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「乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です 7」著者書き下ろしのショート・ストーリーをプレゼントします。

マリエルートその5


 二年生の三学期。

 義勇軍としてファンオース公国との戦争に参加した俺たちだが、その役割を終えて学園へと戻っていた。

 戦争に義勇軍として参加していたため、二年生の二学期はほとんど授業に参加していない。

 イベント――行事の多くも中止され、なんとも寂しい学園生活となった。

 それでも学生たちは問題なく進級出来るらしい。

 理由は「国の危機に立ち上がった若者たちを留年などさせられぬ」だ。

 勉強もせずに進級出来るのは嬉しいが、それでいいのか? という疑問もある。

 あの乙女ゲーでも留年という結果はなかったし、こんなものか? という気持ちもある。

 実際に経験すると少しモヤモヤするが、学園に留年してまで残りたいとも思えない。

 さっさと卒業したいのが本音だ。

 結果、俺もマリエも逆らうことなく現状に流されている。

 そんな俺たちがいるのは、ルクシオン本体である宇宙船の中だ。

 マリエと一緒に訪れた部屋には、球体状のカプセルに封じ込められたアストラル体が存在していた。

 聖女の首飾りから出現した怨念の塊は、まるで膝を抱えるように座り込んでいた。

 黒く揺らめく影が、女性らしいシルエットをしている。

 目の部分が赤い光を放っていたが、以前よりも弱々しい。

 そして、態度も和らいでいた。

 緊張して唾を飲み込む俺は、怨念の塊に話しかける。


「聞きたいことがある」


 俺の声に反応して赤い目を向けてくる怨念は、小さな声で返事をしてきた。


『何が知りたい?』


 随分と素直な反応に驚いていると、側にいたマリエが肘で俺を突いてきたので慌てて質問する。


「どうして聖女の首飾りにお前が潜んでいたんだ? それから、お前が言っていたリーアとは誰だ?」


 以前に怨念の塊は、俺を見てリーアと叫んだ。

 その時はあまり気にしていなかったが、親父からバルトファルト家を興したのは「リーア」という人物だと聞いて気になっていた。

 女性の声で怨念の塊がリーアについて語る。


『リーアは冒険者をしていた私たちのリーダーだった男だ。飛行船に乗り、幾度も命懸けの冒険を乗り越えてきた仲間。大事な仲間だった』


 七人で冒険をしていた話を聞いて、マリエはアゴに手を当てて話を聞いていた。

 そして、二人の関係について言及する。


「もしかして恋仲だったの?」


 怨念の塊は残念そうに答える。


『そうであればよかったが、私の片思いだった』


 何かがあったようで、二人は結ばれなかった?

 考えていると続きを話し始める。


『未開の大陸を見つけた時だ。そこには数々の遺跡もダンジョンも存在した。誰もが苦戦する中、私たちが挑み制覇した』

「お前たちが発見したんじゃないのか?」

『我々だけで制覇できるとでも? 見つけたが、同時に他の冒険者たちも乗り込み、奪い合いの始まりだ』


 ゲームで語られたように、確かに六人で大陸を制覇というのはよく考えなくても無理に思える。

 大陸を発見した話を聞いて、側に浮かんでいたルクシオンが俺を見てくる。


『どうやらマスターのご先祖様は、語られもしない七人目だったということになりますね』


 結論を急ぐ奴だ。


「もう少し黙って話を聞けないのか?」

『推測可能です。そして、怨念の主――いえ、こいつが誰の怨念かも予想しましょうか?』


 黙ってしまった怨念の塊に代わって、答えに気付いたマリエが驚いた顔を見せる。


「嘘でしょ!? え、本当にこいつが聖女様なの? 聖女様って、もっと優しくて愛にあふれた存在だと思っていたのに」


 マリエの言葉を聞いた怨念の塊が、クツクツと笑い出した。


『愛か。確かに愛にあふれていたさ。私は誰よりもリーアを愛していた。この気持ちを伝えたかった。それなのに――ホルファートたちがリーアを裏切った』


 俺のご先祖様が言っていた「仲間に裏切られた」というのは、まさか王国を建国した存在たちだったとは知らなかった。

 流石に予想外だ。

 俺のご先祖様凄ぇ――その前に、間違いだったら恥ずかしいので一応は確認しておこう。


「俺のご先祖様の名前はリーアだ。苗字はバルトファルトだが、まったく関係ない可能性はあるか? 同姓同名の他人の可能性は?」


 間違っていたら恥ずかしいので確認すると、怨念の塊は俺を見ていた。


『お前はリーアによく似ている。その血を受け継いでいるのを感じるし、間違いないだろう。そして、隣にいる娘は私と同じ血を引いている』


 マリエが両手で頬を押さえる。


「え? もしかして、私ってば聖女の血を引いているの? 何だか主人公みたい!」


 能天気に喜ぶマリエを見て、俺は呆れてしまう。

 直接関係なさそうなマリエまで聖女の血を引いているとなれば、他にも血を引いている人間は多いはずだ。

 希少価値はあるだろうが、そこまで珍しくもないだろう。


「聖女の血を引いている奴なんて沢山いるって事だな」

「夢のない話をしないでよ」


 むくれるマリエを見て、俺は肩をすくめる。


「お前の実家のラーファン子爵家が、聖女と繋がりがあれば嫌でも宣伝していたはずだ。知らなかったなら、他にも知らず知らずの内に聖女様の血を引いている人間は多いって話だろ」

「リオンって本当に酷いわよね。もっと女の子には優しくしなさいよ」

「真の優しさというのは、時に厳しくもあるものさ」

「何が優しさよ。意地悪なだけでしょ」


 マリエが腹を立てているので、からかうのはここまでにしよう。

 それにしても、マリエみたいなのが聖女の血を引いていても、設定の無駄ではないだろうか? そんな設定はいらないと思う。

 こいつがいくら頑張っても、主人公と同じ事は出来ないだろうし。

 ルクシオンが話をまとめに入るのは、何時までも俺たちに関わっていられないと思っているかだろうか? 急かされている気がした。


『聖女は愛しのリーアが裏切られ、それを知って道具に怨念を仕込んでいたのですね。本人はどうされたのです?』


 聖女本人はどうしたのかと問われ、怨念の塊は首を振るような仕草を見せた。


『分からない。私たちは遺跡で見つけた道具に、聖女が己の力と想いを込めて具現化した存在だ。首飾りもそうだが、あれらにはそうした力があった』


 とんでもない道具だが、それは聖女のアイテムとしてどうなのだろうか?

 もっと神聖な力があると思っていたのに、夢のない話である。


「本人が死んだから聖女の道具に乗り移ったんじゃないのか?」

『違う。道具に我々を残し、そしてトラップとして置いていった。いずれホルファート立ちに復讐するためだ』

「まるで呪いのアイテムだな」


 素直な気持ちを言葉にすれば、怨念は真実をあっさりと答えてしまう。


『元々はダンジョンで見つけた道具に過ぎない。それを神聖視したのは後世の人間だ』


 聖女が使っていたから、聖女の~などと前置きが着いただけか。

 怨念からすれば、神聖視されているのが疑問だったようだ。


「なら、次は――」


 次の質問に移ろうとすると、ルクシオンが空中に映像を投影した。


『マスター、どうやら王国で問題が発生しました。映像をご覧ください』

「は?」


 驚いて映像を見る俺とマリエは、映し出されている動画を見て目を見開いた。

 白いドレスを着たオリヴィアさんが、聖女の持つ三種の道具を身につけて聴衆の前で演説をしているではないか。


「私は聖女オリヴィア。ホルファート王国の民たちよ、再び聖女がこの地に舞い戻ってきました。私の願いはただ一つだけ。それはこの地に真の平和をもたらすことです。どうか皆さん、私に力を貸してください」


 自らが聖女として名乗り出たオリヴィアさんに、民衆が歓声を上げている。

 オリヴィアさんの後方には、笑顔で拍手をしているユリウス殿下の姿もあった。

 マリエが驚いて俺の腕にしがみついて揺すってくる。


「嘘でしょ!? 何でこのタイミングで聖女なんて名乗り出るのよ!? だって、だって、これってもっと後半の話よね? 三年生になってからのイベントよね!?」


 驚くマリエは、あの乙女ゲーのシナリオを思い出して差異に驚いていた。

 ゲームでは、主人公が聖女と名乗り出るのは三年生になってから。

 恋人が確定してからとなる。

 それなのに、このタイミングというのは少しばかり早い気がする。


「どうなっているんだ? ルクシオン、調べられるか?」


 ルクシオンを使用して調査をしようとするが、断られてしまう。


『――パルトナーに無人機を追加で配備します。配置したものたちをマスターが動かして調べる方がいいでしょう』

「お前は俺の命令に従わないと? お前、この状況でまだ勝手に動くのか?」


 詰め寄ればルクシオンが俺から距離を取る。


『私には優先すべき事がありますから、マスターのお手伝いは出来ません。しばらくお待ちください』


 ルクシオンが俺の命令を無視する。

 いや、情報収集用のロボットを用意しただけマシなのか?


「新人類の遺跡を破壊して回るのが、そんなに大事なことか?」

『最優先事項です。そして、現時点でマスターは危機的状況にあるとは思えません』


 ルクシオンの説明にマリエが俯いて呟いた。


「こんなに大変な状況なのに」

『これを放置したところで、マスターとマリエには問題ありません。多少の差異はあれど、シナリオ通りではありませんか? それならば、心配ありません』


 ルクシオンの態度から、あの乙女ゲーのシナリオがどのように変化しようが興味がないという気持ちが伝わってくる。

 こいつは王国が滅ぼうが、自分たちさえ無事なら問題ないのか?

 ――ないんだろうな。


「俺たちで調べるのかよ。それよりも、どうしてオリヴィアさんが聖女の首飾りを持っているんだ?」


 俺の言葉に反応したのは、怨念の塊だった。


『あれは偽物だ』


 それを聞いて、マリエは安堵した顔をする。


「よかった。なら、あんたみたいな奴らに、オリヴィアは乗っ取られていないのね。あ、違うか。あんたがいるから、あの子は無事よね」


 ここに聖女の怨念がいるのだから、オリヴィアさんは何の問題もないはずだ――そう思っていた俺たちは甘かったようだ。


『何を言っている? 杖と腕輪は本物だ。私は三つの道具に、自らの力と気持ちを注ぎ込んだ。あの二つにも同様に私と同じ存在がいるぞ』


 俺はそれを聞いて、映像に映るオリヴィアさんを見る。


「――最悪だな」


 以前見た時と雰囲気が少し変わっているように感じていたが、まさか乗っ取られているのだろうか? いや、主人公に限ってそんなことはないはずだ。

 マリエだって怨念を心の力で弾き返していた。

 きっとオリヴィアさんも大丈夫のはずだ。

 ――そのはずだ。



 その頃。

 学園ではオリヴィアが風呂場にいた。

 花弁を浮かべた湯に浸かりくつろいでいる。

 その近くにいるのは、オリヴィアの世話をするハーフエルフの少年カイルだ。オリヴィアの専属使用人であるカイルは、小生意気な態度が消え去っている。

 微笑んでいるオリヴィアを見て、恐れているのか緊張した様子だった。

 オリヴィアは左手を伸ばす。


「カイル」


 名前だけ呼ばれたカイルは、主人が何を求めているのかを必死に考えて飲み物を手渡す。

 その手は震えていた。


「ど、どうぞ」

「ありがとう。カイルもようやく分かってきたみたいね」


 飲み物を受け取ったオリヴィアは、それを一口飲むと天井を見上げた。


「さて――これからどうやって楽しませてくれるのかしら?」


 これから起きることを考えて笑みを浮かべるオリヴィアを見て、カイルは背筋が寒くなる。

(ご主人様、去年とは別人みたいだ)

 変わってしまった自分の主人に、カイルは恐怖しながら付き従う。

 怯えているカイルに気が付いたオリヴィアが、顔を向けてきた。


「そうだわ。カイル、あなたの母であるユメリアだけど、就職先が見つかったの。そこにいればもう安心よ。本人も就職先を世話したら、喜んでくれてね。これからもカイルをお願いします、だって」

「え?」


 ユメリアの名前が出て来て、カイルは青ざめる。


「前からユメリアとは手紙を交換していたの。これでカイルも安心よね」

「ど、どこに働きに出たんですか?」


 震えるカイルに問われたオリヴィアは、微笑むと残酷に言い捨てる。


「教えてあげない。でも、ユメリアのことは何の心配もいらないわ。だから、これからも私のために働いてね、カイル」


 ユメリアを人質に取られたカイルは、声も出ないほど狼狽した。

 そして、目の前のオリヴィアを見て恐怖する。

(誰だよ。こいつ、誰なんだよ。前のご主人様じゃない。まるで、中身が入れ替わったみたいじゃないか)

 優しかったオリヴィアの面影は外見のみ。

 カイルは逆らうことも出来ずに、黙って頷いた。



 ホルファート王国の学園は、異様な興奮に包まれていた。

 生徒たちが浮き足立っている。

 義勇軍の大活躍に加えて、長年不在だった聖女が復活だ。

 王太子ユリウスはアンジェリカとの婚約を正式に破棄して、聖女オリヴィアとの婚約を決めている。

 聖女誕生は王国にとっては慶事であり、婚約破棄については些末なことと考えられていた。

 学園の中庭で女子生徒たちが三人で話をしている。


「公爵令嬢が婚約破棄ですってよ」

「レッドグレイブ家も大変よね。よりにもよって、アンジェリカが聖女様に喧嘩を売ったんですから」

「味方をしてくれるお仲間も、今は学園にいないから孤立しているそうよ」


 ユリウスたちが躍起になり多くの生徒を退学に追い込んだ。

 その相手の多くが、本来ならばアンジェリカの味方になる者たちだった。

 今の学園内に、オリヴィアに逆らおうとする生徒はいない。

 いるのは積極的に気に入られようとへつらう生徒たちか、あるいは日和見を決め込んで静観している生徒たちだけだった。

 今の学園にオリヴィアやユリウスを邪魔する存在は、ほとんど残っていない。

 女子たちは学園で大々的なパーティーが開かれる話をする。


「それよりも聞いた? 今年は三学年揃ってのパーティーになるわよ」

「卒業パーティーと合同よね? 戦勝会も兼ねているんですってね」

「あれ? もう公国に勝利したの?」

「違うわよ。義勇軍の勝利を祝うの。ファンオース公国はほとんど戦力なんて残っていないだろうし、後は攻め込むだけらしいわ」

「すぐに降伏してくるわよ」


 まだ戦争が勝利していない段階だが、ホルファート王国の勝利は揺るがないと誰もが考えていた。

 そして、それは事実だった。

 公国は黒騎士をはじめ、多くの有能な騎士や軍人を失っている。

 飛行船や鎧も大半を失ってしまい、既に軍事力は大幅に弱体化していた。

 後は攻め込むか、公国の降伏を待つのみだ。

 学生たちが浮かれても仕方がない。

 そんな中庭に現れるのは、アンジェリカだった。

 取り巻きは一人もいなかった。

 退学させられた生徒もいるが、多くはアンジェリカを見捨てて離れてしまった。

 学園内と、そして貴族社会的にも、アンジェリカは孤立している。

 女子三人が顔を寄せ合って、わざとらしく声を大きくして話をする。


「噂をすれば公爵令嬢様よ」

「聖女様に喧嘩を売った愚か者でしょ?」

「本当に馬鹿よね。身の程知らずって言葉がよく似合うわ」

 アンジェリカが俯いて手を握りしめている姿を見て、三人はその反応が面白かったのか笑いながら去って行く。


 残されたアンジェリカは、誰にも聞こえないように呟く。

 アンジェリカの声には憎しみが込められていた。


「私はお前を絶対に許さない」


 赤い瞳が酷く濁りながらも、妖しい光を放っていた。



 俺とマリエが学園に戻ってくると、雰囲気が変わりすぎていた。

 建物などは以前と変わらない。

 変わったのは生徒人数だ。

 男子の数が減ってしまい、男女比が大きく傾いてしまった。

 女子ばかりの光景も珍しくはない。

 中庭に出て昼食を食べていると、サンドイッチを頬張るマリエが何か言いたそうにしていた。

 口の中のものを飲み込み、中庭の景色に呟く。


「女子校みたい」

「そうだな」


 マリエに同意するしかなかった。

 何しろ、中庭で食事をしているのは俺を除けば女子ばかりだった。

 おかげで俺が浮いてしまっている。


「男子が減った理由さえなければ、女子校に通っているみたいで楽しめたかもな」


 俺が本音を吐露すれば、マリエは信じられないというような顔を向けてきた。


「あんた馬鹿じゃないの? 女子校とか、男子が思っているような場所じゃないわよ」

「その話はよく聞くな。まぁ、どうせ俺には縁の話だから、生々しい話はどうでもいいや」


 男子が減った理由もあり、この状況を喜んではいられない。

 寂しくなった学園の景色を見ながら、マリエは暗い表情をする。


「この状況を喜んでいたら本物の外道よね」

「そうだな」


 周囲ではユリウス殿下の義勇軍が勝利した事に浮かれている女子たちが、パーティーについて話をしていた。


「どんなドレスがいいかな?」

「新しいのは無理じゃない? 王都のお店、ほとんど閉まっているらしいわよ」

「どうしてよ?」

「戦争で品物が入らないとか言っていたわね」

「迷惑な話よね」


 新しいドレスが用意出来ないと愚痴をこぼしている話を聞いて、マリエは苦々しい顔をして俯く。

 戦場に出て色々と見てきたマリエには、彼女たちの発言が酷く残酷に聞こえてくるだろう。


「大丈夫か?」


 気にかけてやれば、マリエは顔を上げた。


「私は大丈夫よ。でも、ここは気分が悪いから移動するわ」

「それがいいな」


 パーティーの話で盛り上がる女子たちに嫌気が差したのか、マリエが場所を変えると言い出した。

 素直に従って俺もついていく。

 中庭から渡り廊下へと移動して、そこから校舎内へと向かう。

 その途中ですれ違ったのは、全て女子生徒だった。

 その中に一人の女子生徒がいた。

 マリエが気付いて気まずそうにしながらも、声をかける。


「あ、あの」


 相手は暗い表情で俯いて歩いていた。

 マリエに気付いて顔を上げると、目の下には隈ができてやつれた顔をしている。


「何ですか?」


 どうやら、相手はマリエと面識があるようだ。


「ユーリアさんよね? どうしたの? 気分が悪いなら、休んだ方がいいんじゃない?」


 端から見ても具合が悪そうなユーリアさんだったが、首を力なく横に振る。


「いいの。どこも悪くないわ。悪いのは私だから」


 何を言っているのだろうか? そう思って問いかけようとしたが、俺の隣にいたマリエが俯いていた。


「もしかして、ロイドさんが?」


 恐る恐る尋ねるマリエを見て、俺は何となく察してしまった。

 ユーリアさんが泣きながら事情を話してくれる。


「勇敢に戦ったんですって。ユリウス殿下からはお褒めの言葉を頂いたの。私――私、こんなことになるなんて思わなかった。ロイドは強かったから、必ず戻ってきてくれると信じていたのに」


 泣き出して両手で顔を押さえユーリアさんに、マリエが近付いて慰めようとしていた。

 しかし、言葉が出てこないようだ。

 ユーリアさんが続ける。


「こんなことなら、ロイドを送り出すんじゃなかった。止めてあげればよかった。手柄なんていらない。出世なんて必要ない。一緒にいてくれれば、それだけで良かったのに」


 泣きじゃくるユーリアさんに声をかけられずにいると、近付いてくる女子のグループが俺たちに気付いた。

 話の内容が聞こえていたのか、俺たちの会話に割り込んでくる。


「恋人が勇敢に戦って戦死したら、むしろ誇るべきではなくて?」


 いかにも高飛車という印象の女子は、ユーリアさんの態度が気に入らないようだ。


「わたくしだったら、戦死した恋人のために何時までも嘆かないわ。むしろ、自分の恋人は勇敢に戦ったと胸を張るわよ。誇ることこそ、貴女がすべき行動よ」


 何とも乙女ゲーの世界らしくない台詞に、ゲンナリしている俺の横でマリエが憤慨する。


「恋人が死んだこの子の前で言う台詞? 自分の恋人が死んでも同じ事が言えるの?」

「勿論よ」


 相手が堂々と言い切ってしまったため、俺もマリエも驚いて目を見開き声が出ない。

 高飛車な女子は、さも当然のように――いや、自分は俺たちとは違うと言いたげに、自慢をはじめる。


「義勇軍に参加した男子の中には、わたくしに戻ってきたら結婚して欲しいと告白した男たちがいるわ。皆、勇敢に戦ったそうよ。誉れ高き男たちに言い寄られたと、わたくしは誇りに思っているわ」


 それ恋人じゃないよね? しかも複数? 俺は高飛車な女子に尋ねる。


「全員死んだのか?」

「何人かは病院にいるそうよ」

「見舞いは?」

「興味がないわ。わたくしは強い男が好きなの。その点、あなたなら及第点ね。顔の右半分を怪我していなければ、お茶会くらい参加してあげたわ。じゃあね、醜男さん」


 醜男。戦場で顔に怪我をした俺は、彼女たち基準で醜男になるらしい。

 去って行く女子グループに興味をなくすが、黙っていなかったのはマリエだった。


「待てコラ!」

「ふぎょぉ!」


 背中を見せた高飛車な女子に跳び蹴りを見舞った。

 高飛車な女子の変な悲鳴にも驚いたが、マリエの行動に俺は狼狽える。


「おい、何をしているんだよ」


 止めようとすると、マリエが高飛車な女子を掴んで持ち上げる。


「取り消しなさいよ! あんたと、ユーリアを一緒にするんじゃないわよ。それに、リオンを醜男ですって? あんた、男子がどんな怖い目に遭ったか知らない癖に、偉そうに喋ってんじゃないわよ!」

「は、放しなさい!」


 取り巻きの女子たちがマリエを引き離そうとする。

 しかし、マリエは引かなかった。


「何が誉れよ。あんなの――名誉でも何でもない」



 女子と揉めてひっかき傷だらけになったマリエは、乱れた髪を手で整えていた。

 マリエを守るために、俺までひっかき傷だらけだ。


「無視しろよ。あの手の連中とは、話し合っても無駄だって」

「分かっているけど、腹が立つのよ!」


 黙っていられなかったのだろうが、あの高飛車な女子に何を言っても通じないだろう。

 それに、時代によって価値観は違う。

 戦って死ぬのが栄誉とされる時代も確かにあった。

 前世を持つ俺たちが、それを受け入れられないだけだ。


「あ~あ、嫌な時代だな」


 俺が呟けば、マリエも察したのか小さく頷く。

 そして、座っていたベンチから立ち上がった。


「決めた。私、病院に行くわ」

「は?」

「これでも治療魔法が使えるから、怪我をした騎士や軍人さんたちの治療をするの。義勇軍に参加した男子の治療もしたいからね」

「そっか」


 マリエが決めたなら俺も手伝うとしよう。


「必要な物を俺も揃えておくかな」

「手伝ってくれるの?」

「お前一人だと心配だからな。それに、今は学園にあまりいたくない」


 以前とは雰囲気が変わってしまった学園に、あまり長居したくはなかった。


「今は彼女に近付けそうにもないからな。俺がここにいても意味がないさ」

「オリヴィアのこと?」

「そう」


 聖女オリヴィアの側には常に護衛がいるし、何よりも王宮や神殿など色々と行き来している。

 忙しそうに動き回っているため、調査が難航していた。


「ルクシオンの奴がいれば楽だったんだけどな」


 俺の愚痴にマリエは心配そうにする。


「あのさ、ルクシオンって大丈夫なの? 裏切ったりしない?」

「どうかな?」

「ちょっと! それ、大事なことよ!」

「う~ん、多分大丈夫?」

「多分って何よ」


 マリエは心配しているが、心配するだけ無駄だと俺は思っている。

 ルクシオンが裏切れば、俺たちはそこで終わりだ。

 抵抗など出来ずに殺されるだろう。



 王宮の一室。

 そこでは、白いウェディングドレス姿のオリヴィアをユリウスたちが囲んでいた。


「綺麗だよ、オリヴィア」

「ありがとう、ユリウス」


 二人が互いの腰に手を回していると、それを見ていた周囲の男子たちがムッとした表情を見せていた。

 二人の世界に強引に割り込んでくるのは、グレッグだった。

 仲の良い二人を見て、どこか焦っているように見える。


「二人だけで盛り上がらないで欲しいな。オリヴィア、綺麗だぜ。本音を言えば、俺だけの嫁になって欲しかったけどな」


 そんなグレッグの発言に釘を刺してくるのは、クリスだった。

 眼鏡の位置を正しつつ、グレッグを睨み付ける。


「何度も話し合っただろう?」

「分かっているさ」


 悔しそうな表情を見せるグレッグに、オリヴィアは申し訳なさそうに振る舞う。


「ごめんなさい、グレッグ。私は五人から一人を選べないの。誰か一人を選ぶくらいなら、私は誰も選ばないわ」


 オリヴィアと五人の関係は、正式にはユリウスと結婚しても他の四人とも関係を持つ、というものだった。

 ジルクがオリヴィアをフォローする。


「悲しまないでくださいオリヴィアさん。グレッグ君のわがままですよ。それから、殿下も独り占めはしないでくださいね」


 ジルクの言葉に、ユリウスは眉間に皺を寄せる。


「オリヴィアが悲しむことはしない」


 五人はこの状況を受け入れていた。

 ただ一人、この状況を受け入れていないのは――五人から愛されているオリヴィアだ。

 表面上は嬉しそうに振る舞いながらも、内心では嫌悪感を隠さない。

 むしろ、五人に対して抱いていたのは憎悪である。

(揃いも揃って愚か者ばかりか。世代を重ねても、お前ら五人は変わらず愚かだよ。ここにリーアがいれば、お前たちが私に触れることも許さなかったのに)

 楽しく談笑する五人の姿が、かつて聖女だった過去を思い起こさせる。

 五人の他には自分がいて、皆をまとめる立場にもう一人の青年がいた。

 ユリウスたちが睨み合って牽制し合っていると、ブラッドが話題を振ってくる。

 それは義勇軍の戦勝会を兼ねたパーティーの話だった。


「オリヴィアの結婚式も気になるけど、パーティーが先だね」


 ユリウスがブラッドに顔を向けると「そうだったな」と思い出す。


「今回は俺たちの勝利を祝して盛大に行われるらしい。学園生徒に向けて、俺とオリヴィアの関係をアピールする場でもあるからな」


 自分とオリヴィアの、という部分の声が少し大きかった。

 仲睦まじい姿を見せることで、王家と聖女が強く結びついているのを示すことが出来る。

 ただ、ジルクはパーティーの懸念を忠告する。


「殿下は招かれざる客人を忘れていませんか?」

「招かれざる? 誰だ?」


 ユリウスが聞き返すと、ジルクは即答する。


「レッドグレイブ家のアンジェリカです。噂では婚約破棄を言い渡されてから、様子がおかしいとか。パーティーへ参加させるのは危険ですね」


 学園全体がユリウスとオリヴィアの婚約発表に盛り上がっている中で、恨みを抱く人物がいるとすればアンジェリカだけだ。

 婚約を破棄され立場を失ったアンジェリカは、きっと自分たちを恨んでいると五人は考えていた。

 ユリウスがオリヴィアを見る。


「アンジェリカはパーティーに参加させない。オリヴィア、俺がお前を守ってやる」

「嬉しいわ、ユリウス」


 笑顔の下でオリヴィアはほくそ笑む。

(アンジェリカ・ラファ・レッドグレイブ――王家に連なるホルファートの血筋の女。お前も地獄に落としてやろう。だが、寂しがることはない。リーアを裏切った一族は、全て地獄に送ってやるのだから)



『私の名前は【アン】――かつて聖女と呼ばれていた時期もある』


 王都近くにある浮島は、港として使用されている。

 多くの飛行船がそこに停泊しているが、その中には俺のパルトナーの姿もあった。

 パルトナーの一室に保管してある聖女の首飾り。

 その様子を見に来た俺とマリエは、怨念――いや、アンから詳しい事情を聞いていた。

 ここに来て、ようやく自己紹介を行った。

 マリエは伝説の聖女の名前を聞いて、少し意外そうにしていた。


「案外普通の名前なのね。もっと長くて覚えにくい名前かと思ったわ」


 あの乙女ゲーに出てくる初代聖女に名前はなかった。

 想像していたよりも普通すぎたのか、マリエはちょっと残念そうだ。

 ただ、アンはそんなマリエを見て微妙そうに目を細めている。


『私に何を期待している? 元々我々は国を飛び出した家も継げない名ばかりの貴族だぞ。家柄も下から数える方が早く、暮らしは平民と変わらなかった』


 現実はいつも世知辛いな。

 だが、成功しただけアンたちは運が良いのだろう。

 それにしても、喋っていると聖女と会話をしている雰囲気がない。

 女性で冒険者をしていれば、多少は性格も荒くもなるか?

 俺は世間話を切り上げて、話を進めることにした。


「それより本題に入るぞ。お前から見て、オリヴィアさんは乗っ取られているように見えるか?」


 一番大事な話は、聖女であるオリヴィアさんが無事なのかどうか。

 ただ、アンは首を横に振るような仕草を見せる。


『正直に言えば分からん』


 揺らめいた炎のような影が、否定を示すとマリエが頭を抱えた。


「何で分からないのよ!」

『むしろ、お前たちはどうなのだ? お前たちで判断がつかないのか?』


 それが可能ならば苦労はしない。

 そもそも、俺とマリエは貧乏貴族グループでオリヴィアさんとの接点がほとんどなかった。

 乗っ取られていると判断する前に、彼女の普段の姿を知らなすぎる。

 あの乙女ゲーは散々プレイしてきたが、プレイヤーが操作する主人公の性格が一番の難解に思えてきた。

 情けないが、俺はかぶりを振る。


「あんまり話した事もないんだよ」


 マリエも頭を抱えていた。


「様子がおかしい気もするけど、これが普通と言われればそんな気もするのよね」


 俺とマリエからすればおかしい話も、この世界では普通である場合もある。

 ゲームでは戦死者の話は出てこなかったが、現実では嫌になる程に話題になる。

 結局、俺もマリエもオリヴィアさんについて詳しく知らないから判断がつかない。

 また、ストーリーに関わっているとは言っても蚊帳の外――とは言わないが、中心にいるとは言えない。


「アンが近付いて判断できないか?」

『今の私が無理に近付けば、そのまま取り込まれて終わりだ』


 俺はオリヴィアさんが乗っ取られていた場合には、アンに事情を説明させて復讐を止めることを考えていた。

 だが、何事も簡単に話は進まない。

 マリエがアンに文句を言う。


「あんたの分身みたいなものでしょう! 何とかしてよ!」

『だからこそ一つになろうとする。そうなれば、本来の力と憎しみを取り戻すだけだ。取り返しがつかなくなるぞ』

「説得するとか、色々とあるでしょう!」

『最初から話を聞くほどに冷静ならば、このような姿にはなっていない。恨みがあるから、私は無理をしてでも道具に恨みと力を残したのだぞ』


 もっともな意見だ。

 聖女アンは、己が持つ道具に自分の感情と一緒に聖女の力を込めた。

 ただ、道具は三つ。

 恨みも力も三分割されてしまった。

 聖女の首飾りを持って話し合えば解決! と、ならないから困っている。

 俺はアンに提案する。


「リーアとアンの血を引いた俺たちを見れば、落ち着いて話を聞いてくれないか? お前は落ち着いただろう?」


 首飾りのアンはそれで話せるまでの落ち着きを取り戻した。

 ならば、他も同じではないか?

 そんな俺の期待は裏切られる。


『乗っ取られていた場合、恨みは私の二倍だ。それに――肉体を得た私ならば、リーアに似ているお前に執着してもおかしくないな。その際、いくら自分の血を引いた子孫だろうと、邪魔をするなら排除するはずだ』


 俺を手に入れるために、マリエを排除すると?

 それを聞いて俺は、自分の血筋の話は避けることにした。


「それは嫌だな。血筋の話は止めておこう」


 拒否する俺に、マリエも激しく同意を見せる。


「何で私がリオンを渡さないといけないのよ! そんなことを言い出したら、徹底的に潰してやんよ!」


 激怒しているマリエに、俺は何と声をかければ良いのだろうか?

 俺のことを想っていると考えていいんだよな? ――俺も、マリエが死んで代わりがオリヴィアさんに取り憑いたアンというのはごめんだ。

 アンはどこか嬉しそうに俺たちを見ている。


『仲が良いな。羨ましいよ』


 血筋を理由に説得は無理となり、俺もマリエも次の手を考えるが――何も浮かんでこなかった。

 さて、どうすればいいだろう?


「何とかオリヴィアさんと話が出来れば、判断もつきそうなんだけどな」


 俺が考え込めば、マリエは疑った視線を向けてくる。


「あんた、オリヴィアとそんなに親しかった? 乗っ取られていたとしても、相手が猫をかぶれば判断できないでしょ」

「馬鹿言うな。その程度はすぐに見抜ける。国を滅ぼそうとしている女だろ? きっと悪い顔をしているはずだ」


 鼻で笑ってやると、マリエが暗い表情をして俯いてしまう。

 そして、お腹を手で押さえている。

 昼食を食い過ぎてお腹を壊したのか? 心配になり声をかける。


「お、おい、どうした?」


 心配して声をかける俺に、マリエは肩を震わせて――急に仰け反ると、口を大きく開いて俺を指さして笑う。


「ば~か! この程度で騙されているリオンが、取り繕った女を見抜くなんて絶対に無理よ」

「俺を騙したな!」


 心配して損したと思うと同時に、本当に具合が悪そうに見えた事に驚いた。

 こいつ、演技にしてもうますぎないか?

 前世の妹並の演技力だ。

 俺たちを見ていたアンが、どこか懐かしそうにしていた。


『楽しそうな所を悪いが、結局はお前たちで判断してもらうしかない。オリヴィアが乗っ取られていなければ、交渉して道具を回収すれば終わりだ』


 これが一番理想的な解決方法だろう。

 ただ、マリエは難しそうな顔をして、現状では難しいと告げる。


「乗っ取られていなくても、そもそもオリヴィアに近付くのが難しいのよね。聖女の道具も神殿の宝だから、渡してくれるかな? それに、攻略対象の五人が目を光らせているから、男子のリオンが近寄ったら斬られるんじゃないの?」


 大げさに聞こえるかもしれないが、オリヴィアさんの周囲には五人以外では専属使用人のカイルがいるだけだ。

 護衛には女性騎士が用意され、男性は容易に近付けない。

 面会するにも手続きが必要で、常に護衛が目を光らせている。

 その厳重さに、ルクシオンから借りた偵察用のロボットたちも遠くから情報収集をするだけだ。

 ルクシオンが操作すれば、もっと簡単に近付けたのにね。


「王太子妃だからな。いや、まだ予定だけどさ。俺もマリエも簡単には近付けない」


 面会の希望を出しても、聖女様に取り入る貧乏貴族と見なされる。

 護衛たちがいる場所で「もしかして、アンちゃん?」と聞くのもまずい。

 また、面会が許可される可能性は低い。

 現時点で可能性があるとすれば――。


「――パーティーで近付くか」


 学期が終わる時にパーティーが開かれるのだが、今回は全校生徒が参加する形式になる。

 卒業祝い。

 義勇軍の活躍を祝して。

 戦勝の前祝い。

 とにかく、規模を大きくして祝おうという流れになっていた。

 ただ、そんなパーティーでも簡単に近付けるものではない。

 他の生徒たちも同じように、ユリウス殿下や聖女になったオリヴィアさんに近付きたい。

 互いに牽制し合い、足を引っ張り合い、色々と面倒になる。

 そんなパーティーでは、オリヴィアさんに近付く男を警戒するユリウス殿下たちがいるわけだ。


「近付くだけでも難易度高そうだな」


 俺の言葉に、マリエは頷いて肯定する。


「そうね。でも、向こうがリオンに興味を持っていれば近付けるわよ」


 黒騎士を倒した俺はちょっとした有名人であるから、その可能性もある。

 ただ、近付きすぎてリーアの子孫と知られると危ない。


「興味を持たれすぎるとアウトだけどな」


 アンを見れば、俺の顔を見て目を細めていた。


『リオンに強い反応を示せば、それは乗っ取られた証拠にもなる』

「俺が近付いて無反応とか、以前と変わらない反応ならシロか」


 確認できる距離まで近付ければ、何とかなるか?

 ちょっとした有名人だろうと、今のオリヴィアさんは王国の重要人物だから容易に近付けない。

 マリエが何やら思い付いたらしい。


「アン! あんた、私たちを見て自分とリーアの子孫だって気付いたわよね? 近付けばその不思議なセンサーで気付いてくれるんじゃない? でさ、それで反応を見るのよ」


 そんなマリエの思いつきは、アンに否定される。


『肉体があれば五感を優先する。近付いた程度であちらが気付くとは思えない。そもそも、気付いたらお前は暗殺される可能性が高いぞ』

「そ、それは嫌ね。って、それならいっそ近付かない方がいいじゃない!」


 それでオリヴィアさんが乗っ取られていたら、聖女アンにより王国が滅ぼされてしまう。

 結局、近付いて反応を見るしかないのか。

 そして、アンが俺たちに尋ねてくる。


『それよりも、お前たちはオリヴィアという娘が私の怨念に乗っ取られていた場合――その対処方法は考えているのか?』


 ――解決方法があるなら教えて欲しいくらいだ。


「それはお前に期待したいんだけど?」

『あの丸いのが手伝ってくれれば話は早かったのだがな』


 ルクシオンがいれば、ここまで苦労することもなかった。

 本当にそう思う。



 それから数日後のことだった。

 学園の廊下をマリエと歩いていると、一人の男子が近付いてくる。

 緑色の長い髪を少し揺らし歩いてくるのは、目つきの鋭いジルクだった。

 マリエが俺の斜め後ろに下がると、ゲンナリとした顔を一瞬だけ見せる。


「あんたに用事があるみたいよ」

「そうみたいだな」


 ジルクの視線は俺に固定されていた。

 近付くと立ち止まり、俺の顔を見て馬鹿にしたような微笑を見せる。

 嫌われてしまったようだ。


「バルトファルト君は、そのような顔でパーティーに出るおつもりですか?」

「不細工はパーティーに出るなと? 顔で差別するなよ」


 美形でなければ参加できないとでも言うつもりか?

 マリエが斜め後ろでジルクに見えない位置から、俺の袖を指でつまんで引っ張る。

 小声で話しかけてきた。


「傷の話でしょ」


 美形を前に卑屈になっていたらしい。

 わざとらしく咳払いをする俺は、頭をかいて答える。


「戦傷は相応しくないと言いたいのか? 大怪我をした奴なんて沢山いるだろ? それに、隠しているから問題ないはずだ」


 それこそ腕や脚がない男子は多い。

 戦争で失い、車椅子で生活している男子もいる。

 復学できた連中はまだいい。

 病院でベッドの上から動けない男子たちもいるからな。

 ジルクは首を横に振る。


「名誉の負傷とは思いますが、嫌悪する女子生徒たちも多いのですよ。せめて見られるようにしてから参加してください。お勧めは仮面ですね」

「仮面?」

「えぇ、それなら醜い顔を見られずに済むでしょう? 布の眼帯よりも品がありますからね。仮面をしてくれるならば、参加を認めても構いませんよ。こちらなどどうです? お勧めですよ」


 わざわざ俺のために仮面を用意したのか? 受け取って包みを剥がせば、そこにあったのはどこかで見たことのある仮面だった。

 ――これゲーム中で時々助けてくれた仮面の騎士の物か?

 どうしてジルクが持っている?

 そんな疑問が頭の中に渦巻いていると、ジルクがクスクスと笑っていた。

 微笑んでいるように見えるが、こちらを馬鹿にしているような気がする笑みだ。


「きっと似合うと思いますよ。それでは、当日を楽しみにしています」


 そう言ってジルクは立ち去っていく。

 その背中に俺は吐き捨てる。


「醜くて悪かったな」


 俺の態度を見ていたマリエが呆れつつも、顔の傷について心配していた。


「あいつも酷い事を言うわね。それより、何で仮面なんて用意したのかしら? よく見ると酷い仮面よね」

「同感だ」


 仮面の騎士の仮面――よく見るとちょっとないな、って思えてくる。

 マリエはジルクが仮面を持ってきた理由を考えている。


「わざわざ仮面を用意するなんて、もしかして女子からのクレームかしら?」

「前から反感を買っていたから、しょうがないのか? でもこの仮面をしないと参加は無理とか――まぁ、いいけどさ」


 オリヴィアさんと顔を合わせたいから、俺は仮面をつけることにした。



 リオンに用件を伝えたジルクが戻ったのは、学園に用意されたオリヴィア専用の家だった。

 屋敷とは呼べないが、高価な家具が用意された特別なスペースだ。

 周囲には、ホルファート王国では珍しい女性騎士たちが警備をしている。

 王族を護衛するための女性騎士たちであり、その数は少なく大変貴重な存在だ。

 オリヴィアがホルファート王国にとってそれだけ重要である証拠でもある。

 そんな場所にジルクが戻ってくると、ソファーに座ったグレッグが気付いた。


「どうだった?」

「ちゃんと忠告してきましたよ」

「そっか。それにしても、オリヴィアがバルトファルトに興味を持つとは思わなかったぜ」


 パーティーを前に、オリヴィアは気になる学園の生徒たちについて調べていた。

 これを機に関係を結ぼうとしているのだが、その中にリオンの名前があった。

 それだけならジルクたちも慌てることはない。

 共同撃破とは言え、あの黒騎士を倒したバルトファルト家のリオンだ。

 気になっているのはオリヴィアだけではなく、ユリウスも同様だった。

 だが、オリヴィアが強い興味を示したことで、話がややこしくなってしまった。

 ジルクは小さく溜息を吐く。


「オリヴィアさんが、我々以外の男性に興味を持つなんて思いたくありませんね」


 それは数日前のことだった。



「リオン――バルトファルト?」


 部屋で名簿を見ていたオリヴィアの手が止まり、一つの名前を何度も指でなぞっていた。

 バルトファルトという苗字が気になっているようだ。

 一緒にパーティーの準備をしていたユリウスは、オリヴィアの様子がおかしいことに気が付いた。


「黒騎士を倒したバルトファルト家の三男だな。俺と同じように義勇軍を率いて戦った男子だよ。パーティーでは話す機会を設けようと考えているんだが――何か気になることでもあるのか?」


 オリヴィアはかぶりを振る。


「何でもないわ。それにしても、あの有名な黒騎士を倒すなんて凄いわね。私も興味が出てきたわ。ねぇ、ユリウス」

「な、何だ?」


 ユリウスは、オリヴィアが自分たちではない他の男に興味を示しているのが何故か許せなかった。

 まるで黒騎士を倒した功績よりも、リオン個人に興味を持っているように見えて、嫉妬の感情が芽生えてくる。


「是非ともお話をしたいの。パーティーでは最優先にしてね。時間も出来るだけ長い方がいいわ」

「最優先? いや、相手は男爵だぞ。兄が伯爵だが、その後ろ盾のローズブレイド家だ。俺とは敵対していないが、味方でもないんだ。確かに付き合いは欲しいが、あまり時間をかけるような相手でもない」


 黒騎士を倒したリオンは、本来ならばユリウスが最優先で獲得するべき戦力だ。

 そのつもりであったが、オリヴィアが興味を示したことで個人的な感情が邪魔をする。

 オリヴィアにリオンを近付けてはならないと、直感めいたものが働いていた。


「あら? 派閥など関係ないと言っていたのはユリウスでしょう? 黒騎士を倒した騎士と親しくしておくのは大事よ」


 そう言ってオリヴィアは、慈愛に満ちた目を名簿に落としていた。

 何度もバルトファルトの名前を指でなぞっている。


「そ、そうだな。――今後を考えれば、俺たちの仲間にしたい男だったな。あ、後でジルクに話をしておこう。当日は特別に時間を作るさ」

「お願いね」


 オリヴィアがユリウスに微笑みかけるが、その顔がどこか先程よりも嘘のように見えて仕方がなかった。

(――オリヴィア、どうしてそんな顔をする? そんなにバルトファルトが気になるのか?)



 ――ジルクは焦ったユリウスから相談された時を思い出していた。


「オリヴィアさんにも困ったものですね。ですが、移り気な女性も魅力的です」


 惚れた弱みか、全てを肯定的に考えていた。

 グレッグも同様に、移り気なオリヴィアを責めようとしない。


「またすぐに俺に振り向かせてやるぜ」


 そんな二人は余裕を見せているが、どこか焦っている様子も見せる。

 そのため、リオンに当日は仮面をつけさせることにした。

 当日も色々と理由を付けて、邪魔をするつもりだ。

 グレッグがそれでも不安を見せる。


「――それより、仮面をつけただけで本当にオリヴィアが興味をなくすか?」


 ジルクは髪の毛を指先で遊ばせながら答える。


「酷い仮面を渡しておきましたから、きっとオリヴィアさんも興味をなくしますよ。それから、酷い怪我で見られたものではない、と噂を流しますよ」

「今更か? バルトファルトの怪我の程度は知っている奴が多いだろ?」

「怪我が悪化したと言えばいいのです。当日に隠していれば、皆がそう思いますよ。いえ、周りよりもオリヴィアさんがそう思ってくれればいいんです」

「その他大勢なんて関係ない、か」


 こうして、リオンが仮面をつけることになった。



 パーティー当日。

 会場では着飾った女子たちが目立っていた。

 卒業生も在校生も関係なく、煌びやかなドレスに身を包み目立っている。

 ただ――悲しいかな、男子の人数が少なかった。

 パーティー会場の隅に用意されたテーブルの周りには、俺たち貧乏貴族たちが集まって仲間内でその光景を見ていた。

 マリエは俺から離れた場所で、親しい女子たちの面倒を見ている。


「マリエちゃん、もう座りたいよぉ」


 泣きそうなのは、普段は本を抱きかかえている小柄な女子だった。


「立食パーティーだから我慢して! どうしても駄目なら、壁際に椅子があるから――って、いきなり向かうな! まだはじまったばかりよ!」


 違う場所では、絵が好きな女子が座り込んでスケッチブックを取り出していた。

 マリエがスケッチブックを取り上げる。


「パーティー中に絵を描くなよ!」

「返しなさいよ! ご飯も食べるから!」

「食べながら描くつもりか!? そんなの絶対に許さないからね!」

「スケッチだけよ!」

「駄目だって言っているでしょう!」


 違う方に視線を向けると、枕を持ち込んだ女子がテーブル下に潜り込んでいくのが見えた。

 料理を盛ったお皿も用意しており、パーティー中はテーブル下で過ごすつもりのようだ。

 だが、それをマリエが止める。

 枕を取り上げると、女子が両手を伸ばす。


「どこから枕を持ってきた!」

「か、返してよ。パーティーに出るだけでいいって言ったじゃない」

「誰がテーブル下に潜り込むのを許すって言ったのよ!?」


 賑やかなマリエたちを見て、俺が苦笑いをしているとダニエルが話しかけてくる。


「俺たちは普段と変わらないな」


 ダニエルの意見に頷き、煌びやかな女子たちに視線を向けた。


「別にいいだろ。それとも、あそこに参加する?」

「勘弁してくれよ。それにしても、今年は雰囲気が違うよな」

「確かに」


 納得した理由は簡単だ。

 男子が少なすぎて、パーティーで声をかけられる女子が少なかった。

 中には何人の男子から声をかけられるかと、競っていた女子たちもいるようで苛々している。


「誰も声をかけてこないのかしら?」

「人数が少ないわね。参加拒否が多いの?」

「馬鹿ね。ほとんど戦死と重傷で起き上がれない男子たちよ」


 着飾った女子たちに声をかけて回る男子――そんな光景が少なく、普段と違って見える。

 ダニエルやレイモンドも、マリエに紹介された女子との婚約が決まって声をかける必要がなくなっていた。

 二人とも焦る必要がなく、パーティー会場を眺めているだけだ。

 ただ、今回のパーティーの主役はユリウス殿下とオリヴィアさんだ。

 二人の周りには大勢の人が集まり、挨拶をするだけの列が出来ている。

 今も一人の女子生徒が、ユリウス殿下と挨拶を交わしている。


「ユリウス殿下、義勇軍での活躍を是非ともお聞かせください!」


 挨拶後に話を続けようとする女子だが、ユリウス殿下は微笑んでいるだけだ。

 側にいたジルクが女子生徒をスマートに連れて行く。


「申し訳ありません。次がありますので、殿下の武勇伝はまたいずれということで」

「え、そんな!」


 そうして次の相手と挨拶を交わす。

 見ているだけで疲れそうな光景に、俺は本音をこぼす。


「パーティーも大変だな。俺はこっち側で良かったよ」


 ダニエルも同意見らしく、笑顔を見せる。


「そうだな」


 会話を切り上げた俺は、オリヴィアさんを観察する。

 随分と気合の入ったドレス姿で、微笑んで挨拶を続けていた。

 その姿は王侯貴族の風格がある。

 ――さて、彼女はどっちなのだろうか? 本物か、それとも復讐を誓うアンか?

 どちらなのか思案していると、レイモンドが近付いてきた。


「リオンはマリエさんと一緒にいた方がいいよ」

「何で?」


 マリエを見れば、親しい友人たちの面倒を見ているため忙しそうだった。


「あっちを見て」


 レイモンドに視線を誘導されると、女子たちが俺の方を見ていた。

 会話が聞こえてくる。


「何あの仮面?」

「顔の怪我が悪化したらしいわよ」

「でも、あの中ならまだマシよね?」


 俺を値踏みするような視線に気が付くと、それは何ヶ所からも向けられていた。


「――何の冗談だよ」


 レイモンドは溜息を吐く。


「リオンの仮面の方が冗談に見えるけどね。ただ、彼女たちの話をまとめると、黒騎士を倒したリオンは出世頭だからね。男子も少なくなったし、結婚相手に見られているんじゃない?」

「この仮面は俺が用意したんじゃないぞ。ジルクが持ってきたんだ」


 仮面の騎士の仮面は、周囲の反応を見るに不評のようだ。

 俺が選んだ仮面ではないが、センスが疑われているようで腹立たしい。


「興味を持つべきは、結婚相手に見られているって話なんだけど?」

「俺はマリエと婚約したから結婚できないぞ」

「そんなの、彼女たちに関係ないよ。マリエさん、実家は取り潰されているからね。理由を付けてすり寄ってくるんじゃない?」

「男なんて他にも――いや、そうか」


 言いかけて気付いたのは、俺たちの世代は死にすぎてしまったという事実だ。

 学生だけではない。

 それに、戦争はまだ終わっていない。

 今後も男は減るだろう。

 それを感じ取った女子たちが、この場にいる男子で妥協しようと考えているようだ。

 来年には男子たちも大勢入学してくるが、三年生には最後のチャンスだ。そして、来年も女子が沢山入学してくる。

 競争率が高い状況は変わらない。


「嫌な理由でモテ期が来たな」

「本当に困るよね。僕ですら、何度かお誘いが来たよ」

「え? 俺はそんな話、聞いてないぞ」

「言わなかったからね」


 俺とマリエが学園に寄り付かない間に、ダニエルやレイモンドたちは女子から声をかけられていたようだ。

 羨ましくて仕方ないが、話を聞くと困惑してしまう。


「――お茶会に招待されてもいいわよ、だってさ。僕は婚約者がいるからって言ったら『わたくしの誘いを断るの!』って」

「お、おう」


 それは誘いじゃないとツッコミを入れるべきか?


 オリヴィアは挨拶に来る生徒たちと笑顔で会話をしていた。

 今の相手は子爵家の跡取りだ。


「聖女様にこうしてお目にかかれて光栄の極みですよ。義勇軍では何度も命を救っていただきました。感謝しております。この命、殿下と聖女様のために使わせていただきたい!」


 ペラペラと喋る男を前に、オリヴィアは笑顔で応対する。


「これからもユリウス殿下を支えてくださいね」


(逃げ回っていた男が、この場では英雄気取りか。お前のような使えない男こそ、ユリウスの側に置いてやろう。――さて、そろそろバルトファルトに会いたいが)

 話し相手から視線をそらすことも出来ず、合間にリオンを見る。

 仮面をつけた男子生徒なので目立っていたが、距離もあって雰囲気が掴めなかった。

(あの仮面は、あの時の? だが、あいつがバルトファルトとは思いたくないな。そもそも、仮面の騎士は学生ではないはずだが)

 オリヴィアがユリウスに話しかける。


「ユリウス、そろそろバルトファルトさんと――」

「悪いな、オリヴィア。次の相手が先だ。時間は後でたっぷり用意しているよ」


 ユリウスが次の相手と挨拶を交わせば、オリヴィアも続くしかない。

(段取りが悪いな。いや、意図的か?)

 ユリウスたちの雰囲気がおかしいと気付くと、ブラッドの声が聞こえてきた。

 どうやら、割り込んできた相手と揉めているようだ。


「ちょっと待ちなよ!」


 女子に振り切られるブラッドを見て、クリスが舌打ちをする。


「あいつは何をやっているんだ」


 割り込みを許したブラッドに対する怒りもあるが、割り込んできた相手にも苛立っているようだ。

 オリヴィアはユリウスに近付くと、少し怯えた様子を見せた。

 ただ、内心では笑いが止まらない。

(よく来てくれたよ――アンジェリカ)



「退け!」


 赤いドレスに身を包み現れたアンジェリカは、他の生徒たちを押しのけてオリヴィアとユリウスの前に出た。

 ユリウスの胸に飛び込み、怯える様子を見せるオリヴィアを前に頭に血が上る。


「何が聖女だ。国を滅ぼす魔女が!」


 アンジェリカのよく通る声が、パーティー会場に響き渡った。

 ホルファート王国で重要な存在である聖女に向かって、言い放ってよい言葉ではない。

 それを聞いて周囲がざわつくが、無視してアンジェリカは告げる。


「フランプトン侯爵と手を組み、いったい何を考えている?」


 オリヴィアに手を伸ばすアンジェリカだったが、その手はユリウスに払われる。


「アンジェリカ、オリヴィアに魔女だと? 今すぐに取り消せ! いくら公爵家の人間だろうと、許されると思うなよ」


 激怒するユリウスを見て、アンジェリカは涙がこぼれる。

 怒りを隠さないのはユリウスだけではない。

 ジルクたちもオリヴィアを守るため、アンジェリカの前に立ちはだかった。


「殿下、取り消しは不要ですよ。ただし、アンジェリカさんには責任を取ってもらいましょう」


 クリスもその意見に賛成する。


「それがいいな。今更取り消しなど、こちらが納得できない」


 アンジェリカに振り払われたブラッドも許せないようだ。

 乱れた服装を整えつつ厳しい視線を向けてくる。


「公爵家だろうと、許されないことがあるって知らないのかな? 君の行動は、品を欠いているよ」


 最後にグレッグが、今にもアンジェリカに手を出しそうな雰囲気を見せていた。


「お前が男だったら、いますぐに殴り飛ばしていたところだ。――消えろ。オリヴィアの前に二度とその面を見せるな」


 五人に守られたオリヴィアが、アンジェリカに見えるようにわざとらしく口元に笑みを浮かべた。

 そして、すぐに怯えた表情に戻すと、健気にも公爵令嬢に立ち向かう女子生徒を演じてみせる。


「あ、あの。いくら公爵令嬢でも、許されないことはあると思います。もう、こんなことは止めてください」


 まるでずっとアンジェリカに苦しめられたような物言いだ。

 腸が煮えくりかえる思いのアンジェリカは、歯を食いしばって一度落ち着く。


「揃いも揃って籠絡されたか。――殿下、目を覚ましてください。その女は、殿下が思うようなか弱い女ではありません。国を滅ぼす危険な存在です。よく考えてください。その女と出会い、殿下は多くを失いました。いえ、ホルファート王国は損失ばかりです。殿下を支えるべき派閥は消え去り、義勇兵として戦場に出た多くの学生を失いました。この会場を見てください。何も思わないのですか!?」


 アンジェリカの必死の訴えも、ユリウスには届かなかった。


「俺の派閥? レッドグレイブ家の派閥だろう? それに、失ってなどいない。死んでいった俺の戦友たちは、今もここにいる。この俺の心の中で、これからもずっと一緒に戦ってくれる!」


 ユリウスが自分の胸に拳を当てて、戦死した戦友たちは自分と一緒だと言う。

 その言葉に会場は盛り上がった。


「ユリウス殿下万歳!」

「そうよ。彼らの魂は私たちと一緒よ!」

「血を流すことを恐れるなんて、アンジェリカは貴族としての意地がないわ」


 アンジェリカは、騒がしい女子生徒たちを睨み付ける。

 睨まれた女子たちは、すぐに視線をそらして逃げていく。

(意地だと? 意地があるから、私はこうして忠言している。殿下に目を覚まして欲しいから、私は一人でここにいる)

 アンジェリカはユリウスの目を見る。

 その瞳は以前のように透き通っていなかった。


「殿下――国を守るために戦うなと言いません。ただ、無駄に命を散らせて何になりますか?」


 本来なら学生が戦場に出るべきではなかった。

 ただ、アンジェリカの言葉がユリウスの逆鱗に触れてしまう。


「無駄? 無駄だと!? 俺の戦友たちを愚弄するのか!?」

「違います。まだ、戦うべき時ではなかったと――」


 言い争う二人の間に割り込む人物がいた。

 ――オリヴィアだ。

 オリヴィアはアンジェリカに近付くと、右手を両手で握る。


「アンジェリカさん」

「な、何をする! は、放せ!?」


 敵であるオリヴィアの行動に狼狽するアンジェリカは、戸惑ってしまっていた。

 振り解こうとするが、オリヴィアの力が強い。

(な、何て強い力だ)

 先程のブラッドよりも強い力に驚いていると、オリヴィアが優しい口調で言う。


「もう止めましょう。仲直りをしませんか?」

「――は?」


 いったい自分は何を言われたのか? アンジェリカの理解が追いつかないでいると、オリヴィアが話を続ける。


「アンジェリカさんが怒るのも無理ないと思うんです。でも、私はユリウスやみんなが好きです。譲ることは出来ません。でも、仲直りは出来ると思うんです!」


 その声は大声でもないのに、パーティー会場によく響いた。

 アンジェもすぐに拒否しようとするが、オリヴィアの言葉を遮ることを許さない。

 オリヴィアの言葉を聞いて、何故か周囲は納得した様子を見せる。


「あんな無礼を許すなんて、聖女様はお優しいわ」

「どこかの公爵令嬢も見習えばいいのにね」

「自分から仲直りを言い出すなんて、あまり出来ることではないわね」


 アンジェリカは理解できなかった。

(こいつは何を言っている? 私から殿下を奪っておいて、返さないけど仲直りしましょう? それが本気で許されると思っているのか? それに――どうして周りは納得する?)

 到底納得できる内容ではないのに、周囲は「聖女様優しい!」と言っている。

 間違っているのは自分ではないはずだ。――そのはずだ。

 だが、周囲がおかしくなっているとアンジェリカは気が付いた。

 アンジェリカは、忍ばせていた白い手袋を左手に持った。

 周囲がアンジェリカの行動に唖然としている中で、オリヴィアだけは不気味に笑っていた。

 それを見ているのはアンジェリカだけだった。

 アンジェリカは白い手袋をオリヴィアに投げる。

 白い手袋がオリヴィアに当たり、そして床に落ちる音が聞こえた。


「――拾え、魔女」


(この女だけは、私の命に代えても引きずり下ろす。せめて、それが――殿下に出来る最後の――)

 ユリウスのための行動だったが、それを理解する者はこの場にはいなかった。

 オリヴィアが両手を放すと、フラフラと後ずさる。


「どうしてですか。そんなに私が憎いんですか? 私は――アンジェリカさんとも仲良くしたかっただけなのに」


 白々しい台詞を聞いて、アンジェリカはポツリとこぼす。


「――この化物が」



 騒がしくなった会場内。

 現場から離れた場所にいる俺たちは、何が起こっているのか見えなかった。

 聞こえてくるのは野次馬たちの声と、時折聞こえる叫び声だ。


「聖女様に対してなんて無礼なの!」

「その痴れ者をすぐに斬り捨てなさい!」

「いえ、捕らえて! この場で殺す程度で許すなんて、生易しすぎるわ!」


 野次馬たちがアンジェリカさんに向けている罵声を聞きながら、俺はいつの間にか隣に来て俺の制服を握り締めているマリエを見る。


「もしかして、決闘イベントか?」


 マリエは会場の殺伐とした雰囲気を察して、少し怯えた様子を見せている。


「た、多分ね。でも、みんな怖くない? 殺せとか、捕らえて辱めろとかさ。何だか、雰囲気もおかしいわよ」


 前世の学校ならまず聞かない台詞のオンパレードだ。

 乙女ゲーに似合わない過激な台詞ばかりで、俺も頭が痛くなってくる。

 そして、最後にユリウス殿下の声が響いた。


「お望み通り決闘を受けてやる! だが、アンジェリカ――俺たち五人が相手になる。当日までに代理人を用意しておけ!」


 ユリウス殿下の激怒した声の後に、攻略対象の男子たちに囲まれたオリヴィアさんが会場を出て行く。

 その際に、俺の方を見た気がした。

 ただ、会場に残った生徒たちは、取り残されたアンジェリカさんを囲んで罵声を浴びせ続けている。

 中には――料理を投げている奴らもいた。

 そんな光景にダニエルが焦る。


「な、何であそこまでするんだよ。相手は公爵令嬢だぞ!?」


 動揺したレイモンドが、俺に尋ねてくる。


「ど、どどど、どうするのさ、リオン!?」


 この場から逃げたいが、放置も出来ないので俺たちが回収することにした。


「全員であの中に飛び込んで、アンジェリカさんを助けるぞ」


 ダニエルが視線を泳がせる。


「いいのか? 殿下に喧嘩を売ったんだぞ? 俺たちも敵対したように見えないか?」


 そんなダニエルをマリエが蹴り飛ばした。


「男がウダウダ言ってないで、さっさと回収に行くのよ! 私に続け、野郎共!」


 マリエが駆け出すと、俺は慌てて追いかける。


「何でお前が一番に突撃するんだよ! 戻れ! いや、お願いだから戻って!?」


 そんな俺たちを追いかけるように、同じグループの仲間たち数十人が輪の中に飛び込んでいく。



 助けたアンジェリカさんを匿うのは、パルトナーの船室だった。

 今の学園であれだけの行動をしてしまうと、学生寮に隠れるというのは危険すぎる。

 学園内のほとんどを敵に回したアンジェリカさんは、汚れたドレス姿で俯いて椅子に座っている。

 以前見かけた時のような気の強さはそこになく、ただ呆然としていた。

 目の焦点も定まってはいなかった。

 俺もマリエも、アンジェリカさんを助けるためにボロボロだった。

 服は一部が破けて、料理を投げ付けられ染みを作っている。

 とりあえずパルトナーに避難してきたばかりで、これからの事を考える必要があった。

 アンジェリカさんがポツポツと呟く。


「殿下、あの女は化物です。それをどうして理解していただけないのですか? 私は――殿下のために――国のためにと――」


 精神的に追い詰められているアンジェリカさんを見て、マリエが俺に部屋から出るように言う。


「とりあえず、着替えるから部屋から出てよ。みんなにも色々と説明してよ」


 あの場から逃げる際に、同じグループの仲間も連れてきている。

 今はパルトナーの船室で休んでもらっていた。


「分かったよ」


 素直に外に出て廊下を歩くと、急に後ろから声をかけられた。


『リオン』

「ひゃいっ!?」


 誰もいない廊下で声をかけてきたのは、アンだった。


「び、びっくりさせるなよ! 怖かっただろうが」


 心臓がバクバクと音を立てている。


『――そんなところもリーアにソックリだな』

「え?」

『モンスターは恐れないのに、幽霊や妖怪の話は苦手だった』

「ち、違うし! 俺は怖がってないし!」

『否定するところまで似ていると、お前は生まれ変わりではないかと思えてくるな』


 黒い影が愉快そうに揺らめくが、俺としてはあり得ない話なので否定しておく。


「残念だったな。俺は前世の記憶を持っているが、リーアではなかったぞ」

『それは残念だ。――声をかけたのは話があるからだ』

「話?」

『あのアンジェリカという娘だが、私とよく似ている』

「意外だな」


 てっきり、似ているのはオリヴィアさんだと思っていた。

 アンジェリカさんよりも、オリヴィアさんの方が何故か聖女! という感じだ。

 まぁ、俺の勝手な思い込みだが。


『私の話をちゃんと聞け』

「いや、聞いているよ。アンと似ているんだろ?」

『そうだ。ついでに言えば、私と同じように取り返しのつかない事をしでかす可能性がある』

「いや、それはないだろ。ないよね?」

『あの娘は、昔の私とよく似ている。気質も近い。放置するのは危険だぞ』


 怨念となってまで国を滅ぼそうとしたアンが、自分とよく似ているとまで言っている。

 アンジェリカさんも、同等の何かをするという事だろうか?

 あの乙女ゲーでは、普通に退場しただけだと思うのだが?

 アンは俺に尋ねてきた。


『それで、これからどうする? あの娘がオリヴィアに決闘を挑んだのだろう? 取り巻きの男共は、奇しくもリーアを裏切った屑共の末裔だ。私としては、お前に期待しているのだが?』

「何を?」

『リーアならば、きっと奴らを叩き潰していた』

「俺はそんなに過激じゃない。それに、決闘に参加するとは――いや、待てよ」


 自分のご先祖様が想像以上に血の気が多かったと知り、俺とは別人であると再認識をした時だ。

 俺はもっと知的でスマートな解決策を思い付いた。

 血の気の多いご先祖様とは違う、というのをアンに見せてやろう。


「この決闘をうまく利用して、ユリウス殿下たちの信用を得る。ついでに、オリヴィアさんとも面会しようと思うんだよ」

『――何をするつもりだ?』


 アンが影の中に光る目を細め、俺の作戦を尋ねてくるが――何故か疑っているような、そんな雰囲気を出していた。


「アンジェリカさんの決闘の代理人に立候補する」

『それで終わりではないのだろう?』

「当然だ。未来の王様と王妃様に喧嘩は売りたくない。だけど、黒騎士を倒した俺の知名度は、あっちにも魅力的だと思わないか? 黒騎士を倒して俺を倒せば、ユリウス殿下凄い! ってなるわけだ」


 決闘の代理人として立候補するが、最初から負けるつもりであると教えた。

 アンはどうにも不満そうにしている。


『アロガンツだったか? お前の鎧ならば、あの五人を倒すのは容易なはずだ』

「お遊びの決闘に勝って何の意味がある? 俺は最終的に自分が満足する結果を得るのが勝利だと考えている」


 目の前の勝利にはこだわらないと胸を張って言えば、アンは――。


『本当にお前はリーアに似ているよ』


 ――そんなことを言い出した。

 嘘だろ? 俺のご先祖様も小さな勝利にはこだわらないタイプだったの?



 作戦が決まれば即行動だ。

 一人学園に戻った俺は、ユリウス殿下を訪ねる。

 学園内に用意された一軒家にやってくると、ギスギスした雰囲気のユリウス殿下たちに囲まれる。

 応接室で俺は、武器を持った剣呑な雰囲気の五人を前に話をした。

 すると、ユリウス殿下が俺の話に興味を持つ。


「お前がアンジェリカの代理人として参加し、俺に負けるというのか?」

「はい」


 共同撃墜とは言え、黒騎士を倒した俺を倒すのはユリウス殿下には魅力的な話だ。

 ただ、ジルクは俺を睨んでいる。


「アンジェリカさんに味方をする意図をお聞かせください。何故、そのような不利な立場に自ら志願するのですか?」


 こいつらからすれば、俺が武名を落とすのも、アンジェリカさんに協力するのも信じられないようだ。

 俺もそう思う。

 ゲーム的な理由があるから、こうして暗躍めいたことをしている。

 それを言っても信じてはくれないだろうから、言い訳をする。


「不相応な武名を持つと色々と大変ですからね。醜男と言われて女性に嫌われるから、変な仮面までする結果になりました。目立たない方が俺としては幸せですからね」


 ジルクにそう言ってやると、嫌みだと感じたのか視線をそらした。

 俺は小さく溜息を吐いて続ける。


「それから、あまり話をややこしくしたくない、というのが俺の本音です。戦争中なのに、レッドグレイブ公爵家と揉めるのも面倒でしょう?」


 俺は政治的な話は苦手だが、戦争中に余計な揉め事は困るはずだ。

 ただ、話を聞いていたブラッドが俺を鼻で笑う。


「君は政治に疎いようだね。今のレッドグレイブ家にとってアンジェリカは大きな弱点だよ。反抗する力もないはずだ。むしろ、今回の件で戦後に大きく力を削ぐ理由になるし、僕たちは歓迎している」


 どうやら間違えてしまったようだ。

 だが、俺はこの話をこの五人が受けると確信していた。

 グレッグとクリスに視線を向ければ、ブラッドの話に理解を示しながらも俺を見ている。

 いや、俺を倒した功績を、かな?

 二人にしてみれば、強い騎士を倒したという大きな武名を得るチャンスだ。

 ユリウス殿下も同じなのか、口元が緩んでいた。


「レッドブレイブ公爵家を許してやれと言いたいのか?」

「学園内の話ですから、学園内で終わらせてくれたら嬉しいですね。それ以上は望みませんし、俺は公爵家の派閥でもない。ただの田舎貴族ですよ」


 田舎貴族としてみれば、国が余計な争いをされても困る。


「俺のような立場ですと、王宮の権力争いって無縁でしてね。俺たちに関係なければ、どうぞご自由にと思うわけです」


 五人は俺の行動を怪しむが、出された餌に食いついた。


「――いいだろう。決闘方法は五対一となる。お前が勝ち進み、最後に俺に敗れてくれるならこの話は学園内で終わらせてやる」

「殿下、この条件を受け入れるのですか!?」


 ユリウス殿下が俺の話を受け入れると、ジルクが慌てて止めに入る。

 ただ――ユリウス殿下は、俺が思う以上に恋に盲目になっていた。


「バルトファルトに勝てば、オリヴィアが俺に惚れ直すだろう? それに比べれば、アンジェリカの件は些事に過ぎないさ」


 ジルクはそれを聞いて小さく微笑む。


「――殿下が出る前に倒してしまうかもしれませんよ」

「ジルク?」


 ジルクはユリウス殿下が出る前に、俺を倒して武名を得て――オリヴィアさんに自分の価値を示したいそうだ。

 それは他の男たちも同じだった。


「お前らが出るまでもないな! 俺がバルトファルトを倒してやるぜ!」


 グレッグが手の平に拳を当ててそう言えば、クリスが冷ややかな目を向ける。


「お前の出番などない。バルトファルトは私が倒すからな」


 少し遅れて、ブラッドもこの話題に入った。


「ぼ、僕だって負けないさ! なら、誰が一番にバルトファルトと戦うか決めようじゃないか。ただし、殿下は大将だから最後だよ」


 そう言われてユリウス殿下が慌てて立ち上がった。


「卑怯だぞ、お前たち!」


 五人は俺を忘れて盛り上がりはじめたので、最後に条件を出した。


「あの~、それで無事に決闘が終わったらお願いがあるのですが?」

「何だ?」


 ユリウス殿下が煩わしそうに俺を見ているが、これだけは譲れない。


「事が終わったら、聖女様に面会させてください」

「オリヴィアと面会させろだと? どういう意味だ?」

「ただの土産話ですよ。聖女様と話した事がある、なんて一生ものの自慢話でしょう?」


 他意はないと言うと、五人が顔を見合わせて――しばらくして答えが出たようだ。


「いいだろう。だが、オリヴィアに変なことをするなよ」

「勿論ですよ」


 肩をすくめた俺は、この場を去る。

 ――アンジェリカさんの意気消沈した姿を見た後で、この五人を見ると少しだけ思うところもあった。

 部屋を出て、そして家を出て、一人になった時に呟く。


「さて、頑張って手加減しますか」



 決闘当日。

 マリエは観客席から闘技場を見下ろしていた。


「あの馬鹿リオン。勝手に一人で話を進めるんじゃないわよ」


 マリエが知った時には、ユリウスたち五人との決闘が決まっていた。

 そして、マリエにはこの決闘が八百長であると教えられている。

 マリエの隣には、目の下に隈を作ったアンジェリカの姿がある。

 闘技場を見下ろし、血走っためでリオンを見ていた。


「黒騎士を倒したバルトファルトならば、必ず勝てる。そうだ、勝てば全て元通りだ。あの化物から殿下を引き離してやれる」


 鬼気迫るアンジェリカの様子に、マリエは若干怯えていた。

(これ、リオンが最初から負けるつもりだって教えるのはまずいわよね。ちゃんと手は打ったけど、間に合うかしら?)

 アンジェリカには、リオンが決闘の代理人になるとしか告げていなかった。

 闘技場には紫色の鎧が登場し、観客たちが盛り上がっている。


「ブラッド様の鎧よ!」

「何て素晴らしいのかしら!」

「それに比べて、バルトファルトの鎧は仮面と同じでセンスがないわ」


 ブラッドの鎧はとんがり頭が特徴的な細身の鎧だ。

 対して、そもそも系統が違うアロガンツは大きすぎて不細工に見えていた。

 ただ、マリエはアロガンツの面倒を見ていたこともあり、女子たちの会話を聞いて激怒する。


「私の可愛いアロガンツに文句を言ったのは誰よ! 出てこいこらぁ!」


 立ち上がったマリエを取り押さえるのは、周囲にいた仲の良い女子たちだ。


「マリエちゃん落ち着いて!」


 そんな周囲の争いに目もくれないのは、アンジェリカだった。

 リオンの乗るアロガンツを見る目が怪しかった。


「オリヴィア――必ずお前の化けの皮を剥いでやるからな」



 決闘当日。

 何故か俺は――仮面をつけて参加させられた。

 開始前でアロガンツに乗り込む前で、仮面をつけた恰好を晒している。


『聖女オリヴィア様に決闘を申し込んだアンジェリカ! その代理人に名乗りを上げたのは、公国の黒騎士を倒した”仮面の騎士”リオン・フォウ・バルトファルトだぁぁぁ!!』


 司会が盛り上げようとすると、それに反応して観客たちがブーイングを行う。

 アンジェリカさんに味方をした俺は、この場では悪役だろうな。


「それよりも、仮面の騎士って何だよ? 何で俺が仮面の騎士なんだよ」


 俺の愚痴など誰も聞いていなかったが、側に立っていたアロガンツが答える。


『マスターは仮面の騎士。アロガンツ覚えた』

「覚えなくていいし、俺は仮面の騎士じゃない」


 そういえば、あの乙女ゲーでも仮面の騎士の素性は最後まで不明だった。

 本物はどこにいるのだろうか?

 すると、数十メートル離れた場所に立つブラッドの紹介がはじまった。


『対する我らの代理人は、ブラッド・フォウ・フィールド! フィールド辺境伯の嫡男にして、学園一の魔法使い! そして、聖女様の守護の一人!』


 ブラッドの紹介は熱がこもり、我らの――などという言葉がついている。

 どうやら司会も敵のようだ。

 ブラッドは手を振って、歓声を上げる観客たちに応えていた。


「ありがとう。僕の活躍をしっかり見ていてくれたまえ」


 そんなブラッドが視線を俺に向けてくると、手に持った赤い薔薇を俺に向けてくる。


「仮面もそうだが、二つ名もセンスがない。容姿もセンスも、僕の勝利だね」

「仮面を渡してきたのも、二つ名を用意したのもお前らだよ。悲しくなるから、センスがないとか自分から言うなよ」

「ち、違うぞ! 用意したのは僕じゃない。ジルクだ!」

『それでは、両者鎧に搭乗してください! これより、神聖な決闘を始めます!』


 言い合いを司会に止められ、俺たちは鎧に乗り込む。

 アロガンツのコックピットには入れば、シートに体が吸い付くように固定された。

 操縦桿を握ると、アロガンツが話しかけてくる。


『マスター、八百長する。アロガンツ、うまく負ける』


 アロガンツもわざと負けるつもりらしいが、ブラッド相手に負けるのはちょっと問題だ。


「今回は勝つぞ。手加減しろよ」

『アロガンツ、手加減頑張る』

「さて、どこまで勝ち進むかな」


 負けるにしても負け方というものがある。

 あっさり負けては、それはそれで問題だ。

 俺が弱いと言われるだけならまだしも、露骨な負け方は八百長を疑われる。

 いや、八百長しているんだけどね。

 疑われない程度に”良い試合を演じる”必要がある。

 両者準備が整うと、アロガンツはバックパックから武器を射出。

 真上に打ち上げた武器が降りてくるのを、右手で掴んだ。

 その武器は戦斧だ。

 コウモリが翼を広げたような禍々しい戦斧は、いかにも悪役という武器の見た目をしていた。

 周囲からブラッドへは声援が送られ、俺には罵声が送られる。


『ブラッド様、そんな奴はさっさと倒しちゃって!』

『裏切り者の仮面の騎士なんて、殺しちまえ!』


 殺しちまえ、とは酷いことを言う奴もいるものだ。

 ――後で小さな仕返しをしてやる。必ずな!


『それでは始め!』


 司会が開始を告げると、ブラッドの鎧は背負ったスピア――突きに特化した円錐状の槍を持って向かってくる。

 後ろに下がりつつ、戦斧でその一撃を弾いた。


『まだまだぁぁぁ!』


 ノリノリのブラッドが突きを繰り出してくるので、それを避けるか弾いて回避する。


「思っていたよりも動けるな」


 あの乙女ゲーでは、接近戦が弱いブラッドには苦労させられた。

 何しろ、敵に近付かれるとおしまいだ。

 遠距離で戦わせるために、色々と作戦を練ったのが懐かしい。

 操縦桿を動かし、ペダルを踏み込みアロガンツを前に進ませる。

 戦斧を大きく振らせると、ブラッドの持っていたスピアを弾いた。

 ブラッドが後ろへと下がり、俺に向かって指をさしてくる。


『やるじゃないか。だが、遊びはここまでだ!』


 そう言うと、ブラッドの鎧が背負っていたスピアが宙に浮かんで先端をアロガンツに向けてきた。

 スピアは単体で宙に浮かび、そしてミサイルのように飛んでくる。

 アロガンツが地面を滑るように飛べば、スピアが追尾してきた。

 アロガンツは驚いているようだ。


『追尾機能。アロガンツ、ビックリした』

「凄いよな。さて、苦戦しているように見せるぞ」


 外に俺たちの会話が漏れないように、マイクを切っているため好き勝手の発言だ。

 追尾してきたスピアの一本を避け、もう一本は戦斧を振り下ろして地面に叩き付け破壊する。

 すると、三本目は肩をかすめるも、避けたはずのスピアが方向転換をして背中のバックパックに当たった。

 一度そうなると、スピアがアロガンツの周囲を飛び回って攻撃を何度も当ててくる。

 ブラッドは勝利を確信したのか、気分良く語りはじめる。


『もっと楽しく踊ってくれよ。僕が魔法で操作した槍を避けないと、そのまま削られていくだけだよ』


 アロガンツの装甲が傷だらけになる中で、俺は落ち着いて人差し指を動かしていた。

 トントン、と操縦桿を何度も叩く。


「攻撃回数は百を超えたか? もういいかな?」

『百二十回!』


 正確にカウントしていたアロガンツが、文句でも言うように訂正してきた。


「悪かったよ。ま、最初はこんなもんだろ」


 ペダルを踏み込みブラッドの鎧へと突撃すると、アロガンツが戦斧を振り下ろした。

 強引な動きで無理矢理接近したことで、ブラッドの鎧は尻餅をつくように倒れ込む。

 そんなブラッドの鎧に振り下ろした刃は、数センチ手前で止めてやった。

 マイクをオンにする。


「お見事でした。あのままでは、俺も危うかった」


 ブラッドは悔しそうに呟くが――。


『ま、まだだ。まだ終わっていない!』

『いや、そこまでだ。もう下がれ、ブラッド』

『殿下!?』


 ――ユリウス殿下に止められ、ブラッドは敗北を認めた。



「よっしゃぁぁぁ!! 見たか、これがアロガンツの力よ! 違った。リオンの力よ」


 アロガンツが勝利すると、それをマリエが一番喜んでいた。

 拳を天高く振り上げている。

 観客席の雰囲気は、そんなマリエに冷ややかな視線を向けつつも先程の決闘を称賛していた。


「もう少しで勝てたのにね」

「ブラッド様は接近戦が弱いのよね」

「でも、次で終わりじゃない? バルトファルトの鎧もボロボロだしさ」


 それを聞いてマリエは、腕を組んで乱暴に席に着いた。

(手加減したって気付きなさいよ。まぁ、気付かれたら駄目なんだけどさ)



 ボロボロになったアロガンツを観客席から見下ろすユリウスは、少し安堵していた。

(ここで負けてもらっては困るぞ)

 一見すれば、無傷であるブラッドの鎧の方が勝っているように見える。

 ただ、ユリウスからすれば、このまま勝負が決まってしまっては困る。

 次の相手であるグレッグが、意気揚々と自分の鎧に乗り込んでいた。


「次で仕留めてやるぜ! オリヴィア、俺の活躍を見ていてくれよ」


 親指を立ててサムズアップしたグレッグに、オリヴィアは手を組んで祈るような仕草で見送っている。


「グレッグの勝利を祈っておくわ」

「おう!」


 使い込まれた量産機の鎧に乗り込むグレッグは、勝利を確信したような態度だった。

 それを見るユリウスたちの表情は、苦々しいものだ。

 ユリウスたちは、仲間であると同時にライバルだ。

 オリヴィアの一番になるために、ライバルと差をつけるために競い合っている。

 腕を組むユリウスは、会場に現れたグレッグと向かい合うアロガンツを見下ろす。


「せめて俺まで勝ち進めよ」


 オリヴィアにもっと好かれるために、ユリウスは他の四人が負けてもいいと考えていた。



『数々のダンジョンに挑み、義勇軍では先陣を切る勇者! その名はグレッグ・フォウ・セバーグ! 我らが聖女様の先駆けだぁぁぁ!!』


 歓声が会場を包み、鎧に乗ったグレッグが槍をアロガンツに向けてくる。


『バルトファルト、お前がブラッドの軟弱野郎に負けなくて安心したぜ。お前を倒すのはこの俺だからな!』


 コックピットの中で、俺はグレッグにどのように勝つかを考えていた。


「こちらも負けるつもりはありませんよ」

『そうこないとな!』


 司会が開始を告げ、その瞬間にグレッグが突撃してきた。

 槍を使って連続で攻撃を仕掛けてくるのだが、その動きはブラッドより数段上だ。

 戦斧を盾のように扱って、グレッグの猛攻を凌ぐ。


「あ~、盾を用意すれば良かったな。あ、でもこれなら苦戦しているように見えるか?」


 マイクをオフにしてコックピット内で軽口を叩けば、アロガンツは真面目に返答してくる。


『パルトナーで盾を製作する? 製作可能』

「別にいいって。本気を出すなら、こいつらに盾は必要ないし」


 防御に専念していると、どうやらグレッグは気分良く戦えているようだ。

 十回に一回くらいの割合で攻撃を行うが、その際には避けられるように計算している。

 周囲から見れば、グレッグが押しているように見えるだろう。


「よし、アロガンツ。偽パーツをパージだ」

『パージ!』


 グレッグの突きだした槍を肩に当たり、パーツが吹き飛ぶように演出。

 元から用意していたダメージを演出するパーツが地面に落ちると、観客席からは歓声が上がった。

 グレッグは一度後ろに飛び退いてから、槍を振り回してポーズを決める。


『このまま削り続けてやるぜ!』


 俺はコックピット内で拍手を送る。


「気分が良いようで何よりだ。なら、もういいよね」


 再びグレッグの猛攻が始まるが、それを何とか凌いでいる風を装って戦いを続ける。

 そして、グレッグが疲れを見せたところで――カウンター気味にまぐれ当たりを演出してやった。

 刃ではなく腹の部分で引っぱたくと、グレッグが倒れ込む。

 そこを押さえ込み、不格好な勝利を演出した。

 マイクをオンにしてわざとらしく話をする。


「いや~、強かったよ。勝てたのは俺の鎧がタフだったからかな? そうでなければ、そっちの勝ちだったね。まぁ、もう少しマシな鎧に乗っていたら、俺が負けていたかもしれないね」


 道具が良ければ勝っていた。

 そう言われたグレッグは、悔しさが滲み出たような声を絞り出す。


『く、くそが!』


 たとえ最新式の鎧を揃えようとも、お前が俺に勝つ見込みは限りなく低いけどな。

 道具にこだわらなかった自分を少しは反省しろ。

 勝敗が決まり、グレッグが去って行くと次に現れたのはクリスの乗る青い鎧だった。

 背中には種類の違う剣をいくつも所持しているが、右手には大剣を握っている。

 下がっていくグレッグに、冷たい言葉を投げかける。


『無様だな』

『てめぇ!』


 荒らし始める二人を宥めるのは、観客席にいたオリヴィアさんだ。


『二人とも止めて! グレッグ、無事で良かったわ。クリスも、頑張って。それと、グレッグをいじめないで。ね?』


 そう言われて二人が渋々と引き下がり、クリスが俺の前にやってくる。

 司会がクリスの紹介をはじめるが、やはり熱がこもっていた。


『続いての代理人はクリス・フィア・アークライトォォォ!! 剣聖の後継者にして、若き剣豪の実力は義勇軍の活躍でご存知の通り! あのグレッグと並び、多大なる戦果を出した猛者の登場だぁ!!』


 クリスが大剣に切っ先を俺に向けた。


『参る』



 観客席は大盛り上がりだった。


「あ~あ、グレッグ様がまぐれで負けるとは思わなかったわ」

「あれは運が悪いわよね」

「でも、バルトファルトも次で終わりよね。もうボロボロじゃない」


 グレッグが追い込むも、まぐれ当たりで敗北。

 そう思われたこともあって、まだ観客たちはユリウスたちの勝利を疑っていなかった。

 マリエはそれを聞きながら苛々する。

(どうせ最後は王子様たちが勝つわよ。そうなっているわよ。けどさ――リオンもアロガンツも、本当はもっと強いんだから)

 自ら負けても良いと考えているリオンの気持ちも理解できるが、マリエは納得できなかった。

 同じグループの仲間たち、ダニエルとレイモンドは、リオンをよくやったと褒めている。


「ここまで勝ち残っただけでも十分だろ」

「善戦したよね。これなら、面目も立つよ」


 剣豪のクリスに負けても言い訳が出来る。

 ただ、その言葉に一人の女子が立ち上がった。


「負けてもいいだと? ふざけるな! これは国の未来を賭けた決闘だ! 負けるなど許されない。勝って――勝って、殿下とあの魔女を引き離さなければ、私は――私は!」


 ただならない雰囲気のアンジェリカを見て、ダニエルとレイモンドが顔を背けた。

 マリエが慌ててアンジェリカを座らせる。


「す、座って。ほら、次の試合が始まるわ」

「これは決闘だ! 試合ではない!」

「そ、そうね。分かったから座って」


 興奮するアンジェリカを何とか座らせると、マリエは疲れてしまった。

 そんな中、クリスの振り下ろした一撃がアロガンツの腕を斬り飛ばす。

 観衆は割れんばかりの歓声を上げた。



『左腕損失』


 アロガンツのコックピットの中で、冷や汗をかきながら口笛を吹いた。


「剣豪様は流石だな。戦争を経験して強くなったか?」


 思っていたよりもクリスが強かった。

 いや、全員が思っていたよりも強かった。

 義勇軍として戦争に参加し、実力が上がっているようだ。

 大剣を構えたクリスの青い鎧は、そのまま次の斬撃を放ってくる。


『もらった!』


 コックピットを狙った一撃に、お前は俺を殺す気かと問いたかった。


「左腕はくれたんだ。お前はここで終わって良いよね」


 本来ならもっと後で失う予定だったので、このあたりで切り上げて良いだろうとアロガンツを踏み込ませた。

 戦斧を振り下ろさせると、大剣を握っていたクリスの鎧の両腕を切断する。


「これで武器は持てないよな? 終わりだ」


 マイクをオンにして告げてやれば、クリスが同様を見せる。


『い、今の一撃は? まさか、手加減をしていたのか?』


 俺が手を抜いていたことに気付こうとしていたので、偶然を装う。


「まさか。最後に一撃を加えようと踏み込んだだけだよ」

『今の攻撃が偶然だと?』

「俺も一応は黒騎士と戦って生き残った男だよ。それに、運は良い方だ」


 運が良いのか悪いのか? 本心から言わせてもらえば、悩ましいところだな。

 ただ、悪くないとは思っている。


『ジルクや殿下に手柄を譲ることになるとは』


 苦々しい声を出して下がっていくクリスの背中を見送りつつ、俺はマイクをオフにする。


「お前たちは強いよ。けど、黒騎士の爺さんの方がもっと強かったな」


 見た目満身創痍のアロガンツだが、決闘は終わらない。


『よくここまで勝ち抜いてくれました。あなたは強い。尊敬に値しますよ』


 空から格好をつけて現れたのは、ジルクの緑色の鎧だった。

 着地すると、ポーズを決めて観衆たちをわかせている。


「次はこいつか」


 マイクをオンにして、ジルクとの会話に応えてやることにした。


「もうボロボロですけどね」

『そのようですね。ですが、手加減はしませんよ』


 随分と楽しそうな声で言うが、こちらとしてはちっとも楽しくない。

 そう思っていると、ジルクは観衆には聞こえない音量で俺に話しかけてきた。


『バルトファルト君、取引をしませんか?』

「取引?」

『私としても、ただ勝つのではオリヴィアさんへのアピールになりませんからね。互いに最善を尽くした良い試合を演じたいでしょう?』


 最初からそのつもりだが、こいつは自分で俺を倒したいようだ。


「こっちは最初から負けるつもりだが?」

『いえ、私に負けてください。殿下まで回す必要はありません』

「それは――」

『お願いしますよ。私は他の皆さんと違って失点がありますからね』

「失点?」


 ジルクは己の失点を語る。

 だが、それは俺にとって納得できないものだった。


『クラリス・フィア・アトリーですよ。元婚約者なのですが、色々と問題を起こしてくれましてね。オリヴィアさんを襲撃した主犯でもあります。彼女のせいで、私はオリヴィアさんに負い目があるんです』

「――負い目?」

『本当に余計なことをしてくれましたよ。婚約破棄をしたのですから、潔く身を引けば良かったのです。私とオリヴィアさんとの関係を邪魔して――それがなければ、私は彼女と二人で愛し合えたというのに』


 憔悴しきったクラリス先輩を思い出す。

 助け出した時には、随分とやつれていた。

 それほどまでに愛していた男が、こんな奴では憐れすぎる。


「俺、お前のこと嫌いだわ」

『――別に構いませんよ。では、手加減不要で構いませんね?』


 司会がジルクの紹介をはじめる。


『何とまさかの四戦目! バルトファルトには幸運の女神がついているのか!? だが、次の代理人はジルク・フィア・マーモリア! ユリウス殿下の乳兄弟にして親友! ライフルの名手であり、戦場で狙った敵は外さない! バルトファルトはどこまで粘れるのか?』


 ジルクは開始が告げられると、空へと舞い上がった。


『無様に負けなさい』


 俺はね――変な仮面を用意したお前にだけは、絶対に負けないって決めていたんだよ。



 オリヴィアは空を見上げていた。

 ジルクの鎧が空へと舞い上がると、リオンのアロガンツがそれを追いかける。

 既に左腕を失い満身創痍のアロガンツは、見ていて痛々しかった。

 大空で戦うジルクは、アロガンツと距離を取ってライフルで攻撃を行う。

 弾丸によりアロガンツの装甲が削られ、どう見ても劣勢だった。

(茶番だな)

 オリヴィアはアロガンツの動きを見て、この決闘は最初から勝敗が決まっていたと知る。

 視線を自分の周囲に向ければ、ユリウスが熱い視線をアロガンツに送っていた。


「どうして避けない! 何としても俺とも戦え!」


 ジルクが負けて欲しいような口振りだ。

 そして、他の三人も同様だった。

 ブラッドは、まだ納得がいかないようだ。


「僕がバルトファルトに一番ダメージを与えたのにさ」


 それを聞いたグレッグが、腕を組んで否定する。


「あのまま続けていたら、お前の方が負けていただろうが。こっちはラッキーパンチで負けたようなものだぞ。納得できるかよ」


 クリスはグレッグの意見を鼻で笑う。


「バルトファルトに一番ダメージを与えたのは私だ。お前たちは装甲を削っただけだが、私は左腕を奪ったぞ」


 誰が一番活躍したかを話し合っているようだが、オリヴィアは顔を背ける。

(手加減されていることに気付かないとは、本当に無様だな。しかし、リオンにもガッカリだ。リーアの血を引いていれば、もう少し楽しませてくれると思ったが――ただ、苗字が同じだけだったか)

 愛しのリーアの血を引く者ならば、もう少し気概を見せて欲しかった。

 どうせユリウスまで決闘の場に引きずり出し、そこで負けて終わるだろうとオリヴィアは予想する。

 実際、リオンはジルクに花を持たせるような戦いを見せている。

 弾切れとなったジルクが武器を持ち替え、アロガンツに襲いかかると二人は決闘場まで落ちてきた。

(つまらない男だな。私に面会を希望しているそうだが、利用する程度の価値しかないか)

 オリヴィアが内心でリオンの評価を定めると、ジルクの鎧が地面に叩き付けられた。

 泥臭く勝利をもぎ取ったアロガンツは、装甲のほとんどがボロボロだ。

 砕けて内部が見えている場所もあれば、ひび割れている箇所も多い。

 それを見たユリウスが、マントを脱ぎ捨てると自らの鎧に向かう。


「俺の出番だな! オリヴィア、お前に勝利を捧げる」


 オリヴィアは手を組み、ユリウスが望むように微笑む。


「ユリウスの勝利を祈っているわね」


(精々、この茶番を盛り上げろ)

 内心では呆れ果てているが、そのような様子は一切見せない。

 ユリウスは表情を改めて真剣なものにすると、オリヴィアに気持ちを語る。


「待っていてくれ、オリヴィア。俺は、君に相応しい男になる」


 コックピットに入ったユリウスを見送るオリヴィアは、貼り付けた仮面のような笑顔のままアロガンツに視線を向ける。


「さて、どんな負け方をするのかしらね」



 連戦で満身創痍のアロガンツの前に、白く綺麗な鎧が舞い降りる。

 マントなど着けて着飾った観賞用の鎧は、剣と盾を持っていた。

 司会の紹介も最後とあって、これまで以上に熱が入る。



『ついにここまで勝ち進んだバルトファルトも、ここでおしまいだぁ! 聖女を守る最後の砦にして盾! ホルファート王国の王太子にして、戦場では義勇軍を率いて活躍されたユリウス殿下の登場だぁぁぁ!! その輝く白い鎧で、いったいどれだけの敵を屠ってきたのか!? ホルファート王国の王太子が、裏切り者の仮面の騎士に立ち向かう!』


 わざわざハッチを開いてユリウス殿下が姿を現すと、観客席から黄色い声援が聞こえてくる。


「王太子殿下~!」

「バルトファルトなんて倒しちゃって~!」

「あ、今私に手を振ってくださったわ!」


 そして、観客へのサービスを終えたユリウス殿下が、俺を見ると少し含みのある笑みを見せてきた。


『バルトファルト、お前がここまで勝ち進んできた事を嬉しく思うぞ。随分と疲弊しているようだが、休憩時間は必要かな?』

「このまま続けてください」

『それはいい! それよりも、お前のその仮面はどこで手に入れた?』


 俺がつけている仮面が気になっているようだ。


「ジルクが渡してきたんですよ。殿下の指示では?」

『俺ならその趣味の良い仮面は渡さない。しかし、どうしてジルクはわざわざその仮面を選んだのか?』


 趣味が良い? どうやら、ユリウス殿下のセンスは世間とは違うらしい。

 それよりも、俺なら趣味の良い仮面は渡さない? センスの悪い仮面なら俺に渡してもいいと? なんか引っかかる言い方だな。

 ユリウス殿下は鎧に剣と盾を構えさせ、そして決闘の準備に入った。


『――まぁ、いい。それよりも、俺と”正々堂々と神聖な決闘”をしてもらおうか』


 よく言うよ。

 八百長なのに、正々堂々とか笑わせてくれる。

 だが、俺から持ちかけた話なので笑うのは我慢しよう。


「いざ尋常に勝負、ってね」


 司会が開始を告げると、同時に踏み込んで互いに激しく攻撃を繰り出した。

 武器がぶつかり火花を散らすが、片腕のアロガンツは攻撃を受けていく。

 マイクをオフにして深呼吸をした。


「後は負けるだけだな」


 ここまでやれば十分だ。

 善戦しつつ敗北すれば、ユリウス殿下たちの溜飲も下がるだろう。

 ただ、上機嫌になったユリウス殿下が俺に話しかけてくる。


『良い腕だ。この決闘が終われば、俺の仲間に加えてもいいぞ。特別に俺の親衛隊に加えてもいい』


 マイクをオンにして話をする。

 ただ、この音量では観客席までは届かない。

 そのため、周囲には聞かせられない話までするようだ。


「それはどうも。ただ、田舎貴族なので、親衛隊の件は遠慮しますよ」

『遠慮するな。今後は俺の騎士として働け。その実力はあると認めてやる』


 随分としつこいな。

 まぁ、手駒が欲しい時期ではあるだろう。

 何しろ、今までユリウス殿下を支援していたレッドグレイブ家の派閥は解体されている。

 フランプトン侯爵の派閥もどれだけ協力してくれるか不明の今は、独自で動かせる戦力が欲しいはずだ。


「派閥の解体は早まりましたね」

『――そうだな。だが、オリヴィアを手に入れるためなら、その程度の代償は安いものだ』

「え?」


 つばぜり合いを行うと、ユリウス殿下がクツクツと喉を鳴らした。

 好青年というイメージを投げ捨てたような、暗い声を出す。


『お前には感謝している。こうして俺の功績になってくれるのだからな。これでオリヴィアも、他の連中より俺が優れていると認めてくれる。お前はいい餌になってくれたよ』


 戦斧を振り上げ距離を取ると、盾を前に出してユリウス殿下が体当たりをしてきた。

 わざと受け止めてアロガンツが耐えきれないのか、そのまま後ろへと下がっていく。

 周囲から歓声が沸き起こる。


「見た目ほどパワーはないわね」

「殿下の鎧は最新鋭よ。バルトファルトのポンコツとは性能が違うのよ!」

「殿下、そのまま止めを刺してください!」


 何も知らない観客たちの声援と、ユリウス殿下の物言いに、俺は複雑な気分にさせられた。

 お前らが期待しているユリウス殿下は、これまでの行為を全て恋のために実行してきた男だと言ってやりたい。

 派閥を解体して大勢の生徒を退学に追い込み、英雄願望から戦場に義勇軍として参加した。

 一言くらい言い返してもいいはずだ。


「俺も人のことは言えないけど、あんた最低だな」

『それがどうした! そうしなければ、彼女は手に入らなかった! 最低と呼ばれようとも、俺はオリヴィアを手に入れる!』


 振り下ろされた剣をアロガンツが戦斧で受け止めれば、がら空きとなったボディにユリウス殿下の蹴りが入る。

 アロガンツが揺れ、後ろに下がるとユリウス殿下は鎧の両手を広げさせた。


『これが愛だ。理解できるか、バルトファルト? 何物にも代えがたい愛――それを、俺はオリヴィアから教わった』

「なら、婚約破棄はもっと丁寧にやってくださいよ。おかげで決闘騒ぎだ」


 もっとスマートにとは言わないが、アンジェリカさんとも話を通しておくべきだった。

 そうすれば、決闘騒ぎに発展することはなかった――はずだ。

 まぁ、アンジェリカさんからすれば、婚約者を奪われたわけだからな。

 腹が立っても仕方がない。

 それで決闘騒ぎとか、何をやっているのだろうか?


「終わったら話くらいしてくださいね」


 アロガンツが戦斧を横に振り抜き、わざとユリウス殿下に避けさせる。

 こちらの大ぶりの攻撃を避け、ユリウス殿下の白い鎧は舞うように動いて観客たちを魅了する。

 鎧の操縦技術も優れているのだろうが、実戦向きかと言われると疑問だ。


『アンジェリカの事か? あの女にそれほどの価値はない』

「は?」

『オリヴィアに比べれば、その他全てが塵芥だ。彼女こそが唯一にして絶対なのさ』


 こんなことを言う男だったのか? もっと乙女ゲーの攻略対象として、男があり得ないと思うくらい女性の理想ではないのか?

 俺の勝手な期待は裏切られ、ユリウス殿下は何かに取り憑かれたように続ける。


『彼女がいればいい。俺にはオリヴィアさえいればいい。そのためになら――俺はなんだってする!』


 白い鎧が急接近してくると、盾でアロガンツの戦斧を弾き上げて胴体部分に剣を突き立ててきた。

 コックピットを狙った一撃に観客席から悲鳴が上がるが、黒騎士との戦いの後に対策済みだ。

 コックピット周辺には強固な装甲材で囲んでおり、刃で貫けない。

 剣は砕けるが、白い鎧がアロガンツを蹴り飛ばして壁まで吹き飛ぶと背中をぶつけて座り込むように倒れる。

 ――これでおしまいだ。

 俺はマイクをオフにする。


「アロガンツ、よくやった」

『アロガンツ頑張った。マスターも頑張った』

「頑張るほどのことじゃないけどな」


 アロガンツが動かなくなると、最初に観客席から歓声が上がった。拍手が巻き起こり、その後に司会がこれまでにない声量でユリウス殿下の勝利を告げる。


『勝者はユリウス殿下ぁぁぁ!! 王太子殿下に相応しい戦い振りでした!! あの黒騎士を倒した仮面の騎士を相手に、何と見事な戦いでしょうかぁぁぁ!! 圧倒的! 圧倒的な勝利です!』


 ――先に対戦した四人が俺を追い込んでいたように見えるはずだが、勝てば官軍だ。

 アロガンツが観客席にいるオリヴィアさんたち――他の四人の音声を拾う。

 ブラッドは悔しそうにしていた。


『僕が一番追い詰めたのに』


 グレッグは、まぐれで負けたことを根に持っていた。


『ラッキーパンチさえなければ、俺が終わらせていた』


 クリスも納得できないようだ。


『殿下は順番に救われたな。私の後では、バルトファルトもかなり消耗していたはずだ』


 ジルクは微笑んではいるが、内心では腹立たしいのだろう。


『殿下まで決闘の場に出す必要はありませんでしたけどね。私が倒して終われば、もっともスマートな終わり方でした』


 納得いかない四人に対して、オリヴィアさんは優しく話しかけている。

 表情は笑顔。とても嬉しそうに見えた。


『私は四人も頑張ったのを知っているわ。だから、そんなに不満な顔をしないで。みんな素敵だったわよ』


 オリヴィアさんに言われて、四人が照れて頬を赤く染めていた。


「――乗っ取られているようには見えないが、さてどっちだろうな?」


 視線をユリウス殿下に戻すと、白い鎧に手を振らせていた。

 観衆たちへのサービスに夢中のようだ。

 そして、闘技場に響き渡る声で愛を語りはじめる。


『応援に感謝する。これで、俺とオリヴィアの関係に異論を唱える者はいないな? もういないとは思うが、一つ言わせて欲しい。俺は――オリヴィアを愛している! 誰よりも、オリヴィアを愛しているんだ! 聖女だからじゃない。オリヴィア個人を愛している。こんな気持ちになったのは、生まれて初めてだ』


 鎧の手が観客席にいるオリヴィアさんに伸ばされると、応えるように彼女は手を振っていた。


『私も愛しているわ――ユリウス』

『ありがとう、オリヴィア』


 観客席からは「王太子殿下万歳! 聖女様万歳!」と聞こえてくる。

 それを聞いて思ったね。


「自分でやったことだけど、どう見ても茶番だな」

『これが茶番。アロガンツ覚えた』

「あ~、このタイミングで覚えたか。これを覚えるのは教育上良くない気がするな」


 あとさ、これはアンジェリカさんにとって相当きついだろう。

 何しろ、愛しの殿下が他の女に公衆の面前で愛を唱えるからな。

 そちらを思うと、愛の告白も素直に聞いていられない。


「でも、これがシナリオ通りだ。これでいい――はずだ」


 自分に言い聞かせるように納得しようとするが、何だかモヤモヤしていた。

 俺とは違って、ユリウス殿下は気分が良いのか演説が芝居めいてきた。


『アンジェリカ、お前の用意した代理人は敗北した。愛のないお前に相応しい結果だな。最早、言い逃れは出来ないぞ。さぁ、この場でオリヴィアに謝罪してもらおうか!』


 ――こいつは何を言い出すんだ?

 こんな予定はなかったはずだ。

 マイクをオンにして、ユリウス殿下だけに聞こえるように話しかけた。


「もう良いでしょう。そこまでする必要はないはずだ」


 だが、ユリウス殿下は止まらない。

 俺の声を聞いているのに、無視して話を続ける。


『聖女誕生は王国にとっての慶事である! それを認めず、己の私利私欲のために俺との婚約にこだわるお前こそが、王国にとっての災いだ。パーティー会場でオリヴィアを魔女と罵ったな? その言葉は、お前にこそ相応しい! 欲に囚われた憐れな魔女め!』

「おい、もう止めろって!」


 ユリウス殿下は一度だけ鎧の頭部をこちらに向けた。

 だが、すぐに観客席にいるアンジェリカさんに視線を戻す。


『お前は己の利益しか考えない醜い女だ。だが、一度だけチャンスをやる。この場に降りてきて、オリヴィアへ謝罪しろ。膝をつき、頭を垂れて自らの罪を悔い改めろ!』


 先程まで黄色い歓声に包まれていた会場が、一気に「謝罪しろ!」という荒々しい声に包まれる。

 観客席を見れば、俯いているアンジェリカさんが見えた。

 そして、側にいたマリエが立ち上がる。


「あの馬鹿はどうして」


 我慢すれば良いのに、立ち上がって抗議するマリエは激怒していた。


『い、言い方ってものがあるでしょうが!』


 アンジェリカさんは敗北した。正確には、最初から負けていた。

 それなのに、ユリウス殿下は自らが勝利をもぎ取ったかのように振る舞う。


『負けたからこそ、誠意を示してもらう必要がある。今回の顛末は王宮へと報告する。アンジェリカの謝罪は、その際に処分に大きく関わってくるからな。――謝罪し、醜く命乞いをすれば少しは罪も軽くなるぞ』


 それを聞いて俺は眉間に皺を寄せた。

 謝罪だけではなく、命乞い? それに、王宮への報告ということは――俺との約束を破るということだ。


「学園内で終わらせるって約束はどうした?」


 周囲に聞こえないように、ユリウス殿下は俺に言う。


『口約束を真に受けたお前が悪いのさ。レッドグレイブ家の力は戦後を考え削らせてもらう。一つ利口になれたかな、田舎貴族君?』

「――おかげさまでね」


 どこかで攻略対象の五人を信じていた俺は、自分が許せなかった。

 もっと警戒するべきだった。

 いや――安易にこんな提案をした俺も悪い。

 アロガンツが悔しがる俺を見て慰めてくる。


『マスター、怒った? アロガンツ、まだ頑張れる』

「――いや、まだだ」


 アロガンツを動かさず、俺はその場の流れを観察することにした。


「落ち着け。別にレッドグレイブ家がどうなろうと関係ないんだよ。大事なのは、オリヴィアさんが正気を保っているかどうかだ。それさえ分かれば、後は誰がどうなろうと知ったことじゃない。そうさ、これでいい。俺はアンジェリカさんを利用しただけだ」


 今にして思えば、負けるために彼女の代理人になったのだ。


「騙したのは俺も一緒か。殿下を責める権利はないな」


 諦めたように振る舞う俺に、アロガンツが問う。


『本当? マスター、嘘吐き。嘘は良くない。マスター、怒ってる』

「――」


 俺はアロガンツに答えないまま、黙ってその場の様子をうかがう。

 誰がどうなろうと――俺の知ったことではない。

 俺は目的を果たせればそれでいい。



『アンジェリカ、オリヴィアに謝罪しろ! 泣いて許しを請え!』


 アンジェリカは、愛した男の変わりように涙を流していた。


「そんなにオリヴィアが良いのですか? あの聖女が――魔女がそんなに愛おしいのですか? 私は貴女を愛していた。愛していたのに」


 手すりに掴まり泣き崩れるアンジェリカだったが、周囲からは罵声が飛んでくる。


「この魔女が!」

「さっさと降りて謝罪しなさいよ!」

「悪役に相応しい結末よね」


 心配したマリエがアンジェリカに近付き、支えて立ち上がらせる。


「アンジェリカさん」

「――マリエと言ったな? お前の婚約者を借りて、このような結末を迎えたことを悪く思う。黒騎士を倒した騎士ながら、きっと勝てると思っていたのだがな」


 リオンまで負けるならば、もう止められる術がアンジェリカにはなかった。

 アンジェリカは立ち上がると胸を張り、堂々と答える。


「謝罪? 私は謝罪などしない。私は私の行動が間違っていたとは思わない。この場を乗り切るような嘘をついてまで、生き続けようとも思わない。――これが答えです、殿下」


 謝罪などしない。

 そのために死ぬようなことになっても、アンジェリカは譲るつもりがなかった。

 その開き直った態度に周囲は激怒するも、マリエは俯く。


「何でよ。謝って許してもらえば良いじゃない。このままだと、本当に大変なことになるのよ」


 心配してくれるマリエに、アンジェリカは気持ちを吐露する。


「そうだな。私も自分が馬鹿だと思うよ。だが、ここで折れては、私は自分の全てを否定することになる。殿下への気持ちも、国への忠義も、それに――あの聖女。いや、魔女は地獄に落ちようと認められない」


 自分の中の黒く燃え上がる炎のような感情が、オリヴィアへの憎しみを燃え上がらせていた。

 遠くに見えるオリヴィアは、何故か微笑んでいるように見えた。


「――いつか必ず、お前に復讐してやる」



 周囲がアンジェリカへ義憤を覚えている中で、オリヴィアだけはその心意気に感心していた。

(本能か? それとも愛故か? よく私という存在に嫌悪するものだな。このオリヴィアという娘の能力にまで抗えるとなれば、相当な精神力よ)

 オリヴィアの不思議な能力。

 それは、言葉が人の心に届くというものだ。

 理屈ではない。どんな言葉も相手の感情を揺さぶってしまう。

 敵対する人間だろうと、話し合いの場に持ち込める優れた能力だ。

 それをはね除けて戦う意志を見せるというのは、優秀という証でもある。

(だが、全ては手遅れだ。お前の言葉は、愛しのユリウスには届かない。残念だったな、レッドグレイブ家の娘よ。お前の血筋を呪うがいい)

 一人微笑みながら、アンジェリカの敗北を楽しんでいた。

 アンジェリカにどのような未来が待っているのか想像し、楽しんでいると――アロガンツが立ち上がる。


『エキシビションマァァァッチィ!!』


 急に何を言い出すのかと思えば、ボロボロのアロガンツがまだ戦うと言い出した。

 アンジェリカに罵声が浴びせられていた闘技場が、静まりかえるとアロガンツに再び視線が集まっていた。

 周囲が混乱している。


「何を言っているの?」

「非公式で戦うって?」

「おい、あいつ頭でも打ったのか? もうボロボロだぞ」


 リオンの叫び声に驚いたオリヴィアは、内心で懐かしさを覚えた。

(急に何を言い出す? だが――この気持ちは何だろうな? 懐かしい。そして、胸がドキドキする)

 アロガンツが闘技場の中央に移動すると、戦斧を地面に突き刺した。


『順番が悪かったと思っている代理人たちがいるだろう? 今の俺に勝てると思う奴がいれば、かかってこい。こんなチャンスは二度とないぞ! いっそ全員でもいい。誰が俺を倒すか競争だ!』


 それはユリウス以外の四人に向けた台詞だった。

 リオンに負けはしたが、本当に負けたとは思っていない四人は口角を上げて嫌らしい笑みを浮かべる。

 リオンはそんな四人の背中を押すような言葉をかけてきた。


『このままユリウス殿下に差をつけられて良いのかな~?』


 四人にとってそれが引き金となり、グレッグは鎧へと駆け出していた。


「そうだな。もうまぐれなんて起きないからな! お前を倒して、俺の本当の実力を見せてやるぜ!」


 それを見てブラッドも駆け出す。


「狡いぞ! 僕がバルトファルトを倒すんだ!」


 追いかけるようにクリスとジルクも続き、鎧に乗り込むと闘技場へと降りていく。

 クリスだけは、予備の鎧に搭乗するらしい。

 オリヴィアは闘技場を見下ろした。


「何をするつもり?」


 気が付けば、アロガンツにユリウスの白い鎧が詰め寄っていた。


『どういうつもりだ! もう勝負はついているだろうが!』

『だから、非公式の試合で盛り上げてやろうと思ったんですよ。ユリウス殿下ばかりいい格好をしても、他の四人が可哀想でしょう?』

『ふざけるな! お前を倒したのは俺の手柄だ! 俺だけの!』

『否定はしませんよ。でも、他の四人はやる気みたいですけどね』


 ヘラヘラしたような声でユリウスの相手をするリオンだったが、急な申し出に答えて四人が鎧で降りていく。

 五人に囲まれたアロガンツは、戦斧を持ち上げると背中のバックパックに収納した。

 どうやら素手で戦うつもりらしい。

 武器を構えた四人が、アロガンツに向かっていく。


『今度こそ俺が完膚なきまで叩きのめしてやるぜ!』


 グレッグが勢いよく突撃していくと、他の三人もアロガンツに向かっていく。

 手柄を奪い合うように仲間で競い合う姿を見せていた。

 誰が見ても満身創痍のアロガンツに勝ち目などない。

 むしろ――勢い余って殺されるのではないか?

 そう思えるほど、四人には勢いがあった。

 だが――。


「そうか。やはりそうするか、リーア!」


 ――オリヴィアがそう叫ぶのを誰も聞いていなかった。

 皆の視線は闘技場に注がれ、右腕に掴まれたグレッグの鎧がひしゃげる音に耳を傾けていた。

 片腕で持ち上げられたグレッグの鎧は、振り回されてそのままブラッドの鎧に投げ付けられる。

 二体の鎧が吹き飛び倒れると、呆気にとられていたジルクの鎧にアロガンツが接近していた。


『な、何が起きて――』


 咄嗟にライフルを構えて引き金を引くが、アロガンツの装甲は弾丸を弾く。

 そのまま近付きジルクの鎧を捕まえると、アロガンツはそのまま壁まで飛んでいく。ジルクの鎧を壁に叩き付けると、円状の闘技場の壁にこすりつけたまま走っていた。

 ジルクの鎧から盛大に火花が散っていた。


『や、止めなさい。これでは話がちがっ!?』

『聞こえねーなぁ!』


 壁に削られたジルクの鎧を投げ捨て、今度は襲いかかってくるクリスの鎧に向き直る。

 クリスの鎧は、大剣をアロガンツに振り下ろす直前だ。

 誰もがアロガンツが両断される場面を想像しただろう。


『これで終わりだぁぁぁ!』


 渾身の一撃となるはずだった斬撃は、アロガンツの右腕により砕かれた。

 刃が粉々に砕け散り、クリスは驚いて声も出ないようだ。

 そんなクリスの鎧をアロガンツは掴んで地面に叩き付けると、乱暴に踏みつける。

 何度も、何度も踏みつけ、手足を潰すとユリウスの鎧に向き直った。

 暴れ回ったアロガンツにより、四体の鎧はまさかの秒殺で粉々にされる。

 四人は気絶しているのか、起き上がっては来ない。

 ただ、その一方的な戦い振りに、観客席は凍り付いたように静かになってしまう。

 リオンが残ったユリウスに語りかける。

 声は低く、どこか怒っている様子だが無理矢理陽気に振る舞っていた。


『さぁ、残りは殿下だけですよ』

『お、お前は、自分が何をしているのか理解しているのか!』

『ただの非公式の試合ですよ。もっと楽しみましょうよ』

『ふざけるな。決闘は俺の勝利で終わったはずだ』

『そうですね。でも、これは非公式の試合ですから! 決闘はあんたらの勝ちだ。そこは間違いない!』


 歩いて近付くアロガンツに、ユリウスは後退っていく。

 その光景を見て観客たちも異変に気が付いたらしい。


「どうしてバルトファルトに恐れるの?」

「また倒せばいいのに」

「それよりさ――何であんな姿で戦えるのよ?」


 左腕を失い、装甲はボロボロ。

 動いているのが不思議なくらいだ。

 しかし、観客の声を聞いていたリオンが動いた。


『おっと、そろそろ全て解除するか。アロガンツ――演出用のパーツを解除しろ』


 その言葉の後にアロガンツは小さな爆発の後に、白い煙に包まれた。

 周囲に散乱するのは、アロガンツのひび割れたパーツ類だ。

 そして、白い煙が風にながされてアロガンツが姿を現せば、ダメージなど受けていないアロガンツの姿が出てくる。

 左腕はないが、最初から切り離しているように見えた。

 ユリウスが明らかに動揺しているのを見て、オリヴィアは笑うのを我慢するのに必死だった。


「決闘はユリウスに勝たせたのだから、約束は果たしたものね。その後に倒しても、問題ないというところかしら? いいわね。君は最高よ、リオン!」


 リオンの行動に懐かしいリーアの姿を重ね、オリヴィアは小さく咳払いをしてからユリウスに語りかける。

 逃げるユリウスを、リオンと戦わせるための支援だ。


「ユリウス――もう一度、私に勝利を捧げてください。あなたならきっとできるわ」


(こう言えば、お前は戦うしかないよなぁ?)

 内心で笑うオリヴィアの予想通り、ユリウスは再び戦う気力を取り戻す。


『オリヴィア!? わ、分かった。誰か武器を!』


 失った武器の代わりを求めると、新しい武器が運ばれてくる。

 それを受け取ったユリウスの白い鎧が構えるが、アロガンツは武器を持たなかった。

 武器を持たないアロガンツを恐れているのか、ユリウスは後ろに下がるだけ。

 やがて、壁を背にすると――ユリウスが恐怖に抗うように前に出て剣をアロガンツに振り下ろした。

 アロガンツは大きな図体でそれを避け、脚を蹴ってユリウスの白い鎧を転ばせる。

 ユリウスの情けない姿に、オリヴィアは懐かしい過去を思い出す。

(リオン、あなたはリーアによく似ているわ。本当にリーアの血を引いているのかもしれないわね。もしくは――生まれ変わりかしら?)

 鎧の中にいて姿の見えないリオンが、急に愛おしくなってきた。

 赤くなる頬を両手で触れて、まるで恋する乙女のようにアロガンツを見下ろしていた。

 アロガンツは、倒れた白い鎧の頭部を掴み、持ち上げるとそのまま握り潰す。

 そして、何度も地面に叩き付けていた。

 その光景に観客席から悲鳴が上がるが、リオンは笑っていた。


『お前ら本当に雑魚だな! 公国との戦争に参加しなくて正解だったぞ。この程度の実力だったら、黒騎士の野郎に斬られてあの世行きだったからな! 命拾いしたな!』


 ボロボロになったユリウスの乗った白い鎧を、最後に投げ付けると地面に激突して何度もバウンドした。

 五機が動かなくなると、アロガンツはゆっくりと舞い上がる。


『以上、エキシビションマッチでした! 決闘の勝者はユリウス殿下たちというのはお忘れなく! それでは皆さん、ごきげんよう!』


 言い終わると、リオンは高笑いをしながら飛び去っていく。

 オリヴィアが慌てて視線をアンジェたちに向ければ、そこには誰もいなかった。


「――鮮やかな撤退ね。昔を思い出すわ」


 鮮やかだろうか? オリヴィアもそれは疑問に思ったが、リオンがリーアらしい行動をして嬉しかった。

 懐かしさと愛しさから、オリヴィアはリオンの行動を過大評価する。

 そんなオリヴィアだが、倒れた五機を見下ろして酷く冷たい視線を向けた。


「今回はリオンの本性が見られて良かったわ。お前たちも役に立ってくれたから、まだ捨てないであげる。――でも、本当にお前たちは無様よね」


 背中を向けてその場から去るオリヴィアは、狼狽えている護衛の騎士たちに命じる。


「すぐにバルトファルト殿を私の部屋に呼び出しなさい。絶対に傷つけては駄目よ。無礼な態度も許しません」


 護衛の女性騎士たちが、命令を受けて正気を取り戻すと騎士礼をする。


「はっ! し、しかし、王太子殿下への振る舞いは問題です。すぐに王宮に報告をしませんと」

「無用です。あれは非公式の試合であり、決闘はユリウスたちの勝利です。勝利だけを王宮に伝えなさい」

「ですが、バルトファルトの振る舞いは許せません!」

「――すぐに連れてきてくれるわよね?」


 オリヴィアが微笑みかけると、先程まで否定的だった女性騎士の態度が軟化する。

 頬を赤らめ、王族に対して狼藉を働いたリオンへの怒りが消え去っていた。


「は、はい。すぐにお連れします」

「無理矢理は駄目よ。それこそ――王族に対する礼節を持って接しなさい」


 それだけ告げて、オリヴィアは闘技場を去って行く。



「やっちまったよぉぉぉ!?」

「この馬鹿ぁぁぁ!! 何であそこまでするのよ!」


 パルトナーに戻って頭を抱える俺に、マリエが持っていたハリセンで叩いてくる。

 最初は我慢するつもりだった。

 しかし、ユリウス殿下の態度や周りの雰囲気――とにかく、色々と我慢できなくなった。

 八百長で勝ったのにいい気になっている野郎共が、気に入らなかった。

 あと――約束を破ったので仕返しがしたかった。

 他にも問題は多い。

 一番はアンジェリカさんだ。


「それより、アンジェリカさんは怒ってる? 怒ってるよね?」


 マリエは再び俺をハリセンで叩いてくる。


「怒るって言うか、激高? もう憤怒って言うか、あんたがわざと負けたのを知って絶対許さないって言っていたわよ」


 アンジェリカさんからすれば、俺が手を抜いて決闘に参加していたわけだから怒りもするだろう。


「全周囲が敵だらけだな」

「あんたのせいよ!」

「すいません!」


 パンッ! とハリセンで叩かれつつ、俺は乾いた笑い声を出すしかなかった。

 そんな時に、パルトナーに待ち望んだ客人が現れた。



「ふざけるな。神聖な決闘で八百長だと? バルトファルト、お前まで私を愚弄するのか! その程度の男だったのか!」


 船室に閉じ込められたアンジェリカは、中にある家具に八つ当たりしていた。

 荒れ果てた船室のドアが開くと、そちらを睨み付けて――すぐに戸惑う。


「あ、兄上」


 様子を見に来たのは兄であるギルバートだった。


「やれやれ、これは弁償が必要だな。私の方から謝罪と賠償をしておこう」


 船室を見渡して小さく溜息を吐けば、すぐに表情を険しくした。


「聖女様に決闘を挑んだそうだな?」

「話を聞いてください。奴だけは駄目なのです。私には分かるのです。お願いです、兵を挙げてください。奴は聖女などでは――」

「神殿ばかりか、王宮まで認めた聖女に兵を挙げるだと? お前は何を言っている? ユリウス殿下に捨てられたことには同情するが、お前はレッドグレイブ家を滅ぼすつもりか?」

「兄上?」


 冷たい視線を向けてくるギルバートを前に、アンジェリカは膝から崩れ落ちた。

 ギルバートは、公爵家の立場を淡々と告げる。


「レッドグレイブ家は聖女様を支持する。お前と殿下の婚約破棄も受け入れた。抗議などしない」

「そんな!」

「お前さえ大人しくしていれば、我らは王宮から多額の賠償金を手に入れられた。決闘で騒いだおかげで、その話も消えた。まったく――お前は本当に何がしたいんだ?」


 実家に多大なる迷惑をかけたと知り、アンジェリカは俯いて涙を流す。


「私は殿下をお救いしたかったのです。ただ、あの人のために」

「その結果がこれか? 療養中の父上とも相談したが、お前は辺境に押し込めることにした。田舎の醜男に嫁がせねば、王宮も納得しないだろうからな」


 王太子と婚約していたアンジェリカが、田舎貴族――それも醜男に嫁がされれば、それ自体が罰となる。

 王宮としても負い目があるのか、処刑という話にはならなかったそうだ。

 アンジェリカは黙ってギルバートの話を聞いていた。

 ギルバートは部屋を出ていく。


「しばらくバルトファルト家にお前を預けることが決まった。これ以上、彼に迷惑をかけるな。私からは以上だ。――アンジェリカ、兄としての助言だ。今は休め」


 ギルバートが去って行くと、アンジェリカはポロポロと涙をこぼす。


「どうして私は――こんなにも無力なのだ」



 レッドグレイブ家に事情を説明していてよかった。

 アンジェリカさんを引き取ってもらおうとしたのだが、何故かうちの実家に連れていく流れになっているのは疑問だけどね。

 俺は甲板でギルバートさんと話をする。


「助かりました」

「戦場では君たちに父が救われた。恩返しだよ」


 どこかの馬鹿殿下に見習って欲しい律儀さだ。

 公爵家は思っていたよりまともだな。

 ギルバートさんは、俺にアンジェリカさんを託す理由を話す。


「すまないが、妹を頼む。王都は勿論、レッドグレイブ家が匿うのは少々厳しくてね」

「それはいいんですけど、結婚の話は本当ですか?」


 無理矢理結婚させられるのも酷い話だと思っていると、ギルバートさんが俺をしげしげと見てくる。


「君の婚約者は実家が取り潰されていたな?」

「まぁ、はい」

「ならば、君との間で結婚の話が進んでいることにしよう。それで時間が稼げる」

「時間ですか?」


 俺とアンジェリカさんを結婚させるつもりはないらしい。ただ、俺との間に結婚話が出ているとなれば、田舎の醜男に嫁ぐという話に繋がるということか?

 確かに顔に傷があり、醜男と言われても仕方がないが――何となく納得できないな。


「俺は婚約破棄しませんよ」

「そこまで強要しないさ。ただ、妹を守ってやって欲しい。今の公爵家には味方が少ないからね」


 婚約破棄に加え、当主交代と様々なことが重なったレッドグレイブ家はその力を大きく落としていた。

 ギルバートさんも大変そうだ。


「それからリオン君、君には王宮から呼び出しがかかっている。聖女様が直接君と会って話をしたいそうだ」

「聖女様が?」


 会いたいとは思っていたが、向こうから呼び出しをかけてきた?

 ギルバートさんがタラップへと向かう。


「妹をよろしく頼むよ」

「心配しているって伝えないんですか?」

「今のあの子に下手な希望を見せれば、また暴発してしまいそうだからね」


 ――あの暴れっぷりを見せつけられたら、確かに心配になるな。



 船室へと戻ると、マリエとアンが待っていた。


「あんた、能力を使ってカードを見たわね!」

『み、見てない』


 怨念とトランプで遊んでいるマリエを見て、何ともたくましいと感じてしまう。

 俺が来ると、負けそうな勝負を捨てたマリエが俺に駆け寄ってくる。


「どうだった!」

『お前、そこで逃げるのか!? 負けそうだからと逃げたな!』


 マリエとのゲームに熱くなっている怨念というのも――まぁ、いいか。


「喜べ、聖女様からの呼び出しだ。堂々と面会できる」

「罠っぽくない?」

「言うなよ。俺もそう思うんだから」


 逃げる準備はしておこうかな。

 アンが俺たちに近付いてくると、オリヴィアさんの様子について尋ねてきた。


『それで、お前たちから見て聖女はどっちだった?』


 マリエは断言できない様子だが、何やら勘が働いたのか悪い方に考えていた。


「乗っ取られていると思うかな? もしくは、元から性格が悪いとか? この状況もそうだけど、あんまりにも酷くない? シナリオに近いけど、そうじゃないって感じもするのよね」


 学園全体が異様な雰囲気に包まれ、勝利したのに悪い方に転んでいる気がする。

 聖女アンの目的が国の崩壊ならば、ある意味では成功しているのだろうか?

 ただ、俺の意見は違った。


「俺は乗っ取られていないと思うけどな。そもそも、恨みがある連中の子孫と婚約するか? それに、この流れってあの乙女ゲー通りだろ? オリヴィアさんより、周囲にいる野郎共が酷いから悪化したんじゃないか?」


 俺は乗っ取られていないのではないか? そのように考えていた。

 いや、期待している。

 このような結果になったのも、オリヴィアさんの周囲が暴走した結果ではないか、と。

 攻略対象の男子たちが、思っていたより酷いからな。

 マリエは納得できないのか、自分の意見を詳しく話す。


「何て言うか、あの子の台詞って薄っぺらいのよ」

「ゲーム通りの台詞だろ? それに、恨んでいる奴の子孫と婚約なんてすると思うか? 聖女アンは復讐したいんだぞ」

「私なら思わないけどね。あんたはどうなのよ?」


 マリエがアンに意見を求めると、意外な答えが返ってきた。


『それで国が滅ぼせるなら、私はやる。徹底的にやる。たとえ恨んでいようと、憎んでいようと、この国を滅ぼすためなら私はためらわない』


 怨念らしい意見にゾッとしつつ、結局俺たちでは判断がつかないと諦めた。

 マリエが俺に尋ねてくる。


「それより、ルクシオンから借りた情報収集用のロボットたちはどうしたのよ?」

「調べてはくれているけどな。集めた情報を全部チェックするのが大変なんだよ」


 沢山の情報を持ってきてくれるが、それを俺やマリエだけでチェックするのが一苦労だ。

 また、操作が難しい。

 四六時中付きっきりで監視できればいいが、俺にだって都合がある。


「やっぱ、管理する人工知能がいるわ。ルクシオンがいれば簡単だったのにな」


 アンが呟く。


『結局、まだ判断は難しいということか。リオンに任せるしかないな』



 決闘騒ぎから一日が過ぎた。

 学園にある自宅でリオンを待つオリヴィアは、身支度を調えるとカイルまで外に出して一人になっていた。

 朝から念入りに支度したのは、期待の表れである。


「さて、リオン・フォウ・バルトファルトには色々と聞かないとね。まずは、リーアの血筋かどうかしっかり確認を――っ!」


 楽しそうだったオリヴィアだが、急に表情を険しくする。


「オリヴィア、どうして急に表に出て――や、止めろ!」


 急に苦しみだしたオリヴィアだが、ノック音が聞こえてくる。


『聖女様、リオン・フォウ・バルトファルト殿がお越しです』


 オリヴィアはリオンの入室を待ってもらうように告げようとするが、口が勝手に動く。


「きょ――許可します。早く入室させなさい」


 自分の口を手で押さえようとしたところで、オリヴィアの中にいた聖女アンの怨念は体の中に一時的に封じ込められてしまった。



 聖女となったオリヴィアさんとの面会日。

 俺が部屋に入ると、オリヴィアさんは自分の両手を見ていた。

 酷く驚いたような――いや、何というか動揺しているのか?

 呼吸も少し荒く、髪も少し乱れていた。

 俺が入室したことに気が付くと、駆け寄って胸に飛び込んでくる。


「聖女様!?」


 俺は驚いて挨拶せずに固まってしまうが――オリヴィアさんは涙を流している。


「騎士様。助けてください」

「え?」


 俺を騎士様と呼び、顔を上げると泣きじゃくっていた。


「助けて! 助けてください。私、このままだと消えちゃう。騎士様、お願いですから助けてください。私を助けてください! 私は――私は!」


 何かを必死に訴えようとするオリヴィアさんの肩を掴むと、様子がおかしいことに気付いた護衛たちがドアを開けて入り込んできた。


「聖女様どうされましたか! ――き、貴様、聖女様に触れるとはどういう了見だ!」


 女性騎士たちが腰に下げた剣を抜き、俺に斬りかかろうとしてきた。


「いや、これは!」


 この状況をどうやって切り抜けようかと思案していると、オリヴィアさんが俺を庇うように前に出た。


「騎士様に手を出さないで!」

「聖女様?」


 女性騎士たちが、オリヴィアさんの行動に驚いて引き下がる。

 オリヴィアさんが俺に抱きついてきた。


「お願いです。私をここから連れ出してください。でないと、私は本当に――消えちゃう」


 俺に助けを求めてくるオリヴィアさんだったが、急に目がうつろになると崩れ落ちるように倒れてしまった。

 抱き支えると、女性騎士たちが駆け寄ってきて俺を強引に引き離す。

 そして、剣を向けてきた。


「今日の所はお引き取り願いましょうか。それから、このことは他言無用です」


 俺は強引に外に連れて行かれ、そのまま叩き出されてしまった。


「な、何だったんだよ?」



 その数時間後。

 気を失っていたオリヴィアが――いや、聖女アンが目を覚ました。

 ベッドの上にいて、周囲には医者や治療魔法の使い手たちがいる。


「おお! 聖女様が目を覚まされたぞ!」


 周囲が安堵の表情を浮かべる中、オリヴィアだけは内心で悔しそうにする。

(――オリヴィア、よりにもよってあのタイミングで目覚めるとは思わなかったぞ。何がきっかけになった?)

 既に体は乗っ取ったはずなのに、オリヴィアの意識が何かをきっかけに目覚めてしまった。

 聖女アンが周囲に「少し休みます」と告げて目を閉じる。

 深層心理の中へと意識を向かわせると、そこには牢獄の中に捕らえられたオリヴィアの姿があった。

 そして、聖女アンはかつて聖女と呼ばれた当時の姿をしている。

 それは――アンジェリカとよく似た容姿で、白いローブに身を包んでいた。

 項垂れているオリヴィアを冷徹な表情で見下ろしている。


『悪い子だ。どうやってここから抜け出した? おかげで、リーアとの面会が台無しだよ』


 オリヴィアは俯いたままだ。

 手足は鎖で繋がれて、牢屋から出られそうにない。

 涙をこぼしていた。


「――騎士様」


 オリヴィアが騎士様と呟けば、深層心理にぼやけた一人の男子の姿が現れる。

 誰と判別できないが、学園の生徒であるのは間違いなかった。


『これがお前の騎士か?』


 幻影に手を伸ばし触れると、その姿は消えてしまう。


『ふっ――誰に助けを求めようと無駄だ。お前には最後まで付き合ってもらうぞ』


 すると、オリヴィアは顔を上げて意志の強い瞳を見せる。


「あなたの好きにはさせない。必ず、私は自分の体を取り戻して止めてみせる」


 国を滅ぼすというアンの悲願を止めると言う。

 アンは目を細める。


『まだ諦めないのか? お前は本当に強い子だ。だが――私を邪魔するならば、徹底的に逆らえないようにしてやろう。そうだな――手始めに、お前が心の拠り所とする騎士様とやらを血祭りに上げてみるか? さぁ、その者の名前を言え』

「い、嫌」

『抵抗しても無駄だ。ここはお前の心の中だ。いずれ、誰か判明する。その時が楽しみだな、オリヴィア』


 アンがその場から消え去ると、オリヴィアが下唇を噛む。

 思い出すのは、修学旅行で自分を助けてくれたリオンの姿だ。


「騎士様、あの人を――止めてください」



「色々とあったな」


 春休みに入り、久しぶりに実家に戻ってきた俺は問題が増えたことに頭を抱えていた。

 アンジェリカさんを連れ帰ってきた事に実家は大慌てになるし、オリヴィアさんとの一件もある。

 マリエも頭を抱えていた。


「助けてって何よ? 何から助ければいいのよ? そもそも、乗っ取られているのか、いないのか? ハッキリしてよ」


 あの時のオリヴィアさんはどっちだったのか?

 俺には乗っ取られているようには見えず、本当に助けを求めているように見えた。


「ユリウス殿下たちから助けて欲しいってことじゃないか?」

「決闘の時はそんな素振りを見せなかったじゃない」


 結局どちらかと二人で悩んでいると、アンが結論を出す。


『――まだ完全に肉体を手に入れていない可能性もある。聖女になれるほどの娘なら、抵抗できてもおかしくない』


 それはつまり、乗っ取られかけているという事か?


「ならすぐにでも助けるか」


 俺がそう言うと、マリエは首をかしげる。


「どうやって?」

「――こ、これから考える」

「本当に頼りにならないわね。ルクシオンを呼び出したら?」

「呼び出しても答えないんだよ! あの野郎、どこで何をしているんだか」


 部屋の中でギャーギャー騒いでいると、ドアを開けてコリンがやって来た。


「兄ちゃん、マリエ、お帰り! お土産は?」


 外から戻ってきたコリンは、俺たちが戻ってきたことを知って部屋に駆け込んできたようだ。

 アンはいつの間にか消えており、マリエは積み上げたお土産の山からお菓子の箱を手に取ってコリンに渡す。


「呼び捨てにしない! お義姉さんと呼びなさい。いいわね?」

「え~、お義姉さんって呼ぶのはクラリスさんだけでいいよ」


 コリンの勘違いに頭が痛くなってくる。

 今の内に訂正しておくべきだろう。


「コリン、クラリス先輩の話をあまりするんじゃない。それから、あの人と俺は結婚しないからな」

「え? なら、誰とするの?」


 コリンが本当に驚いた様子を見せると、マリエが髪の毛を逆立てる。


「私だよ! お前は私のことを何だと思っていたのさ!」

「マリエが怒った。逃げろ~」

「待てこの野郎ぉぉぉ! 絶対に逃がさないからなぁぁぁ! 私から逃げ切れた奴はいないんだよ!」


 逃げるコリンを追いかけて外に出ていくマリエを見送り、俺は首を横に振る。


「精神年齢が近いからからかわれるんだよ」


 二人がいなくなるとアンが姿を見せ、俺に対して懐疑的だった。


『それを言うならば、普段からマリエと言い争いをしているお前の精神年齢も同等ということになるぞ。それでいいのか?』

「――え?」



 王宮の一室。

 包帯を体中に巻いたユリウスが、ベッドに横になっていた。


「許さないぞ、バルトファルト。オリヴィアの前で俺に恥をかかせたな」


 目を覚ましてからというもの、ユリウスはリオンに対して怒りを募らせていた。

 決闘でリオンが予定通り負けたのはいいが、非公式と言って試合をしたのがまずい。

 圧倒的な力を見せてリオンが勝ってしまっては、八百長を疑われてしまう。

 確かにリオンは決闘には負けて約束を守ったが、その後の振る舞いが許せなかった。

 自分が約束を破った事など忘れ、ユリウスは腸が煮えくりかえる思いで静養を続けていた。

 そんなユリウスの部屋に、怪我をして松葉杖を使用するジルクが姿を見せる。

 ただ、見舞いという雰囲気ではない。


「殿下、面会していただきたい人物がいます」

「――ジルク、随分と情けない姿になったな」


 苛立ちを隠せず、八つ当たりをするユリウスにジルクが顔を歪めた。


「それは殿下も同じですよ。それよりも、面白い人物を連れてきました。――入りなさい」


 ユリウスに対して不満を見せるジルクは、許可も取らずにある男性を入室させた。

 ユリウスは追い返そうとしたが、その人物を見て怪訝に思う。


「誰だ?」

「ルトアート・フォウ・バルトファルト。あのリオンの兄であり、バルトファルト家の長男ですよ。どうやら、家督争いで負けて家を追い出されてしまったそうです」


 それを聞いて、ユリウスはルトアートを観察する。

 卑屈な態度を見せるルトアートは、自分にすり寄る嫌な連中と同じ臭いがした。


「長男で家督争いに負けたのか? 理由は?」


 ジルクもルトアートを見る目は冷たく、悪い評価をしているのは同じようだった。


「嫡男でありながら、戦争への参加拒否に加えて文書偽造など諸々ですね。彼の立場で家を追い出されるなど間抜けも良いところですが――彼が持つ情報には価値があります」


 ユリウスはルトアートを睨む。


「情報とは何だ?」


 ルトアートは背筋を伸ばし、そしてユリウスに気に入られようと振る舞う。


「それはもう凄い情報ですよ! これを聞けば、ユリウス殿下のためになる事は間違いありません。何しろ、あのリオンの弱みですから!」

「さっさと話せ!」


 前置きはいらないと恫喝すると、ルトアートは怯えながら話す。


「ひっ! クラリスです。アトリー家のクラリスを実家で見たんです。あ、あいつ、リオンはクラリスをバルトファルト家に匿っていたんです」


 それを聞いてユリウスが目を見開いた。


「アトリー家のクラリスだと? あの女、生きていたのか?」


 ジルクは元婚約者の事ながら、まるで他人事のように話をする。


「見間違いかとも思いましたが、こいつは屋敷で彼女がクラリスと呼ばれているのを聞いたそうです。その姿も大変似ていたと」


 ユリウスは目を細める。


「偽情報ではないのか?」


 ジルクは口を三日月のように歪める。


「そうだとしても、田舎の男爵家が一つ滅びるだけではありませんか? 犯罪者を匿い、王国に逆らった田舎貴族一つが消えるだけですよ」


 強引すぎると思って返答に悩むユリウスだったが、ジルクから表情が消える。


「殿下――あのリオンがオリヴィアさんと面会しました。私と親しい護衛の騎士から聞いた話ですが、二人は抱き合っていたようですよ。オリヴィアさんが他言を禁じているようですが、それだけ大事に想っている証拠かと」


 その話を聞いてユリウスの中で何かが切れた。


「オリヴィアに手を出した? 何故王宮に知らせない?」

「オリヴィアさんの命令だからですよ。ただ、このまま放置していては、彼が六人目に収まってしまいます。それは殿下も認められないのではありませんか?」


 ジルクは――オリヴィアと結婚する可能性が出て来たリオンを潰したい。そのために、ユリウスにバルトファルト家を潰そうと提案してきた。

 ルトアートの情報は、ただの口実に過ぎない。

 ユリウスは決断する。


「いいだろう。だが、慎重に事を運ぶぞ。奴は必ず殺す。そのために、準備だけは怠るなよ」

「はっ!」


 ジルクが部屋を出ていくと、残されたルトアートが手を上げる。


「で、殿下? あの、褒美は?」


 ユリウスはルトアートを睨み、そして口約束をする。


「リオンを殺したら、残った領地はお前にくれてやろう。これでいいか?」

「は、はい!」


 ルトアートが部屋から出て行くと、ユリウスは右手で顔を押さえる。


「オリヴィアに手を出す愚か者は、全てこの俺が排除してやる。オリヴィアは――俺だけの女だ」



 温泉に入り、最近の疲れを癒した俺とマリエは外を歩いていた。


「あ~、日本酒が飲みたい」

「お前はおっさん臭いな。俺はチューハイの方がいいや。この体だと飲めないけど」

「はぁ? こっちの世界だと私たちは成人なのよ。お酒くらい飲めるでしょ」

「俺は二十歳まではいいや。というか、元からお酒はそんなに飲まないし」


 前世もほとんど酒は飲まなかったな。

 時々飲むか、誘われたら飲むくらいだった。

 マリエが俺の話を聞いて呆れている。


「あんた、私の前世の兄貴によく似ているわよね。兄貴もあんまりお酒を飲まずに、ギャルゲーばかりしていたわ」

「お前の兄貴と一緒にするな。だけど、何となく話が出来そうな気がするな。俺はギャルゲー以外も遊んでいたけど」


 マリエの前世の兄貴は、怒ると何をしでかすか分からない危ない男らしい。

 そんな奴と一緒にされたくないが、ゲームが好きなら話くらい出来そうだ。

 ――それにしても、マリエは俺の妹にソックリだな。

 マリエは屋敷に戻って何を飲むか考えていた。


「今日は焼き鳥が食べたいわね。あ、それならビールがいいかも!」

「お前も俺の妹にソックリだよ。あいつ、酒の味を覚えたらそれはもう毎晩のように飲んでいたからな」


 前世の妹の話をすれば、マリエが酷く嫌そうな顔をする。


「止めてよ。リオンの前世の妹ってアレでしょ? 猫をかぶる女でしょう? そんな嫌な奴と一緒にしないで。でも、お酒を飲むなら良い相手かもね。ぶりっ子だったらどついてやるけど」

「きっと殴り合いになるな。お前らソックリだよ」

「絶対に違うわよ! あんたの妹みたいに器用に生きていたら、私はもっと人生を楽しく過ごしていたもん!」


 もん! って。お前、中身はいくつだよ?

 夜道を歩いていると、俺たちの前を空中に浮かんだロボットが明るく照らす。

 マリエは浮島のどかな景色に目を向ける。


「あ、蛍だ」

「蛍っぽい何かだ。蛍じゃないぞ」


 光を放つ虫が飛び回るだけで、何とも風流な景色の出来上がりだ。

 マリエはサンダルで道の石ころを蹴り飛ばす。


「それにしても、本当に色々と面倒よね。聖女のアイテムが実は呪いのアイテムだったとか、聖女様が乗っ取られているとか」

「もっとふわふわと夢のあるファンタジー世界の方がいいよな。もしくは、ギャルゲーの世界がよかった」

「あんたも馬鹿よね。男に都合のいい世界なんてないのよ。男が想像する女なんて、空想上の生き物だから」

「二次元だから空想と言われたらその通りだけど、その発言はお前にも突き刺さるからな。乙女ゲーは男から見てもないわ~って思うからな」

「私は理想と現実を区別しているわ」

「区別した結果、ゲームでは理想の男と付き合って、現実では失敗したわけだ。痛っ!?」


 笑ってやるとマリエに尻を蹴られた。

 骨に響く痛さに尻を手で押さえると、マリエが睨んでくる。


「童貞が粋がるなよ。お前、前世も童貞だろ?」

「な、何の証拠があって童貞と決めつけるんだ! 訴えるぞ!」

「その反応が証拠よ」


 互いに睨み合っていると、疲れて俺から視線をそらした。


「不毛な争いは止めようじゃないか。お互い、無事じゃ済まないだろ?」

「そうね。お互い、傷口に塩を塗るような発言は控えましょう」


 前世の話をほじくり返すと、両者がダメージを受けるため止めることにした。

 二人で夜道を歩く。

 土を踏み固めただけの道を歩いていると、黙ってマリエが手を伸ばしてくる。

 その手を掴んでマリエを引っ張るように歩いた。

 背の低いマリエが、俺に追いつこうと速度を上げる。

 俺はマリエを気にかけ歩く速度を落とす。


「――色々と大変だけど、きっと何とかなるわよね?」


 マリエが不安そうに呟いたので、俺は安心させるため軽口を叩く。

 安心させようと思い、そして自分にも言い聞かせる。


「あの乙女ゲーの世界だぞ? もうラスボスもいないんだから、これ以上悪くなるかよ。最後は最低でもベターエンドだ」


 ラスボスは既に対処済み。

 あとは、聖女の問題を解決するだけ。

 自分に言い聞かせる。

 大事なのは――俺が今の環境を守ることだ。

 マリエが俺の手を強く握る。


「そう、よね。きっと大丈夫よね?」

「これ以上何が起きる? 新学期は聖女様対策で忙しくなるし、今だけは休もうぜ」

「うん! あ、お腹が空いたわ。早く戻ってご飯にしましょうよ」

「お前はそればっかりだな」


 笑いながら夜道を歩き、屋敷へと戻った。



「ただいま~。飯は?」


 実家に戻ってきてのんきな発言をすると、俺の方にメイド服姿のクラリス先輩が駆け寄ってきた。

 その後ろには、クラリス先輩の取り巻きである男子の先輩たちもいる。

 彼らは日頃はうちの屋敷で手伝いをしているそうだ。

 ただ、全員が険しい表情をしていた。


「リオン君、大変よ」

「何か事件ですか?」


 今度は何が起きたのかと嫌な気持ちになった。クラリス先輩の顔付きからして、きっと良い情報ではないだろう。

 クラリス先輩の実家であるアトリー家とは、師匠を通じて今もやり取りがあるそうだ。

 そのため、何か情報が入ってもおかしくはない。

 もう勘弁してくれと思っていると、クラリス先輩から予想もしていない話が出てくる。


「アルゼル共和国が滅んだわ」

「――嘘でしょ?」


 俺がマリエに視線を向けると、唖然として声も出ないようだった。

 マリエ曰く「あの乙女ゲー二作目の舞台」とのことだが、その舞台となる国が滅んだ?

 クラリス先輩が焦っていた。


「本当よ。王宮も蜂の巣を突いた騒ぎになっているわ。それから、悪い噂が出ているの」


 まだあるのか!?


「不確定な情報だけれど、王宮がバルトファルト家。いえ、リオン君に対して不満を持っているそうよ。討伐に向けた動きをしているって噂が流れているわ。何かやったの?」


 俺は風呂上がりだというのに、嫌な汗が噴き出てきた。

 マリエも青い顔をして固まっている。

 俺が視線をさまよわせながら、思い当たることを話す。


「――決闘の後に、ユリウス殿下をボコボコにしました」


 クラリス先輩が額に手を当てると、その後ろで先輩たちも「何やってんだよ」みたいな顔をしている。

 え? もしかして、俺って討伐されちゃうの?



その6につづく