視線をそらした。
ヘルトルーデの瞳を直視できなかったからだ。
「どこも痛くはありません」
(わしには、この子らに心配される価値もない。――この子らの両親を見殺しにしてしまったのだからな)
公王と王妃が暗殺されるのを知りながら、見て見ぬふりをした。
その負い目がバンデルの心を苦しめていた。
安心させようとするバンデルだったが、ヘルトルーデは心配したままだった。
「怖くても医者に診てもらうのよ。――バンデルまでいなくならないでね」
「っ! も、もちろんでございます」
両親を失ったヘルトルーデは、身近な人間がいなくなるのを恐れているようだ。
ヘルトラウダのところへ戻ると、今度はバンデルに騎士が近づいてくる。
頃合いを見計らっていたのだろう。
「バンデル様、ご報告があります」
「何だ?」
姫たちには優しいが、バンデルは基本的に無愛想だ。
騎士もそれを承知しており、姫たちの相手をしているバンデルを見て驚いていた。
声をかけていいのかためらわれ、今まで待っていたのだろう。
「空賊退治に出た部隊が帰還したのですが、子供を一人確保したそうです」
「子供?」
不自然に思ったバンデルが騎士の顔に視線を向けると、詳細を報告してくる。
「どうやら襲撃した際に捕らえた子供でロストアイテムの実験を行ったそうです。報告によれば、退治した空賊たちは国外にも手を広げて暴れまわっていたそうで――」
「回りくどい。要点だけを話せ」
「――その子供、ロストアイテムと主従の契約を結んでいます」
「ロストアイテムと契約を結んだ子供か」
厄介な存在が現れたものだ、とバンデルは考えていた。
同時に、騎士が自分に報告してきた時点で、他の者では手に負えないと判断したのだと察する。
バンデルの視線は二人の姉妹に向かっていた。
「その子供のところに案内しろ」
(姫様たちの身に危険が及ぶことだけは絶対に避けなければ。――それが、わしができる精一杯の罪滅ぼしなのだから)
幼子たちから両親を奪ったという罪悪感が、バンデルの心を縛り付けていた。
◇
王城を出たバンデルが向かったのは、公国の軍事基地だった。
飛行戦艦の港である要塞なのだが、その地下牢に子供が放り込まれていた。
気を失って横になる子供は、年齢的にはヘルトルーデと同じくらいに見えた。
そんな子供のそばにいたのは、小さな黒い球体である。
大きな肉眼が一つ。
不気味な球体は、子供を守っているようだ。
『俺の新しい相棒は疲れて眠っているんだ。用事があるなら明日以降にしてくれ』
会話が成立することに、バンデルはやや驚いた。
だが、これなら話が早いと黒い球体――魔法生物から詳しい事情を聞くことにした。
「ならばお前が詳細を説明しろ」
漠然とした質問だったが、魔法生物は意図を理解しているようだ。
振り返って眠っている子供を見ながら説明をする。
『空賊たちが眠っていた俺を見つけて引き上げた。そのまま使おうとしたんだろうが、こっちは眠っているから反応のしようがなくてよ』
「お前を使うだと?」
魔法生物を空賊たちがどのように使おうとしたのか? それが気になるバンデルに、目の前の魔法生物が姿を変えた。
小さな腕が出たかと思えば、大きくなって鎧の腕となる。
バンデルが目を見開くと、魔法生物が答えを言う。
『俺はお前たちの言う“鎧”というのが本当の姿なのさ』
「ロストアイテムとは鎧のことだったか」
ロストアイテムとは、失われた文明の遺産たちだ。
それらは意味不明な物から、強力な物まで数多く存在している。
『空賊たちは俺を使おうとしたらしいが、こっちは眠っているから反応のしようがなかった。それで、何を考えたのか捕まえた子供を俺に放り込みやがった』
魔法生物もその辺に事情は詳しくなかった。
眠っていたのも理由だが、魔法生物自体があまり興味を持っていないようだ。
バンデルは子供に視線を向ける。
「その子が乗った時に目が覚めたと?」
『俺との相性が良かったおかげだ。それで、目覚めた俺は相棒から事情を聞いて空賊たちを倒した。後からお前たちのお仲間がやって来たから逃げようとしたんだが、相棒が気を失ってしまったからな』
説明が終わると、子供が目を覚ます。
周囲を見渡してここがどこだかわからないようだが、妙に落ち着いた子供だった。
「クロ、ここはどこだ?」
魔法生物がクロと呼ばれると、すぐに訂正を求める。
『相棒、俺は自己紹介でブレイブって名乗ったよな? どうしてクロって呼ぶんだ?』
「黒いから。あと呼びやすい」
そう言って欠伸をする子供を見て、バンデルは思った。
(この状況で欠伸をするとは、肝の据わった子供だな)
バンデルは子供に少し興味がわいた。
「名前を聞かせてもらおうか」
子供はバンデルを見ると、指先で頬をかきながら渋々と答える。
「リオンだよ」
「リオン。リオンか――」
(苗字がないならば騎士や貴族階級ではないな。だが、ロストアイテムに主人と認められた上に、わしを前にしてもこの太々しい態度は気に入った)
バンデルはリオンに選択を迫る。
「お前は騎士になるつもりはあるか? ファンオース公国の騎士になるならば、今すぐにここから出してやる」
そんなバンデルの提案を聞いて、ブレイブ――クロは呆れていた。
『相棒がその気なら、こんな地下牢なんてすぐに脱出できるんだが?』
自分にはそれだけの力があると主張するクロだったが、主人であるリオンの方はバンデルの提案を受けて考え込んでいた。
そして結論を出す。
「どこにも行き場がないし、騎士になるのも悪くないかな?」
バンデルの提案を受け入れたリオンに、クロは一つ目を大きく見開いて驚いていた。
『こいつの提案を受けるのかよ、相棒⁉』
「他に良さそうな案もないしさ」
『相棒の故郷に戻らなくてもいいのかよ?』
「――その故郷から逃げ出したようなものだから、今更戻れないの」
どうやらリオンは家出をしたらしい。
バンデルは目の前の子供にも家族がいると思うと、先ほどの提案を早まったと少しばかり後悔する。
だが、バンデルも公国を代表する英雄だ。
公国のために――あの二人の姫のために生きると決めている。
「悪いが故郷に戻してはやれん。ロストアイテムを持つお前を野放しには出来ないからな」
(ロストアイテムさえ手に入れなければ、故郷に戻してやれたのだが)
クロは単独で空賊たちを倒しているので、戦力を考えれば無視できなかった。
これから詳しい調査が行われるだろうが、公国にリオンを故郷に送り返すという選択肢はなかった。
気落ちするバンデルを他所に、リオンは平気そうな顔をしていた。
「戻れないというか、場所さえ覚えていないから別にいいよ」
「――家族と離れ離れになるのが嫌ではないのか?」
もしかしたら、家庭環境に問題があって戻りたくないのか? そんな心配をするバンデルの予感は的中する。
「家族か――もう会えないだろうね」
小さな子供が達観したような顔をしていた。
バンデルはこれ以上の質問を止めることにした。
「そうか。悪いことを聞いた。――すぐに看守に話を通してここから出してやろう」
(この子もわしと同じで家族を失ったのか)
王国が侵略してきた時、バンデルは家族を失った。
その時に妻と娘を守れなかったことを常に後悔し続けていた。
空賊に捕らえられたという状況を考慮すれば、リオンの家族がどうなったのかバンデルには想像がつく。
だから、バンデルは自分でも予定していなかった提案を口にしてしまう。
「リオン、わしの屋敷に来るか?」
◇
「糞爺!! 俺を殺すつもりかよ!!」
デンゼン子爵家に引き取られた俺の名前は【リオン・ヒム・デンゼン】となった。
俺はいわゆる転生者と呼ばれる存在なのだろう。
気が付いたら子供の姿になっていた。
前世の記憶を取り戻した俺は、子供の姿になっている自分を見て混乱した。
そのまま叫びながら走り出した俺は、一刻も早くこの場から逃げなければならないという焦燥感に駆られて港にあった飛行船に密航した。
最悪だったのはその後だ。
飛行船が空賊の襲撃を受けてしまった。
密航していた俺も見つかり、空賊たちに捕まってしまった。
これからどうなるのか? と不安に思っていたら、空賊たちが持っていたお宝の中にクロがいた。
クロ――ブレイブの姿を俺は覚えていた。
課金アイテムだ。
ある乙女ゲーの攻略が難しく、その際に宇宙船と一緒に購入した鎧と呼ばれるパワードスーツの姿に似ていた。
ただ、両腕と片足を欠損し、まともに動くようには見えなかった。
その後、運よく空賊たちのお遊びでクロに放り込まれた。
なんでも動かない鎧だが、人が乗り込むと取り込もうと触手が伸びて体に絡みついてくる。
空賊たちは取り込まれる前に逃げ出したみたいだ、取り込まれたらどうなるのか? という好奇心があったらしい。
子供の俺を放り込んで試したのはそのためだ。
そもそもほとんど壊れていたので、動くとは思ってもいなかったのだろう。
だが、動いた。
俺が乗り込むとブレイブが目覚め、失った両腕と片足を再生させて空賊たちを簡単に倒してしまった。
その後、俺はファンオース公国の飛行戦艦に救われたのだが――その結果、黒騎士と呼ばれる爺さんに拾われた。
その結果がこれだ。
「騎士を目指す者が、この程度の訓練で音を上げるな」
腕を組んで俺を監視している黒騎士――爺さんは、今では俺の養父となっていた。
俺を騎士にするため鍛えてくれているのだが、問題なのは訓練メニューだ。
「岩を背負ってスクワットなんてできるかよ! 俺を殺すつもりか?」
この爺さん、公国を代表する英雄なのだが、世間の一般常識からかけ離れすぎている。
子供の俺に岩を背負わせ、スクワットをするように言うのだ。
「何事もやる前から諦めてはならぬ。そもそも、己の限界を過小評価するな」
「そっちが過大評価をしているだけだろ!」
「いいからやれ!」
毎日のように厳しい訓練メニューが用意され、俺がそれらを消化しているのか厳しくチェックするのがこの爺さんだ。
相棒となったクロに視線を向けると、屋敷に住み込みで働いている四十代の女性【エセル】が用意したクッキーを食べていた。
紅茶も飲んでいる。
『苦みと甘さのバランスが最高だぜ!』
エセルさんは普段と同じく優しい顔をしている。
「気に入ってくれたようで嬉しいわ」
――相棒の俺を無視して、勝手にティータイムに突入していた。
二人の間だけほのぼのとした空気感が漂っているのに、俺と爺さんの間には剣呑な雰囲気が漂っている。
「絶対に恨むから」
「ふんっ! 今更お前ひとりの恨みなどどうということはない。わしがどれだけの人間から恨まれていると思っている?」
岩を担いでスクワットを始めると、この世界の人間が前世とは違うのだという現実を突きつけられた。
筋力的な意味で違いは少ない。
ただ、魔力というエネルギーが足りない筋力を補っていた。
「い――いち――に――」
スクワットを始めた俺を見て、爺さんがニヤリと笑った。
「やればできるではないか」
「無理やりやらせておいてその言い方はないだろ」
何とか生き残ったのに、この爺さんに拾われたのは大きなミスだったとしか思えなかった。
◇
その日は朝から様子がおかしかった。
以前に用意した余所行きの服に着替えさせられ、馬車に乗せられて向かった先は王城だった。
「どうして王城に連れてくるんだよ?」
爺さんの後ろをついて歩きながら質問すると、素っ気なく答えてくる。
「姫様たちがお前に興味を示したからだ」
「姫様?」
「ヘルトルーデ王女殿下と、ヘルトラウダ王女殿下だ。失礼のないようにするのだぞ。特にその減らず口は、お二人の前では控えるように」
「俺はいつでも爺さん以外には紳士的だよ」
「そういうところだ」
会話をしている間に、お姫様たちがいると思われる部屋に到着した。
謁見の間で面会すると思い込んでいたが、私的な交流であるため違うようだ。
爺さんが見張りに声をかけると、大きなドアが開かれた。
そこはお姫様たちにとっては遊び場だろうか?
広い部屋には本やら玩具などが用意され、二人がくつろげるようになっていた。
黒髪の少女二人が、赤い瞳で俺を見る。
最初はキョトンとしていたが、爺さんが連れてきたので気付いたのだろう。
妹の方が俺に駆け寄ってくる。
「あなたがリオンね! 私はヘルトラウダよ。よろしくね!」
「――よ、よろしくお願いいたします」
元気いっぱいの妹君に、周囲は少し困った顔をしていた。
後から姉のヘルトルーデ王女殿下がやってくる。
「ラウダ、もっとお淑やかにしなさい!」
叱られたヘルトラウダ王女殿下が、ほほを膨らませて不満そうにしながらも姉の言うことに従う。
「は~い」
ヘルトルーデ王女殿下が、俺の前に来ると両手を腰に当てた。
「よろしくね、リオン。それで、何をして遊んでくれるのかしら?」
期待に瞳を輝かせるヘルトルーデ王女殿下を見た後に、俺は爺さんに視線を向けた。
こんな話は聞いていない、と抗議する視線を送ると爺さんが口を開く。
「いつも厳しい訓練ばかりでは体が壊れてしまうからな。せっかくの休日なのだから、王女殿下たちの遊び相手を務めなさい」
それはつまり、貴重な休日は王女様たちの接待をしろと言っているのか?
爺さんは俺の責めるような視線を無視して、要件が終わったと部屋を出ていこうとする。
「それでは姫様方、リオンをよろしくお願いいたします」
俺には見せない笑顔で挨拶を済ませて部屋を出て行ってしまった。
唖然としていると、ヘルトラウダ王女殿下が俺の右手を掴んだ。
「早く遊びましょう」
その様子に、ヘルトルーデ王女殿下は困った顔をしていた。
「ラウダ! さっきからはしゃぎすぎよ!」
「お姉様だって朝からソワソワしていたもん!」
二人の姉妹が俺を前に喧嘩を始めそうになったので、仕方がなく遊ぶことにした。
――ただし、爺さんには戻ったら文句の一つでも言ってやるけどな。
◇
リオンと姉妹を引き合わせてから、数ヵ月が過ぎた。
王城に顔を出したバンデルは、中庭で遊んでいる三人の姿を見て険しい顔が少し緩む。
(引き取ったのは正解だったな)
姫たちが楽しく遊んでいる姿を見られただけでも、リオンを引き取って正解だと感じていた。
周囲には姫たちと遊ばせるには身分が怪しすぎるという声もあったのだが、そこはロストアイテムを手に入れたリオンである。
将来的に公国にとって有益な存在にするためにも、今から姫たちと交流を持たせておいて損はないとバンデルが他の意見をねじ伏せた。
事実、それだけブレイブ――クロの性能は公国軍にとって魅力的だった。
離れた場所で子供たちを見守っていると、そこにゲラットがやって来る。
中庭の方に視線を向けるゲラットは、リオンの存在が忌々しいようだ。
バンデルへの挨拶にも棘が含まれる。
「今日も姫様たちと遊んでいるのですね。本当に黒騎士の後継者に育てるつもりがあるのですか?」
遊んでばかりいないで、訓練でもさせてはどうだ? 言外の意味を察したバンデルは、腕を組んだ。
どうにもゲラットという人間とはそりが合わない。
それでも、同じ派閥の人間であるため無視もできなかった。
「厳しい訓練の合間には息抜きも必要だ。それに、リオンを連れてくると姫様たちも喜ばれるからな」
ゲラットは自慢の髭を摘まむように撫でながら、遊んでいる幼子たちを見て不満そうな眼をしていた。
「姫様たちの周りを固めるのは、本来であればもっと高貴な子供たちであるべきなのですけどね」
「――他派閥が近付かぬように邪魔をしているのはお前たちだろうに」
公国にも上級貴族たちの子弟はいるのだが、ヘルトルーデたちの遊び相手をさせるのを邪魔しているのがゲラットたちだ。
「小さな子供たちに色々と言い含めるのも大変なのですよ。あの二人には国を背負っていただく役割と同じくらい重要な役割がありますからね」
ファンオース公国の王族には、とても重要な役割があった。
魔笛と呼ばれるロストアイテムがあるのだが、それは巨大なモンスターを呼び出す道具である。
攻めるにしても、守るにしても、その巨大なモンスターは役に立つ。
ファンオース公国の切り札だった。
そんな魔笛を使用できるのは、今では王族である姫たちだけだった。
先々代の頃に起きた王位継承権争いに始まり、先代の公王が世継ぎを長いこと用意できないなどの問題が重なった結果だ。
そのため、ゲラットたちは姫たちの教育に神経質になっていた。
何も知らない子供たちが、二人に余計な知識を与えないか心配していた。
バンデルは中庭を見る。
「魔笛がなくとも王国ぐらいいつでも滅ぼしてやるものを」
バンデルの強引な意見に、ゲラットは呆れつつもお世辞を交えて返事をする。
「黒騎士殿が負けずとも、国力差に大きな開きがある現状では我々に勝ち目がありません」
バンデル一人が勝ったところで、戦争には勝てない。
国力という一人ではどうにもならない問題に、バンデルは苦しめられて目的を果たせずにいた。
「忌々しいことだ」
「同意しますよ。――おや?」
ゲラットが中庭の様子がおかしいことに気付いた。
最初こそ余裕のある顔をしていたが、徐々に頬を引きつらせる。
中庭で行われている光景を見て、バンデルも目をむいた。
「何をしている、リオン!」
バンデルが叫んだ理由は、リオンのズボンをヘルトラウダが必死に脱がせようとしているからだ。
それにリオンは抵抗しながら抗議している。
「止めろ! 俺のズボンから手を放せ!」
「嫌! 見せてよ! 変なのがついているんでしょ? 私たちにも見せて!!」
リオンの股間を見たいと言うヘルトラウダは、幼子であるため何も理解していないのだろう。
リオンの方が焦っている。
そして、リオンはヘルトルーデに助けを求める。
「お前も俺を助けろよ!」
「――レディーの私に何をさせるつもり? ズボンくらい自分で守りなさいよ」
両手で顔を隠しているヘルトルーデは、リオンの股間に興味がないつもりなのだろう。
だが、指の隙間から赤い瞳が見えている。
ヘルトルーデも興味津々だった。
リオンは顔を赤くしている。
「ガン見していながら言う台詞かよ⁉ ラウダ、お前も止めろ! 将来的に思い出したくない過去ができるぞ。ここで止めればまだ被害は少なくて済むから!」
成長して過去を思い出した時に、今の思い出が恥ずかしいものになる可能性を示唆した。
だが、ヘルトラウダの年齢で未来を想像するのは難しかったらしい。
「私は何があるか知りたいの!」
好奇心からリオンのズボンを脱がせようとするヘルトラウダに、周囲のメイドたちが慌てて駆け寄ってきて二人を引き離そうとする。
ヘルトラウダの抵抗は思ったよりも強く、周囲が強引に二人を引き離した拍子にズボンが脱げてしまった。
パンツも脱げてしまったリオンは、甲高い声を出す。
「きゃぁぁぁ!!」
◇
「俺はもう、お婿に行ける体じゃない」
王城から屋敷へと帰る馬車の中、膝を抱えてそんなことを呟いた俺に爺さんは冷たい返事をする。
「お前はわしの養子だから婿ではなく、嫁を貰う立場だ」
「冷静な返しをありがとうございます。でも、今の台詞はお転婆な姫様たちの面倒を俺に押し付けた糞爺に対する嫌味だよ」
素直に自分の気持ちを教えてやると、爺さんが俺を見て鼻で笑っていた。
「口だけ達者になりおってからに」
武人らしい爺さんから見れば、口が達者な俺は軟弱に見えているのだろう。
だが、爺さんは僅かだが嬉しそうにしていた。
「――姫様方が最近よく笑うようになった。お前を遊び相手に推薦してよかったと思っている」
「爺さんは俺に面倒を押し付けただけだろ?」
「お前の言う糞爺が遊び相手では、姫様方が可哀想だとは思わないのか? それに、同じ子供同士で遊ぶ方が健全だ」
「他に遊び相手を用意すればいいだろ。俺は男だから、同じ女の子がいた方が絶対にいいって」
爺さんは腕を組んで目を閉じてしまう。
何かを隠している時の態度だ。
「お前が思うよりも世の中は複雑で、どうしようもない理由で動いている。姫様たちのそばに同年代の子供たちがいない理由もそれだ」
納得してはいないらしいが、爺さんでもどうにもならないらしい。
俺をねじ込むのが精一杯だったのだろう。
国を代表するような英雄でも、どうにもならない事情があるらしい。
そのまま二人で黙っている時間が数分続いたので、俺は耐え切れずに冗談を言う。
「――だったら、訓練時間を減らしてくれよ。あの二人が寂しがらないように、もっと遊んでやるからさ」
訓練時間を短くして欲しいと頼めば、爺さんは眉根を寄せた険しい表情になった。
「愚か者! お前はいずれ立派な騎士となって戦って公国に貢献する身だ。それが、姫様たちの相手をするために訓練時間を減らして欲しいだと? 本末転倒ではないか!」
この爺さん、どうして冗談が通じないの?
特に訓練関係では人が変わってしまう。
「この場の空気に耐えられないから冗談を言っただけだろ!」
「いいや、今のお前には姫様たちに対する邪な感情があった。姫様たちに下心を抱くなど家臣として恥ずべき行為! 今日は屋敷に戻ったら、わしが徹底的に性根を鍛えなおしてやる!」
「冗談の通じない糞爺って面倒だよなー!」
「調子に乗るなよ、糞ガキが!」
馬車の中で罵り合い、その後は屋敷に戻って爺さんにボコボコにされた。
――いつか必ず仕返しをしてやるから覚えていろよ。